Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

「未のもの」は「身のもの」

スキーの

ジャンプ競技

スタート地点

みたいな気持ちで

書きはじめます。

 

宿題だったことを

いよいよ。

 

K点越えを

目指して!

(K点がなにか知らないまま)

  

今週はIHの同期の

けいこちゃんが

和歌山からやってきて、

 

それに合わせて

大阪からまゆみちゃんも

やってきて、

 

なおこ姫と

 

わたしと

 

IHの同期の姉妹が

集結した。

 

(末娘のゆみちゃんが仕事で

来られなかったのだけど!)

 

普段は密に

連絡をとることも

ないのに、

 

わたしたちの

相思相愛感は

すごくて、

 

それは一緒に過ごした

講座の時間が

素晴らしかったから

でもあるのですが、

 

同期だからといって

誰もがこんなに

仲良くなれる

わけでもない

みたいだから、

 

ご縁に恵まれたなあって

しみじみ感じてる。

 

愛しの姉妹たちの話は

余すところなく

聞きたすぎて、

 

会うなり

「足りない!」

「時間が足りない!」

と叫ぶしかありません

でしたが、

 

みんなで知ることに

なったのは、

 

それぞれに

新たな領域の

学びを得て

進化していることには

間違いないながら、

 

出会った当時から

持っているそれぞれの

テーマ(問題)はやはり

今も引き続いている

ということ。

 

それは

自分が設定していることで、

 

観念で、

 

思い込みで、

 

自分が選択すれば

本当はいつでも

手放せるって

知ってはいるのに、

 

相変わらず

それぞれに

ぐるぐるしている

ことがある。

 

「チーム牛歩」という

新しいチーム名を

つけたくなるほど。

 

(牛歩が設定されてしまうから

よろしくないですね(笑))

 

日々IHセッションを

行っていても

感じていること

なのですが、

 

自分でこの状況を

本当に変えたいって

心底思っているのに、

 

そのために

こんなにいろんなことに

とり組んでいるのに、

 

ある種のパターンから

脱することが

できないことに

 

疲弊してしまっていたり、

 

より自己否定感が

強まったりしてしまう

場合はたくさん

あると思います。

 

セッションを受けて

一時クリアに

視界が晴れた思いが

あったのに、

 

また似たような

状況になってしまう

自分にがっかりしたり。

 

なにかひとつの問題を

クリアしても、

次なる問題(テーマ)が

表れることは

 

インナーチャイルド

ワークを行うように

なってから

より顕著に

感じてもいます。

 

でも、

気を落とすことも

ないというか、

 

この状況って

生きてること

そのものだって

思うのです。

 

 

問題があるから

人生が運動して、

 

他者への感謝が生まれて、

 

自分の成長もある。

 

 

問題はいつでも

手放せるものでは

あって、

 

その力を持っているのは

いつも自分自身だけど、

 

なかなか問題が

解消しない状況が

続く場合、

 

問題そのものよりも、

 

その状況にある

自分を少しも

責めないことの方が

重要だって、

今は思う。

 

そんなふうに

整理するための

 

ヒントとなって

くれたのは

 

Sちゃんのメールでした。

 

以前の記事で紹介

させていただいた

三つ編みのSちゃんです。

 

Sちゃんは

自分が人知れず

並々ならぬ

執拗さで行っている、

 

実務とも創作とも

判別できない

あることを、

 

「作業」

 

と呼んでいて、

 

その「作業」は他では

得がたい大きな

よろこびであることを

教えてくれました。

 

Sちゃんには

「作業」の他にも

独自の用語があって、

 

そのひとつが

 

「未(み)のもの」

 

です。

 

 

Sちゃんは

 

自分をずっと

「未」である

と感じていて、

 

未完成、

未処理、

未整理、

などの

「未」

なのですが、

 

Sちゃんには

ある種の完全性を

体験するような

出来事があったので、

 

その体験があった

からこそ、

 

普段の自分を

より「未」であると

感じてしまうのかなって、

想像もしますが、

 

でも、Sちゃんは

20代半ばの若さですから、

 

通常の感覚的には

「未」であって当然。

 

IHの同期の姉妹は

末娘をのぞいて

みんな40代ですが、

 

わたしも含め

それぞれに

こじらせまくって

生きています(笑)

 

「未」のままです。

 

きっと人生は

ずっと

「未のもの」で、

 

完成してしまったら

もうからだは

いらないの

だろうから、

 

「無のもの」になる。

 

 

ホ・オポノポノで

言ったら、

 

記憶が「未のもの」で、

クリーニングが「作業」、

ゼロポイントが「無のもの」、

 

というか、

 

「未」であるから

肉体を持った

人生がある。

 

「未のもの」は

「身のもの」で

 

からだがある限り

わたしたちは

「未」だし、

 

問題(テーマ)は

なくならない。

 

「未」であるから

「身」があって

「作業」の中で

「美」も生まれる

 

 

問題を味わうために

肉体をもっていて

その体験の中で

創造が起こる。

 

 

これは純粋な

遊びでもあるとも

思うのです。

 

 

IH同期の

なおこ姫も

 

ずっと持ち続けている

テーマがあって、

 

本当にいつまで

これが続くの?って

思いにもなって

しまうと思うけど、

 

それを脱していない

自分を微塵も

責めないでって

伝えた。

 

そのおかげで

わたしは

なおこ姫と

会えたし、

 

その体験がむだ

なんてことは

絶対にない。

 

 

それぞれにご自身の

テーマにぐるぐる

どっぷりの日々を

お過ごしのみなさんも

 

苦しんでる自分を

微塵も責めないで

あげてください。

 

寝ても覚めても

Ilove meで

お願いします。

 

からだでいる限り

未完全が完全

なのだと思うから。

 

 

うーん…

 

K点全然手前だった

気がしますが

ここまでに。

 

今年いただいた

すべてのご縁に感謝を!

 

http://healingroom3.com

 

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超久々に営業中のサイドバーン。けいこちゃんのカットをする岡田くん。

けいこちゃんを待ってる間、以前IHを受けに来てくれたKさんに偶然会えて(カットにいらした)とってもうれしかったのですが、Kさんとひとしきりおしゃべりしてから、けいこちゃんのところに戻ると、ふたりが無言で無表情。

なにか気まずいことでも?と一瞬思って、けいこちゃんに後から聞いたら、岡田くんを見て「この人は話さなくても大丈夫」って思ったらしく、話すこともできたけど話さないでいたみたい。岡田くんもそういうのキャッチするのが得意な人なので、実はものすごく高度なコミュニケーションの結果、この写真の状況があったようです(笑)

わたしにとってはけいこちゃんがサイドバーンで髪を切っている歴史的写真。

 

けいこちゃんの前にわたしも岡田くんにカットしてもらいましたが、最初に話しながらスタイルを考えているときのようすが、落語家がまくらをふりながらお客さんに合わせて最適な演目を探しているときのようでした。

岡田師匠進化しています。

 

この日のサイドバーンでは

 直感で選んだ差し入れがスタッフのまいちゃんに

どストライクだったこともうれしかったし、 

タイチさんの生け花も壮観でした!

 

美容室にお悩みでしたら、

表参道にサイドバーンってありますよ。

 

  

けいこちゃんは

わたしのIHを受けるために

はるばる来てくれた。

 

本当に気絶しそうに

光栄なことだった。

 

わたしの今年1年の活動を

肯定してもらえたようで。

 

けいこちゃんのおかげで

みんなが集まることもできたし、

 

祝福の使者のようでした。

 

また会える日を楽しみに。 

 

和歌山方面に

愛をこめて!

 

大阪方面と

新宿方面と

浜田山方面にも!