まる子でも不二子でも
わたしのセッションで、
ともに熱すぎるテーマ
となるのが、
女性性解放問題…
完全にわたしが
こじらせてきたからこそ
引き寄せられる
ご縁に違いありません。
簡単に言いますと
女性であることに
照れがある…
女性であることを
素直に楽しめない…
心当たりある人
きっと多いですよね。
わたしはこの
おばけみたいな
感じでした(笑)
特に若い女の人の
役をやるのが
ものすごく苦痛で、
今思えば
「女の人って間違われちゃう!」
みたいなマインド
だったのだと思う。
女性の姿を借りた
謎の妖怪みたいだった(笑)
奇跡的に
妖怪のままでも平気な
夫と会えましたおかげで、
母さんになる
こととなって、
同じ女性であっても
母さんへの役名変更は
とてもうれしく受け入れられて、
すっかり楽になった
気でいましたし、
40代を過ぎた
おばちゃん的な年齢を
さらに居心地よく感じて
いたはずなのですが…
「ですが…」
の訳はあとにして、
今日もセッションの
ご感想をシェアさせてください!
女性性の解放、
どちらもモリモリだった
Sさんのセッションのご感想です。
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相談内容を、と言われた時、女性性の話題が
恥ずかしくて瞬間的にずらしたのに、
あっという間にその話題にたどり着いたことに
びっくりしました。
今まで「女性性を受け取る」と何度もアファメーションしても、
設定が変わらなければやってくるものもやってこず…
蒔いていない種は刈り取れないですよね。
セッションではするすると内なる声が溢れ出し、
自分ひとりではたどり着くことのない
不思議な場所に連れていってもらえました。
歌織さんに一人称「俺」と言われたとき、
昔年下の女の子に「Sちゃんが男だったら付き合いたい」
と言われたことをはじめ、「俺」設定で生きてきたこと、
かわいいねと言われても素直に頷けなかったこと、
いろーんなことを思い出しました。
今日から私は何度も解除と設定を行きつ戻りつ
するのだろうと思います。
ただ温かな自分の部屋の鍵は握って離しません。
というか、鍵はこれから作っていくのかもしれません。
誰にも侵略させません。
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Sさん、
お母さまがとにかく
魅力的な方で、
娘であるSさんに
子どもとして愛情を
注ぐ一方で、
どこか女性として
張り合うような
態度もあった…
お父さんは今も
お母さんに夢中。
Sさんのお友だちも
誰もが夢中になってしまう
ほど魅力的なお母さん。
Sさんは
そういった状況から、
女性としてお母さんには
決してかなわない…
スポットライトは
いつもお母さんに
向かってて、
自分はいつも脇役…
という
思いで育ちました。
なにしろ天然の
魅力に溢れた
お母さまで、
悪気があっての
ことではないだけに、
お母さんを責める
こともできず、
むしろうらやまれるような
家族であることで、
Sさんは自分の
苦しさの原因を
整理することが
できずに、
ずっと混乱して
きたのですが、
近くに住みながらも
実家を出たのは
お母さんの強い
影響下から脱出しての
ことなのだと思いますし、
「あなたは紺と白が似合う」
「メガネはこんな感じがいい」
良かれと思って発せられる
お母さんの言葉のすべては
実はSさんにとっての
強烈な呪縛でした。
これはSさんのセッションなので
Sさんから見た構造です。
お母さまが悪!
って言ってる
わけじゃない。
わたしも娘に
同じようなこと
言っちゃうことあるなって
ハッとなりましたし。
ただこの構造を
Sさんご自身がよく理解して
自分を守ることがとても大切で、
「お母さんの日陰のわたし」
ではなく、
Sさんはちゃんと
Sさんを主役として
スポットライトを
グイッと自分に向けて、
自分の生きたいような
女性をのびのびと生きて
しっかり満足することが
最優先。
そうすれば
お母さんに対しても
素直にやさしく
できると思うのです。
そのためにも
本当はやりたかった
女性性を自分に
開放することは
もう後回しにできません。
Sさん、現在気になる
お相手もいたり
しますので、
先がどうであろうと、
今目の前のそのお相手との
時間をどうぞどうぞ
大切に過ごしてほしいです。
さらに!
(もちろん今日も長いです…)
Sさんのセッションで
「ちびまる子ちゃんが突然不二子ちゃんになったっていい!」
ってわたしが言ったとき、
Sさんがしばし爆笑して
止まりませんでしたが、
この発言の解説も
させていただきたいのです。
人はびっくりするくらい
自分のキャラ設定を
死守しようとする
ものなのだなって、
最近よく感じるのですが、
それって誰目線を
気にして死守してるの???
って思うのです。
自分の人生の物語の
本があったとして、
いや、前の章で自分は
こうしたのだから、
今この場でも同じ設定で
こう行動しなくちゃ!
みたいな
つじつまを一生懸命
合わせてる気がするんですけど、
実は誰もその物語を
通して読んでる人いない(笑)
実は身近な人ですら。
本人がやりたかったら、
本当はちびまる子ちゃんが
峰不二子になったって
いいのだし、
宮沢賢治って思ってた本が、
マルセル・プルーストになっても
トマス・ピンチョンになっても
赤塚不二夫になってもいいのに、
なんか実在しない読者の
目線を気にして、
物語を進めてる。
つじつま合わせに
必死になるあまり、
いつまでも
自分が心底生きたい
自分の物語にならない。
この代表が
他でもないわたくしで(笑)
際限なく長くなって
きてますけど、
おもしろい話なので
続けさせてください。
わたしが受講した
インナーチャイルドセラピーの
講師の方は、
同時に前世療法も行っていて、
それは、
内なる自分と
いう意味では
前世も同じように
含まれるからで、
実はどちらも
同じものとして
伝えてくれましたが、
わたしの今回の生で
ブロックとなってきたことを
いろいろひもとくと、
今生のインナーチャイルド的な
事というより、
前世の影響が根強く
ありそうで、
わたしが若い女性でいるのが
不得意だったこと、
また「お役目を終えて早く消えたい」
って思い続けてきたことを
考えたときに、
ずっと修道女設定で
生きてたからって思うと
めっちゃ腑に落ちるのです。
(宗教的にキリスト教に惹かれることはありませんが)
実際のわたしは
これと言った
大きな苦労もなく
息をしてるだけでも
ほめられるように
のびのびと育って、
どっから見ても
その要素がないにも
かかわらず、
「いや、修道女ですし」
って設定で生きてたという…
女性であることを楽しむことは
神さまと引き離される悪いこと、
みたいな観念が
どこかにあっただろうし、
そもそもやり方がよくわからない(笑)
とにかく神に帰依したいから
現世的なあれこれにとり組むより
お空に早く帰りたいみたいな。
自分の物語の
つじつま合わせ
って言ったら、
もう本自体が
別の本になって
時代も環境も全く
違う設定なのに、
前の本のキャラを
死守しなくちゃ!
って必死だった感じ。
アホか…
みたいな話ですが
本人には深刻でもある。
これは、
インナーチャイルドの構造と
全く一緒だとも思います。
その状況はもはやないのに
今もそのままの設定で生きていて、
でも同時に解除を
強く求めてもいる。
わたしの場合
修道女の観念がすごいけど、
同時にその設定を解除して
解放されたくもある。
要するに修道女も
ちゃんと女子が
やってみたかった
のだと思う…
前世にとらわれてるのって
ダサいって思ってたけど、
(時間って同時で、本当は今しかないのだし)
インチャのケアと同じ
なんだって思ったら、
無下にしてきて
ごめんなさい!
とも思えて、
彼女がしたかったように
させてもあげたい。
JKみたいなこと
させてあげられたら
よかったですけど、
間に合いませんでしたので(笑)
せめて今でもできることで…。
洋服買うのとか実は
全然楽しくないけど、
ちゃんと楽しんで買ったりとか?
よろこんで着たりとか?
なにが難しいの?
って話だと思いますが(笑)
彼女の要望を
ちゃんと丁寧に
聞いてあげようって
今は思っています。
先日のセッションでも
同じように前世の設定が
今生に強く影響していると
思われる方がいらっしゃいました。
「自分が本当に思ってる
ことを言えない」
というテーマがあって、
原因として当てはまるのは
今生というよりは
前世のようで、
(以前に受けた前世療法のお話が情報としてありました)
現在は大きな問題もない
はずなのに、
説明不能の抑圧に
ずっと苦しんできたかと
思いますが、
それは罪悪感や
自分を罰するような
気持ちから
強く誓ってしまっている
自分の設定で、
その隠された設定に
気づいてもらって、
「いや、ここ現代の日本」って
よくよくお知らせして(笑)
インチャのケアと
同じように、
傷としてよく理解して、
でももう終わったことと
切り分けて、
リリースしていく
方法をお伝えしました。
本当にありがたい
ことなのですが、
こうしてご縁をいただける
セッションを通して、
前世や
もっと言ったら
その先にある
総合的な意識にも及ぶ
潜在意識の領域の
広大さを思い知りますし、
自分が自分という
受け持ちの領域に
いつも向き合うことの
大切さも実感します。
本日も重量級となって
しまいましたことに
ややビクビクしながら、
ここまでお読みいただいた
みなさまにはご辛抱まことに
ありがとうございます。
「女性性解放問題」と
「インチャの延長としての前世」
本日の演目でございました。
「わたしは本当に幸運な女だった」的な辞世の句を残した女優さんがいたと思うのですが。誰だっけ?
わたしももう十分に「本当に幸運だった」って言えるのですが、修道女設定を解除して、もう少しいろいろ人生を味わってみるのがいいみたいです。
助けとなるようなアイコンとして、急にキャサリン・ヘプバーンが気になっています。(この辞世の句、キャサリン・ヘプバーンのだったかも?と思って)
美しくて聡明であるのに茶目っ気たっぷりなどと記事などで読みますし、ファッション的にはマニッシュなスタイルの先駈けとして有名なのだと思いますが、
わたしがいちばん反応していますのは、彼女が96歳まで生きたということ。
正直今のところ長く生きることは、全然わたしの望みではないのですが、(苦しまない最後は望みですが)
「いや、長く生きるのも悪くなかったね!」って思ってる自分もイメージしてみようと。本当はやる気満々で生まれてきたはずなんだし…
参考資料として、『キャサリン・ヘプバーン自伝』。
読んだら修道女からキャサリン・ヘプバーンに自分が書き換わってたら夢のようなのですが…
数々の受賞歴にもかかわらず、一度も授賞式に参加することはなかったとの姿勢もかっこいい。彼女はこの自伝も絶対ちゃんと自分で書いたと思う。
https://www.vogue.co.jp/lifestyle/culture/2017-02-16
路上に座って、リンゴ(?)食べてる写真がかわいい!
https://www.youtube.com/watch?v=e5bLVnJ5Jq0
おとといGODのライブあったらしい…
わたしは音楽はむしろやかましいものを好むから
ここは修道女設定じゃないのかとも思えますが、
むしろ無垢さ、敬虔さを探したらそうなった気もする。
この曲が何度聴いても好き。