Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

脱力の春

脱力デーです。

 

脱力してお届けしてまいります。

 

ホームページの準備が

全然できていません。

 

自宅の和室を

サロンにする準備も

遅れています。

 

最優先事項にちがいないのに

こんなことではいけない

気がしていましたが、

 

自分の処理能力を思えば、

 

仕事がもうすぐ

終了となるのだから、

 

目の前の日々のことを

順番にやっていって、

 

呼吸を整えて、

とり組むのがよいかなと

いう気持ちになってきて、

 

今は職場の最後の日々を

ただ心を込めて

過ごしてみることに。

 

 

ネット上からご予約いただける

ようになるのはもう少し先と

なってしまいそうなのですが、

 

この期間にわたし自身が

整うことが、

クライアントを迎えるために

必要なのだとも感じています。

 

 

いずれにしても、

船出のときで、

 

春で、

 

聖子ちゃんの

チェリーブラッサム

熱唱したい気持ちで

いっぱいなわけですが、

 

船に一緒に乗ってくれる人が

どんどん現れて、

 

まだまだおぼつかない

わたしにちゃんと

苦言を呈してくれたりもして、

 

わたしは本当に

幸せだと思うし、

 

これからやっとこの人生が

本当にはじまるのかも。

 

 

とても不思議なのですが、

 

IHセッションに出かけるとき、

 

どんな方かも

どんなテーマかも

わからないのに

 

緊張したり

不安になったり

することがありません。

 

理由を考えてみるに、

 

完全に自分がツールだと

思っているからなのだと思う。

 

 

キッチンのお玉が

「今日のわたし、お味噌汁を上手にすくえるかしら…」

とか不安に思わないように。

 

爪切りが

「手の爪は切れるけど、足の爪は切れるだろうか…」

とか心配しないように。

 

 

わたしはIHという

洗練された方法を

行うためのツールなので、

ツールとして

自分を整えておく必要は

あるとは思うけど、

 

もはや自分の裁量を超えた

クライアントの存在全体と

宇宙との作用が起こる場に

立ち会わせてもらっている

だけみたいな気持ちでいる。

 

これも不思議なのだけど、

 

すべてクライアント自身の

選択や決断で進むのだけれど、

立ち会う人、というのは

どうも必要みたいで、

 

まあ、それが宇宙が

分離してる意味

(他者がいるという意味)

なのかもしれないけど、

 

IHを行うわたしは、

ツールで

立会人

なのだと思っている。

 

 

 

そう、脱力といえば、

 

さっき娘が友だちと遊ぶと

出かけていったのですが、

 

部活もない休みの日なのに

学校のジャージを着ていたので、

理由を聞くと、

 

「おにごっこするから」

と。

 

耳を疑いましたが、

 

この春で中2の娘、

おにごっこして

遊んでるみたいです。

 

半袖半ズボンの体操着の上に

長袖ジャージの

万全の体制で。

(「暑くなったら脱げるでしょ」

って、ものすごく得意げに

言われました)

 

脱力の春。

 

 

娘も夫も家におりません。

 

 

このチャンスに

やっと、本当にやっと『騎士団長殺し』。

 

この世から全力で気配を消して読みます。

そこは全力です。

 

 

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娘の誕生日プレゼントに買ったアンデス25。娘が小さいとき栗コーダーカルテットのコンサートに行って、CDにサインしてもらったとき、栗原さんに「鍵盤なのにリコーダーの音がするあの楽器はなんですか?」って聞いたら、サインの横に「アンデス25」って書いてくれて、いつか絶対買いたいと思っていた。内部に笛が内蔵されている。リコーダーの音だけど和音が弾けるのも新鮮。何の曲を弾いてもめっちゃ脱力。めっちゃかわいい。娘、よろこんだ。耳コピーは得意なので言うと何でも弾いてくれる。