Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

損なわれた過去があるのではなく、過去を癒せる「今」がある

 

近所の陸上競技場は

わたしのおきにいりの場所の

ひとつです。

 

娘は中学も高校も

陸上部だったりするのですが、

(高校では練習のハードさについていけず、

選手ではなくマネージャーとして)

 

わたしは走る人を見ることが

とても好きなのだと思う。

 

その陸上競技場では

ときどきなかなかに大きな大会が

行われているのですが、

 

陸上というのは、

野球、サッカー、テニスといった

対戦型、得点式の

勝敗ではないため、

 

本当に自分と向き合うスポーツだなあと

感じられます。

 

トップのレベルで走れる選手

というのはきっと

一握りかと思う中、

 

それでも追い込んだ

レーニングができる

モチベーションって

いったいどこからくるのだろう?

というと、

 

やはり自分への探究心が

あってこそなのだろうなあと

想像したりします。

 

記録はもちろん

大切かと思うけれど、

そこは実はおまけというか、

プリンアラモードのプリンの上の

サクランボみたいな部分というか、

(昭和的なプリンアラモードをご参照くださいね)

 

いちばん「映える」ところだけど、

実はそこが本質ではないというか、

そんなきがしていて、

 

プリンの上に

サクランボが

のったとしても

のらなかったとしても、

 

そこに至るまでの

道のりの景色と

内的体験に

本人にとって

本質的な何かが

きっとあって、

 

だからこそ、

走り続けられるの

だろうなあと

考えたりします。

 

そう!

 

わたしは息が上がるような運動は

苦手なため、

陸上競技場の外周コースを

いつも歩いているのですが、

 

 

同じ時間帯に、

よく見かける

市民ランナーさんというのも

何人かいます。

 

それぞれ、日常の中で

時間を作って

走り続けている姿と

だからこその

訓練された身体性に

いつも感動してしまうのですが、

 

手をほぼ下に

おろしたまま

軽く振るような、

独特なフォームで

走る女性がいて、

 

彼女にとっては

これがベストと

たどり着いたフォーム

なんだろうなあと、

 

颯爽とした走りに

いつもほれぼれ

眺めていたものの、


(わたしは歩いていて

彼女は走っているので、

追い抜いていくすがたを

何度か見ることになるのです)

 

同じ方向に進んでいるため、

対面して顔を合わせたことは

ありませんでした。

 

 

昨日のこと、

 

わたしがコースを歩いていたときに

走り終えたと思われる彼女が

コースのわきをこちら側に

向かって歩いてくる場面があって、

 

 

わたしは動きやすい格好といえばと、

いつもほぼ同じ格好で歩いていたため、

彼女の方もわたしのことを

見覚えてくれていたようで、

 

すれ違うときに、

ぺこりと軽く会釈をしてくれた。

 

もちろんわたしも

会釈を返しましたが、

 

 

ときめきました………。

 

かなりときめきました。

 

 

村上春樹さんの

『走るときについて語るときに僕の語ること』

を読んでもグッときたものですが、

 

わたしは走り続けている人への

敬意がなぜかとても強いです。

 

かといって、

自分も走ろうかとも

今のところはならないのですが、

 

将来的にボチボチ

走りはじめたり

することもあるのかも?

 

ひとり合宿的に、

ケアとトレーニングを兼ねた

ボディワークは続けています。

 

と、

 

いつも見かけていた

ランナーさんとの

小さな交流に

ときめきすぎて

この話が長くなりましたが、

 

本日は別のことで

書きはじめたのでした。

 

季節は春を迎えて、

日々の寒暖の差が激しいためか、

わたしの住んでいる地域では

連日強風の日が続いています。

 

風の時代だけにね、

とか思いつつ、

 

本当に今わたしたちは

大きな移行期だということは

あらゆる角度から

これでもかというほど

教えられている

ように感じます。

 

風の時代、

水瓶座の時代、

 

ケルマデックさんが

シナジーな世界として

伝えられている

これからの時代の

流れに乗っていくために、

 

わたしたちは

身軽である

必要があるように

感じています。

 

 

物質的にというのは

もちろん、

 

無用な思い込みや

ネガティブな観念、

執着といった、

 

こころのお荷物を

一掃しないことには

乗れる流れにも

乗れなくなってしまう

というか。

 

地の時代は

文字通り、

重いものを受け止める

「地」があるからこそ

体験できた世界だったの

だなあと思います。

 

 

これからは

悟空の筋斗雲

みたいなのに乗って、

 

あたらしい風に

乗っていく時代

だとしたら、

 

観念のお荷物を持ったままだと

筋斗雲の底が抜けてしまう

というか……。

 

今は移行期で

それぞれが自分の旅の

手荷物を見直せる時期だから

 

焦ったり、

不安になったりする

ことはないと思うのですが、

 

お荷物の整理は

マストになるのだと

思っています。

 

 

 

筋斗雲の底が抜けても、

このお荷物だけは

手放したくない!

 

という場合も

宇宙はなんでもOK

なのだとも思う。

 

行き先は本人の自由意志に

委ねられている。

 

「よき方向に」

と思うなら、

 

自分にとって

何が「よき」に該当するのか

本人がしっかり意図しないことには、

 

叶えたくても

宇宙は叶えてあげられない

のだとも思う。

 

また、 

あたらしい時代に向けて、

 

重い荷物は

手放すと同時に、


みんなが必ず

手にすることとなる

持ち物もあるように

感じています。

 

それは

「自分への信頼」。

  

最近、肋骨がずっと痛くて、

 

少し前にぶつけたことがあったため、

それが原因かな?と

思って様子をみていたものの、

 

何週間も続いて、

なんなら痛みが強くなって

きていたため、

 

リズ・ブルボーさんの

『自分を愛して』を開きました。

(一家に一冊と思います。本当に重宝します。)

 

今手元にないまま

続けて書きますが、

肋骨の項目と、

骨の項目を見たのだったかな、

 

そこでひもとかれたのは

「もっと自分を信頼する」

 

ということでした。

 

自分を信頼する

自分を愛する

ということは、

 

特に自分のテーマとして

向き合ってきたことで、

 

(誰にとっても究極のテーマとも思います)

 

このことをどう自分に落とし込むか

ということがすべてのセッションの

本質とも感じていますが、

 

わたしだってまだまだ

ぜんぜん足りていないというか、

「心の底から自分を信頼する」

ということ、

 

からだの痛みを通して

メッセージが送られていたの

だと思います。

 

(からだからのメッセージを

わたしがちゃんと

読み取れたからかどうなのか、

現在、肋骨の痛みは

なくなっています)

 

 

もうひとつ、

 

フォーカスするなら

「今」「ここ」「自分」

 しかないのだな

ということも

あらためて感じています。

 

 

自分のお荷物を

整理していくときに

自分の過去というのは

かならず扱うことになるかと

思いますが、

 

その過去の体験による「傷」が

「今」に持ち越されている

ということで、

 

その過去の出来事は

「今」ではありません。

 

「今」は

過去を癒やすことができる

(過去を書き換えられる)

唯一の場所だけれど、

 

過去の体験に

のみ込まれて

フォーカスが過去に

移ってしまう場合、

 

せっかくの「今」が

過去を再体験する場所に

なってしまう。

 

(自分がくり返し体験する

パターンが起こるからくりですね)

 

 

「今」「ここ」「自分」

だけが力を持つの

だと思います。

 

自分が過去に

持って行かれないために

できることも、

 

いくつかコツがあるように

感じますが、

 

自分が納得するためには

「自分への共感」

「今はもう大丈夫なんだという安心」

というステップを踏んでからの

「浄化、手放し」が

効果的かなと感じています。

 

 

この部分はセッションでよく

くわしくお伝えすることになっていますが、

 

また

ブログでお伝えする

機会があるかもしれません。

 

というわけで

本日はこれにて!

 

 

 

筋斗雲に乗って

陸上競技場にいってまいりまーす!

 

 

オンラインセッションのおしらせはこちらです。

 

 

 

http://healingroom3.com

 

 

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The Millennium  "BEGIN"

大好きなジャケをアナログでゲット。


そして、

誰も興味ないと思いますが、

前髪ちょっと伸びました(笑)


*ここからはお読みいただかなくて大丈夫な、

わたしがたのしいだけのおまけコーナーです。

 

ソフトロックの名盤といわれるようですが、

わたしはあまり系統立てて音楽を聴いてきておらず、

自分が好きなジャンルがなんなのかよくわかっていません。

 

よくわかっていないながらに、

自分の好きな音楽はたしかにあって、

それは自分を深く満足させてくれる

ものだということはよくわかっています。

 

 

1曲目、大好きです!

 

その名もPrelude。

風の時代のPreludeのようなこの時期に。

 

(うまいこといったな自分と

今、悦に入っています(笑))

 

 

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ココナツディスク池袋店でゲットです。

 

久々に電車に乗って出かけてみれば、

本とレコードだけ買って帰ることに。

10代と特に変わっていない

自分にびっくりします。