Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

食べられる光

 

先日のこと。

 

西荻窪「くしま」の

久嶋健嗣さんの

料理教室に。

 

自分が料理教室に

参加する日がくるとは

思いませんでしたが、

 

「料理教室」では

説明できないほど

贅沢な時間でも

ありました。

 

 

料理が得意でも好きでも

楽しくもないわたしは

 

久嶋先生にとっては

やや心外な生徒かも

しれないのですが、

 

「くしま」にご縁を

いただいたときから、

 

このマインドこそを

変えましょう、

って氣がしていた。

 

 

他のお料理教室に

参加したことはありませんが、

 

こんな料理教室あるんだ!

って思ったのは、

 

 

お料理のレッスンは

もちろん

 

それを美味しく

いただくことができて

(デザートまで…)

 

でも

なによりの価値と

感じられたのは、

 

久嶋くんが料理に

向かうときの態度に

触れられること。

 

 

ひとつひとつの

素材を感じること、

 

素材が料理になる

場を整えること、

 

 

久嶋くんの創作は

 

思考的な感じが

どこまでも希薄で

 

ひとつひとつの

素材があって、

 

そのときの

季節があって、

 

であるならば、

 

このお皿は

そうなるという

必然に至るような、

 

そのためにむしろ

思考的な自分を消すような

態度が感じられて、

 

でも思考を消すほどに

純粋に久嶋くんの表現が

現れてくるという

現場を見せてもらった

ようなきもち。

 

 

そう!

 

わたしがいちばん

エキサイティングだったのが、

 

久嶋くんのライブを

観ているようだった

ということ。

 

 

先日ある画家の方の

ライブペインティングを観て

それは感動したのですが、

 

お料理するくしまくんを

見ているときと

同じ感覚があった。

 

(美しさという点でも)

 

画家の方は

絵の具で、

 

久嶋くんは

食材で、

 

自分を通して、

自分を超えたものを

表現しているようだった。

 

 

 

「料理において、人は自己的な創造をしてはならない。個性を通して自然(食品の生命と美)を翻訳するだけである」

(『今蘇る味の世界——東佐誉子の人とことば』より)

 

 

 

自分という個性を通して

生命を翻訳することが

人を感動させるんだな

って思う。

 

 

それは

どんな存在でも

どんな環境でも

できることなのだ

とも思う。

 

 

(くしまくんの料理のことは、なるべく偏らないように伝えたいって思いつつ、わたしが書くとどうしてもスピってくる…)

 

 

スピってきたついでに

 

 

『黎明』から

料理に関する部分を。

 

 

料理は材料が元々持っている固有の波動に、作る人のヴァイブレーションが作用するわけですが、現象としては携わった人(地上の人間だけとは限りません)のエネルギーが、食物の高次媒体に対応する波動を生じさせることを意味しています。従って料理を作る人の心が平安で愛に満たされていれば、調理は食物に調和したエネルギーを入れる作業にもなるわけで、それを食べた人に光を与えてヴァイブレーションを高めますから、心身のヒーリングになることさえあります。

 

 

このように食物は直接体内に入って意識や肉体に影響を与えるものですから、食事のヴァイブレーションを高く保つということは、私たちの想像するよりも遙かに大きな、世の中に調和をもたらす奉仕になることを理解していただきたいと思います

 

 

くしまの料理の

解説みたいって思います。

 

 

 

くしまお料理教室

次回を今から心待ちにして!

 

 

 

 http://healingroom3.com 

 

 

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久嶋健嗣さん。お料理教室のひとこま。

 

わたしにとっては久嶋健嗣ライブでした!

 

 

和やかな中に

背筋が伸びるような時間でもあった。

 

 

久嶋くんは料理を通して

料理に限らないいろいろを教えてくれる

わたしにとって大切な師です。

 

 

そう!久嶋くん、服部みれいさんの声のメルマガにご出演でしたね!

淡々とした語りの中に、ふいに差し込まれるおもしろ発言がわたしにはツボでした(笑)

 

 

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『今蘇る味の世界——東佐誉子の人とことば』

(久嶋くんがおすすめしてくれた本です)

 

大正の時代に渡仏してフランス料理を学び、その後たくさんの生徒に技術を超えたエッセンスを伝えた教師だった東佐誉子さんご本人の言葉と何人もの生徒さんが文章を寄せたアンソロジーのような1冊。

 

東佐誉子さんの言葉がめちゃめちゃハイパーで驚く。

 

でもいちばん胸がいっぱいになったのは、

たくさんの生徒さんたちが寄せた文章です。

 

とてもきびしい方だったようなのですが

だからこそ届いたものがそれぞれにあることが

伝わりましたし、

 

誰かのことを思って書かれたものを

まとめて読むことって

なんかすごい至福だった。

(東さんは晩年理不尽なかたちで学校を追われたり、いろいろあったようなのですが)

 

 

東さんという方が

わかりやすく伝わるエピソードがありました。

 

 

誰よりも紅茶を入れるのが上手だと

先生に認められていた生徒さんが

 

その日は

「今日の紅茶は濃すぎる」と

一緒にいた友だちが言ったので、

 

「そうかな?」

「ちょうどいいと思うけどな?」

と思いながらも

 

少しお湯をさして薄めてから

先生に出したというお話です。

 

先生は一口飲んで、

 

「こんなまずい紅茶は飲めません」

とはき出してしまった。

 

「こんな紅茶の中には迷いが入っていて飲めません。どうしてこんな紅茶を入れたのですか?」

とひどくしかられたそうです。

 

(先生は入れているところは見ていないのに)

 

「どうしていつもの様に美味しく入れられなかったのですか?」

と先生は聞きます。

 

「実は…」と理由を話すと、

 

さらに雷が落ちる。

 

「あなた自身はどう思ったのですか?」

 

「どうして自分がよいと思った通りにしなかったのですか。今後世の中を渡っていくときに、いろいろの問題にあった時に、自分が正しいと思ったことでも、はたの人が、ああだこうだと言ったら、そのたびに変えるのですか?その人は責任をとってくれるわけないのですよ。いつでも自分が判断して正しいと思う方向にすすまなければいけません」

 

 

(この生徒さんは晩年まで先生を慕われています)

 

 

 

どんな立場でも

どんな環境でも

 

自分が自分の真実につながるしかないのだと思う。

 

それを自分らしく表現するしかないのだと思う。

 

それで失敗したときは

その体験が大切なのだと思う。 

 

 

そのときはそう思えなくても、

 

祝福がない場所はないって、

 

本当にそう思います。