娘の高校は一学期の終業式です。
休校の期間は
家中至る所で
寝ている姿しか
見なかったような
きがしていましたが、
(ギターであいみょんの「マリーゴールド」が弾けるようになったり、
オムライスが上手に作れるようになったりはしてました)
学校が始まってみると、
それなりに成長が見られて、
子は勝手に育ってくれるのだなあ……と、
不思議なきもちにもなります。
家では名探偵コナンばかり見ていますが……。
(高2です)
高校生に人気らしい韓国ドラマを
見てみようとしたらしいのですが、
大人の話すぎてよくわからないらしく、
やっぱりコナンに戻っていましたが……。
(高2です)
いろいろ制限がある状況ですが、
彼女たちなりに学校生活を
たのしんでいるようでよかった。
わたしのほうも
しばらくお休みがあったからか
弁当づくりなど復活すると
ちょっと新鮮で
たのしめたような。
水筒用意して、
上履き洗って、
とか、
もう10何年やってきたことも、
来年でほぼおしまいと思うと
不思議な感じもする。
(靴洗ったりするの
とりあえず高校まではと
思っているのですが)
たったひとりの子どもでも
わたしはフウフウ言いながら
やってきたため、
ふたり、3人とお子さんがいる方は
すごい神業と感じられます。
そして、
それなりの年月
集中してきたことだから、
これが終わるときに
ある程度ポカーンとなってしまう
こともよくわかります。
だからこそ、
段階的に切り離しが
必要なのだとも思う。
自分はあまり該当しない
って思っていたけど、
わたしもちょっとポカーン期に
突入しているのかも。
単に時間の問題なのだとは
思いますが。
本日はゆるゆる
書きたいことを書く日と
させていただきたいです。
と、なると
自然に落語の話に
なってしまいそうなので、
おつきあいいただける方のみで……。
わたしは決して落語に
くわしいわけではないのですが、
(それほど熱心に情報を追いかけたりはしないです)
落語に惹かれてならないのは、
笑いと音楽と霊性と統合がつまった
芸能だからと思い至っています。
現在の落語会の中心と言える
春風亭一之輔師匠が
一朝師匠に弟子入りした理由を
問われたとき、
いろいろ笑いで
はぐらかしながらも
「天命だったからだし、
落語は音楽で
一朝師匠の落語が
耳に心地よかったから」
と話していました。
師匠と弟子の
照れ混じりの
両思い関係にも
ものすごく惹かれます。
一之輔師匠の一番弟子の
㐂いち(きいち)さんとの動画が
師匠と弟子の関係性がよく伝わってきて
すごくおもしろかったのですが。
(㐂いちさんがイケメンでびっくりしました!)
https://www.youtube.com/watch?v=91xpzilWAR4&t=124s
落語家は自分が
惚れぬいた師匠に
「弟子にしてください!」
と言いに行きます。
弟子入りを
認められるのも、
断られるのも
宇宙タイミングとしか
言いようがなかったり
するのですが、
(一朝師匠などは「顔を見ればわかる」とおっしゃっているそうです)
師匠は弟子候補の両親に
必ず会うようです。
(「入門したからといって成功するとは限らないこと」
「儲かる仕事とはいえないこと」などを説明するため)
一之輔師匠の一番弟子の㐂いちさんは
両親が離婚しているとのことで、
父親と母親それぞれに
別々に面談したとのこと。
なんだか
師匠の方が本当の親のような
お話だなと感じました。
一之輔師匠の一番弟子になったことって
すごいうれしかっただろうなあって。
もちろん師匠は弟子に教える役目だから、
厳しく接することが求められるかと思いますが、
その個性を理解して受け入れて
伸ばそうと尽力してくれます。
弟子としてとったからには
よっぽどのことで続かないということ以外は
一生というスパンでその人を受け入れてくれる
ということは、
ものすごい肯定と感じます。
もちろん弟子は
一人ではない場合も多いため、
それぞれにそう単純ではない思いも
たくさんあるかとは思いますが、
この一朝一門のトークには
めちゃめちゃ癒やされました。
(一花さんが可憐……)
収録が終わったあとの映像で
一之輔師匠が
「近年まれにみるいい日だった……」
と言っていましたが、
普段はあらためて話せないけど
こんな企画があったからこそ
はじめて師匠と話せるようなことがたくさんあって、
(一之輔師匠と㐂いちさんの動画でもそうでしたが)
もはや誰にも小言など
言われなくなってしまったことに
寂しさも感じているような一之輔師匠が
「なにか(小言)ありますか?」
って聞くと、
一朝師匠が
「なんにもないよ」
「こんないい子いないよ」
って言っていて、
そのときの一之輔師匠の
うれしそうなこと!
この動画のシリーズでは
一花さんとお囃子の太田そのさんの
対談もおもしろかったのですが、
太田そのさんってお囃子さんだけど
柳家小三治一門とのことで(!)
小三治師匠に
いろいろ教えてもらった
お話をされていました。
小三治師匠は厳しそうですが
その奥にある真意がわかるから
怖くないっておはなしで、
一朝師匠のお弟子さんである
一花さんにもやはりしっかり
一人前の噺家になるための
小言をくれるのだそうです。
さん喬師匠喬太郎師匠の関係にも
本当に感動します。
師匠と弟子のお話は
組み合わせを変えて
すばらしいものが
無限にあって、
相思相愛なのに
お互い照れてならないふたりの
ラブストーリーのようにも
感じられられます。
そうなんです。
落語の世界を知っていくと
ラブストーリーだらけなんです!
サンキュータツオさんの
『これやこの』という
随筆集がすばらしいのですが、
柳家喜多八師匠と
立川左談次師匠が
続けて亡くなった時期のことを
まとめた随筆は、
これほどの愛の表現が
あるのかというほどの
ラブストーリーです。
落語の世界で
いいなあと思うことは
師匠や流派を問わずに
稽古をつけてもらえる
ということろもあります。
先日テレビで
一之輔師匠の「居残り佐平治」が
見ることができて、
(居残り佐平治を映画化した
観ようかなと思いました!)
ゲストとして、
一朝師匠とのトークも
あったのですが、
一之輔師匠の「居残り佐平治」は
「三遊亭」のものらしくて、
(細かいところが違うのですね)
一朝師匠はというと、
古今亭志ん朝師匠(!)に
稽古してもらったとのこと。
どちらも自分の師匠に
教わったわけではないのです。
「居残り佐平治」は
大ネタなので
稽古をお願いしたとき
志ん朝師匠は渋ったそうですが、
結局稽古してもらたということですよね。
自分の弟子でもないのに
なぜ大変な話も
稽古をつけてもらえるのか?
すべての落語家にとって
大切なのは「落語」
だからなのだと思います。
照れ屋さんたちの
文化のようなので
そう表現されることは
無いかと思いますが、
その思いは
「愛」と言うしかない
ものなのだと思います。
自分の子どもでもない若者を
一生のスパンで受け入れること、
自分の弟子でもない後輩に
稽古をつけること、
自分の弟子が自分とちがっていても
温かく見守ること、
(落語自体を損なっていなければ)
そんな自我を越えて、
「落語」に奉仕できるような世界が
実現するのは、
それぞれの現れに違いはあれど
そこに愛を共有しているからなのだと思います。
落語の世界は
ワンネスの小宇宙なのかもと
思っている理由です。
男性も女性も
与太郎も若旦那も
あらゆる立場を
ひとりの噺家が
演じることで、
落語家は自己統合が
進んだ存在なのだとも思う。
困り果てて
ひねり出されたものかと
思いますが、
YouTubeなどで
落語の世界の舞台裏に
たくさん触れられることは、
わたしたちにとって
ものすごいお宝が
たくさんで、
舞台裏を見せることは
野暮とはちがうと感じます。
落語の世界に限らず、
裏側にあった
宝物はいろんな場所に
たくさんあって、
それはこれから
多くの人に
共有されていくのかな
って思っています。
内側が外側に
外側は内側に
とう反転があちらこちらで
起こっている。
内側に大切に運ばれてきた
かたちのない宝物は
どんどん表に現れて、
反対に外側は華々しくても、
本質がないものは
反転すると消えてしまうことに
なってしまうのかと。
これからは
さわれるかたちを持っていたり
わかりやすい名前を
持っていたりしなくても
たしかに価値がある
大切なものに、
脚光が当たっていく時代
なのだと思う。
今日は
どなたが読んでくれるのか?
という内容となりましたが、
本人は大変満足です(笑)
辛抱強くおつきあい
いただきましたみなさまには
こころから御礼を!
雨ばかりでお散歩に出られず……