Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

息を吸っても、ほめられたい

 

インチャイの夏、

日本の夏

(意外と気に入っている)

 

インナーチャイルドについて、

 

書きたいことが

あふれてあふれて、

 

なのに結果

くじけてしまうのは、

 

わたしにとって

入り口だらけで

どっから入ったら

いいかわからなくなることと、

 

思い浮かぶ人が

どれも大切すぎて、

フリーズしてしまうから

なのだと思う。

 

エモーションの獣、

誕生数3のわたしに

今必要なのは

他でもない理性、

それから境界。

 

それぞれ大切な師から

いただいたお題でもある。

 

エモーションの獣は

干支もいのしし。

 

猪突猛進って、

セラピストなら

ダメですよね(笑)

 

理性をもって、

整理してみる。

 

文字をお供に。

 

まずは、

わたしのこのおかしな圧。

どっちが当事者?というほどの

インナーチャイルドへの

思い入れをひもときたいです。

 

要因は大きくふたつ。

 

ひとつめは

前世の修道女さんの気合い。

 

何度か書いてもいるのですが、

前世なんてあるといったらあるし

ないといったらないと思うから、

 

別に気にして生きてなくて

いいと思うのですが、

(あるといったら何万とありますし)

 

今回のわたしの生には

この修道女さんとの

シンクロがハンパないため、

 

もうご協力いただくのが

お互いのためかと。

 

この人はたくさんの子どもたちと

暮らしていたみたいで、

(たぶんドイツ。そんなにおいしくもない

ザワークラウトが好きなのはそのせいか)

 

その暮らしが本当に

幸せだったし、

 

子どもたちはどの子も

みんな素晴らしかった。

 

だから、

子どもが自分のことを

価値がないなんて

思うことが我慢ならない、

 

あなたがそう思えなくても、

わたしには大事です。

 

価値のないいのち

なんかあるもんですか。

 

いのちは全部

祝福されるものです。

 

(って、タイプしてますけど、

たぶん彼女が言ってます)

 

でも、たくさんの子どもたちが

 

親や環境の影響で

(家庭というのは

密室だと常々感じます)

 

自分の本当の気持ちは

言えないままだったり、

 

我慢してるっていう意識もないくらい

我慢が初期設定されていたり、

 

親の期待にこたえたいから、

自分を封じ込めていたり、

 

苦労する親を守りたくて、

自分は幸せを選ばないって

って決めていたり、

 

愛情がわかりづらかったり、

無視されていることで、

自分に価値がないと感じていたり、

 

とにかく

自己制限的になるしかなくて、

 

とうに自立して、

親元を離れていて、

その状況を脱していても、

 

そうして育った

抑圧からは

解放されないまま、

 

本当にやりたいことを

自分に許可できなかったり、

 

幸せを選択できなかったり、

 

そもそも自分がなにをしたら

楽しいのかわからなかったり。

 

自分というものがないから

なにかに依存したり、

 

してしまう。

 

 

わたしのIHセッションでは

インナーチャイルドの登場する

プロトコル(手順)が

選択されなくても、

 

インナーチャイルドの声を

聞いてもらうように

お願いすることが

とても多いです。

 

ホ・オポノポノでも

ウニヒピリ(インナーチャイルド)の

声を聞くことがとても重要と

されていますが、

 

本当にその声ほど

頼りになるものは

ないと感じますし、

 

その子が言うことが

とにかく正解だと

思うからです。

 

そして、どんな親の元で

どんな環境で育ったとしても、

 

インナーチャイルドには

大人になった自分という

最強の存在がいます。

 

大人になった自分が、

その子のケアをして

あげられます。

 

子どもの時やりたかったことを

やらせてあげられます。

 

言って欲しかった言葉を

かけてあげられます。

 

その子の声は

その人にしか聞けないし、

 

その子の面倒は

ご本人にしか

見てもらえないから、

 

いつも、帰ってからこそ、

どうぞその子を

よろしくお願いします!

という気持ちで、

お見送りすることに。

 

もうこちらが

実の母の圧で。

 

インナーチャイルド

押しかけ母さん。

 

ザワークラウト好きの

修道女の気合い。

 

暑苦しいのは

重々承知なのですが

おゆるしいただけるなら

彼女も浮かばれます。

 

 

もう十分に長いことには

気づかないふりをして、

 

わたしが“よしよしおばけ”

たる、もうひとつの要因も

思い残すことなく。

 

今世で、

単純にわたしは

よしよしされて

育ちました。

 

母はあまり教育に

高い意識はありません

でしたから、

 

ただわたしを

思うように

かわいがり、

 

わたしは息を吸っても

ほめられるようにして

育ちました、

 

わたしがつまづきそうな

足下の石を先にとっちゃうような

母だったと思うので、

 

それはスポイルと言えば

スポイルなわけですが、

 

わたしはもう

足下に石があることすら

知ることもなく、

 

ただ「お空がきれい!」

って、お空ばかり見て

かけまわっていても、

全く転ばないまま

大きくなって、

 

大人になって

客観的に考えると

大分やばい

実験的なサンプル

というか、

 

ちょっとしたギャンブル

というか、

 

社会に出てそれはそれは

苦労したわけですが(笑)

 

母の無意識の実験は

思わぬ成功をもたらしたように

わたしには思えるのは、

 

父も母ももう亡くなっていますが、

わたしは子どもとして

完全に満足しましたし、

 

そのおかげで

わたしはセラピストに

なろうと思ったからです。

 

子どもとして

完全に満足する体験を

したのなら、

あとはもうお返しする

しかないって、

思って。

 

母は自分が亡くなるときまで

わたしを甘やかしました。

 

急なことでしたし、

母はもう意識がなかったのに、

なにもかも母の采配だった

としか思えない日々でした。

 

母は最後まで

世界への肯定をわたしに

教えました。

 

なにができたからとか、

ここが優れているからとか、

ではなく、

 

もっとこうなりなさい、みたいな

要求もまったくなく、

 

わたしは息をしてるだけで

子どもとして最後まで

愛されました。

 

 

今、娘を育てていて、

 

ひとりっこで

むしろ過干渉に

ならないことを

注意しているくらいですが、

 

そんな娘でも、

わたしの意識が別なところに

あるなと感じると

やきもちを焼いたり、

わざと困らせてきたり

することがあります。

 

もう中2なのに。

 

最近では、

 

わたしがモンドグロッソのPVの

踊る満島ひかりちゃんのかわいさに

衝撃を受けて、

 

満島ひかりちゃんが

わたしのかわい子ちゃん史上、

歴代最高位に君臨し、

満島ひかりの前に満島ひかりなし、

満島ひかりの後に満島ひかりなし、

というほどかわいい!」

 

という話をしていたら、

 

娘が殴りかかってきて(笑)

 

母の「かわい子ちゃん史上歴代最高位」が

自分以外であることがゆるしがたかった

のだと思います。

(それとこれとは別というのは通用しないようで)

 

脱線しておりますが、

 

ひとりっ子で

ちょっと注目浴びすぎ

くらいの我が家の娘ですら、

こんなやきもちをやくほどに、

 

子どもというのは

親の愛情を独占したく

なるものなのだと思うし、

 

甘えたくなるものだし、

 

何かがうまくできたら

ほめてほしいし、

 

むしろ、できないときほど

愛されていると確認したい。

 

  

それはあたりまえなんだよ!

って、

 

インチャイたちに

言いたい。

 

息を吸っただけでも、

ほめられたいの!

子どもは。

 

それは当然なの!

 

わがままじゃないの。

 

そして、

実際の子どもは甘やかすと

スポイルになるけど、

 

インナーチャイルド

甘やかし倒しても

スポイルにならない。

 

実際の親としては

大いに問題があるかもしれない

わたしですが、

 

インチャイの押しかけ母さんに

向いている気がしてならないのは、

 

この甘やかしたい欲求との

相性のよさ。

 

言いたかったこと

いっぱい言って欲しい。

 

聞きたかった言葉を

教えて欲しい。

 

いい子いい子

させて欲しい。

 

寂しかったこと

教えて欲しい、

 

本当はどんな気持ちだったのか

全部教えて欲しい。

 

ちゃんと甘えて

ちゃんと遊んで、

 

子どもをちゃんとやってほしい。

 

うちの父は

今から思うと

インナーチャイルド

深い傷のある人でした。

 

もう、今なら父のことが

よくわかる。

 

父のインナーチャイルド

抱っこすることは

もうかなわないので、

 

インナーチャイルド

ために働くのは

父の分とも思ってる。

 

 

インチャイについては

次回ももうすこし続きます!

 

 

最後にわたしの人生の基本図書の中の一冊、

トルーマン・カポーティ

『草の竪琴』から大好きな文を。

 

 

 

判事はその葉をやさしく頬に押しあててゆっくりと話し出した。

「いまわたしたちは愛について話しているのだよ。一枚の木の葉、一握りの種、まずこういうものから始めるんだ。そして愛するとはどういうことなのかを、ほんの少しずつ学ぶのだ。初めは一枚の木の葉、一降りの雨。それから、木の葉がおまえに教えたことや、雨が実らせたものを受けとめる誰か。容易なことではないよ、理解するということはね。一生かかるだろう。わたしも一生涯をかけた。しかもまだ悟ることはできない。だが、これだけはわかっている。自然が生命の鎖であるように、愛とは愛の鎖なのだということ。こいつは紛うかたなき真実だ」

 

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ボロボロになりすぎてる『草の竪琴』の文庫。カポーティもまた、インナーチャイルドの傷がある人だったと思う。スノッブで有名ですが、一方でこの小説や『クリスマスの思い出』みたいなみずみずしい子どもの感性のままみたいな部分をずっと持っていた人なのだと思う。

 

あと満島ひかりちゃん。トットてれびも素晴らしかったですね。モンドグロッソじゃなくて、中島みゆきを歌ってるのを。

https://www.youtube.com/watch?v=EcggprwEME0