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Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

こころは落研!

人生には決して気を抜いては

いけない瞬間というものが

あるものですね。

 

たとえば、土鍋で七草がゆ

炊いているとき…

 

お風呂を洗いになんて

行ってはいけない…

 

床までのり状のものが吹きこぼれて、

大変な惨事になってました。

 

ガスコンロ周りをきれいに

したばかりだったのに(涙)

 

7日のことなので、

過ぎた話ではありますが… 

 

 

と、最初になにかゆるい話を

はさんでからでないと

本題に入れないのは

 

落語好きだからなのだと思います。

 

落語では、噺がはじまる前に

「まくら」という

フリートークがあります。

 

落語へのあこがれが強すぎて

自然にまくらをふって

しまうのだと思う。

(落語ではまくらを“ふる”という、

使ってみたかった!)

 

 

落語家はほんとうにかっこいいです。

 

もちろん人にもよりますが

高座はヒリヒリするほど

ロックだと感じます。

 

観客の顔を見て

どの噺にするか

その場で選ぶから、

ある意味観客も含めた

セッションです。

 

それから、

寄席などにいる

落研(おちけん)っぽい

男子にも注目です。

 

落語はいつ、どの噺が聞けるか

わからないので、

すきな落語家の高座は

できるかぎり追いかけているらしく、

その日の演目を熱心に

メモっていたりします。

 

わたしは鉄道オタクのみなさんにも

いつも注目してしまうのですが、

(神保町、書泉グランデの鉄道本のみのフロアを

ご存じでしょうか!そこにいる人たちを見るのがすき!)

 

モテる、とかそういうことから

まったくかけ離れたベクトルの情熱に、

なにか感動するのです。

 

 

1月の上野の鈴本(寄席です)の

とりはさすがに豪華な顔ぶれで、

大すきな喬太郎師匠もいる。

喬太郎師匠についてどうのこうの

説明したくないくらい

喬太郎師匠がすきです。

 

新宿末広亭の正月二の席には小三治師匠が。

小三治師匠のキラースマイルを

間近で見られたらどんなにいいでしょう。

 

どちらも見に行けそうにありませんが…

 

ちょっとだけ触れるはずが

止まらない落語話。

 

(むりやりハンドルを切って)

 

IH(インテグレートヒーリング)では

さまざまな調整ツールを

利用できるのが特徴です。

 

フラワーエッセンスや

アロマオイルや

クリスタルや

オラクルカードや

ホメオパシーのレメディも

 

音の波動でヒーリングを行う

音叉にもたくさん種類があったり、

 

調整ツールを増やそうと

思うと無限にあるものなのですが、

 

わたしは実はあまりツールを

増やしたくないと考えています。

 

どこか、この身ひとつで

やりたいみたいな

あこがれがあるのです。

 

落語家のように。

 

(ハンドルもどる)

 

せいぜい扇子と手ぬぐいのみで。

 

(比喩です。ホントに扇子で調整とかしないですよ)

 

今後どうなるのかわかりませんが

今はそんな思いでいます。

 

 

みれいさんの『あたらしい移住日記』を

お正月中に読了。

 

お母さまを見送った日々のところは

胸がいっぱいで、

ちょっと読んでは、閉じて、

ちょっと読んでは、閉じて、

やっと読んだ。

 

自分の母のときのことも思い返すに、

この本を作る過程で、この日々の日記を

何度も読み返すことになるのは

とてもしんどい作業だったのでは。

 

せいいっぱいやったつもりでも

どうしても「もっとこうできた」

って気持ちがわいてしまうものだから。

 

おかげでこの本がある。

 

1冊を通していちばん感じたのは、

現行の社会システムから自らが身をもって

シフトしていこうとしている、

みれいさんの姿。

 

まぁまぁマガジンリニューアルに伴って

あたらしいフォーマットを発明したように、

 

みれいさんは自然と調和して

いのちが幸福に暮らすための

あたらしいシステムを発明しようと

していると思う。

 

前時代的な社会にしがみついている人は

ぎゃふんとなってしまうような。

 

新時代に同調している人にとっては

ほんとうに心地よく、

しあわせが増していくような。

 

 

落語の世界では、自分がこの人!と

心に決めた師匠の門をたたいて

弟子入りしますが、

 

わたしは勝手にみれい門下だと

思っています。

 

演目によっては別の師匠に

噺をつけてもらったりもするように、

 

学びの場をさらに広げながら。

 

 

こうなったらもう最後まで

落語の話にしよう。

 

落語というものは

落語家たちが噺を

そのからだに宿らせて

その時代その時代で

生きたまま受け継がれている。

 

見ている人たちの中にも

熊さんも八つぁんも

触れるほど確かに

存在している。

 

みんながあたまの中で

ありありと想像すれば

どんな世界も存在するんだと思う。

 

自分がどんな世界に住んでいるかは

自分がなにをイメージしているかだけが

決めていると思う。 

 

どうせなら、

これでもかってほど

美しい世界を。

 

それはほんとうに叶うから。

 

 

毎度、内容に無関係な写真を。

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はまりすぎていいる、ホワイトマルベリー。ありえないスピードで消費してしまう…

 一口食べて「はっ!おいしい!」みたいな食べものではありませんが、なんとも言えない滋味深さがあって、食べれば食べるほどやめられなくなる。

先日口唇ヘルペスができたときには、娘に「マルベリーの食べすぎ」と冷ややかにに指摘されました。どんな食べものでも食べすぎてしまっては毒になりますよね…

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同じくマルベリーを狙うなにものかの姿。