Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

すべての行為はラブレター

 

死んだ後に、

 

自分の人生を

振り返って、

 

いちばん

後悔するのは、

 

 

「なんであんなことしてしまったんだろう」

 

ではなく、

 

 

「なんであれをやらなかったんだろう」

 

だそうです…

 

 

 

 

服部みれいさんが

 

自分がいちばん

やりたいことほど

おそれる氣持ちも

強くなる、

 

ということを

書かれていたかと思いますが、

 

 

「なんであれをやらなかったんだろう!」

 

って

悔やむほどのことに、

 

生きてる間になぜ

取り組めないか

というと、

 

 

こわくてたまらないから…

 

 

自分の核心と言える

いちばんの望みだからこそ、

 

「もしうまくいかなかったら…」

 

と思うと、

 

めちゃめちゃ怖い。

 

「失敗するくらいならもう現状で…」

ってなってしまう。

 

 

でもでも、

 

この肉体生は

いろんな制限がある中で

自分を表現していく

という場だから、

 

障壁に思えることも

自分でセッティング

してきてもいて、

 

それを超える自分を

 

体験してみたくて

ならない。

 

障壁を嬉々として

セッティングしたとも

言える。 

 

 

にもかかわらず、

 

いざ人生を生きてると、

プレイヤー目線でしか

なくなってしまって、

 

(ゲームにたとえるなら、画面の中のプレイヤーはあくまで幻想で、コントローラー持ってる方が本当の自分)

 

 

障壁を目の前にすると、

 

「マジ無理…」

 

ってなってしまう。

 

 

そんで、

 

死んでから、

「なんでやらなかったのだろう!」

ってなって、

 

同じテーマで

もう一回生まれたりとか…

 

 

でももうこれも

かつての話に

なってきているのは

 

輪廻転生のしくみも

ふくめて

 

地球があたらしく

変わるからです。

 

 

あたらしい地球では、

 

いろんな制限は消えていくし、

 

重かったものは軽く、

遅かったものは速く、

困難だったことは容易に、

 

意図したことが

スピーディーに

現実に反映される

世となってくる。

 

でも!

 

(ここが大事)

 

これは、

 

「やったラッキー!」

って、

 

今までの自分のまま 

受け身で体験できる

世界ではない、

ということ。

 

自分のカルマを

解消していってこそ

体験できる世界でもある。

(カルマという表現はあまり好みではないのですが)

 

 

カルマの法則は

因果の法則です。

 

すべての結果には

必ず原因がある。

 

自分が体験する

すべてに原因があって、

 

そしてその原因は

すべて自分の中にある。

 

 

宇宙は

 

その人が持ってる

周波数がオーダーとなる

居酒屋みたいなもので、

 

それが

ネガティブであろうと

ポジティブであろうと

 

制限的であろうと

無制限であろうと

 

 

「よろこんで!」

 

と言って現実に

はこんできてくれます。

 

 

いくら地球があたらしく

軽く、速く、調和的になっていっても、

 

宇宙では

 

その人のオーダー(周波数)が

もっとも尊重されているから、

 

本人が古い制限的な周波数を

握りしめて離さないなら、

 

そのオーダーが通るのだし、

 

オーダーが

重く、遅く、非調和的なら

 

重く、遅く、非調和的な

体験が運ばれてくる。

 

 

そして、

 

重く、遅く、非調和的…

というのは

あたらしい地球では

もう体験できないことだから、

 

それぞれの周波数に合わせて

パラレルの移行が

起こったりもするんだと思う。

 

 

それなら、

 

「いやいや、

あたらしい地球の方

体験したいですわ」

 

ってなったとする。

 

 

だとしたら、

 

その自分の

ネガティブなオーダーを

ストップしないといけない。

 

 

そして、

 

「もしうまくいかなかったら…」

 というおそれを超越して、

 

本当にオーダーしたいこと

(体験したいこと)を

行動に起こしていかない

といけない。

 

 

うまくいっても

いかなくても

 

結果は実は

どっちでも

よくて、

 

 

前も書きましたが、

 

地球って

スベりにきてる場所だと

思うのです。

 

失敗してなんぼ

というか。

 

 

「すべってもええ、前のめりに転べ」

 

吉本新喜劇

小籔座長の

名言ですが、

 

 

スベってもええから

自分のコアからの願望を

表現していくしかない。

 

「でも、こんな障害や、こんな制限がある!」

って思えても、

 

実は障害も制限も

 

自分の思い込みが

ほとんどで、

 

伝える相手にはちゃんと伝えたり、

 

仕組みに問題があるのなら

見直したり、

 

調整していくことが

可能なのだと思うし、

 

その先で

願望が体験できるの

かもしれないし、

 

思いっきりスベってみて、

その失敗こそが

体験したかった!

 

ってことなのかもしれない。

 

(失敗も、コントローラー持ってるハイヤーセルフ目線の自分からしたら、経験値ゲット!って話で、魂はめちゃめちゃ喜びます)

 

 

ここで、

びっくりの

お知らせです、

 

今日書きたいって

思ってることに

まだ全然たどり

着いていません。

 

今日も

縦スクロール新記録を

目指すことになるのか。

 

地上2階くらいの

長さを目指して

続けてまいりますね。

 

 

セッションでよく

 

「“昭和枯れすすき”を歌わない」

 

という話をさせてもらいます。

 

 

“昭和枯れすすき”は

男女デュエットの歌謡曲

 

(男) まずしさに〜 負けた〜

 

(女) いいえ〜 世間に負けた〜

 

 

って歌なのですが、

(若いみなさん知らないですよね。でも続けますよ)

 

「冷たい世間」

「やっぱりお金」

「いつもむくわれない自分」

 

わたしたちは

自分の繰り返すパターンに

「やっぱりね」って

なったとき、

 

脳から快楽物質が

出るそうです。

 

失恋ソングとか

カラオケで歌うと

めっちゃ陶酔する感じ。

 

それに中毒しているから

自分のパターンを

抜けられない。

 

 

 

ネガティブな体験が

あったとき、

 

「やっぱりわたしって…」

ってなって、

 

“昭和枯れすすき”的

自分ソング、

 

歌ってもいい、

歌ってもいいよ、

 

でも、

 

その周波数で

また同じオーダー

通っちゃうよ!

 

っていう…

 

 

今って、

 

100キロマラソン

最終の何キロ地点って感じの

タイミングみたいとも

思ってて、

 

それぞれに

いよいよのお題が

目の前に現れてくるかと

思うのだけど、

 

(なんなら輪廻の中で何百年もかけてきたお題だったり)

 

ここで

 

「いいえ〜世間に〜負けた〜」

とか

 

自分ソング歌ってる

場合じゃない、

って、

氣がしませんか?(笑)

 

 

だって、

 

せっかく走ってきた

100キロマラソン

(繰り返します。今回の生だけじゃありません!)

 

 

ゴール目前に

 

現れた障害物に

 

ひるんでしまって、

ゴールできずに、

 

断念して、

 

また別の場所で

スタート地点から…

 

とか

いやじゃないですか。

 

 

わたしはもういやなんです!

 (鼻息!)

 

 

結果はさておき

 

「やらない」ってことが

いちばん後悔するんだぞ

って、

 

自分に声をかけて、

 

とにかく

現実に起こしていく。

 

 

このブログの

タイトルのところに、

 

「日記および公開ラブレター」

としているのは、

 

コラムニストの小田嶋隆さんが

「すべてのテキストはラブレターであるべきだ」

って書いていたのを読んで感動して

(読んだのはずっと前ですが)

 

なにかテキストを書くなら

ラブレターのつもりで書きたいと

思ってのことです。

 

(先日イベントでご一緒した牟田都子さんが、イベントのレポートを読んでくださって、「ラブレターの意味がわかりました」って伝えてくれて、めちゃめちゃうれしかった)

 

 

わたしは元々

相手のすばらしいところを

伝えたくてならない

性分です。

 

なにがいいのか、

 

どういいのか、

 

どうしてそれが

好きなのかを

 

相手に伝えることが

とにかく無性に好きでなりません。

 

 

その圧と量がすごすぎて

服部みれいさんは

滝行のようだと言っていましたが、

(「ほめ滝」と呼んでもらった)

 

今は、

もうこの

「ほめ」なり

「すき」なり

 

これだけが使いたく

なってきている。

 

 

テキストだけでなく、

 

自分の行為の全部を

ラブレターって

してしまいたい。

 

なんかもうそれしか

やりたくない。

 

セッションだって

もちろんラブレターの

ひとつの表現です。

 

 

 

家の近所の

スーパーの話なのですが、

 

このスーパーは

 

レジのみなさんが

いつも楽しそうに

お仕事されているのが

伝わってきて、

 

そのようすを見るのが

わたしは大好きなのですが、

 

たまに会う

レジの人で

 

購入後の商品を

かごに入れていくとき、

商品の袋を

両手でパリッと整えて

入れていく人がいて、

 

わたしこれになんか

キュンってなるのですが(笑)

 

スピードを要求される

お仕事だと思うし、

 

自宅に持ち帰る袋に

移し替えたら、

 

またグチャって

なっちゃうかも

しれないけど、

 

その方は

とにかくなんか

自然と整えちゃうん

だと思う。

 

 

なんの話かって、

 

彼女が入れてくれた

商品のかごは、

 

わたしにとって、

ラブレターだと

いうこと。

 

 

すべての行為が

ラブレターであったら、

って思うし、

 

宇宙の隅々までそうだったら

って思うし、

 

わたしは本当に

もうそういう世界で

生きたいから、

 

まずわたしが

すべての行為を

ラブレターにする

って決める。

 

 

表現することで

自分の欠点があらわになっても、

それをおそれない。

 

 

今日の記事が

こんなに長くなりましたのも、

 

 

 

昭和枯れすすき的

自分ソングを

 

わたし自身が 

脳内で歌いかけていたから

ではあるのですが…(笑)

 

 

もう自分ソングやめて

ラブレターしか書きたくない。

 

 

 

自分ソングって

 

地球限定の

ネガティブ体験を

通した作品でもあるから

愛着もある、

 

ってのもわかる。

 

 

でも、

 

「つらい」「かなしい」「叶わない」「みじめ」

 

持ってたら、

オーダー通っちゃうから。

 

それでも

  

自分ソング歌いますか?

 

という…

 

 

 

もうひとつ。

 

何年も心の中にあることで、

なにかを理由に

取り組まないことが

あったとしたら、

 

ぜひ無視しないで

ちゃんと取り組むのが

いいと思う。

 

それをやらない理由って

なんだろう?

 

自分が本当に進みたい

道を選んだとき、

 

ときに人から理解されない

場合もあったりする。

 

 

ブッダは悟りの道に

進むときに

 

家族をすてています。

 

 

ここで

「妻と子どもをすてるなんて!」

という批難は

宇宙の本当の奥行きからすると

 

狭量にすぎるの

だと思う。

 

すべての存在は完全なのだし、

 

 

どの存在の体験にも

原因と結果が

完璧に本人の中にある。

(外から「被る」ということは実はないのだという)

 

 

純粋な衝動こそが

宇宙の発露なら

 

自分という端末を

使ってそれを

表現することほどの

貢献はないのだと思うし、

 

「正しさ」という

幻想を超えて、

 

ひとりひとりが

現実を使って

表現していけたら

いいんだよなって

思う。

 

 

名著『黎明』から

引用で終了です!

 

(まだ続くのか!ってどうぞ言わずに…、地上2階には至らなかったと思います…)

 

 

それでは自分自身の表現とは一体何でしょうか。(中略)大切なことは、その人の進化にとって必要かつ充分な状況は、既に目の前に与えられていると氣がつくことなのです。

 

 

解脱に至るためにはオリジナリティーということが非常に大切であり、誰のものでもないその人自身の表現こそが、普遍意識の展開と成るのです。(他の誰かと)同じ表現を二度する必要は全くないということをよく理解していただきたいと思います。

 

つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事のひとつひとつをやっていくことに在るのであって、他に何か特別なものを探したからといって、近道ができるわけではないのです。きちんとやるというのは、ひとつひとつの表現を心をこめて丁寧に、しかも確実に為していくということで、別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体をもって行うことの一切が神の愛の表現に成っているという意味になります。

 

芸術活動や磁場調整、霊的知識の普及や個人に対するヒーリング等はそれらを仕事とする人にとっては大きな愛の表現の機会です。けれども注意していただきたいのは、この地上におけるあらゆる出来事の中で、大いなる愛の表現の機会でないものは何ひとつとして存在していないという事実です。

 

 

わたしはもう

ラブレターしか

書きたくありません。

 

 

 

  http://healingroom3.com 

 

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nidi galleryで開催中の田中麻記子さんの個展に。

https://nidigallery.com/news/20190510

 

 

そして、なんと…

 

原画を買った!

 

 

小さい作品なのだけど、観に行きたくなったインスタのお知らせでみた絵で

(写真はフライヤー。買ったのはこの絵ではありません)

 

なんでしょう…

 

人生でいちばんよろこびの高い買いものって氣がしてる。

 

 

あの絵が自分のところにきてくれるなんて!

 

水彩画って大好きなのですが、ものすごく独自の技法をお持ちの方だなとギャラリーの方の説明でも感じましたし、あと作品がちょっとずつ狂ってる(笑)そこが最高に好きでした。

 

展示は23日(木)までらしいです。

 

セラミックの立体作品も超絶かわいかった!!!