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Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

生んで、育てて、見送って

今日は大分おセンチです。

 

6年間勤めた

職場を辞めることに。

 

もう少し先って思ったけど、

4月って急に思って、

 

もうそれしかない気がして、

 

暴走列車のように

進めました。

 

 

わたしの職場は

年配の方もたくさんいて

 

お昼ごはんはみんなで

交代で作っていたから、

 

お母さんがいっぱいいる

みたいで、

 

みんながみんなのことを

目配りしていて、

大変そうな人には

自然にフォローが

入ったり、

 

うちの子どもが

小さかったときには、

 

「子どもが小さいあなたは

早く帰りなさい」って、

真っ先に帰してもらったり、

 

仕事は大変だったけど

本当に温かい庇護の中で

働かせてもらった。

 

辞めるってお伝えしてからも

「有給は全部使ったのか」

「ぜひ全部使って辞めなさい」

って少なくとも3人の人には

言われたり(笑)

 

微妙なクオリティの

おばさまギャグを

お見舞いしていただいたり、

 

そのいちいちが

たまらなくて、

まだ1ヶ月以上あるのに

今日はフライングで

仕事しながら泣いてました。

 

あなたの島へお嫁にゆくの的な

 

段々畑とさよならするのよ的な

 

幼い弟行くなと泣いた的な

(若い人元ネタわかるのか?)

 

 

この会社で忘れられないのは

 

父と母がそれぞれ

亡くなったときのこと。

 

父が亡くなったときは

 

まだ会社の規模が

小さかったこともあるけれど

 

「全部片付くまでいくらでも

休んで大丈夫です」

と言ってくれて、

 

実家から自宅に戻って

連絡したときも、

 

「自宅に戻ったら戻ったで

たまっていることがあるはずだから

それが済んでから出社してください」

 

って言ってもらって、

(実際その通りだった)

 

システムに合わせて

区切るのではなく

人間の生理にあわせて

父の死を悼む時間を

いただけた。

 

母が亡くなったときは

 

父のときよりも

もっとずっと長く

お休みしてしまって、

 

復帰して出社したとき

 

まずは長々と休んだことを

お詫びしようとしたら、

 

遮られて、

 

「まついさんが

戻ってきてくれた

だけでいいから」

 

という、

 

人生でも最大級の

殺し文句を

いただいて、

 

母を見送って

帰ってきた

わたしに、

 

すれ違いざまに

ただ「よくがんばりました」

って声をかけてくれた人もいて、

 

どんなお悔やみの言葉

よりもうれしかった。

 

もう女性たちは、

人を見送るっていうのが

どういう仕事なのかを

よくわかっていて、

 

わたしが何をどんな感情で

やってきたのか、

なにもかもわかって

ねぎらってくれたようでした。

 

 

娘の教科書を見ると

歴史というのは

戦争しかしてないみたいな

ことになってるけど

 

本当は絶対

そうじゃないよねって

思う。

 

女たちが

こうやって

 

生んだり

育てたり

見送ったり、

 

食べものや

着るものを

工夫して、

 

与えられるものが

少ない中でも

できるだけ豊かに

暮らしを楽しんだりして

 

生きてきたこと。

 

そっちが歴史なんじゃないの?

って、

 

この職場にいて

ずっと思っていた。

 

気配りができて

明るくて

よく働く

わたしの

たくさんの

お母さんたち。

 

もうすぐお別れ。

 

これ、泣くでしょ?

 

もう、

多分カンウントダウンで

あと何日とかなったら、

 

迷惑なほど

泣いてると思う。

 

でも、

愛する村を出るのだ。

 

あなたの島へお嫁に行くの。

 

あなたって誰でしょう。

 

臆面もなく神さま!

と申し上げたい。

 

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去年の年末自分へのクリスマスプレゼントに買った、パキスタンのラリーキルト。粗末な生地を補強するために施された刺繍なのに、こんなに陽気。どの国でも女たちの歴史はこんなふうだと思う。