瞬間ジャストフィット
セッションの
ご予約について
現在、4月いっぱいは
セッション可能な
枠はご予約を
いただいていて、
5月以降については、
お申し込みを
お待ちいただいています。
わたし自身の
コンディションを
確認して予定を
立てていく必要が
あるためです。
セッションの本質は
わたしがなにかする
ものでもないのですが、
(ヒーリングはご本人が起こします)
ツールとして
装置として
わたしのメンテナンスも
重要みたいで、
おひとりおひとりの
セッションが
最善に整うように
判断しました。
ご予約について
ご不便が多いかと
思いますが、
5月以降のご予約について
4月中旬くらいから
案内をさせて
いただく予定です。
また、
5月のサイドバーンでの
イベントについて、
来週からご予約を開始
したいと思っています。
どうぞよろしく
お願いいたします。
さてさて、
日々セッションの
機会をいただいていて、
最近は妊娠中の方が
近い時期に集中する
ということがありました。
妊娠中の方の
セッションについては、
お母さんの筋反射を
代理として
赤ちゃんの許可を
もらってから
セッションを
はじめるのですが、
(おもしろいですよね!)
筋反射を通して
それぞれの赤ちゃんの
個性が感じられるよう
だったことが
貴重な体験でしたし、
それぞれが
このタイミングに
お母さんを連れてきて
くれたのかと思うと
とっても光栄に感じました。
IHのセッションでは
途中目標設定として
つくるのですが、
最近のアファーメーションは
言葉の選び方がどんどん
自由になってきてもいて
よりご本人に
フィットするように
なってきている
気がしています。
今日は
自由度でいったら
ずば抜けていた、
Aさんのご感想を
シェアさせてください。
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セッションでは今まで誰とも話したことがないような、
でも私にとっては世界の大前提のような大切な話が
スイスイとできて楽しかったです。
私は、これまでヒーリングを受けたことがないので
比較はできないのですが、
ヒーリングというのは楽しいものなんでしょうか?
きっと違うんじゃないかな、と思います。
松井さんのお話や言葉、瞬間瞬間の選択が、
ジャストフィットというか、
まるで、一緒にジグソーパズルをしているような感覚でした。
(私が悩んでる横で、スパパパーン!とパズルのピースをはめまくっていく松井さんのイメージ)
常識的には少しズレていると感じていた、自分の本質?魂の訴え?をあの時間で真剣に理解してくれる方がまさかいるとは思いませんでした。
今はセッションを受ける前とはほぼ変わらない主婦生活を、
まったく違う視点とワクワクした気持ちで過ごしています。
昨日は子どもとお風呂に入っていたら、
母が生前そのままの口調で
「わし、人生の半分もAちゃんと過ごせて幸せだったよ!」
と言ってるようなイメージがふっと湧きました。
子どもにとって母親というのはすごく特別な存在と
松井さんがおっしゃっていましたが、
今あらためてそのことを噛み締め、
子どもにもありがとうという気持ちです。
ワクワクした気持ちを起爆してくださり、
本当にありがとうございました!
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Aさんは昨年
お母さまを
みおくっています。
同時に赤ちゃんの
お世話もしていたから、
どちらにも
いっぱいいっぱいで
いろいろな後悔も
わいてしまうこと
かと思いますが、
お母さまが
伝えたいのは
感謝だったと
思いますし、
Aさんがいよいよ
Aさんらしく
生きていいんだよって
伝えてやってくれと
お母さまが
Aさんを連れてきて
くれたようでした。
Aさん、
セッションの前半に
「関係ないかもしれないのですが…」
と話してくれた内容が
実はとても重要で、
それを活かしたものと
なったのですが、
ギャグみたいな
響きのアファメーションで(笑)
とはいえ、Aさんには
これ以上ないほどぴったりの
アファメーションでもあった。
わたしもまた
ギャグみたいなことを
本気で生きられたら
いいなって思いました。
Aさん、
わたしがパズルのピースを
はめるようだったと
書いてくれましたが、
パズルのピースとなる
素材をもってきてくれるのは
いつもその方ご本人です。
その人だからこその素材が
セッションの中で
集まってくるのを
いつも興味深い気持ちで
見せてもらっている。
Aさん、セッションでの
瞬間瞬間の選択が、
ジャストフィットだった
と言ってくれましたが
セッションは
受けていただく方との
即興です。
その場限りで
立ち現れて、
なにかよい余韻
だけを残して
消えるという
意味では、
落語のようでも
あると思っている。
優れた落語家が
そうであるように、
その時間にどんな
すばらしい世界が
立ち現れていても、
来てくれた人が帰る場所で
前よりごはんがおいしい
って思ってくれたら
いい程度で、
さっさと高座を
降りていくように
いられたらと
いつも思っています。
鎌倉へ。春にだけ海に行きたくなります。
毒出しシーズンとして、海水や砂浜の浄化力に引き寄せられるのか。
ただし観光地に行くには細心の注意をはらいます。人混みや行列が最高に苦手だからです。あと、みんなが楽しそうにしている観光地というものを自分が楽しめないことにへこむからです。
海に車を停めて、鎌倉駅周辺をほんの少しで正解でした。
水が冷たいから海には入らない、って言ってたけど、
やっぱり入るよね。
そしてこうなるよね。
親の下心的には、プチ砂浴として娘のデトックスに期待。冷えとりとかしてくれないし、わたしが用意するごはんも相当ゆるいので。
https://www.youtube.com/watch?v=2OVtpnpCOKM
春の海にはまる気がした曲。
「クレイジー」って一番ホッとする言葉だって思います。まともって思われてることほど実はクレイジーな気がするし、クレイジーにみえることほど実はまともな気がするから。
クレイジーでありたいです。