Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

あなたの子どもは、あなたの子どもではない

今週も容量オーバーの日々!

 

探偵ナイトスクープ

小ネタ集的に日記を。

  

 

2月1日(水)

 

母が亡くなってから3年。

唯一残っていた

ある手続きのために

某窓口へ。

 

書類などを

取り出して

日頃は縁のない

説明を聞いたり

していると、

 

母が急に倒れて

亡くなった

ときのことが

やはり思い出される。

 

年末、

もう来週はお正月で

帰るよ、会えるよ

というタイミングで

 

母が急に倒れて、

 

頭が真っ白で

北海道まで

朝一番の飛行機で帰って

 

意識がないながら

それでも数日

病室でわたしと

過ごしてくれて、

 

年明けまで

がんばってくれてから、

 

母がからだから

出て行って。

 

そしたら当然

次から次へと

やらなければ

ならないことが

あって、

 

でも、不思議と

その場その場で

たすけてくれる人が

必ず現れて、

 

 

あまりのことに

翻弄されて、

 

突然、ドラム式の

洗濯機に放り込まれた

ようだったけど、

 

その洗濯機に

次から次へと

なにか美しいものが、

これでもかと

注がれて、注がれて、

 

止まらなかった

その日々のこと。

 

3年もたつのに

そこに繋がると

簡単に

ぼったぼたと

涙が落ちてくる。

 

そんなお客は

困るに違いないから、

 

担当の方に、

事情をお話しして、

 

気を使わせてしまって

本当に申し訳ないが、

反射みたいなもので

大丈夫だからと、

 

手続きを続けていただく。

 

若いご担当者、

とても親切。

 

母のことは

みんなそうだった。

 

びっくりするような

やさしい人たちが

その場その場に

現れて

わたしをサポート

してくれた。

 

もう母の采配と

しか思えなかった。

 

母は最後に

この世界への

肯定感と感謝を、

 

圧倒的な

体験で

わたしに

教えた。

 

父と母の娘で

あったことに

わたしは完全に

満足したし、

完全に受け取り

つくしたと思った。

 

セラピストの仕事を

はじめたのは、

その体験があったから。

 

今度はお返しする番と

思って。

 

 

2月2日(木)

 

中学校の役員の

お仕事で

地域の公民館へ。

 

3年間何らかの

役割で続いていた

 

学校のお仕事と

地域のお仕事が

 

この春で

一度終了。

 

まだしばらく、

仕事は続くけど

 

あと少しと思うと、

開放感がものすごい。

 

まじ、がんばった。

 

地区ごとの

集まりである

この日、

 

思いがけず

娘のものまねで

おなじみの

M田先生がご登場!

 

娘のものまね

そのままの

歩きかたに

吹き出して

しまわないように

 

唇をかみ切り

そうなほどに

噛んでしのぐ。

 

会合の内容

そっちのけで

娘にメール。

 

 

「M田先生来てる!」

 

「いいなあ!」

 

 

階下で行われて

いるらしい、

おじいちゃんたちの

カラオケ大会の影響で

2回ブレーカーが

落ちるも、

 

M田先生の素速い

対応で円滑に進む。

 

しかし、

いちいち

おもしろい。

 

最後にM田先生と

直接お話する

用件があったとき、

 

つい不必要なほど

はじける笑顔に。

 

昨日は窓口で泣いて

今日はM田先生で笑って、

忙しいですが、

 

それが誕生数3タイプ。

 

ボリューム過多に

あふれる

エモーション。

 

 

 

2月5日(日)

 

週末は至福の

テープ起こし作業。

 

美しいおふたりの

対談を文字に

起こしました。

 

女性には

あまりに

熱いテーマと

うなるような

展開に

 

このお話をフルで

聞ける機会を

いただけたことを

ほんとうに

ありがたく

思った。

 

 

2月7日(火)

 

 

サイドバーンへ。

 

ホームページの

制作を

お願いしている

遠藤さんに

 

IHを体験して

いただく。

 

遠藤さんは

Webデザイナーですが

 

脚本家を

目指していて

日々作品を

作られています。

 

セッションのテーマに

選んだことは

直接脚本のことでは

なかったのですが、

 

その後の目標設定で

やはり脚本のことに。

 

インナーチャイルド

クリエイティビティー

 

クライアントを

問わず

ご縁がある

テーマです。

 

遠藤さんが

いちばん書きたいと

思っているのは

シットコムで、

(シチュエーション

コメディーともいう。

フルハウス」とか

「フレンズ」とかが有名)

 

シットコムって、

気軽に笑って見られる

ものだけど

実は社会的な

テーマを

意識して

書かれている

ものらしく。

 

遠藤さんが書きたい

シットコム

やはり裏テーマ

のようなものが

あって、

 

そのなかには

 

固定観念からの解放、

 

多様性を受け入れる

大切さ、

 

があって、

 

これは先日の

テープ起こし作業で

聞いた対談の中でも

登場したテーマ

でもあった。

 

遠藤さんの

シットコム

わたしは

こころから

見たいと思う。

 

 

サイドバーンを後にして

 

引き続き遠藤さんと

ホームページの

打ち合わせ。

 

IHセッションを

基本としながらも

 

いろいろな

企画もしていきたい

気持ちが盛り上がって

いるので

 

ホームページは

そのお知らせの場所

として、

重要な働きを

してくれることに

なりそう。

 

遠藤さんに

お願いできて

ほんとうに

心強い。

  

 

2月9日(木)

 

職場で。

 

イレギュラーな

流れ作業を

寄り集まった

4人で行うことに。

 

わたしの職場は

ほとんどが主婦。

 

社員とパートの

違いはあれど

とにかく仕事を

素速く

確実に

済ませて

 

とにかく早く

帰れることが

共通の目的みたいな

ところがあって

(みんな帰ってからが

仕事の本番だから)

 

効率よく動く

ひとつの

有機体みたい

になる。

 

言葉を介さなくても

いろんなことが

通じるし、

 

みんなが前後の

行程の人が

やりやすいように

動くから、

 

仕事は大変だけど

自分は大切にされている

という確信の中で

仕事できる。

 

この日、

作業を4人で

はじめるときも、

 

いつもはやらない

作業だけど

 

最善の配置を

予想して、

整然と準備したり、

 

足りないものが

あっても、

その場にあるものを

工夫して対応したり、

 

相変わらず

みなさん

冴えまくっている。

 

流れ作業を

滞らずに

進めようと

 

独自のグルーヴ感が

生まれて、

今日も

ひとつの

有機体みたいになる。

 

 

「邪念があるとだめみたい」

 

「欲をなくして、無の境地になると

うまくいく」

 

「エゴは邪魔」

 

「心頭を滅却」

 

 

なんの修行ですか

という会話に

笑う。

 

 

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札幌では雪まつりが開催中ということで、デビルマンに首を飛ばされるわたし。これよりインパクトがある顔出し看板にお目にかかったことはありません。デビルマン、カメラ持ってますね。

 

この写真を探して、子どものときの写真をスケッチブックに自分でまとめたものを出してきたら、ある詩を貼り付けていて、これが今親となった自分に刺さりすぎる。この日のために自分でセットしておいたかのように。

日記のすべての日に通底していたテーマでもあるのでここに引用します。

 

━━━あなたの子どもはあなたの子どもではない、彼らは人生そのものの息子であり、娘である。彼らはあなたを通じてくるが、あなたからくるものではない、彼らはあなたとともにいるが、あなたに屈しない。あなたは彼らに愛情を与えてもいいが、あなたの考えを与えてはいけない。なんとなれば、彼らは彼ら自身の考えを持っているからだ。あなたは彼らのからだを家に入れてもいいが、彼らの心をあなたの家に入れてはいけない。なぜなら、彼らの心は、あなたが訪ねてみることもできないあしたの家にすんでいるからだ、あなたは彼らのようになろうとしてもいいが、彼らはあなたのようにしようとしてはいけない。

なぜなら、人生はあともどりもしなければ、昨日とともにためらいもしないからだ━━━━

 

ハリール・ジブラーン/子どもについて

 

 

 

 

 

布ナプネイティブ、かく語りき

 

やっと書けるぞ、

 

才田春光さんと、

アマミヤアンナさんの

イベントのこと。

 

 

アマミヤアンナさん、

http://kokyulaboratory.com

 

呼吸法の指導者に

なられたことは

知ってはいましたが、

 

先日みれいさんの

トークショーの会場で

再会したとき、

 

印象があまりに

変わっていて、

驚きました!

 

とにかく、

ひたすらやわらかく

ゆるんでいて、

魅力的で。

 

みれいさんの

事務所にいたころから

魅力的だったのは  

確かですが、

もっと緊張感があって、

(きびしいお仕事ですから)

どちらかと言えば硬質な印象を

受けとっていました。

 

久々にお会いできた

アマミヤさんは

 

会話にも

包容力があふれていて、

 

ひとことふたこと

言葉をやりとりした

だけで多くのことを

理解していただける

ようで、

 

もう、

アマミヤさん自身が

その呼吸法の効果の

なによりの証明だと

思って、

 

これは是非とも

アマミヤさんの

呼吸レッスンを受けに

行くべと。

行くべさと。

思った次第。

 

しかも!

才田春光さんとの

合同イベントという

この日。

 

才田春光さん…

 

書きたいことが

前のめりに

ありすぎて、

ワタワタします。

 

(あったかい麦茶に

ハチミツ入れたやつ

飲んで一息します)

 

 

春光さんが尊いのは

たくさんの理由があると

思いますが、

 

特に言うなら

子宮をきれいにする

活動をされていること。

 

それはもう

誰かのためという

域を超えて

この世界のために

素晴らしいのだと思う。

 

わたしは生理のときに

布ナプキンのみで

過ごすようになって

もう何年もたちます。

 

あまり使い捨ての

紙ナプキンを

悪く書くのも

気が進みませんが、

 

燃やすとダイオキシン

たくさん発生させる

化学物質である

紙ナプキンを

 

普通の皮膚の

何十倍もの経皮吸収率

である性器の部分に

あてているということで

どんな影響があるのか。

 

(腕の皮膚の経皮吸収率を1

とすると性器の経皮吸収率は

42倍!だとか。春光さんの

本に書いてあります)

 

口から入った毒素は

肝臓などで解毒されたり、

排出することが可能ですが、

 

経皮吸収された毒素は

消化器官を通らないから

そのままからだにたまって

いくのだそうです…

 

 

とかなんとか書くよりも!

 

布ナプキンがいかに

快適で簡単かっていう

お話のほうがいいですね。

 

わたしはすぐに

切り替えられました。

 

平行して使っていた

期間はほぼありません。

 

布に変えたら

もう二度と、

紙ナプキンは

使えなかった。

 

棚に保管してる

ことすら嫌になって

すべてさよならしました。

 

布ナプキン

使ってみたら、

生理痛ってなんだったの?

って思うくらい、

痛みや重い感じは

なくなったし、

 

期間も3日ほどで

スカッと終わるし、

 

なるべく布ナプキン

汚したくないから

 

トイレで済ませるように

意識してると

自然とできるように

なってきたし、

 

セスキソーダで

付け置けば

洗濯も大変じゃないし、

 

旅先など

洗う場所がないときには

古いほうの布ナプキン

持っていって、

何かに包んで

捨ててしまう。

 

ぜんぜん大変じゃない。

 

 

娘は5年生くらいのとき

女子だけ別の教室に

集められて

生理の説明を

受けたようなのですが、

 

そのとき

紙ナプキンの

サンプルも

全員に配られる。

 

これを使うものって、

思うようになってる。

 

 

子どもたちに。

 

 

わたし母親として

食べものは相当

ゆるいと思う。

昨日なんて、

作れなくて

宅配ピザですよ。

(あんまりおいしいと

感じなかったけど…)

 

でも!

どーーーーーーしても、

使い捨てのナプキンは

やだった。

 

 

いのちがやどる

この世へのゲートなのに、

(生むにしても生まないにしても)

 

高分子ポリマーを

密着させておくのは

どうしても

がまんならなかった。

 

すべての女の子たちに

才田春光さんの

月経血コントロール

布ナプキン

知らせたいけど、

 

とりあえずできる

こととして、

まずは自分の娘。

 

4年生くらいのときに

クレヨンハウスの

上の階に行って

かわいい柄の

布ナプキン

自分で選ばせて、

(touta.のだったと思う)

 

家に帰ってからも

かわいい袋に入れて

引き出しの奥にしまって、

 

その時がきたら

使おうねって

話しておいた。

 

いざ、初潮を

むかえたときも

どの柄にする?

って楽しく選んで

使った。

 

月経血コントロール

簡単には伝えたけど、

 

最初からいろいろ言うと

拒否しそうだったので

まずはとにかく

布ナプキン

 

とりあえず

身についてくれたかと

ホッとしてた

つい先頃。

 

2泊するスキー林間の

直前に娘に生理が

はじまった。

 

友だちはみんな

使い捨てのナプキンを

使っている中、

どうして自分は

それを使えないのかと

だんだん不満を

言うようになっていたので、

 

ここは強いることはできないと、

 

はじめて紙ナプキンを

使って送り出しました。

 

 

2泊して帰ってきた娘。

 

父親がいないのを見はからって

(そこはお年頃の娘)

 

(というか、これ書いてるの

ばれたらころされる)

 

 

「おなかがすごい痛くなって

トイレで即捨てた!」

 

「二度と使わないから、

買った紙ナプキンは

今すぐ捨てていい」

 


「もし修学旅行で

生理になっても、

絶対、絶対、絶対に

紙ナプキンは使わない」

 


「本当にみんなは

あんなものを

使っているのか?」

 

 

とけっこうな語気で

伝えてきた。

 

予想を上回る

拒絶っぷりに

おどろきつつも、

 

娘が自分で布ナプキン

選んでくれたことが

とってもうれしかった。

 

って話を、

才田春光さんに

伝えられたことも、

とってもうれしかった。

 

 

そう!

東洋医学では頭皮と

子宮は密接に繋がっていると

言われているそうで、

 

実際お産の現場では

羊水にシャンプーのなどの

香料のにおいが

するらしいですよ…

(柔軟剤の経皮吸収

とかもありそう)

 

 

娘、お年頃でいろんな

シャンプーなどに

興味がありそうですが

 

そこだけは頼む!と

 

母さんが用意した

オーガニックの

シャンプーを使って

もらっています。

 

サイドバーンで教えてもらったやつ

http://online-shop.engaro.com/care/smooth-plus/smoothing-hair-bath.html

 

さすがに塩浴までは

要求できないので。

 

才田春光さんは

女性の最も大切な役割は

子宮をきれいに保つことと

おっしゃっています。

 

子宮はいのちが生まれる

神聖な場所で

創造性の源です、と。

 

子宮をもってることで

宇宙と繋がってる

感じって

理屈抜きにあると思う。

 

と、

ちょうど娘の

紙ナプキン体験話が

熱かったので、

この話題ばかりに

なってしまいましたが

 

日曜日の才田春光さんの

お話会の内容は

子宮のお話も

ありながら、

 

参加者のさまざまな相談に

春光さんが

答えてくれる内容で

 

それは痛快だった

わけなのですが、

 

特に印象的だったのは

 

その人生で

数々の選択や

決断をされてきた

春光さんは

 

とにかく自分が

決めることが大事だと

お話されていました。

 

 

決断すること

 

選択すること

 

設定すること

 

その大切さは

春光さんのお話以外でも

いろんな場面で意識します。

 

 

キネシオロジーでは

漫然と筋反射をとるのではなく

 

答えを導くとき

何を意図しているのかが

とても大切になります。

 

たとえば

 

自分に合う食べもの

を選ぶとして、

 

自分に栄養を与えてくれる

食べものなのか

 

自分に味覚的な喜びを

与えてくれる

食べものなのか

 

その選択する意図に

よって答えは変わって

きますよね。

 

IHセッションの中で

行う目標設定、

アファメーション

より具体的なイメージを

描いてそれを自分が選択する

ことが重要になります。

 

たとえば

漫然と

幸せになりたい

 

と思うだけでは

それは選択されていません。

 

むしろ

幸せになりたい

という時点で

 

幸せじゃない自分が

設定されてしまいます。

 

日頃から

自分の無意識な

言い回しとかに

注目してみると

 

自分が自分に

ほしいものが

手に入らないように

設定してしまっていることって

あるんだと思います。

 

どうぞ

 

ナイスな選択と

 

ナイスな月経を!

 

 

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ほころぶは梅

 

愛と光の飛脚便

日曜日の才田春光さんと

アマミヤアンナさんのイベントの

ことが書きたいのに

まったく時間がない!

 

日曜日は飛び越えて、

火曜日の日記を

 

佐川さんのように

かけあしで!

 

火曜日。

 

午前中は家のこと。

 

出かけるまでに

どれだけできるか。

 

犬のご飯の玄米麹仕込んだり、

支払い行ったり、

犬の散歩行ったり、

でもしっかり近所の

おばあちゃんのお話は聞いたり。

 

洗濯物もギリギリ乾いて、

たたんで、しまう

ところまでできた。

 

メールを大切にふたつ書く。

 

自転車飛ばして駅まで。

移動は常に走ってる。

ねらったわけじゃないけど

ボーダー着てる。

佐川さんのように。

 

お昼すぎにサイドバーン。

 

何度か受けていただいている

クライアントのセッション。

 

シンプルプロトコルながら

ものすごく手応えを感じて、

 

終わるなり、すごく重要な

セッションでしたね!って、

それぞれに口をついて出た。

お互いに共有してた。

 

いままでのセッションは

この日のための準備だったかと

思うほど、大きなものが

手放せたと思う。

 

サイドバーン、

この日は英会話教室。

参加するスタッフさんたちと

入れ違いに、おいとまする。

馬篭くん味噌汁飲んで。

 

飛脚は走ります。

次は浜田山まで。

今週は日曜も火曜も京王線

京王線京王新線

なにが違うのですか。

 

向かうはIHの同期の

愛しの末娘、ゆみちゃんが

新しくお仕事をはじめるサロン。

 

ゆみちゃんはキネシオロジー

利用したボディーマッサージを開発中で

モニターとして体験させていただく。

 

めーーーーーーっちゃ、よかった!

 

キネシでその日の

最適なコースを

選んでくれているから、

効果が高いと感じる。

 

わたしはマッサージを

受けた後にだるい感じが

残るのが少し苦手なのだけど、

 

ゆみちゃんの

マッサージの後には

そのだるさはなくて

ひたすらすっきり。

 

ゆみちゃんの手からは

なんか出てた。

清らかであたたかいもの。

 

自分のからだのことを

ケアする時間を

いただけたことに

本当に感謝。

 

まず自分が整うことが

すべてのはじまりって

改めて感じました。

 

せめてものお礼に、

音叉のミニセッションを。

 

音叉と何かを組み合わせると出て、

(プラクティショナー同士だと

凝った調整がよく出る)

→クリスタル。

持っていたのは小さな

ピンクレムリアンシード。

 

ゆみちゃんにぴったり!

ハートチャクラに

あててもらいながら、

音叉の調整。

 

楽しい。

実習の濃密な日々を思い出す。

 

ゆみちゃんに

感想を熱く伝えて、

 

わたしたちはこの方法を

ほんとうにに誇りに思って

やっていこうね!

って話す。

 

ゆみちゃんありがとう!!!

とってもしあわせな時間でした。

 

ふかふかに満足して

また走る。

 

湘南新宿ライン高崎方面は

1時間に2本。

逃すと30分待つ。

 

テキストと音叉他で

ぱんぱんのリュックで

走る。

 

帰り道はグリーン車

 

この貴重な時間に

渾身のラブレターを

メールで送る(相手は女性)。

ずっと伝えたかったことが

書けてよかった!

 

 

遅い帰宅時間を考えると、

最近外出ばかりのわたしへの

厳しいご意見が多い娘が、

今日もやはり厳しい目で

待っていることは否めない。

 

帰るなり、先手必勝で

「お母さんは今日マッサージを

受けたから、寝る前にマッサージを

してあげる!」と持ちかけてみたら、

快諾。

うれしい模様。

 

ほっとして、半身浴しながら、

はじめてボーッとする時間。

人の人生の五生分くらい

いままでボーッと生きてきたのに。

 

寝室で娘に

頭のマッサージ。

娘ご満悦。

 

寝る前の定番、

M田先生の話で盛り上がる。

娘のM田先生のものまねが

わたしにはツボすぎて

寝る前には禁止にしてるのに。

(ヒーヒーいうほど笑ってしまって

一向に眠れなくなるため)

 

M田先生は

ブリティッシュコメディっぽくて、

真顔でやればやるほど

おもしろくなってしまう。

 

M田先生の歩き方。

M田先生の口ぐせ。

M田先生のニット帽。

 

娘はなにもかもがおもしろくて

たまらないようすで、

 

でも、センスがいいなと

思って聞いているのは、

 

ディスってるんじゃなくて

娘と娘の友だちは

「M田愛」と呼んで

もはや愛として処理してる

ところ。

 

こんなに毎日おもしろい

ネタを提供してくれて

感謝してるみたい。

 

毎日帰ってくると、

今日のM田先生を

もうこれ以上無いほど

嬉々として報告してくれる。

 

わたしからもM田先生に

お礼を申し上げたい。

 

というわけで

M田先生の話で

笑い過ぎて

一向に眠れなかった

わけですが、

 

一日は終了。

  

 

1日を通してその時その時

目の前にあることに

集中して光を注げた気がしてる。

(正確には、光を受けっとったり

注いだり)

 

そして、かけ足で書いても

やっぱりこんなに長く

なってしまう自分に驚愕。

 

 

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火曜日じゃなくて、日曜日だったのですが、超久々にアカシアのロールキャベツシチューを食べた。白米に本当に合う。白米と食べてこそ。コロッケやエビフライもおいしい!

 

 

 

 

 

 

 

動機は愛!

 

膝を正してMacBook

向かっています。

 

migiwaの麻さんについて

書くからです。

 

麻さんは埼玉県の浦和のご自宅で

カウンセリングとヒーリングを

行っていて、

http://www.asa-migiwa.com/

  

IHの日本語版テキストを

翻訳された、翻訳家でも

いらっしゃいます。

(現在トールキンの未完の

遺作を翻訳中だとか!)

 

麻さんが行うのは

筋反射を利用した

オリジナルのセッションです。

 

キネシオロジーを含め、

各種のヒーリングを学ばれて

実践するうちに、

現在のスタイルに

たどり着いたようなのですが、

 

昨年初めて麻さんのセッションを

受けたときには、

そのスピードと

情報量に

驚かされました。

 

難問奇問なんのその

 

時間も空間も

縦横無尽に、

問題の原因に

アクセスして

 

問題は

自らほどけていってくれる。

 

そんなセッションでした。

 

 

日常あふれる

リビングルームで

繋がる宇宙、というか。

 

ポケモンの本を

視界の片隅に

立ち上がる叡智、というか。

 

 

もう、

自分がIHを行う理由を

完全に見失って

帰ったわけですが(笑)

 

 

麻さんはふたりのお子さんの

お母さんでもあるため、

まずはご家庭を大切にされていて、

 

ある限られた時間を

このセッションのために

働くという設定を

きりっと決められている

のだと思うのですが、

 

わたしが感動したのは

 

麻さんのセッションには、

その限られた時間の中で

できる限りの結果を

引き出してくれようとする、

 

セラピストしての

強い気持ちがあることです。

 

それは穏やかな外見に

そっとかくされて

いるようで、

 

でも、静かに熱く

セッションを導く

原動力になっている

のだと思います。

 

回りくどく

しゃべってますが、

 

要するに麻さんが

セッションを行う動機は

純粋に愛からなのだ

ということです。

 

それがひしひしと伝わるのです。

 

 

知識や技術は

別として、

 

わたしもセラピストの

はしくれとして

スタートを切るつもりなら、

 

動機が愛以外なら

やる意味がないと

思ってはいますが、

 

麻さんのセッションを

体験したからには、

これからずっと、

 

「わたしは麻さんが使ったような

愛を使えているかな?」

 

って自分に問うことに

なるのだと思う。

 

これからずーーーーっと。

 

 

麻さんを指標に

海に出る!

勝手にそんな気持ちでいます。

 

麻さんがいてくれることが

どんなに心強いか

わかりません。

 

この世のなかで

指標となる人が

いてくれることほど

幸せなことはないと

思うから。

 

 

麻さんのことを

教えてくれたのは

IHの講座で同期の

けいこちゃんです。

 

 

けいこちゃーーーーーーーーーん!!!!!

 

ぶんっ、ぶんっ!

(あらんかぎりの力で和歌山方面に手を振る音)

 

だいすきーーーーーーーーっ!

(むだに告白)

 

けいこちゃんは周りを

パッと明るくして

くれるような

ものすごく魅力的な

人なのだけど、

 

たくさん扱う問題はあって

きっと麻さんのセッションに

通うことでその魅力的な

本来のけいこちゃんの姿に

戻っていったのかな

って思う。

 

けいこちゃん曰く、

「麻さんは、地に足ついて、ふつうに超人」

 

名コピーです。

 

 

先日、麻さんのセッションを

受けに行ったときのお話を

もう少しさせてください。

 

問題は答えが近づくと

顔を出すというお話です。

 

 

前回もそうだったのですが、

 

麻さんのところに行く

直前には

なにかの問題が

強烈に立ち上がって、

 

あらかじめ相談しようと

思っていたこととは

別のことをテーマに

することになります。

 

 

問題が解決されるために

自分から「こっちだよ!」って

出てくる感じ。

 

問題というのは

答えが近いのを嗅ぎつけると

必要な順番でちゃんと

現れてくる気がします。

 

「次、俺な」とか

問題同士で相談してるのかな。

 

「わかったよ…」と思って

問題の手を引いて

麻さんのところへ連れて行く。

 

具体的に言うと

それは

 

母親としての自信のなさ

です。

 

麻さんのところに行く前日、

娘にものすごく後味の悪い

怒りかたをしてしまった。

 

それはもうひどいことをした。

 

めためたに落ち込んだ。 

 

今回はこれを扱う必要が

あったのだと思う。

 

 

問題というのは

ひもの結び目の

ようなもので、

 

ほどこうとして

結び目をいじればいじるほど

ギュッと固結びに

なってしまう。

 

 

それを問題だと思って

結び目にフォーカス

しないようになれれば

 

結び目は自ずとほどけて

いくんだと思う。

 

 

結び目はほどけたがっている。

 

問題は消えたがっている。

 

 

問題も問題でいるのは

いやだと思う。

 

問題とわたしたちは

対立していないと思う。

 

 

問題は帰りたがっている。

 

手を引いてほしがってる。

 

 

顔を出したら、

 

出てきてくれて

ありがとう、

って思って

(なかなか思えないけど!)

手を引いてあげるのがいい。

 

こんなときに

いつも思い出すのは

 

漫画版の

風の谷のナウシカ』です。

 

高い理想の果てに、

とりかえしがつかないほど

世界を傷つけてしまった

皇帝の亡霊をナウシカ

見捨てることなく

連れて行きます。

 

ふつうの物語なら

悪として退治されてしまう

対象を宮崎さんの作品は

いつも救うのです。

千と千尋ではカオナシ

銭婆のところまで連れて行く)

 

やっかいな皇帝の魂を

闇から救ったナウシカ

森の人は

 

「闇から生まれたものは

闇に帰すべきでした」

 

と言います。

 でも、ナウシカ

 

「闇はわたしの中にもあります、

(中略)だとしたらこの者は

すでにわたしの一部です」

 

と言って

手を引いて

連れて行きます。

 

ナウシカにとっては

皇帝は敵ではなく

救いたい自己なのです。

 

怯えてナウシカ

とりついていた皇帝は

 

美しく蘇った世界へ

光のもとへ

自分で戻っていきます。

 

問題だって帰りたいんです。

 

 

そして!

ナウシカに出てくる、王蟲

 

「全にして個、個にして全」

です。

 

ナウシカ、わたしにとって熱すぎて

やめられない!もうすぐやめます!

がんばって)

 

完全に分離した個などないのは

物理でも実証されているそうですが、

 

誰かが癒えることは

わたしが癒えることで

 

誰かの結び目がほどけることは

宇宙から結び目がひとつ

へってくれること

 

そのために働きたい。

 

愛を動機に。

 

よし!

決め台詞でイケメンに終了。

 

途中どうなることかと思ったけど、

終われた!(笑)

 

あと、参考に出してきた

漫画のナウシカ(全7巻)、

 

適当に一冊手にとって開いたら

一発で皇帝の手を引いてる

ナウシカのページ出てきた!

 

こういうのほんとに多い。

 

って、終われてない!(笑)

 

 

ここまで読んでくださったかたに

同じ行数ほどの感謝を込めて。

 

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2週間限定上映のSUPER FOLK SONGデジタルリマスター版。観に行けないかとあきらめかけていたけど、みれいさんの日めくりカレンダーに「ひとりを満喫」とあった日、なんとか出かけることに!あきらめずに行ってよかった!よりによってこのアルバムの録音のときにカメラが回っていたのは、神さまの指示としか思えない。終始鳥肌バシバシでした。

まるでアッコちゃんがほんとうにそこでレコーディングしてるかのように、客席が息をひそめていた気がしたのもおもしろかった。

migiwaの麻さんはセッションの前にアイリッシュハープを弾いてくれるのですが、音楽は一瞬で別の場所に運んでくれる魔法ですね。

 

 

 

ノーフューチャー、言いかた変えれば、ビーヒアナウ

 

ただ今、猛烈テープ起こし期間中です!

 

とあるインタビューを

文字に起こすお仕事。

 

おもしろすぎて

夢中です!

 

このインタビューの

内容の影響で

今、いろんな思い込みが

外れまくっている。

  

多感な10代に

パンクロックなどを

好んで聞いていたためか、

 

わたしには

 

ふつうってなんなのさ。

みたいな気持ちがいつもある。

 

だれが決めたのさ。

みたいな。

 

あんた、あの娘のなんなのさ。

みたいな。

(古すぎる!パンクでもないし)

 

 三つ子の魂百まで

とは申しますが、

 

そんな三つ子の魂に

火がついて、

燃えています。

 

ごおごおと。

 

それをできないって

誰が決めたの、

って。

 

しかたないって

なんで思うの、

って。

 

こんなルール全部

まやかしなのに、

って。

 

具体的な話がないので

なんのこっちゃなのですが。

 

とにかく、

後戻りできないほど

大きな影響を

受けていると思う。

 

 

変身してる、なう。

(中1の娘がなぜか最近よく使う“なう”)

 

 

さて!

思い込みをはずしてくれる

といえば、

 

わたしが通っている

ひふみよが(&ヨガノマ)の

https://amarananda.wordpress.com

 

てるよ先生のヨガも

そうです。

 

ヨガ、過去にかじってみるたびに

「自分には向いていない…」と

ずっと思ってきたのですが、

 

(どスピですから、からだから

の切り口がいまいち苦手なのと、

からだを動かしたいなら、ただ

「走る」に限る!という救いがたい

単細胞であるため。ヨガはスポー

ツでも、フィットネスでもない

わけですが)

 

てるよ先生に出会って

はじめてヨガを続けてみたいと

感じています。

 

わたしはこの人生をここまで、

「人を見る目」だけで

やってきたと自負しておりますが、

 

てるよ先生は

ほんとうにしっかりと

グラウンディングしていて、

 

同時に海のような

美しさを湛えていて、

 

気取りなど皆無ですが、

 

どうにもこうにも

にじみ出てしまう

インテリジェンスや

育ちのよさ…、

 

にもかかわらず、

どんなことも

自分の手でやってしまう

タフな方で、

 

(埼玉の加須にあるご自宅兼ヨガ教室の

yoganomaは古い民家を自分たちの

手でリフォームされた。千葉の

鴨川で自給自足のような暮らしを

経験されたこともあるらしい)

 

 

てるよ先生のヨガ教室が

通える場所にあることを

ほんとうに幸せに

感じています。

 

てるよ先生のお話で

とても印象的だったのは

 

太陽礼拝などでポピュラーな

アシュタンガヨガというのは

 

実は特権階級の子どもを

しつけるために

開発されたもので、

 

難易度が高い

アーサナ(ポーズ)の

訓練をすることで

むしろエゴ(自我)が

強まってしまったり、

競争心に火を付けたり、

 

ヨガが意味するところの

真理に立ち返ることや

調和を尊ぶこととは

 

かけ離れていった

もののようなのです。 

 

ストイックにヨガの道を

極めてこられたであろう

てるよ先生は、

その事実を前に

一度今までの自分のヨガを

手放したのだそうです。

(なかなかできることでは

ないと思います)

 

今てるよ先生が

指導されているのは

 

最低限の力でも

成果が上がるような

自分をゆるめてくれる

ヨガです。

 

おととい参加したレッスンで

てるよ先生は

 

「からだは常に変わっているので、

その時にいちばん居心地がいいのは

どこなのかをいつも探します」

 

と言っていて、

(言葉のニュアンスは違った

かもしれないのですが)

 

これはヨガのレッスン中に限らない

大切な言葉だなと思って

うっとりと聞いていました。

(てるよ先生は声がほんとうに

すてきなのです)

 

今、その時、どうしていることが

いちばん居心地がいいのか。

 

てるよ先生のヨガは

 

いつもそれに気づける自分

でいられるように、

してくれる気がします。

 

 

ビーヒアナウですな。

 

 

 パンクの世界ではよく

ノーフューチャーなどと申しますが

 

逆説的にはそれもまた

ビーヒアナウなのでは

とも思います。

 

 

ノーフューチャー

 

言いかた変えれば

 

ビーヒアナウ

 

 

 

スピリチュアル川柳、

 

シリーズ化しようかしら

と思いましたが、

 

次に思いつくのが

5年後とかになりそう

なのでやめます。

 

 

ノーフューチャーなので

5年後なんて知りません。

 

どうも、時間って、

今しかないらしいですよ。

 

 

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加須のyoganoma。わたしは普段鴻巣市吹上のひふみヨガに行くことが多いのですが、どちらもすてきです。ひふみヨガのひふみはひふみ祝詞のひふみ、のようですが、てるよ先生はヨガを日本の地でやっていることの意味や感謝も感じながらヨガと向き合っているように思います。

 

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昨年参加したyoganomaオープニングイベント。マクロビランチ付きのヨガのレッスンでした。ほんとうにすてきなスペースで、わざわざ都内から足を運ばれている方も。わたしがとくに好きだったのは本棚のラインナップ!『あるヨギの自叙伝』とマイケル・ジャクソン『This is it』と羽生善治『大局観』とアリシア・ベイ=ローレル『地球の上に生きる』が渾然と並ぶ様子にほれぼれしました。(他にもたくさんある本の中でたまたま目にとまった本です)

 

 

自分の手を引いてくれるのは、自分

夕べのことです。

 

家族3人、外出から帰ってくると、

なにやら食べものの包み紙が

部屋中に散乱している。

 

犬がチョコレートを食べてしまった!!!

それもかなりの量。

 

犬にとってチョコレートは

ひどい中毒症状を起こす

かもしれない食べものなので、

一同、一気にあわてる。

 

小2から姉妹のように

一緒に育ってきた娘は

(本気で遊んだりケンカしたり…)

パニックで大泣きしている。

 

それでも立派だなと思ったのは、

 

チョコレートをうっかり

置きっぱなしにしていた

父さんのことをまったく責めずに、

逆にすごく気遣っていたこと。

 

いちばん責任を感じてつらいのが

父さんだと思ったんだと思う。

 

わたしは病院に行かなくても

大丈夫かなと思ったけど、

(筋反射で聞いてみた)

夫と娘のためには

行った方がよさそうと判断して

夜間救急に対応してくれる

動物病院へ。

 

胃の中のチョコレートを

吐いて出させる

処置をしてもらう。

(予想以上に大量でした…)

 

動物病院の若い先生の

対応はすばらしかった。

 

救急対応の病院だから

いつも緊急を要する

場面の連続だろうに、

とてもゆっくりと落ち着いて

話してくれて、

(動物を相手にしているから

尚更なのだと思う)

 

でも処置は迅速で、

 

深夜という時間であるのに

こうして対応していただける

ことにも感謝があふれた。

 

犬がチョコを食べちゃった

ことで、わたしも夫には

なにも言わなかったけど、

(わたしのうっかりだって過去

にはある!チョコじゃないけど)

 

最近、夫が甘いものを

食べる量が尋常じゃなく

増えているのが

気になっていたので、

今だ!と思って、

「犬が身をもって教えて

くれたんじゃない?」

って話してみた。

 

 

 

ちなみに、ふだん犬のごはんは

完全に手作り食です。

 

うちの犬には原因不明の

皮膚のかゆみがずっとあって、

遠くまで自然療法の先生を訪ねたり、

いろいろ調べたりしていくうちに、

今の食事に。

 

玄米麹をヨーグルトメーカーで

発酵させた玄米甘酒というものを

10日に1回くらい作っていて、

 

それを主食に

玄米甘酒1:野菜のゆでたの1:お肉かお魚1

 

の割合で混ぜて、

ぬるま湯で伸ばして、

しそ油などをひとまわしかける。

 

もの言わぬだけに

人間の娘より気を使うかも。

 

でも、慣れると全然手間じゃないし、

野菜の切れ端とか

キャベツのいちばん外側の

むいちゃう葉っぱとか

全部使えるのが気に入っている。

 

よろこんで食べてくれるし!

 

 

さて、こっからがやっと本題なのです。

 

 

あるクライアントのお話です。

 

何度かモニターセッションを受けて

いただいた方なのですが、

 

IHとの相性がよかったようで、

長期にわたって悩んでいた

ある状況が改善したとのこと。

 

仕事へのモチベーションも回復して、

新しいアイディアもたくさん

湧いてくるようになった、

 

と感想をいただいて、

とてもうれしく感じていたのですが、

 

先日、その方と久々に

お会いする機会があったとき、

 

どこか疲れているような

印象を受けました。

 

その「調子がいい自分」に。

 

わたしの体験では、

本来の自分に

戻っていく過程で

 

どんどん生きることが

楽になったし、

 

本当の自分に軸が戻ると、

なにより安定して

迷いがなくなると

感じていたため、

 

もし、居心地が悪くなったり、

調子のよさが長続きしないのなら、

それはほんとうの自分じゃないからで、

 

その方が感想で報告してくれた

「こんなに調子がよくなりました!」

という状態は、本来のその方では

ないのだと感じました。

 

虚像なんです。

 

その方は、その自分で仕事で成功したし、

その自分を周りはよく言ってくれるから

またそこへ戻ろう、戻ろうとするのだけど、

 

ほんとうの自分が

「もう、そっちはやだよ!」って

言ってる。

 

 

インナーチャイルドと呼んでも

ウニヒピリと呼んでもいいけど

その声がそう言ってる。

 

ご本人は、

「なにが起こってるんでしょう?」

と戸惑っているようすでしたが、

 

せっかくその声が

聞こえるところまで

戻ってこれたことを

よろこんで、

 

とにかくその声に

 

ほんとうに食べたいものはなに?

ほんとうに会いたい人はだれ?

ほんとうにやりたいことはなに?

 

っていちいち聞いて

あげてくださいと

 

お願いしました。

 

 

その声を聞いて

あげられるのは

自分だけなのに、

 

自分に自分を偽ってる

ってことは、

ものすごくよくある話

なのだと思います。

 

自分がわざと問題が

解消しないようにする

というのもよくあるお話。

 

セカンダリーゲインと呼ばれる

その問題があることで実は

自分が利益を感じている場合や

(からだの不調があるおかげで

家族にやさしくしてもらえるなど)

 

問題がなくなって、

いよいよ自分が本来やることに

取りかからなくてはいけないことが

まだこわくて、先延ばしにするため

だったり、

 

人からこれもいいよあれもいいよ

って渡された、自分にとって

全然いらないもので両手がいっぱいで

自分がほんとうにほしいものを

持つ余地が完全になくなっていたり、

 

もういろんな原因があるのだと思うし、

 

その人のペース

というものがあるから

しばらくその状況でいるのも

自由だと思うのですが、

 

ほんとうの自分でいることは

ただただ楽ちんです。

 

自分の声をちゃんと

聞いてあげていると、

内側から満足していますから

外側からのエネルギーに

飢えないですし、

 

むしろ内側からあふれてくる

エネルギーを人のために

使うことができます。

 

ほんとうの自分に

なればなるほど

そうなる。

 

ワガママではなく、

「我が、まま」になればなるほど、

実は人の役にも立てるんだニャ。

(説教くさい気もして、おもむろに猫で中和)

 

わたしにはひとりの時間が

とても大切で、

ひとりの時間を

ある程度確保しないと、

完全に不機嫌になります。

 

きっと、「我が、まま」でいられて

よく自分の声を聞いてあげられる

からなんだと思う。

 

これはほんとうに大事!

 

この自分の声が

聞こえなくなってまで

聞かなきゃいけないもの

なんて何があるの?!

って思う。

 

その声を聞いて、

なにかをするために

わざわざからだをもって

生まれてきたんじゃないの?!

って。

 

自分の手を引いてくれるのは

いつもいつも自分なんだと思う。

 

 

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ひとりの時間用に買ったもの。ピナ・バウシュのドキュメンタリーDVD、Judee Sillのファースト(持ってたはずなのに、紛失)、みれいさんのブログで紹介されていた、山下賢二さんの『ガケ書房の頃』。たまらなくワクワク。本屋ほど好きな場所はない。札幌でも、東京でも本屋で働いたし、今でも働きたい。いつも心のどこかで本屋で働きたい。

右上は若い父と3歳くらいのわたし(近くに飾ってあったので、一緒に)。甘えん坊将軍(Ⓒレキシ)丸出しです。娘を見ているとわたしも確実に将軍の2代目を育てていると感じます。

 

 

 

こころは落研!

人生には決して気を抜いては

いけない瞬間というものが

あるものですね。

 

たとえば、土鍋で七草がゆ

炊いているとき…

 

お風呂を洗いになんて

行ってはいけない…

 

床までのり状のものが吹きこぼれて、

大変な惨事になってました。

 

ガスコンロ周りをきれいに

したばかりだったのに(涙)

 

7日のことなので、

過ぎた話ではありますが… 

 

 

と、最初になにかゆるい話を

はさんでからでないと

本題に入れないのは

 

落語好きだからなのだと思います。

 

落語では、噺がはじまる前に

「まくら」という

フリートークがあります。

 

落語へのあこがれが強すぎて

自然にまくらをふって

しまうのだと思う。

(落語ではまくらを“ふる”という、

使ってみたかった!)

 

 

落語家はほんとうにかっこいいです。

 

もちろん人にもよりますが

高座はヒリヒリするほど

ロックだと感じます。

 

観客の顔を見て

どの噺にするか

その場で選ぶから、

ある意味観客も含めた

セッションです。

 

それから、

寄席などにいる

落研(おちけん)っぽい

男子にも注目です。

 

落語はいつ、どの噺が聞けるか

わからないので、

すきな落語家の高座は

できるかぎり追いかけているらしく、

その日の演目を熱心に

メモっていたりします。

 

わたしは鉄道オタクのみなさんにも

いつも注目してしまうのですが、

(神保町、書泉グランデの鉄道本のみのフロアを

ご存じでしょうか!そこにいる人たちを見るのがすき!)

 

モテる、とかそういうことから

まったくかけ離れたベクトルの情熱に、

なにか感動するのです。

 

 

1月の上野の鈴本(寄席です)の

とりはさすがに豪華な顔ぶれで、

大すきな喬太郎師匠もいる。

喬太郎師匠についてどうのこうの

説明したくないくらい

喬太郎師匠がすきです。

 

新宿末広亭の正月二の席には小三治師匠が。

小三治師匠のキラースマイルを

間近で見られたらどんなにいいでしょう。

 

どちらも見に行けそうにありませんが…

 

ちょっとだけ触れるはずが

止まらない落語話。

 

(むりやりハンドルを切って)

 

IH(インテグレートヒーリング)では

さまざまな調整ツールを

利用できるのが特徴です。

 

フラワーエッセンスや

アロマオイルや

クリスタルや

オラクルカードや

ホメオパシーのレメディも

 

音の波動でヒーリングを行う

音叉にもたくさん種類があったり、

 

調整ツールを増やそうと

思うと無限にあるものなのですが、

 

わたしは実はあまりツールを

増やしたくないと考えています。

 

どこか、この身ひとつで

やりたいみたいな

あこがれがあるのです。

 

落語家のように。

 

(ハンドルもどる)

 

せいぜい扇子と手ぬぐいのみで。

 

(比喩です。ホントに扇子で調整とかしないですよ)

 

今後どうなるのかわかりませんが

今はそんな思いでいます。

 

 

みれいさんの『あたらしい移住日記』を

お正月中に読了。

 

お母さまを見送った日々のところは

胸がいっぱいで、

ちょっと読んでは、閉じて、

ちょっと読んでは、閉じて、

やっと読んだ。

 

自分の母のときのことも思い返すに、

この本を作る過程で、この日々の日記を

何度も読み返すことになるのは

とてもしんどい作業だったのでは。

 

せいいっぱいやったつもりでも

どうしても「もっとこうできた」

って気持ちがわいてしまうものだから。

 

おかげでこの本がある。

 

1冊を通していちばん感じたのは、

現行の社会システムから自らが身をもって

シフトしていこうとしている、

みれいさんの姿。

 

まぁまぁマガジンリニューアルに伴って

あたらしいフォーマットを発明したように、

 

みれいさんは自然と調和して

いのちが幸福に暮らすための

あたらしいシステムを発明しようと

していると思う。

 

前時代的な社会にしがみついている人は

ぎゃふんとなってしまうような。

 

新時代に同調している人にとっては

ほんとうに心地よく、

しあわせが増していくような。

 

 

落語の世界では、自分がこの人!と

心に決めた師匠の門をたたいて

弟子入りしますが、

 

わたしは勝手にみれい門下だと

思っています。

 

演目によっては別の師匠に

噺をつけてもらったりもするように、

 

学びの場をさらに広げながら。

 

 

こうなったらもう最後まで

落語の話にしよう。

 

落語というものは

落語家たちが噺を

そのからだに宿らせて

その時代その時代で

生きたまま受け継がれている。

 

見ている人たちの中にも

熊さんも八つぁんも

触れるほど確かに

存在している。

 

みんながあたまの中で

ありありと想像すれば

どんな世界も存在するんだと思う。

 

自分がどんな世界に住んでいるかは

自分がなにをイメージしているかだけが

決めていると思う。 

 

どうせなら、

これでもかってほど

美しい世界を。

 

それはほんとうに叶うから。

 

 

毎度、内容に無関係な写真を。

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はまりすぎていいる、ホワイトマルベリー。ありえないスピードで消費してしまう…

 一口食べて「はっ!おいしい!」みたいな食べものではありませんが、なんとも言えない滋味深さがあって、食べれば食べるほどやめられなくなる。

先日口唇ヘルペスができたときには、娘に「マルベリーの食べすぎ」と冷ややかにに指摘されました。どんな食べものでも食べすぎてしまっては毒になりますよね…

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同じくマルベリーを狙うなにものかの姿。