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Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

やめるをはじめる

 

いろんな場所で

断捨離の話題がでます。

 

毒だしという意味でも

春は断捨離の

季節なのでしょうか

 

そんなわたしも仕事の

区切りがついたら

まずは断捨離!って

思ってて、 

 

不要なものには

お礼を言って、

さっぱりお別れしたい

気持ちでいっぱいです。

 

でも、どちらかというと

ものよりも

自分の思い込みや習慣を

手放すような断捨離を

やってみたいような。

 

 

執着するのをやめる

 

依存するのをやめる

 

批判するのをやめる

 

自分を責めるのをやめる

 

やめなきゃ!って思うのをやめる

っていうのも。

 

春ははじまりの季節だけど

いろんな「やめる」を

はじめるのがいいと思って。

 

 

IHのご感想で

本当にうれしいものを

いただいています。

 

一方で

深い喪失を体験したり、

 

負のループを抜け出せなかったり、

 

自分が無力に

感じてしまっている

方もいるかと思います。

 

でも、問題が現れるのは

その人がそれを扱えるように

なったからなのだと思うし、

 

ふたをしてどこが自分の

奥底に隠してあった

壺が開いて

いよいよ中身が

ででいくとき 

だからなんだと思う。

 

病気も、破局も、リストラも

 

失敗でも挫折でも罰でもなく、

 

どんな強烈な体験で

傷ついたとしても

 

本来のその人自身は

なにも損なわれず

完全なままあるのだと思うし、

 

全部はその本来の姿に

至る道なんだって思う。

 

 

ブルゾンちえみ

声がかわいいですね!

 

なんか重々しいので

はさんでみました。

 

35億。

 

 

落後に「粗忽長屋」という噺があります。

 

死んだ本人がそれに気づかず

自分の死体を運ぼうとする

噺なのですが、

 

立川談志はこれを「主観長屋」と呼んでいて、

 

すべての現象がどう見えるかは

主観のみに頼っている、

ってことなのだと思うのだけど、

 

(死んだって気づかないほど

客観性がない、ってこと)

 

たとえば

カップルが並んで同じ景色を

見ていて「きれいだね」って、

言ってても、

 

なにをきれいって

感じてるかは本当は

わからないし、

 

なにをきれいと感じるかは

本当に自由なその人の

領域だとも思うから、

 

同じじゃなくても

当然だと思うし、

 

それで、かみ合ってる場合も

いっぱいあるのだと思うのだけど

 

同じものを「きれい」って

思ってるっていう

思い込みの方が

逆に乖離を生んで

しまう気がする。

 

みんなそれぞれの主観の

世界に暮らしているから。

 

今日はタイトルだけ

先に浮かんで、

書きながら、

こういう内容だったんだって

教えてもらってる感じがします。

 

ちょっと自動書記的。 

 (もちろんまったくそんな能力ないですけど)

 

先週みれいさんと

忍田彩さんの

トークショー

行ってきました。

 

次号のマーマーマガジンフォーメンで

特集される「都市を滅ぼせ」という

本についてのお話では、

 

みれいさんが

この内容を取り上げる

ことの難しさについて

語っていて、

 

でも取り上げずには

いられない強い気持ちも

語ってくれて、

 

「みなさんはわたしのことを

きらいになってしまうかもしれません」

とも言っていて、

 

それほどの覚悟の記事で

(マーマーマガジンは

どの記事だって実はそうだったと

思うのですが)

 

まさに「やめることをはじめる」

ための記事なんじゃないかな

って感じてる。

 

 

なにかの終焉に

別離に

悲しんでいる人に、

 

それは無理の上に

成り立った幸せとの

お別れっでことで、

 

むしろ継続的な

その人の本当の幸せの

はじまりなんだよって

 

言いたい。

 

ブルゾンちえみ

かわいい声で。

 

 

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犬の散歩で通る場所にある木。あきらかに男性と女性。葉っぱのある季節は完全に1本の木みたいに見える。「男女の木」って勝手に呼んでたけど、こういうふたつのものがひとつのように見えるのものをタントリックツインって言うらしい。他の場所でも見つけた。注意してみてると結構あるよ男女の木。