Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

春分。いくつになっても進路は選べる!

 

先日娘が17に。

 

娘も似たようなこと

いっていたのですが、

 

子どもの誕生日は

親がいちばん

自分を祝ったらいい日

に思える。

 

本日は親バカ投稿と

なりそうなこと

おゆるしください。


(タイトルに春分を入れましたが、

春分の話題は最後の方になりそうです)

 

修学旅行も中止になったり、

部活もリモートでトレーニングのみ

という制限的な学校生活ながら、

 

今しかできない過ごし方を

自分たちなりに存分に

たのしんでいるようす、

 

親にとっては

なによりうれしいことです。

 

 

お年頃となり、

同性の親であるわたしとは

感情的に衝突することも

よくあったりするのですが、

 

娘はおもしろムードというか、

とにかくよく笑うし、

素直なタイプでもあるため、

 

時間を置けば

笑っておさまるところも

たすかっています。


(どちらが未熟かといったら

わたしの方なのだとも思う……)

 

 

中高を通して、

幅広くどんなタイプの子とも

たのしくやれることも

感心している部分です。

 

(バレない程度に引きこもりで

生きてきたわたしとは全然ちがうなと)

 

勉強のことも、

進路のことも、

すっかり本人に

任せているのですが、

 

成績が目立って優秀という

わけではないかもしれませんが、

 

自分なりに方向性を

絞っていっているようす。

 

 

そういえば、

高2になってから、

急に「朝、白湯を飲む」

と言い出した!

 

きっとセブンティーンモデルさんとか

誰かががすすめていたりしたのでしょう。

 

わたしの習慣をすすめても

今まではかたくなに

拒絶していたのに!!! 

 

親以外からの情報だからこそ

取り入れたくきもちも

大いにわかりますが……。

 

 

お年頃となり、

これまでとは気になることが

変わってきているようで、

 

まわりの子の服はいいにおいがすると

柔軟剤を使いたがり、

 

制服のブラウスや

ジャージ類など

自分のものは

本人が別に洗濯するように

なっていたのですが、

 

(わたしが香料のにおいが苦手すぎて)

 

経皮吸収のことを思うと

下着類だけはこっそり

わたしが洗い直したりもしつつ、

静観していましたが、

 

いったん満足したのか、

めんどくさくなったのか、

 

最近は

柔軟剤を使っての洗濯は

していないようです。

 

 

ちなみに、

娘は布ナプキンネイティブです。

 

(とか書いていると

すごくこだわった子育てを

してきたかのようですが、

全然そうじゃないです……)

 

これは本人による選択で

死守されています。

 

ずいぶん前に一度

記事に書いたことが

あったかと思いますが、

 

中1くらいのころでしょうか、

林間学校のような

泊まりがけの行事が

ちょうど生理の期間と

重なってしまい、

 

さすがに布ナプキンでは

対応できなかろうと、

 

使い捨てのナプキンを

用意して持たせたことが

ありました。

 

 

「おなかが痛くて痛くて、

行きのバスの最初のトイレ休憩で捨てた!」

「今後も絶対に使うことはない!」

 

 

よほどの苦痛があったようで、

帰ってきて真っ先に伝えてきたことに

驚きました。

 

あたりまえのこととして、

使い捨てナプキンを使ってきて

大人になってから

布ナプキンにしたわたしには

これほどの体感はわからないのですが、

 

まわりのお友だちは

どうやら使い捨てのナプキンを

使っているということを

知っていても、

 

ここに関しては

自分もそうしたいと

いまだに決して言いません。

 

 

話題は急激に上の年代へ

移りますが、

布ナプキンといえばで

思い出したお話を。

 

最近、

骨盤底筋を意識する

ボディワークを続けていたら、

 

自然に月経血コントロール

うまくいくようになってきています。

 

トイレで済ませられる

ことが多いから

布ナプキンがあまり

汚れないという感じです。

 

骨盤底筋のトレーニングは

才田春光さんが

サンキュー体操として

指導されていたりもしますよね。

 

骨盤底筋や

肛門括約筋がゆるむことと

認知症の関係も

伝えられているようですし、

 

むずかしいことではないから

女性はみんなやったらいいのに!

と感じています。

 

 

本日は春分

 

 

この春から

娘は高3となりますが、

 

今は学生に限らず、

わたしたち全員が

あらたな進路を

意図する時期を迎えている

のかと思います。

 

今までの思い込みを

どこまで外せるか。

 

自分にどこまで

許可できるか。

 

それによって、

可能性も大きく

拡大していくの

だとも思う。

 

 

春分の降り注ぐエネルギーを

ひとりひとりがしっかりと

グラウンディングさせて、

 

自分にしかできない体験を

創造していきたいものですね!

 

 

 

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小学校の入学式のときの帰り道。

 

子どもたちは

あっという間に大きくなります!

 

 

 

損なわれた過去があるのではなく、過去を癒せる「今」がある

 

近所の陸上競技場は

わたしのおきにいりの場所の

ひとつです。

 

娘は中学も高校も

陸上部だったりするのですが、

(高校では練習のハードさについていけず、

選手ではなくマネージャーとして)

 

わたしは走る人を見ることが

とても好きなのだと思う。

 

その陸上競技場では

ときどきなかなかに大きな大会が

行われているのですが、

 

陸上というのは、

野球、サッカー、テニスといった

対戦型、得点式の

勝敗ではないため、

 

本当に自分と向き合うスポーツだなあと

感じられます。

 

トップのレベルで走れる選手

というのはきっと

一握りかと思う中、

 

それでも追い込んだ

レーニングができる

モチベーションって

いったいどこからくるのだろう?

というと、

 

やはり自分への探究心が

あってこそなのだろうなあと

想像したりします。

 

記録はもちろん

大切かと思うけれど、

そこは実はおまけというか、

プリンアラモードのプリンの上の

サクランボみたいな部分というか、

(昭和的なプリンアラモードをご参照くださいね)

 

いちばん「映える」ところだけど、

実はそこが本質ではないというか、

そんなきがしていて、

 

プリンの上に

サクランボが

のったとしても

のらなかったとしても、

 

そこに至るまでの

道のりの景色と

内的体験に

本人にとって

本質的な何かが

きっとあって、

 

だからこそ、

走り続けられるの

だろうなあと

考えたりします。

 

そう!

 

わたしは息が上がるような運動は

苦手なため、

陸上競技場の外周コースを

いつも歩いているのですが、

 

 

同じ時間帯に、

よく見かける

市民ランナーさんというのも

何人かいます。

 

それぞれ、日常の中で

時間を作って

走り続けている姿と

だからこその

訓練された身体性に

いつも感動してしまうのですが、

 

手をほぼ下に

おろしたまま

軽く振るような、

独特なフォームで

走る女性がいて、

 

彼女にとっては

これがベストと

たどり着いたフォーム

なんだろうなあと、

 

颯爽とした走りに

いつもほれぼれ

眺めていたものの、


(わたしは歩いていて

彼女は走っているので、

追い抜いていくすがたを

何度か見ることになるのです)

 

同じ方向に進んでいるため、

対面して顔を合わせたことは

ありませんでした。

 

 

昨日のこと、

 

わたしがコースを歩いていたときに

走り終えたと思われる彼女が

コースのわきをこちら側に

向かって歩いてくる場面があって、

 

 

わたしは動きやすい格好といえばと、

いつもほぼ同じ格好で歩いていたため、

彼女の方もわたしのことを

見覚えてくれていたようで、

 

すれ違うときに、

ぺこりと軽く会釈をしてくれた。

 

もちろんわたしも

会釈を返しましたが、

 

 

ときめきました………。

 

かなりときめきました。

 

 

村上春樹さんの

『走るときについて語るときに僕の語ること』

を読んでもグッときたものですが、

 

わたしは走り続けている人への

敬意がなぜかとても強いです。

 

かといって、

自分も走ろうかとも

今のところはならないのですが、

 

将来的にボチボチ

走りはじめたり

することもあるのかも?

 

ひとり合宿的に、

ケアとトレーニングを兼ねた

ボディワークは続けています。

 

と、

 

いつも見かけていた

ランナーさんとの

小さな交流に

ときめきすぎて

この話が長くなりましたが、

 

本日は別のことで

書きはじめたのでした。

 

季節は春を迎えて、

日々の寒暖の差が激しいためか、

わたしの住んでいる地域では

連日強風の日が続いています。

 

風の時代だけにね、

とか思いつつ、

 

本当に今わたしたちは

大きな移行期だということは

あらゆる角度から

これでもかというほど

教えられている

ように感じます。

 

風の時代、

水瓶座の時代、

 

ケルマデックさんが

シナジーな世界として

伝えられている

これからの時代の

流れに乗っていくために、

 

わたしたちは

身軽である

必要があるように

感じています。

 

 

物質的にというのは

もちろん、

 

無用な思い込みや

ネガティブな観念、

執着といった、

 

こころのお荷物を

一掃しないことには

乗れる流れにも

乗れなくなってしまう

というか。

 

地の時代は

文字通り、

重いものを受け止める

「地」があるからこそ

体験できた世界だったの

だなあと思います。

 

 

これからは

悟空の筋斗雲

みたいなのに乗って、

 

あたらしい風に

乗っていく時代

だとしたら、

 

観念のお荷物を持ったままだと

筋斗雲の底が抜けてしまう

というか……。

 

今は移行期で

それぞれが自分の旅の

手荷物を見直せる時期だから

 

焦ったり、

不安になったりする

ことはないと思うのですが、

 

お荷物の整理は

マストになるのだと

思っています。

 

 

 

筋斗雲の底が抜けても、

このお荷物だけは

手放したくない!

 

という場合も

宇宙はなんでもOK

なのだとも思う。

 

行き先は本人の自由意志に

委ねられている。

 

「よき方向に」

と思うなら、

 

自分にとって

何が「よき」に該当するのか

本人がしっかり意図しないことには、

 

叶えたくても

宇宙は叶えてあげられない

のだとも思う。

 

また、 

あたらしい時代に向けて、

 

重い荷物は

手放すと同時に、


みんなが必ず

手にすることとなる

持ち物もあるように

感じています。

 

それは

「自分への信頼」。

  

最近、肋骨がずっと痛くて、

 

少し前にぶつけたことがあったため、

それが原因かな?と

思って様子をみていたものの、

 

何週間も続いて、

なんなら痛みが強くなって

きていたため、

 

リズ・ブルボーさんの

『自分を愛して』を開きました。

(一家に一冊と思います。本当に重宝します。)

 

今手元にないまま

続けて書きますが、

肋骨の項目と、

骨の項目を見たのだったかな、

 

そこでひもとかれたのは

「もっと自分を信頼する」

 

ということでした。

 

自分を信頼する

自分を愛する

ということは、

 

特に自分のテーマとして

向き合ってきたことで、

 

(誰にとっても究極のテーマとも思います)

 

このことをどう自分に落とし込むか

ということがすべてのセッションの

本質とも感じていますが、

 

わたしだってまだまだ

ぜんぜん足りていないというか、

「心の底から自分を信頼する」

ということ、

 

からだの痛みを通して

メッセージが送られていたの

だと思います。

 

(からだからのメッセージを

わたしがちゃんと

読み取れたからかどうなのか、

現在、肋骨の痛みは

なくなっています)

 

 

もうひとつ、

 

フォーカスするなら

「今」「ここ」「自分」

 しかないのだな

ということも

あらためて感じています。

 

 

自分のお荷物を

整理していくときに

自分の過去というのは

かならず扱うことになるかと

思いますが、

 

その過去の体験による「傷」が

「今」に持ち越されている

ということで、

 

その過去の出来事は

「今」ではありません。

 

「今」は

過去を癒やすことができる

(過去を書き換えられる)

唯一の場所だけれど、

 

過去の体験に

のみ込まれて

フォーカスが過去に

移ってしまう場合、

 

せっかくの「今」が

過去を再体験する場所に

なってしまう。

 

(自分がくり返し体験する

パターンが起こるからくりですね)

 

 

「今」「ここ」「自分」

だけが力を持つの

だと思います。

 

自分が過去に

持って行かれないために

できることも、

 

いくつかコツがあるように

感じますが、

 

自分が納得するためには

「自分への共感」

「今はもう大丈夫なんだという安心」

というステップを踏んでからの

「浄化、手放し」が

効果的かなと感じています。

 

 

この部分はセッションでよく

くわしくお伝えすることになっていますが、

 

また

ブログでお伝えする

機会があるかもしれません。

 

というわけで

本日はこれにて!

 

 

 

筋斗雲に乗って

陸上競技場にいってまいりまーす!

 

 

オンラインセッションのおしらせはこちらです。

 

 

 

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The Millennium  "BEGIN"

大好きなジャケをアナログでゲット。


そして、

誰も興味ないと思いますが、

前髪ちょっと伸びました(笑)


*ここからはお読みいただかなくて大丈夫な、

わたしがたのしいだけのおまけコーナーです。

 

ソフトロックの名盤といわれるようですが、

わたしはあまり系統立てて音楽を聴いてきておらず、

自分が好きなジャンルがなんなのかよくわかっていません。

 

よくわかっていないながらに、

自分の好きな音楽はたしかにあって、

それは自分を深く満足させてくれる

ものだということはよくわかっています。

 

 

1曲目、大好きです!

 

その名もPrelude。

風の時代のPreludeのようなこの時期に。

 

(うまいこといったな自分と

今、悦に入っています(笑))

 

 

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ココナツディスク池袋店でゲットです。

 

久々に電車に乗って出かけてみれば、

本とレコードだけ買って帰ることに。

10代と特に変わっていない

自分にびっくりします。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のちからを自分のために/対立ではない問題解決法

 

ノーマンと再会したところで

やっと一息つけました……。

 

なんのお話かといいますと、

 

約束のネバーランド」。

 

やばすぎます!

ケルマさんのいう

虚数世界というか、

 

隠されている構造が

こんな風に描かれているとは……、

カズオイシグロの『わたしを離さないで』

を彷彿とさせます)

 

今日はなんのブログか

わからないくらい、

約束のネバーランドのことばかり

書いてしまいそうです。

 

漫画は未読のまま、

アニメを見はじめたのですが、

(あんまりよく知らなかったのに

この作品をみるべし!という

衝動が急につきあげた)


設定が衝撃的すぎて、

日常生活が手につかないほどで、

 

(ジャンプで連載されていたということは

あのお話を子どもたちが読んでいたのですよね!?

おどろきです)

 

アニメのシーズン1は

もう耐えられなくて、

ほぼスキップで最後まで

流れだけ把握したのですが、

シーズン2からがなにやら

すごいです。

 

物語はずいぶん

違うかもしれませんが、

約束のネバーランドにも

鬼滅の刃同様

鬼が登場します。

 

そして、

鬼滅の刃同様、

鬼にも事情があること、

鬼の手先となり

非情に思える人も

主人公たちと同じ立場から

そうなるしかなくなっていったことが

描かれてもいて、

 

であるならば、

本当はみんな同じ立場とも

いえるはずなのに、

 

憎しみの連鎖と

まちがった認識から、

不幸な対立構造が固着

してしまっていること、

 

また、

幻想の欠乏感による操作などで

ピラミッド型の支配構造を

つくりだすからくりなども


鬼の社会を通して

描かれていて、

うなりました。

 

エマたちが解放された姿を

見られるまでは

ソワソワしてならないため、

(眠っていていいのか!

みたいな思いになる)

 

漫画の方を全巻入手して、

約束のネバーランド』のワークを

おこなう予定です。

 

映画「マトリックス」のシリーズや

この『約束のネバーランド

あとは、

観ていないのですが

ジム・キャリー主演の

トゥルーマンショー』など、

 

多少の不自由がありながらも、

そこそこ安心して生きていた世界は

実は大きく柵でかこまれたような、

人為的な世界だった!

という設定の映画などに

思いをめぐらせます。

 

そこで暮らしていると、

真実がわからない構造になっていたり、

自分のほんとうのちからを奪われてしまう。

 

これはフィクションのようでいて、

メタフィクションというか、

(ほとんどフィクションを

現実と思って生きていると

考えると)

 

わたしたちにも

目にみえない幻想の檻は

どうやら確かにありそうで、

 

なんだかわからないように

複雑になってしまっているようで、

実はすべてのちからは自分がもっていた

ということだから、

そのことを思い出させてくれるような

たくさんのメッセージが

あるなあと感じますし、

 

約束のネバーランド

本の中の物語のかたちで

たくさんの真実の情報が

届けられていて、

そのおかげでエマたちが

脱出することができたように!)

 

 『約束のネバーランド

まだ途中なのですが、

とっても大切だなと思った

ポイントがあって、

 

ノーマンと再会して、

(ノーマンって誰!? かもしれないのですが、

わたしにはもはやノーマンは実在するため

思い入れおゆるしください)

 

離ればなれだった間、

ノーマンと行動をともにしていた、

仲間たちは、

 

同じ人間であるけれど、 

鬼を敵視してしまっていることで

完全に鬼化してしまっていて、

立場を変えて

同じような存在に

なってしまっているようすが

描かれていたシーンでした。

 

対立の構造の中で

どう進んだとしても、

どちらにとっても不幸な

連鎖から抜けられない。

 

鬼もまたわたしたちと

まったく同じく、

目覚めた存在は滅ぼされ、

愚かに、対立的に生きるしかないように

されているのです。

 

(数日約束のネバーランド

世界で生きているので、

だんだん一人称で

語りはじめました(笑))

 

わるいのは鬼じゃない。

構造だから、

 

相手を変えようとしなくても

構造が変わればいい。

 

そして、

今までの構造をつくってきた

存在を敵視することも

トラップと感じます。

 

敵視することは

その相手にフォーカスすることで

その相手にエネルギーを注ぐことだからです。

 

わたしたちがフォーカスすること、

エネルギーを注ぐことは、

 

本来の自分のちからをとりもどして、

それを自分たちのよろこびのために

使うことだけなのだと思います。

 

はっきりいって、

仕組みを変えるまでは

それは大仕事になると思われるため、

「今までよくも〜!」みたいな

意味のないことに

エネルギーを注いでいる

場合ではないと感じます。

 

わたしたちがエネルギーを自ら

差し出す構造がありましたが、

そのことにきがついた人から

やめたらいいだけで、

 

「今までよくも〜!」

みたいのは本当にいらないと思います。

 

先日観た

『すばらしき世界』という映画でも、

 

刑務所を出たけれど、

外でも塀のない刑務所のような世界が

広がっている現実が描かれていました。

 

様々な立場の方が

描かれてもいましたが、

 

誰がいいでもわるいでもなく、

現代の構造がひどすぎるのだ

ということを感じます。

 

誰がわるい、

誰が変われば、

という発想で考えると

たちまちトラップに

はまるのだと思います。

 

 

ママもシスターも

エマたちと同じ立場の子どもでした。

誰が責められるのでしょう。


(たびたびすいません。

今完全に約束のネバーランドの中に

住んでいます……)

 

わるいのは構造なのだということ、

鬼も救うような世界の変えかたがあること、

エマたちが今わたしに教えてくれています!

 

本日は泣きながら終了です!

 

 

なんの人かますますよくわかりませんが、

セラピストのお仕事をしています!

(忘れないで!(笑))

 

ついにたどりついた感のある

「おしゃべりセラピー」で

ご縁をいただいていますこと、

本当にしあわせに感じています!

 

オンラインセッションのご案内はこちらです。

 

 

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全巻大人買い予定。

 

 

 

 

 

 

「歯についた青のり」と「切りすぎた前髪」/すべては自分の鏡なら

 

 前髪、衝動に任せて自分で切ったら切りすぎた……。

  

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(完全に寝起き写真にて失礼を)

 


いかなることにも

偶然はないという立場から、

前髪切りすぎについて

思いをめぐらせて

みたりもします……。

(ひまか!)

 

スピリチュアルな観点からは

自分の体験することは

自分の鏡であるということが

たくさんのかたちで

伝えられています。

 

もちろん、

カルマティックな背景や、

自分の学びとして

自分が設定したイベントなど考えると、


「鏡」というひとことでは

やや足りないのかもとは感じますが、

 

自分の選択、

自分の周波数以外のことは

体験できないという意味で

「鏡」ととらえると、

 

手放しのための体験として、

 

「歯についた青のり」的体験

 

と、

 

「切りすぎた前髪」的体験

 

 が、

 

あるように感じています。

 

 

鏡に映った自分を見るとき、

 

歯についた青のりは

その場ですぐに

きれいにすることができる。

 

でも、

 

切りすぎた前髪は

ときがくるのを待つしかありません。

 

髪を伸ばすことができる

自分の生命力と、

時間に完全に委ねるしかない。

 

要は青のりとは違って、

時間がかかるということ……。

 

 

何年がかりでとりくんでる

テーマってあったりしませんか???

 

ホ・オポノポノでクリーニングもしている!

並木良和さんの統合ワークで

ガンガン手放してもいる!

 

なのになぜ!?

 

みたいな。

 

これは「切りすぎた前髪」案件

なのかなと感じるのです。

 

自分にとってきっと

根深いなにかなのですよね。

 

他でもない自分が

向き合う時間が欲しいのです。

(青のり程度で済ませられないというか)

 

自分を信じることと、

コントロールを手放して

流れに委ねること。

 

前髪案件はこのことを

たたき込んでくれるとも

思っています。

 

何年も、人によっては

子どものころから、

自分が悩み続けていること、

 

前髪案件ととらえてみてください。

 

 

前髪が伸びる自分を信じること、

 

すべては必要で起こっていることと

流れに委ねること、

 

それができるようになったら、

もう前髪は切りすぎないのかなって。

 

 

自分が前髪切りすぎたからって

大分無理矢理でしたでしょうか???(笑)

 

 

髪型も服装も、

暮らしかたも、

働きかたも、

 

もっともっと自分らしく、

心地よくしていきたいものですよね。

 

どうぞ自分が体験することを

自分がどう感じるか、

本当はどうしたいか、

 

自分だけはつぶさに

注目しておいてあげてくださいね!

 

ではでは、今日はこれにて!

 



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茎が紫の菜の花。

外来種になるかもしれないのですが、

地元野菜コーナーなどでみつけると

絶対に買ってしまう。

(生でコリコリ食べたりも)

 

ハイボールが有名な銀座のバーのおつまみの本に、

焼いた菜の花にグレープフルーツを添える

というものがあったのですが、

 

今の季節なら文旦を添えたらおいしそうです。

 

 

グレープフルーツのようなさわやかさと苦みと

八朔のようなサクサクとした食感の

文旦を知ったときは衝撃でした。

 

グレープフルーツの味が好きで

八朔の食感がすきだったからです。

 

自宅からいちばん近いスーパーは

箱売りしてたり、お徳用!みたいな大袋もあったり

なぜか昨年くらいから超文旦推し。

 

この季節に1年分味わいたい!と、

 

わたしは今

文旦のことしか考えていません。

 

 

 

 

 

 

 

セッションのご感想/攻略ゲームはもう終了!

 

きがつけば3月。

ふりむけばヨコハマ。

語呂だけで書いていますが、

年明けからのあまりのスピードに

びっくりです……。

 

 

「ふりむけばヨコハマ」

昭和の歌謡曲だと思いますが

誰の曲なのでしょう。

 

たぶん誰も興味がない

かと思いますため、

調べずに進めますね(笑)

 

 

 

さてさて、

本日もオンラインセッションの

ご感想をシェアさせていただきます

 

自分にとって、

生きることとイコールのようなことを

封印してしまっていることって、

本当に少なくないことなのだなあと

このお仕事を通して感じています。

 

問題に思えることは、

実はその封印を解かせようと

自分が自分に送っている

メッセージであったり。

 

 

Kさんからのご感想です!

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
 

セッションのあと、

昨日の夕ご飯の残りのご飯を食べたんですが、

自分が作った料理をしみじみ感じれて、

前よりみじかに自分の一部のような、

親しみを感じました。

 

(いつもはなかなか自分の作ったものを

そういうふうに思ったことありませんでした)

 

セッションの前と後で状況的には

なにも変わっていないのに、

ここにいる自分が

違う世界にいるようにも感じます。

 

これだけ自分の話を誰かが聞いてくれて、

これだけ真剣にどうしたらいいか、

どこにひっかかりがあるのか、

これだけの密度で共有することを

体験したのは初めてかもしれません。

 

そしてそれってすごい

自分と向かいあう時間でもあり、

自分を大切にされてるって

感じる時間でもありました。

 

つっかえさせていたのは、

自分を愛すること

(実感として今回それを感じました)、

ねぎらったり、自分の内側に目を向けて

優しくなるっていうことだったんだなって。


いつも自分にダメだししてるから、

夫にも優しくできないんだなって。 

 

あと最近ラブラドールみたいな犬をすごく飼いたくて、

保護犬でそういう犬がないか探してたんですが、

自分のキーワードにも大型犬っていうのが

出てきてそれもすごくおもしろかったです。

 

いま、自分の中にすーと

清らかなエネルギーが流れてて、

ただ座っているだけで、

自分でいることの心地よさを感じています。

 

またとりもちに引っかかっりそうになったら

どんどん統合したり、

かおりさんと話したこと思い出そうと思います。

今の自分のここに戻れれば、

ここがベースだとすごく大丈夫なような気がします。

 

本当に本当にありがとうございました😊。

 

 

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

Kさん、本当に

猛烈に駆け抜けてこられました。

 

お料理のお話も出ていますが、

以前はある地方都市で

ご自身のお店をもって、

Kさんのお料理と

ライブやイベントなどを行う空間を

提供されていました。

 

その後、

環境やスタイルなどを

見直してしきり直せたら

という思いとなっていって、

お店は一度閉じられて、

 

時間的にも環境的にも、

ゆとりのある暮らしに

整えていかれたのですが、

 

望んでそうしたはずなのに

いざそういう暮らしになってみると、

悶々とする思いもあって、

 

興味のあることを学んでみたりしても、

自分の中に満たされない部分

埋められない思いがあることに

きづいていかれた流れがありました。

 

この状況をなんとかするためには……と

0か100か、という極端な選択で

自分を追い詰めてしまってもいた部分も。

 

Kさんという個性を

ひもといていってみれば、

 

犬に例えるのも

失礼なお話かもしれないいのですが、

 

小型犬なら、

家の中での遊びや、

近所のお散歩などで

必要な運動量を満たせますが、

 

身体能力の高い

大型犬だとしたら、

 

お散歩の時間もたっぷり必要ですし、

ときに、広い場所に連れて行ってあげて、

存分に走らせてあげるなど、

高い身体性を発揮させてあげてこその

満足があるかと思います。

 

Kさんは完全に

大型犬タイプと感じました。

 

Kさんご本人が

誰よりもそんな

自分を理解してあげて、

また、ご家族とも

うまく共有して、

 

小型犬ライフで

満足しないのはあたりまえと、

 

ときにかけまわらせたり

挑戦させたり、

刺激や運動を提供してあげて、

Kさんといういのちを

しょんぼりさせずに

お世話してあげることが

とっても大切なのかなと感じました。

 

そして、

お料理というのは

Kさんにとっては

メインといえるほど

大切な要素であるはずなのに、

 

Kさんは複雑な思いをもって

向き合われていました。

 

思い入れがあることほど、

自分に厳しくなったり、

尊敬する方への思いが

自分への否定になっていったりすることは

誰にでも体験があることだったり

するかなと思うのですが、

 

 

反応の強さゆえに、

強く自分に封じてしまうことは

少なくないのかと思います。

 

同じ時期のセッションは

不思議なほどリンクする内容が

あったりするものなのですが、

(グループテーマですね。

もちろんわたしのテーマでも

あるのだと思います!)

 

Kさんにとっては

お料理ですが、

その他の分野でも

自分の表現を徹底的に

封じてしまってきたお話を

このところ立て続いて

聴かせていただいていて、

 

これは本当に

生きてるけど、生きてない、

みたいなこと。

 

どんな意味があるか、とか

外からの評価がどうか、とかは

まったく関係なしに、

 

その人のいのちが

生きる上で渇望するもの、

自分らしい表現というものが

あると感じています。

 

それを封じてしまうことは

傍目にどううつっていようとも、

内側がスカスカになってしまう

というか、 

 

自分に「死刑!」

といっているようなもの

なのだと思います。

 

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がきデカです。

もはや誰がご存じなのか……、

 

しかし、ここのところ

セッションでなんどこのポーズを

とったことか!(笑)


(自分に「死刑!」といっているような

状態だったのだということをお伝えするために)

 

自分をゆるすこと、

自分を信頼すること、

自分を条件なしで愛すること、

 

すべての出来事は

わたしたちがこういう

境地にたどり着くために

起こっているのかと

思えています。

 

 

自分に「死刑!」は

もちろんその真逆ですよね。

 

 

もうひとつ思っているのは、

 

わたしたちは

今までの体験から、

 

人生というのは

攻略ゲームのようなものと、

お題をクリアすることばかりを

目指してしまう傾向があって、

 

味わったり、

たのしんだり、

受けとったり、

ということは

 

ホント苦手なんだな

ということ……。

 

攻略ゲームじゃなくて、

 

「あつ森」的に

自分のすきなように

コーディネートしたり

それを純粋にたのしんだり

味わったりしていいよ!という

ステージがあらわれたとしても、

 

フリーズしてしまって、

攻略のためのお題を

探し回ったりしてしまう

というか。

(あつ森未体験のまま、話していますが)

 

先日紹介させていただいた

あつ森でワンピースを

爆買いしていた

Aさんのように、

 

バーチャルならいいよと

自分に許可するのではなく、

リアルに体験、表現していこうぜ!

 

というのが、

 

いまのわたしたちなのだということ

セッションを通して

強く感じられています。

 

臨死体験のお話などに

触れると、

 

現実と思ってきたことが

なんともはかない

イリュージョンだったことが

はっきりわかるというような

内容があったりしますが、

 

イリュージョンかもしれない、

バーチャルかもしれない、

この世界をつくりだしているのは

わたしたち自身で、

 

 

この世界を

もっとたのしく、

もっとうつくしく、

もっとおもしろく、

できるのは、


わたしたちひとりひとりの

意識しかない。

 

 

だとしたら、

 

全員が

自分の人生を

もっとたのしく、

もっとうつくしく、

もっとおもしろく、

することに真剣になるしか

ないのかなと思っています。

 

自分という領域を

100%自分の責任で

うつくしく豊かに

満たしていくとき、

 

本当にうつくしく

豊かな世界が

現れるのだなと。

 

 

おしゃべりセラピー

お役にたちます!

 

 

zoomオンラインセッション

3月12日(金)以降でご案内中です!

 

 

http://healingroom3.com

 

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ももたもものすけ、昨日で10さいに。

(正確ななまえはモモです。女の子です)

 

娘が小学校2年生のときに、

モモのことを見つけてきて、

どうしてもどうしてもこの子にきて欲しい!

と猛烈な説得があり、

迎える流れとなりました。

 

娘が小さいころは、

姉妹のように

一緒によく遊び、

 

モモが高齢にさしかかってからは

娘が成長したため、

よくお世話をするように。

 

お互いの成長とともに

自然に関係性が

変わってきています。

 

 

 

おしゃべりセラピーご感想特集/その封印を解けるのは自分だけ!

 

娘の高校の近くのコンビニの

大きめの駐車場に車を停めて

運転席から大きな虹を眺めていました。

 

滅多にないことなのですが

この日は行きも帰りも

学校まで車で送り迎えする流れで、

 

その理由といえば、

これも滅多にないことなのですが

朝わたしが寝坊をしてしまって、

(毎朝目覚ましいらずの

寝起きのよさなのですが)

 

お弁当は間にあったものの

電車の時間にギリギリすぎて、

最寄り駅まで車で送ろうかということになり、

 

(娘は最寄り駅まで自転車→電車で数駅→

学校の最寄り駅からまた自転車を使って

通学しています)

 

車で出発してみれば、

この日は雨の予報だったからか

駅までの道がいつもより

うんと混んでいて、


結局駅に到着したのは

電車の出発時間ジャストくらいで、

タッチの差で乗れなかったため

そのまま学校まで送ることに。

 

と、いうことは、

帰りも自転車がないということで

学校までお迎えにとなったわけです。

 

午後は激しい暴風雨となったため、

こんな荒れ模様なら車でお迎えにして

よかったなあなんて思っていたら、

 

お迎えの時間にはみるみる晴れてきて、

娘の学校まで車を走らせている間、

下校する同じ学校の生徒たちと

たくさんすれ違う。

 

かわいいなあと目を細めて見ていると、

空に向かって携帯のカメラを向けている

男子生徒が。

 

そちらを目を向けると、

それはそれは大きな虹!

(大きいというか、近いというか)

 

「わあ!」って

思ったけれど、

運転中のため、

あまりよそ見する

わけにも行かず、

 

道をどんどん曲がっていくうちに

どっちの方向に虹があったか

わからなくなってしまって、

 

あー、ゆっくり見たかった

残念!と思って、

待ち合わせの駐車場に

車を停めたところ、

 

ちょうどその目の前に

巨大な虹がどーん!!!

 

根本まで完璧なアーチになっている。

あまりの壮観に

運転席からしばらく

鑑賞していたところ、

ここからが

エキサイティングで、

 

虹の上にさらに大きな虹が

じわじわと現れてきて、

ダブルレインボーになった!

 

虹が現れる瞬間を

見たのは初めてで、

わたしは大興奮!

(娘はまあまあ)

 

虹は今年のひとつの

象徴と感じているため、

(オーバーザレインボーな1年になりそうだなあと)

演出として、

テンション上がりました!

 

ふりかえってみると、

寝坊したことも、

朝、車が渋滞していたことも、

暴風雨が吹き荒れたことも、

全部、このショーのためだったとも思える。

 

なにか、問題やトラブルのように思えることや

スムーズに行かないようにみえることも

実はすべて完璧な采配だったりするんだなあと。

 

 

あまりに壮大な

ものすごい奥行きで

すべては調整されているから、

 

ただ起こることを

体験していったら

いいのかなって、

思いにもなった。

 

それは謙虚さというよりも、

 

宇宙への、自分への

信頼の感覚というか、

 

コントロールを手放すほどに

実は自分の想像を超えた

よろこびが体験できるのだな!

という実感だったりします。

 

 

さてさて、

まくらが長くなっておりますが、

ここからが本編です!

 

おしゃべりセラピーの

ご感想をシェアさせていただきます


 

セッションには

「キモ」のような部分が

あると感じています。

 

その「キモ」の部分が現れると

セッションが着地するというか。

 

「キモ」となるのは

当初のご相談内容そのもの

ではない場合も

実はとても多いです。

 

(最初のテーマは足がかりとして

とても重要なのですが)

 

意外とそんなところに!?

ということも多い。

 

わたしたちが

制限的になってしまう理由、

自分にさらなるしあわせを

なかなか許可できない理由、

 

背景には誰にも同じ

構造があるとはいえ、

 

なにが設定を変える

「パスワード」となるか?

なにが封印を解く

「鍵」となるか?

ここはご本人の「物語」というか

ご本人の「趣味」みたいな部分で

本当に百人百様だなあと感じます。

 

また、物語の渦中にあると

本人ではなかなかなにが「鍵」か

見えてこないため、

 

その物語を外側から見る

ニュートラルな視点は

必要だなあと感じます。

 

 

さてさて、

前置きが長くなっていますが、

 

まずはこのたび

zoomではじめまして!

となりました

Sさんからのご感想です!

 

***

 

こんにちは。

先日のセッションでは

どうもありがとうございました!

 

わたしの相談に、

深くとことん向き合っていただいたこと、

驚きとともに、とても感謝しています。

 

かおりさんと楽しくも真剣に

おしゃべりした時間は、

こころがゆるみ解放された

時間だったなぁとかんじます。 

 

じぶんの精神状態のはなしを

こんなにもじっくりと

人と共有することってなかなかないので

思い起こすと、なんだか現実じゃないような、

3.5次元?4次元?のような、

夢のなかにいたみたいな

不思議なかんじもしています。

 

その後は、なんだがぼんやりしてしまい、

まだうまく整理できていないのですが、

いまに寄り添って、

「たのしくてしかたない!」の状態を

つくっていきたいなぁ

としみじみ思います。

 

 

はなしが学生時代の

思わぬ部分に展開したので、

録音していた音声をきくことにも

気合いが入りますが、

(ここでためらいが生まれる時点で

やはり癒されていない部分なんでしょうね)

 

録音のおしゃべりセラピーを聞き返して、

肚におろしていきたいです。

またメールさせてもらいます。 

 

小さいSちゃんと一緒に

感謝の気持ちを込めて

 

***

 

いやいや、

Sさん、

よくお申込みをしてくださいました!

と思います。

 

Sさんには長く自分に

封印してきたことがあって、

 

それは本当は

Sさんが生きる上で

どんなかたちであったとしても

どうしても必要なものです。

 

 

ところが、

ある体験をきっかけに

封印することを強く自分に

誓いました。

 

Sさんの苦しみが

難解だったところは、

 

その封印はSさんの中だけで

誓われたことで、

身近な人であっても

わかりにくかったことと、

 

Sさんはあらゆる面で

なにか強いご加護を感じるほどに

とても恵まれていて、

傍目には「人もうらやむ」と

言えるような状況にあったこと。

 

一方でSさんが自分に封じてきたことは

自分に「生きていてもいいけど、

本当の自分をたのしんでは絶対にダメ!」

と言ってきたようなものだったから、


しあわせや感謝もいっぱいだけれど、

巨大な絶望も抱えてもいるような、

アンビバレント

状況だったのだと思います。

 

 

セッションのスタートは

娘さんの妊娠、出産を機に

モクモクと現れてきた

いろいろな感情がテーマでした。

 

どうやら強烈な過去世トラウマが

背景にありそうなことから、

こちらはこちらで大きなテーマでは

あったのですが、
 

いろいろとお話させてもらっていく中で

出てきた学生時代のお話は

これこそがSさんの今回の

セッションの「キモ」!

という印象でした。

 

セッションは娘さんからの

パスのようにも感じました。

 

Sさんには

自分が癒やしていく部分がたくさんあって、

娘さんの存在はその情報を引き出して

くれたのだなあと感じますが、

そこからパスを受けての

セッションだったというか。

 

「ここでためらいが生まれる時点で

やはり癒されていない部分なんでしょうね」

 

とSさんは書いてれたように

 

確かにSさんには

ためらいというか

逡巡があったかと思いますが、

 

無意識であっても、

もうここに目を向けるしかない!

とSさん自身が潜在的に腹をくくって、

お申込みしてくれたのでは?

とも感じています。

 

「おしゃべりセラピー」というのを

受けると良さそうと

お申込みしてくれた時点で、

もうご本人は決めていたというか。

 

 

「その後は、なんだがぼんやりしてしまい、

まだうまく整理できていないのですが」

 

とSさんは書かれています。

 

長く、しかも強く

自分に封印してきたことを

解放したときに、

 

適応するまでに

しばらくの期間がかかることは

当然なのだと思います。

 

しばらくは「リハビリ」だと思って!

というお話もさせていただきましたが、

 

ボーッとしちゃってもOK!

ときにぶり返してもOK!

でも、もう封印は解かれました!

(およろこびさまです!!!)

 

ここがキモだ!と感じられて

即座にあるアファメーション

声に出していただく場面がありましたが、

 

Sさんなかなか言えなかったんですね。

それほど自分への誓いというのは

とても強烈なのです。

 

セッションでも

これでもかとお伝えしましたが、

 

Sさん、どうぞ

自分のペースで1歩1歩を!

今は癒やしのとき。

そして、リハビリはリハビリでも

たのしいリハビリのとき!

 

どうぞ毎日を純粋にたのしんで、

自分へのギフトを素直に受けとって

お過ごしください!

 

うむ!

(謎の満足)

 

続いても、

封印解放セッションの

ご感想となります。

 

セッションのご感想としては

新境地のような……。

(おしゃべりセラピーならでは?なのかも) 

 

Aさんとはこれまで

対面セッションやワークショップなどで

何度もお会いしているのですが、

 

こんなテンションのAさんは

はじめてです!(笑)

 

Aさんのセッションの

「キモ」についても

たっぷりシェアさせていただきたいです!

 

まずはAさんのご感想を!

 

***

 

いやー、それにしても…

まさかワンピースだったとは…

なにげないところにヒントってあるんですね〜。

あのあと、いてもたってもいられず

ネットショップでワンピースを検索して見ていたら

ステキなのを見つけまして…注文しちゃいました!!

はじめてのネットで洋服ショッピングです。

 

届くまで少し時間がかかるみたいなのですが、

もうワクワクしています♪♪

 

 

そして、注文したのは一着ではなく…

別のお店(実店舗もあって、何度か

買ったことあるお店)のホームページでも

ステキなのを見つけて、

それも注文してみました。

 

 

はーーー楽しみだーーー!!

洋服買うのにこんなにワクワクしたの

何年ぶりだろう…

うれしすぎます…(〃ω〃)

 

あれから周囲を見渡すと、ワンピース着てる人が

目につく目につく!

みんな普通に着ているのに、

わたしにはすごくすごく大きな壁でした。

その壁をこえた時、

(ワンピース着てよし、って

自分に許可を出して、探して、注文した時)

まずパーンと目の前がひらけたようにかんじました。

そして、こんなにワクワクして生きてていいんだなって。

今までもワクワクすることはたくさんありましたが、

これまでのとは次元がちがう氣がします。

細胞レベルのワクワクです!!

 

あと、出勤をファッションショーの

ランウェイに見立ててみたら、

自然と背筋が伸びて姿勢もよくなっていて、

それにも驚きました!

前よりも身体が今どんな状態かに

目や氣持ちがいくようになりました。


(痩せすぎがコンプレックスで、自分の身体から

目を背けて生きてきたんです。

体調崩しやすいのは、もしかして

身体からの「こっち見て!」だったのかな、と

ふと今思いました)

 

そうそう、ボイトレもあの日から始めましたよ!

わたしが急にボイトレのYouTube見だしたので

夫がびっくりしていましたが、

すぐに「まずはこの動画のレッスンやって、

こっちができるようになったらこれをやるといいよ」

と嬉々として教えてくれました(笑)

 

今は呼吸のだけやってますが、

喉が開いた感じがしてます。

そしたら、喉だけじゃなくて、

身体全体も氣持ちもなんだかラク〜に!

 

かおりさんのおかげです!

ありがとうございます!!

 

 

セッションに申し込んだ時点で、

時空というか次元というかが

変わったのでしょうか…?

  

またワンピース届いたら写真付きで

ご報告しますので、

読んでくださいませませ〜( ̄▽ ̄)

 

それでは、また!ヽ(・∀・)

 

 

 ***

 

 

いや〜、

感慨深いです。

 

ワンピースって

なんのこっちゃ?

といいますと、

 

もうセッションの終盤というか

もはや雑談しかしていなかったときに

ボロリと出てきましたのが、

 

職場にスカートをはいてかない、

というお話。

 

職場では動きやすい服装の方が

よい場面も多いため、

Aさんはパンツスタイルを

選択していましたが、

 

同じ職場でも、

スカートで出勤される

方たちもいる。

Aさんのことばにはどこか

羨望の響きがあったため、

 

ここを掘り下げてみると、

 

Aさんは小学生のときに

少し上等な感じのワンピースを

学校に着ていったことがあって、

そのワンピースは親戚の子の

お下がりだったのですが、

Aさんはひとりっ子だったことから、

 

「やっぱりひとりっ子だから

こんな服買ってもらえるんだよね」

と言われた体験があって、

 

 

それからAさんは

スカートやワンピースを

学校に着ていかなくなったのだそうです。

 

(エピソードはご本人のご了承の上

紹介させていただいています)

 

また、Aさんとは

本や落語など、ややオタク傾向の

お話をさせていただいたりするのですが、

(他でもないわたしがオタク傾向のため)

 

わたしが知らない分野として

ゲームのこと教えていただいたりもして、

 

なにやら世の中で

大変にはやっているらしい

「あつまれ どうぶつの森」のことも

教えていただいて、


(ざっくりとしかわかっていない

かもしれませんが)

 

Aさんが

「”あつ森”で服を買うときも

全部ワンピースなんです……」

「今日も6着買いました」

とお話されるのを聞いて、

 

「今すぐワンピースを

買ってください!!!」


とお願いしました。

 

現実はもう

リアル「あつ森」リアル「ドラクエ

としか思えないのですが、



 

Aさんにとって、

解放の鍵となるアイテムは

ワンピースだったのです。

 

Aさんからは

体調が不安定というお話も

うかがってきましたが今回、

 

「体調崩しやすいのは、もしかして

身体からの”こっち見て!”だったのかな、と

ふと今思いました」

と書かれていて、

 

あらゆる面から

今すぐワンピースを!と

感じます。

 

Aさんの弾むエネルギー、

文面からこれでもか!と

伝わってきますよね!

 

からだや物理的なところから

時空を変えていくというのは、

単純にパワフルですし、

 

言ったらちょっと、

チャラいというかなんというか、

そういう方法に

わたしは大きな可能性を感じています!!!

 

Aさん、ゆくゆくは在宅勤務中心に

できたらという願望があるのですが、

 

今のテーマは

ワンピースをはじめとする

「女性らしいファッション」だとすると、

 

在宅勤務だといまいち

発表の場がないことになってしまうため、

今しばらく、

現在の職場にいるという状況なら

洋服を着ていく場所として

「利用」する感覚で通われては?

とお話したのですが、

 

自分のテーマが先行すると、

「う〜ん……」と思っていた環境にも

たちまち別の価値が

生まれてくることも感じます。

(Aさんに限らず!)

 

Aさんのボイトレのお話は

パートナーがボイストレーニング

ずっと習っているとのことで、

 

こちらも

封印を解いて自分を表現するという意味で

「声を出す」とことはAさんには

とってもおすすめと感じられて、

ぜひに!

とお伝えさせていただきました。

 

喉のチャクラも活性化しそうですし!



わたしたちは

誰に命じられたわけでもなく、

自らが誓って、

封印していることが

あるものなのだと思います。

 

(まったくない人の方が少ないというか)

 


Sさん、Aさんのお話、

誰にとっても大きな

ヒントになるのでは?と

今日はシェアさせていただきました。

 

Sさん、

Aさん、

ありがとうございました!

 

(また宇宙タイミングで〜!)

 

 

おしゃべりセラピー zoomセッション

3月のご予約スタートしています!

 

 

http://healingroom3.com

 

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わたしのプリクラシリーズ、

もういいですか?(笑)

 

しばらく前に撮ったものですが、

なにやら連日大変な暖かさで、

セーターの出番が終わってしまいそうですね。

 

北海道の出身のため、

2月、3月は完全に冬という感覚が

いつまで経っても抜けなくて、

この季節はいつまで経っても混乱します。

 

 

そう!

 

昨日、西川美和監督の

「すばらしき世界」を観てきました。

 

すんばらしかったです!!!!

 

ネタバレになりそうで

あまり書けませんが、

 

キムラ緑子さんのセリフが

それこそ「キモ」でした……。

 

 

劇場で見るのがおすすめです!

 

 

 

 

 

タイムボールがはじけたら/大切なのは「やりきること」

 

やりたいことがあっても、

がんこなこだわりで前にすすめない

ところがあるが、

 

人にどう思われるか、

どんな結果になるかは考えなくても大丈夫。

⇒ なぜならすばらしい結果にしかならないから

 

 

ホロスコープを見ていただいて、

12ハウスの情報などくわしく

書きだしてもらったシートにあった言葉です。

 

 

「なぜならすばらしい結果にしかならないから」

という破壊力のある言葉に

自分のリミッターの蓋をパカーン!

と外してもらった感じがしています。

 

 

「おしゃべりセラピスト」となったこと、

すきまになにも入らないほど

自分に一致しているというか

しっくり来まくっているのですが、

 

働くことは「水星」にまつわること。

「しゃべる、伝える、うごく、書く」

 

 豊富な知識と感受性で人を癒やしたり

イマジネーションとインスピレーションを大切にすることが

仕事として向いている。

 

持ち前の大らかさと楽天的なオーラで人を安心させる

 

 神秘的な事柄や「それら」にまつわる知識に関わることで

自身の適性や才能がますます開かれていく

  

人の痛みを分かち合う。人を育てる。守る
(母としても、社会的にも目指すところ)

 

ホロスコープチャートにも

肯定してくれるような言葉が

たくさんあったこともうれしかった!

 

わたしは太陽星座魚座なのですが、

愛と刺激と創造の部屋 

5ハウスに太陽があります。

 

5ハウスにある太陽(魚座)が

すべてのホロスコープの中心を担っている。

「愛のために矛盾なく生きること」

 

 

わたしのホロスコープでは

太陽星座の魚座

すべての要素にとって

大切になってくるようでした。

 

5ハウスについて

自分でも調べてみると

愛、よろこび、遊び、創造などの部屋のようで、

無邪気な楽しさみたいなこと

確かにわたしにとって

大切なことだなあと感じます。

 

わたしは数秘術では

30/3なのですが

感情や共感、0の霊性など

こちらも魚座に近い性質が

ならぶため、

 

星からも数秘からも

特徴が強調されるようにも思う。

THE魚座的、THE3的な人というか。 

 

本物以外興味がない

「何かを極めた成果」「深掘りしたもの」を求めている

 

というのも納得。

本物以外というのも

物質的なことでもなかったりするため、

 

この人はいったい

なにがおもしろくて

生きているんだろう?

 

っていうところが

傍目には

わかりづらいだろうなあ

って思う(笑)

 

 

そう!

今回ホロスコープ

読み解いていただいた情報の中で

はじめて出てきたお題が……。

 

美の女神に愛されたうつくしい容姿。

磨き上げて光らせる!

美しさのコツ(金脈も含む)は

広い視野を持って生涯好奇心旺盛に学び続けること。

年齢を重ねるごとに増していく輝きを秘めた人。

 

年齢を重ねるごとに魅力が深まる、

ということ、何か所か書いていただいて

とってもうれしかったのですが、

 

生誕50年にして

「磨き上げて光らせる」

とはいかに!?

 

投げかけていただいたお題は

意外なようで、

なるほどなあとも思う。

 

わたしの場合、

生誕50年じゃないと

向き合えなかった

テーマだったかと思うから。

 

(背景を語れば長いので省略)

 

また、

霊性、精神性などには

際限のない興味がありましたが、

 

いつのまにか大いに偏りが

生まれていたかもしれず、

 

またやや観念的に

なっていたかもしれず、

 

バランスをとる意味でも、

おもしろいお題だなと感じられて、

 

というか

肉体性と霊性の統合って、

究極のお題とも感じられたりもして、

 

全貌はまだわからないながら、

タイムボールははじけた!

という印象。
 

 

1. 自分のインスピレーション

またはセッションなどでの自分の情報

2. 自分にしっりくるかたちに翻訳

3. 行動、表現することで

自分の現実に反映

 

というステップは

昔から無意識に必ず

やってきたことなのですが、

 

今回投げかけていただいた

このお題もとにかく

実際にとり組みはじめています。

 

展開があってもなくても

ひとり合宿きぶんで

地味に続けていこうかなと!

 

そう、

ホロスコープのシートには

9年周期のこともあって、

(こちらは数秘術になるのかと)

 

これがあてはまりすぎていて

びっくりした!


わたしは現在

2014年からはじまったサイクルの

終盤を向かえていて、

 

「手放し」「内省」の2年間を超えて、

2021年は「収穫」2022年は「完成」

(昨年はまさに内省の1年だった……)

 

終わらないトンネルを

くぐっているようだったけれど、

確かに今年に入ってから

外に抜けた感がある。

(旧暦の新年も迎えて尚更に!)

 

2014年から

始、萌出、成長、安定、変化と

続いてきた流れ、

2016年は「成長」の年で

セラピストのお仕事をはじめた年でした。

(かけだしだったけれど、

実際のセッションを重ねるしかない!と

謎のターボエンジンが搭載されていた)


あまりにサイクルのとおりに

進んできたことを

ふりかえると、

 

あるイベントがはじまったら

もうやりきるしかないんだなということ

あらためて教えられます。

 

他でもない自分が

プログラムしているゲームというか、

 

ゲームといえばファミコン黎明期の

マリオとドラクエしかやったことないのですが

 

もう現実は

リアルドラクエにしか

見えなくなってきました。

 

ある島にたどり着いて、

その島では洞窟で伝説の剣を

見つけることがテーマだとして、

 

その剣をみつけるまでに、

誰か話しかける必要のある人がいたり、

レベルを上げてあたらしい魔法を

おぼえなくてはいけなかったり、

いくつかクリアしなくていけないことがあったり、

 

そうはいっても、

島から離れて

関係ないところを

ウロウロすることもできて、

 

カジノみたいな場所で

エクストラに過ごしたりも

OKだけど、

 

一度島に行って

そのテーマがはじまってしまっているからには

その洞窟の剣をみつけるまでは

次のイベントにも進めないという感じ。

 

どういう順番、

どういうペースで

進めるかはまったく自由ながら

自分が用意したイベントは

やりきるしかないんだなあって……。

 

この話はとても熱くて

続きがまだまだあるのですが、

今日はそろそろおしまいにしますね。

 

おしゃべりセラピー zoomセッション

3月ご予約受付中です

 

 

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右の絵は神聖幾何学で最初に学んだプラトン立体のひとつ

「正二十面体」

鉛筆のデッサンに水彩。

 

正二十面体は女性性のエレメントといわれています。

 

(『数学デッサン教室』というしびれまくる本があるのですが、

書泉グランデでイベントに出くわして

原画を買うことができました!)

 

 

おとなりの絵は

「フラワードレスの儀式」というタイトル。

パリ在住の田中麻記子さんの個展で

この絵に出合って、

思い切って原画を買いました!

 

水彩画が大好きです。

 

その下はマグダラのマリアの像の写真。

 

 

女性としてのよろこびを

自分らしく広げていくということ、

 

 

以前からいろんな場面で

出てきていたテーマだったのですが、

 

今回は真正面から

がっぷり四つ的に向き合うような

きっかけをいただいた感じがします。

 

わたし自身が苦手だったからこそ、

できることがあるということも

セッションではお話いただいて、

 

まさにわたしのやりたいことでもあって、

うれしく感じられました。


そういえば

こういうかたちでできたらなという

アイディア、

昨年のケルマさんのセッションで

聴いてみたら、

 

コイン占いの卦にも

そうなる情報があるって

ことだった。

 

その時空はもうある!(涙)

 

あとは1歩1歩の行動ですね。