鎮魂さんいらっしゃい!(ゲスト前世のわたし)
お住まいの地域で
台風の影響はいかがだった
でしょうか?
わたしの自宅のまわりは
すっかり冠水して
翌日まで道路が川と化していました。
同じ市内で避難区域
となった場所から、
知り合いの家族が
うちに非難すること
にもなって、
(大人5人と赤ちゃんと犬)
思いがけず大人数で
台風の一夜を過ごすことに。
(そんな状況なのに赤ちゃんは
びっくりするくらい穏やかでした)
まだいろいろ影響は残ってはいますが、
大きな被害はなく
なによりでした。
被害の大きい地域の方には
心からお見舞いをもうしあげます。
さて!
ここからはいつもの通りで
まいります。
ダジャレを好む傾向と
加齢の関係について
誰か真剣に研究した人は
いるのでしょうか?
歳とともに
語呂合わせや
ダジャレに
歯止めがききません。
今日のタイトルも
思いついたら即採用。
(ダジャレがうまいこと
ハマるとうれしくて…)
今日は
こういうことを書くのは
もう最後なのかな?
という内容になるので、
思い残すことの
ないように
書きたいです。
わたしが
インナーチャイルドセラピーを学んだ
トリシア・カエタノさんは
インナーチャイルドセラピー
と同時に前世療法も
行っている方です。
幼少期の体験が
大人になってからも
自分への制限となる、
という潜在意識の構造は
その解放の方法とともに
インナーチャイルドケアとして
たくさんの方が伝えていますが、
自分を制限する原因が実は
過去世に遡る場合も多く、
(過去現在未来という
タイムラインは本当は
存在しませんが便宜的に
「遡る」を使います)
トリシアさんは
インナーチャイルドセラピーも
前世療法も構造としては
同じこととして
とり組まれていてるようでした。
わたしが行っている
IH(インテグレート・ヒーリング)でも
「インナーチャイルドの癒やし」「無用な誓いを解く」「魂の統合」
など枝分かれするコースがありますが、
これらもすべて
自分が設定した制限を
自分が消去するということに
つきるのだと思っていますし、
そしてそれは
ホ・オポノポノや
並木良和さんの
統合ワークなどの
手放しのワークを通して、
セルフケアとして、
自分で行えるものでも
あるとも思っています。
(ボディワーク的なアプローチなど方法は無数にある)
本来神である存在が
制限やネガティブを
体験できるステージが
今までの地球のようで、
今はその
制限やネガティブを
もう充分味わいました。
ありがとうございました。
って、
ガンガン返却できる時
なのかと思いますが、
自分が見続けたDVDを
いざ返却するとなると、
ごねる存在が
自分の中にいたりする。
そのDVDはだいたい
ホラーなので
(「恐怖」「喪失」「罪悪感」など…)
もう見たくないんだけど、
何転生もやっているうちに、
「貞子もう泣かずに見られるし!」
みたいな
謎の意地にもなってきて、
TSUTAYAのカウンターで
謎の返却拒否みたいなことに
なる場合がすごく
多いのだなと
いろんな場面で感じています。
スポーツはルールがないと
成立しないように、
今までの地上の体験も
制限やネガティブがあったからこそ
いろんな体験があったのだし、
その中で
それぞれが
自分なりに
耐えたり
戦ったり
誓ったりして
やってきたところを、
「全部自分が設定した幻想でした」
「本当はなんの制限もありません」
ってなるには、
ドリフ並みのセット変換に
対応しないといけない
みたいな感じなので、
(めっちゃ撤収してるのに、アイドルもう歌ってるみたいな)
それぞれバージョンで
納得するオトシマエを
つけてから進みたい
ってのも
よくわかる。
たっぷりやってきたんだし
ガチで3次元的に弔いたい
みたいな……。
印象的なお話として、
京都のTさんは
ふたりのお子さんがいる
美しい女性でなのですが
ご本人には
説明できない葛藤があって、
うかがうと武将だった
前世があるとのことで、
家族との楽しいひとときにも
どこか「無念!」
って気持ちがあるんです…
って言っていて、
(Tさんお読みになるかな?)
Tさんの見た目の印象と
あまりのギャップがありすぎて
笑ってお話をきかせて
いただいたのですが、
本人にとっては
笑いごとではないのも
よくわかるんです。
インナーチャイルドのことと
全く同じく、
過去世のことも
「それは今じゃないよ」
ってお話にちがいないながら、
それぞれに
それはそれは
相当なトラウマが
あるわけですから。
Tさんは夜眠れない
という悩みを伝えてくれて、
なぜならば
武将だからなんです。
武将は寝ているときも
気をゆるめるわけには
いかなかったんです。
インチャケア的に
武将にスマホとか見せて
「ほら今は戦国じゃないよ♡」
って100万回でも
教えてあげてくださいって
お伝えしましたが、
「鎮魂ですよね…」って
Tさんがおっしゃっていて、
Tさんの解放には
武将が納得することというか
成仏することが重要なんだな
って感じました。
戦争の記憶も
親子の記憶も
男女の記憶も
貧しさの記憶も
裏切りの記憶も
失敗の記憶も
なにもかも
幻想ではありますが
それぞれに壮絶な
体験があったわけです。
ここは丁寧に
自分を納得させて
進むというのは、
頑固な内的葛藤を
統合するときに
ものすごく有効だと
思っていますし、
そもそも今わたしたちが
浄化していることって
個人の記憶を
超えている感じがしていて、
人類の総合意識の記憶
になるのか、
例えば
女性の集合意識とか
戦争体験の集合意識とか
それぞれに縁の深い領域を
担当して浄化しているような
感じもするのです。
その人のその部分が癒えることは
宇宙が癒えることなのだし、
遠慮はいらないどころではなく、
自分をきっちり
お手当することと
自分をしっかり
しあわせにすることだけが
生きてて
することなんだと
思う。
ここから完全に
わたしの鎮魂タイムに突入なのですが、
(そう。今日はとても長いんです。さらにおつきあいいただける方はどうぞお好きな飲みものでも取りにいってくださいね)
先日撮ってもらったこの写真の自分を見たときに
すごく不思議な気持ちになりました。
自分を見て涙が出てきたというか、
「この人を幸せにしよう」って
思いがこみ上げてきた。
いや幸せって言ったら、
今回の自分の生は
ゲームのエクストラ画面
みたいってずっと思っていて、
言ったらもう充分だし
感謝しかないって
ずっと思っていたけど、
その「もう自分はいいから
あなたがどうぞ」マインドが
自分という領域を
制限してしまって
いたというか、
わたしは宇宙で
この領域を
まかされてるのに、
本気でここを
満たそうとして
こなかったんだなって、
写真を見てると
そういう気持ちになりました。
(撮ってくれた人のおかげだとも思う)
この写真を見て
もうひとつ思ったのは、
これは
「前世のわたしだ」
ということ。
Tさんの武将とも
同じ構造になるのですが、
わたしもまた、
まったく今の話じゃないし!
という
過去世の観念が
強烈なまま生きていました。
こっから急にわたしヒストリー
はじまっちゃうので
ごめんなんやけど、
(↑さっき探偵ナイトスクープ見てたための関西弁)
わたしは今生では
息を吸ってもほめられるように
育ちまして、
(甘やかされたというよりは、ただ無条件に肯定がありました)
親は教育の意識が
あまり高くなく、
転ばせて学ばせる
という発想が
欠けていたことで
わたしは
「わー!お空がきれい!」
みたいな感じで、
足もとを全く見ずに
かけまわって
1回も転ばなかった…
みたいなヤバい物件として育ち、
社会に出てから
けっこう苦労しましたが、
必要なことは社会で
吸収できたのかなと思うので、
(たぶん…)
よくできたことは
ほめてくれるし、
なにかができなくても
一ミリも否定されなくて、
いつもわたしの
自由意志を
尊重してもらった、
子どもとして
完全に満足する時間を
両親に提供してもらったことは
わたしを今に至るまで
深く満足させてくれています。
おかげで
自己肯定の基礎構造
みたいなものは
自分にはあるなと
思っているのですが、
の、わりには
ふりかえると謎なほど
制限的に生きてきて、
自分はそういうタイプって
思っていたけど、
掘り下げてみると
わたしもびっくりするくらい
過去世の観念で生きていた
ことがわかってきて、
Tさんの武将がそうであるように、
何百と生まれ変わっている中で
今に影響が強い過去世というのは
あるもので、
わたしにとっては
はじめて体験した
前世療法でみた、
教会で孤児たちと
暮らしていた女性の生の
影響がいちばん大きそうで、
(退行療法で自分が前世を見ていくものなのですが、途中まで半信半疑で浮かぶ景色を見ていましたが、教会にいるってわかったとき全身鳥肌が立って「そこにいた!」ってなった)
いろいろふりかえってみたら、
この人とわたしは
2人羽織みたいに
やってきた感じがあって、
でも、その人の観念は実はもう
今のわたしにはフィット
しないものだから、
2人羽織で
お茶飲んで「あちち!」
みたいな。
もう今の自分の手で
飲ませてくれ!
みたいな
気持ちはあって、
(2人羽織って
見なくなりましたね。
このたとえ通じるの
でしょうか?)
ただ、
ことをやっているのは
彼女からの流れだな
とは思っていて、
(読み返したらこの部分
冗長な感じがしたのですが、
彼女の成仏のために
そのまま採用します)
彼女はたくさんの孤児たちと
暮らしていて、
ものすごくその暮らしが
たのしくかった一方で
ずっと「足りない!」って
気持ちを抱えていて
子どもは全員自分が
いちばんになりたいし、
ことばにしなくても
わかってほしいし、
できたことはほめてほしいし、
なにかができなくても
それでもあなたが
大切だと認めてほしい。
これは
大きい子も小さい子も
どんなタイプの子も
もれなく求めること
って思うけど、
自分の身はひとつだと
お膝に乗せてあげられる子は
ひとりになってしまうので、
「足りないんだ!」って
思いが彼女にはすごく
強かった。
だから今回は
ことがやりたかった。
インチャには
もれなく
その子を
必ずいちばんにしてあげられて
なにも言わずともすべてを知っていて
かつてできなかったことを満たしてあげられる
大人の自分という最高の担当者がいます。
この担当者に
その子をお願いする
ことはだけはできる!
というのが
彼女の結論なのだと思う。
でも、
上の写真を見て思ったのは、
その彼女もいよいよ
成仏するのだな
ということ、
(あえて「成仏」が使いたくなる)
わたしはもう今の
わたしとして、
彼女の制限を超えて
生きるのだし、
仕事についても
わたしのやりたいこととして、
2人羽織じゃなく
やっていきたいし、
わたしという領域に
統合された彼女は、
かつてやれなかった
いろんなことを
現在のわたしを通して
体験できるのだとも
思う。
(Tさんに統合された武将は
ぐっすり眠ることができるように)
解放を望む自分と
それに抵抗する自分
という内的葛藤があることを、
セッションを通して
気づかせてもらって、
制限を手放すときにも
それぞれに
こだわりが
あることも知りました。
もうあんまり
ごねる猶予は
ないながら、
なるべくそのこだわりを
汲んであげると
統合の進度は
上がるって思っています。
わたしの前世の人も
いよいよ納得したの
だと思う。
これからは
今のわたしを
大切な担当領域として
本気で満たしていきたい
と思っています。
鎮魂
と同時に
生誕
というお話は
最近何人かの方の
体験として
聞くこととなって、
今はたくさんの人が
自分の中で
一度死んで
もう一度
生まれてる
ときなのかなと。
さらなる
向かって。