Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

NO INNERCHILD NO FUN

娘はもう中2ですから、

朝の身支度などに

手を出さなくなって

久しいわけですが、

 

毎朝、一応

髪を整えている

ようすはあるものの、

 

「それで完成?」って

思うほど

すごい寝ぐせで

出かけていく。

 

昨日も、

ものすごい高速で

走ってる人みたいな

寝ぐせが

 後頭部に残ったまま

部活に出かけようと

しているので、

 

一応「後ろすごいよ!」

とは伝えるのですが、

 

「大丈夫」との返事。

 

どう大丈夫

なのでしょうか?

 

でも、

さすがに昨日の

この寝ぐせには

つっこみが

入ったらしく、

 

部活の男子から

 

サイヤ人みたい」

と言われたらしい。

 

ドラゴンボール

ストーリーを知らない娘

 

サイヤ人は悪の人なの?」

と聞く。

 

わたしも亀仙人とかの

ころしか

読んだことないから、

 

サイヤ人がなんなのか

知らないけど、

 

悟空もサイヤ人

みたいだし、

 

「悪の人ではないんじゃないかな」

と答えると、

 

なにか納得して

その話題は終了。

 

どうやら娘が気になるのは、

 

◎男子に寝ぐせを指摘されたこと

 

ではなく、

 

◎似てると言われたサイヤ人が悪かどうか

 

のようです。

 

彼女には彼女の

なにやら立派な基準が

ある気がするので、

 

スーパーサイヤ人級の

寝ぐせでも、

 

母さんもう

なんにも言わない

ことにする。

 

と、

 

年末ムードが

そうさせるのか

 

いつにも増して

ゆるいお話と

なりましたが、

 

ただ今

意識的にゆるむ期間を

過ごしています。

 

いつも

深い助言を

いただける

整体のHさんの

ところで、

 

わたしがわたしの

インナーチャイルドの声が

聞けていないということを

先日ふっと言われて、

 

本当にそうだったと

気づかされる日々。

 

 

セッションを

行うことは、

 

わたし自身の

よろこびでも

ありますが、

 

いろいろな

周波数を

渡り歩くよう

でもあるので

 

自分の周波数に

意識的に戻す

必要があるみたい。

 

いろいろ

小さな不調が

でていたのに

「わたしは大丈夫」

って無視してもいた。

 

エネルギー的に

リカバーできてない

感じがどんどん

強まってきて、

 

しばらくセッションを

お休みしようかなとも

考えるほどでしたが、

 

Hさんのご指摘で

自分のインチャの声を

よく聞いてすごすように

なってから、

 

なんか内側が

ふっくらしてきた。

 

まずは「自分のお世話」は

鉄板の法則ですね…

(セッションではみなさんに

あれほどお伝えしているのに…)

 

ただ、継続的であるために

いろいろ見直す時期では

あると感じています。

 

セッションが変化していて

テキスト通りでは

ないナビゲーションを

行っていること、

 

内容も包括的に

なっていること、

 

セッションの時間も

2時間ほどと

ご案内していますが、

わたしの場合もう少し

長めになってしまうこと

などから、

 

お代を見直すことがひとつ。

(これから先のご予約に関してです)

 

もうひとつは、

ピッチャーの登板間隔のように

エネルギーのリカバーを

考慮してセッションの

予定をいただくようにすること。

 

ツールとしてのわたしが

よりよい状態でいるためと

 

継続的であるための

変更です。

 

 

これからも

すべてのご縁に

感謝して!

 

http://healingroom3.com

  

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インナーチャイルドの声を意識して過ごすようになって、インチャがけっこうはっきり言ってきたのは「本が読みたい!」でした。

唸る気持ちで受け止めたのは、娘が生まれてから、なんとなくどっぷり浸っちゃうような読書は避けるようになっていて(戻ってきたくなくなるから)、娘がとっくに相当育っているにもかかわらず、そういう時間を持たないままになっていた。

 

わたしは本当に本で救われてきたし、本で導かれてきたし、なによりもただ本というものが好きだった。

それを思い出す。

 

「年末年始はとにかく部屋にこもって本を読みます!」宣言を家族に放ち、

(放任的な家庭なので、あまり注目を浴びませんでしたが)、

寝室の本棚に読みたい本を積み上げました。

見るたびにうっとりします。

 

もうここからは完全にわたしのインチャケアコーナーになります。(インチャが読みたい本ってわけじゃなくわたしの内側を満たすこととしてのご所望)

 

一冊一冊紹介をさせてください。

 

写真下から。

 

①『ソラリススタニスワフ・レム

 

超ロングセラーのSF。NHKの番組で1ヶ月にわたって取り上げられてましたが、ソラリスという惑星の生きている海とのコンタクト、ソラリス探査の宇宙ステーションで繰り広げられる、自己と記憶の物語。

 

人間の記憶を現象化する海

自己など確かではないこと

観念と記憶の無限再生

違和感の重要性

 

SFなのにホ・オポノポノですか?みたいな内容にも思えて、今読みたくなった。この作品が再度注目を浴びているのはAIなどの現代の状況を予見しているようでもあるからなのかな。

多分高校生のころハヤカワ文庫の『ソラリスの陽のもとに』を読んだ。これはロシア語に翻訳されたものの翻訳だったみたいなのだけど、今回ポーランド語の原典からの新訳を買っての再読。楽しみ。

タルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』はエンディングがノスタルジックに変更されていて、レムは激怒したらしいのですが、レムが激怒するほど大切にしたものを原作に発見したい。

 

②『噺は生きている』広瀬和生

 

広瀬和生氏はヘビメタ雑誌『BURRN!』の編集長だけど(今もなのかな?)、無類の落語好きで毎日のようにお目当ての噺家の高座を観に行っていた方(今もなのかな?)。今や落語の著作も多数で、ご本人が企画した落語会もあったりと落語の世界でも大いにご活躍です。

わたしも広瀬氏の『この落語家を聴け!』で現代の落語家がいかに層が厚くて、恵まれた時代なのかを知ることになりましたし、落語を楽しむためには、「誰の」落語を観に行くのかということが大切なのだということを指南していただきました。(『この落語家を聴け!』は「ほめ」の観点でもすばらしい本です。取り上げたひとりひとりの噺家の違いを根気強く、本質を掬い、わかりやすい言葉で伝える姿勢に感動しました)

 

広瀬氏の最新刊は古典の演目の進化について。

「同じ“芝浜”は一つとしてない」という帯の文のとおり、同じ噺が落語家によってどのように変化するのか、ものすごく楽しく読めると思う。

 

③『われらが歌う時』(上下巻)リチャード・パワーズ

 

娘が赤ちゃんのころに上巻を買ったと記憶していますが、長編小説を読めるような状況ではなかった…、そのまま本棚で10年以上。でもどう考えてもやばそうなこの本はいつも頭の片隅にあったのだと思う。

インチャの「本が読みたい」の声に真っ先に思い出したのはこの小説だったので、よし!買っていなかった下巻も手に入れよう、と思ったら、絶版でびっくりした…。

リチャード・パワーズって最重要作家のひとりみたいなイメージなのですが…。今後も良書が出版される世の中でありますようにと、微力すぎますが、本は新刊で購入する決意をあらたにしました。(今回下巻は古書で購入しました)

 

④『雪』オルハン・パムク

 

これも、長いこと読もうと思ったまま読んでなかった本。ノルウェーで授賞式のある文学賞をとったあとの、トルコ語という読む人の絶対数が少ない言語で作品を書くということがどういうことなのかという講演録が印象的でずっと読みたかった作家。今さらながら。

文庫版は超訳みたいになっちゃってるみたいなので、最初に翻訳されたものを古書で。

 

ソラリス』のスタニスワフ・レムポーランド語で書いているのなら、もっと絶対数の少ない言語なのかなって思いますが、トルコもポーランドも政治的背景から、ある日突然日常が奪われることがあっただろうし、どちらの作品にも自己の不確かさと常態としての違和感という要素を感じる。

 

読んでないのでまだわかんないけど、

とんちんかんなこと書いてるのかもしれないけど、

 

不確かじゃない自己に繋がる時代に、

違和感ってガイドとして大事だよなって感じてる。

麻痺しないでいることというか。

 

⑤『大局観』羽生善治

 

未読であることを恥じまして、『大局観』と『決断力』を購入。直感についての言及など、あらゆる立場の方に役立つ普遍的な本なのだと思う。

 

⑥『生死半々』淀川長治

 

先日ご紹介させていただいたAさんのセッションでAさんがトークショー淀川長治さんに会ったときのお話を聞かせてくれて感動でした。

 淀川さんのこのエッセイを再読したいです。

『生死半々』というタイトルがとにかく最高。

 

⑦『僕はこんな音楽を聴いて育った』大友良英

 

表紙は18歳の大友さんの写真。学生服でギター。Gibsonてロゴは自分で書いたって。裏表紙は55歳の大友さん。ニューヨークのライブハウスでギターはホントのGibson。飾らなすぎる天才。読むのがひたすら楽しみな本。

 

⑧『甘い、甘い、甘くて甘い』服部みれい

 

祝復刊!の処女詩集。我が家には『甘い、甘い、甘くて甘い』が2冊あって、ひとつはわたし用、ひとつは娘用、どちらもサイン本なのがひどく自慢。超短編小説のようなあとがきも大好き。

 

⑨わたしの手帖2018

 

手探りだらけのあたらしい時代に、指標があることほどありがたいことはないと思う。あたらしい年をうつくしいこの手帖と。

 

・・・

 

こんなに読めるはずもないけど

積んだことに意味がある気がする。

 

本の奥の写真は

幼稚園のころのわたし。

早すぎたサンタフェ

 札幌だけど。

 

NO INNERCHILD NO FUN

インナーチャイルドなしに

本当の楽しみもなし!

 

それぞれにインチャのご所望に

耳を澄ませてみてくださいね。