Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

家族はかたちが変わる方が自然と思う理由

 

セッションルームで使っていた

ベッドを久々に引っ張り出しましたのは

夫に施術するためでした。

 

パソコン作業も長い仕事のため、

肩や首に痛みがあるようで、

最近は見るからに姿勢が

こわばってきたことから、

 

本人なりに診断を受けたり

ケアを続けたりしているようだけど、

ものの試しにと直傳靈氣で学んだ

「血液交換法」を受けてもらいました。

 

*現在広まっている西洋レイキは

臼井甕男(うすいみかお)さんが創設した

直傳靈氣が逆輸入されたものです

 

せっかくなので、

わたしが得意な「筋反射&おしゃべり」でも

リーディングしてみたところ、

 

「頑固さ」「かたくなさ」を手放すために、

また、背負いすぎていた「肩の荷」を

降ろすために現れている症状かなと感じました。

 

(わたしが背負わせていた張本人かもしれないのですが。あはは)

 

夫は小学校3年から矢沢永吉のファンで

 

「まずやんなよ、あれこれノーガキをたれるまえに」

 

という、

名著『成り上がり』の序文を

体現するかのように

「ことばよりも、まずは行動」ということを

徹底して生きてきたかと思います。

 

ごちゃごちゃ言うことは絶対になく、

 

人に期待も批判もせず、

 

やらなくてはいけないこと、

やった方がいいことは

絶対にやる、という人です。

 

ある意味完結した

うつくしさはあるか

とは思うのですが、

 

やはりかたくなすぎたところは

これからの時代に手放していかなくては

いけないのかなと思われましたし、

 

夫はわたしの仕事に

大変肯定的で協力的ではあるのですが、

わたしが話すようなことを

自分に当てはめて考えることには

抵抗があったのかなと思うため、

 

エネルギーや波動のことを

なんと呼ぼうが

なんと捉えようが

かまわないと思うですが、

 

宇宙の叡智ダウンロードしまくり!

みたいなこの時期に、

 

自分から受け取り拒否

みたいになっているとしたら

もったいないなって思われて、

 

今回ショートセッションのようなかたちで、

 

肩と首の症状が伝えていることと、

背負わなくてはと思っていた

肩の荷を降ろして、

自分の今後の可能性をもっと

オープンにたのしむことがよいこと、

(所さんみたいなイメージで

自分の好きなことと仕事の分け目がなくて、

あくせく仕事に追われることもなく、

自分のスタイルもあるみたいな

感じが彼はいいんだろうなあと)

 

伝えることができて

すごくよかったし、

 

閉じていた弁が開いた感じがあったから、

(ハートチャクラから上下に作用していくかな?という印象)

 

せっかくの宇宙のエネルギーの

大フィーバーみたいなこの時期に

受け取り拒否はなくなったかな?という印象。

 

 

射手座欠損のわたしは

現実的なもろもろは大変に頼りない面が

あったかと思うのですが、

 

今まではむしろ封印してきた

自分の得意なところで

これからは働けるって思っていて、

(誰もがそうかと思いますが)

 

亡くなった父と母にも思うのですが

今までの恩送りとして

自分の存在を通して巡らせて

いけたらと願っています。

 

 

ちなみに今後の家族のこととして、

 

この家族は愉快なチームではあるけれど、

娘のためのチームみたいな感じだから、

娘が巣立ったあとは

関係や暮らし方が変わるのが

自然だねということを

夫とははっきり共有しています。

 

家族というのは

アメーバーのように

流動的であって

いいのではないかなって

ずっと思っていて、

 

お互いの変化や必要にあわせて、

かたちが変わるのが

当然って思うのです。

 

 

愛っていうのなら、

 

役割やポジションに

相手を固着させてしまうような

ものじゃないって思うため、

 

 

今の家族のかたちの中では

 

妻だからとか

おかあさんだからという

役割やポジションから自由になって、

 

まずは自分を最優先に

無理や我慢なく心地良くいられるか

ということを第一に、

 

相手の自由意志を歓迎できるか、

相手の制限になっていないか、

自分の得意なことでの協力は惜しまずできるか、

 

ということを意識して

過ごすようにしています。

 

 

 

 

これから社会の大転換期は

いよいよ本番を迎えることに

なっていくと思います。

 

ひとり暮らし

パートナーとの同居

家族との同居など

(シェアハウス的に仲間と暮らしている人も

きっと増えていますよね)

 

暮らしかたは様々かと思いますが

自分が身を置く小さなコミュニティーで、

 

◎嘘のない正直な自分でいられるか

 

◎相手とちがいをたのしんで

調和的な毎日を創造できるか

 

ということは本当に大切なことと

感じています。

 

 

外の世界はしばらく

殺伐とするかもしれませんが

それぞれが自分も相手も尊重して

小さな楽園をつくりだすことで

社会全体にも楽園が実現するのだと

思っています。

 

今までの家族のかたちに

しばられることは

もうないのだと思う!

 

鳥かごの出口が開いているのに

飛び立たない鳥を

励ましてくれるような時代は

もう終わりになると思います。

  

「開いているのに、出ない」

というその人の選択を

尊重するのも

宇宙の愛だからです。

 

 

「自分はどうしたい?」

実はその問いだけがあるとしたら???

 

そしてそれが

100%尊重されるとしたら?

 

 

わたしは無難に今の家族の形態を

継続するというよりは、

 

どんな可能性も受け入れられる

流動的な状態をどうしても

共有しておきたかったですし、

 

否があるどころか相手に

感謝しかなかったとしても、

それすらも縛りになることも

あるかもしれず、

自分も相手も本当に

大切にする方法は

 

変化を歓迎し、

どんな可能性にもオープンで

流動的であることなのかな

って思い至っています。

 

若いときなどは

握りしめたくなるほど

それが愛って思ってしまって

いたかもですが、 

 

愛と呼べるものが

なにかを握りしめる

はずがないって

今は思いますし、

 

握りしめなくても

つながるものが

愛なのだとも

思っています。

 

 

http://healingroom3.com

 

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こういうのいつも部屋のどこかから

出てきます。

 

ちゃんと整理したらよいのだろうけど

整理してももう見ないのでしょうね。


「かけっこが速い」ということは

学校の世界ではなぜか大変なアドバンテージとなったりしますよね。

 

娘、ツーステップがなかなかできなかったり

運動神経がよいのか、といったら「?」なのですが、

かけっこは安定して速かったです。