Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

自分極道を歩む/24時間統合中

 

並木良和さんの

統合ワークを

行っています。

 

ほぼ24時間みたいな

氣持ちで。

 

 

「深刻にならなくて

いいけど真剣に」

 

と並木さんの著書にも

ありましたが、

 

本氣で自分に戻る

決意をするなら、

 

徹底的にとりくむ

必要があるのだなと

感じられて。

 

 

目の前の出来事を

100パーセント

自分の責任、

 

自分の周波数の

投影として、

 

とらえるのは

ホ・オポノポノの

クリーニングに

同じ。

 

どちらも

とてもシンプルです。

 

 

ネガティブな感情が

湧いたとき

 

◎ 統合するか

 

◎地球の周波数として使うか

 

(もう十分味わってるはずのそのパターンを繰り返すか)

 

この二者択一が

あるのみ。

 

 

ホ・オポノポノでも

 

◎クリーニングするか

 

◎またそれを体験するか

 

ってだけですよね。

 

 

現実をよくするために

統合するのではなく、

 

目覚めるために

現実を使うという

説明もわかりやすい。

 

現実をよくする

ためにと思うと

 

眠ってる自分の方に

軸がある感じになるけど、

 

目覚めるために

現実を使うと思うと

 

目覚めてる自分

の方に軸が来る。

 

統合の推進力は

ここで大きく違って

くるって思うのです。

 

 

また、

 

今年から来年あたりは

(たくさんの方が発信している、意識のシフトへの強力なサポートがある時期です)

 

 

それぞれに

これからの時代の

旅支度をしてるとも

思っていて、

 

そのお荷物

(ネガティブな感情、地球の周波数)

持って行きますか?

 

って、

問いかけがどんどん

起こってくると思う。

 

(一見トラブルに

思えることも実は

チャンスタイム!)

 

 

エゴちゃんは

「やだやだ!これも持って行く!」

 

って主張します。

  

エゴは超絶かまってちゃん。

  

でも、もうおつきあいできない

タイミングが

やってきているようです。

 

 

並木さんの本が

わかりやすいのですが、

 

地球の周波数の方を

担当してきてくれた

エゴちゃんは、

 

ありがとうって

存在でもあるし、

 

そして、

統合されるのは

エゴちゃんにとって

本当は悪いお話じゃない。

 

 

今やることと言ったら、

 

それぞれがこの

内的葛藤

内的分離を

 

ひたすら

統合していくのみ

なのだなと思えます。

 

(セッションではそれぞれに合ったセルフケアをお伝えする時間もとても多いです。インテグレートは統合の意!)

 

そして、 

 

軽やかに自分らしく

ありながら、

 

調和的に生きている人が

増えていくことが

 

これから起こっていく

シフトってことなのかなと。

 

 

当たり前だけど、

 

全員が

自分の当事者で

自分の責任者。

 

 

もう

自分極道になるのみ

なのだなと。

 

「極道」

 

辞書的な意味と

異なるにしても、

 

道を極めることなら、

  

もう常に

自分極道であろうと。(笑)

 

 

それから、

 

「我慢」って漢字、

 

どうしてこう書くのかな?

ってふと思って、

 

 

辞書で調べると

 

「慢」は

 

しまりのない、

 

けじめのない、

 

そぞろに、

 

 

などの意。

 

(漫然の慢ですもんね)

 

 

ハッとなりました。

 

 

「我慢」って、

 

我がそぞろに

なってる状態

なんだなと…

 

 

家族とか

社会とか

 

自分以外に

軸を設定して、

 

肝心の自分が

そぞろになっているのが

 

我慢なんだと思う。

 

 

自己犠牲は

美しいかのような

トラップがあるけど、

 

絶対にいつかは

破綻する。

 

 

大切な人を

思えばこそ、

 

自分極道を

歩むしかないのだし、

 

 

自分極道を歩むには、

 

「我慢」は持って

参れません!!!

 

 

で、

 

それぞれが今

これからの時代の

旅支度をしてるとして、

 

本来の自分を

創造的に

生きるためには

 

荷物の最軽量化が

迫られている。

 

 

あれもこれもと

バックパック

詰めてると

 

通れない

ゲートもある。

 

 

でも、

自分は自分の

タイムラインを

体験しているだけだから、

 

その重量に合わせた

ゲートをいつの間にか

進んでいくだけで、

 

どれが正解って

わけでもないの

だろうけど、

 

いつまでも

変わらないもの

なんてないなら、

 

それずっと

持っていたいですか?

 

その感情は

この先もまた

体験したいものですか?

って

  

目の前の出来事を

通して、

 

いつも問いかけて

もらってるの

だと思うから、

 

 

自分の意思で

ちゃんと

未来の荷物を

仕分けることは

 

先回しにできない

仕事かなと

思っています。

 

 

 

 

  http://healingroom3.com

 

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お宝写真シリーズその4

 

「誰???」ってなってますよね(笑)

  

立川談志家元です。

 

(談志は柳家を出て、立川流を作ったので“師匠”ではなく“家元”になる)

  

立川談志は落語を

 

「人間の業の肯定」 

  

また

 

「イリュージョン」

 

と表現しました。

 

 

落語には、起承転結もろくにないまま、ただ愉快な状況を楽しむみたいな噺がたくさんあります。

 

全然共感できない…って登場人物もたくさんいる。

  

落語って、美談でも、教訓でもなく、ただそうあることへの肯定というか、赤塚不二夫の「これでいいのだ」感がある。

 

 

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2月、地元のホールに

喬太郎師匠が来たときの演目。

 

トリは粗忽長屋

 

談志が「主観長屋」と呼んだシュールな噺です。

 

 

量子力学でも証明されているように、現実と思っていることは実はそれぞれの主観による幻想。

 

イリュージョンです。 

 

談志のワードチョイスがスピってるのはなぜか(笑)

 

 

立川談志は落語極道みたいな感じがありますね。

 

 

 

そうは言っても、最近は落語もあまり聞かなくなってきています。

 

 

現実がなによりの

 

業の肯定の場だし、

 

(もう業は十分味わったから、これからは統合のみ)

 

主観長屋だし、

 

自分が自由に創造できるイリュージョン

 

 

 

思い出すだけなのだなあと。

 

 

わたしはわたしを

統合してまいります!