Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

チャコの開眼物語/予祝期スタート!

 

本日も意気揚々と

ダジャレタイトルでスタートです! 

 

浸水による車の破損で

急遽新しい車を探すことと

なりましたが、

 

結局、

カイでもクイでもなく

クイの生んだ卵から生まれた子が

来てくれた!みたいなことになりました。

ここにたどり着くまでに

家族のあり方まで更新されるような

不思議な体験だった。

 

話すととんでもなく

長くなりますので

まとめますと、

 

「流動的な運動体としての家族の健全化」

「ダウンサイジングによる自由度の獲得」

「陰陽の流転、受動性と能動性の循環」

 

みたいな体験でした。

 

このくらいのプロセスがあって

結果がでるところも

現在っぽかった。

 

これからはここがもっと

短縮していくのだろうな…とか。

 

なんのこっちゃですが、

これはきっと世界中の

どこでも起こっていて、

 

わたしたちはもう超えていくのだ!

と開眼するような、

おためし未来体験となりました。

 

ケルマデックさんの本に

「予祝」ということばがありました。

 

予祝とは先に祝うことで

その現実を引き寄せるというもの。

 

わたしの鎮魂期は

終盤を迎えていると

感じていて、

 

今は第5チャクラ(喉のチャクラ)が

なんだか調整されているようで、

(ずっと喉がつかえたような感覚で変な咳が出る)

 

文字通りわたしのネックになってきたものが

いよいよ外れようとしているのかと

感じています。

 

まだ症状は続いているけど、

同時に解放も感じていて、

 

これはもう前祝いだ!

みたいな氣持ちになってきている。

 

予祝ですね。

 

 

かなり前のことですが、

預言カフェに行ったとき

 

「あなたの想像を超える祝福の用意があります」

 

と言われたのですが、

祝福と言えば

毎日祝福だらけではありますが

(地味すぎる毎日ですがわたしにはそれがいい)

 

「想像を超える」はまだないな…

と思っていて、

 

あのことかな?とか

いろいろ想像したりもしましたが、

「想像を超える」のだから

想像できることはちがうのだし、

 

ここは想像もせずに

盛大な前祝い感覚で

毎日を過ごして行こうかなと

思っています。

 

浮かれるのではなく

しかとグラウンディングして。

 

 

「チャコの開眼物語」

 

思いついちゃったから

タイトルとしましたが、

 

「目をとじて、胸を開いて」

という歌詞がありますな。

 

これからは

 

 

思考はとじて

ハートをオープンに!

 

と無理矢理こじつけまして

本日は終了です。

 

 

※11月の個人セッションあとひと枠ご予約可能です

(くわしくはこちらをご参照ください)

 

 http://healingroom3.com

 

f:id:utaori:20191030131401j:plain

唐突すぎるのですが、「北の国から」です。

 

これは黒板家にはじめて電気がついたときですね。

(五郎さんによる自家発電)

 

わたしは純くんと蛍ちゃんと同年代になりますが、

衣装も北海道で調達してたのねと思うのは、

この蛍ちゃんのジャージと同じのわたしも着てたから。

(純くんの水色のジャージは同級生のEちゃんが着てた!)

 

当時の北海道の小学生はノーブランドのジャージ上下を

もれなくみんな着ていたのですが、

それって全国的だったのでしょうか?

 

北の国から」を見たのはうんと昔ですが、

 

笠松のじっちゃんが馬を売るときと

草太兄ちゃんが大規模農業に傾倒したあげく

亡くなってしまったときのことは

いまだにショックが…。

 

社会への問題提起という倉本聰さんの意図はわかるのですが

感情移入して観てしまうとあまりにヘビーすぎて、

北の国からには実人生かのようなトラウマがある…

(それくらい自分の家族みたいな気持ちで観ていた)

 

そんな中、異彩を放っていたのが、

涼子先生(原田美枝子さん)が宇宙人かも?みたいな回。

 

純くんと蛍ちゃんと正吉くんが

夕暮れを走るシーンがやけに印象に残っていて、

 

後涼子先生がUFOの光に包まれて

その後は描かれずに終わる。

 

なんかこの回だけ救われました。

 

 

あと雪子おばさん(竹下景子さん)と

純くんが吹雪の中車に乗っていて

真っ白で何も見えなくなる

ホワイトアウトみたいな状態で

そのまま雪に埋もれて遭難しかかるときが

あったのですが、

 

(純くんと雪子おばさんの車を雪のなかから発見してくれたのは、笠松のじっちゃんの馬だったかと思うのです…)

 

 

わたしも実際、父と母が亡くなった後

車に乗ってある手続きにいったとき

海沿いの道でホワイトアウトの状態になって

人生の中でも最高峰に怖かった。 

(視界に白しかなくて、どこからどこまでが道路かもわからなくなる)

 

しばらく帰っていないから北海道が恋しいのでしょうか?

生の筋子が売っていたのでいくらの醤油漬けをつくってみたりもして。

 

 

なぜか北の国から特集でした。