2021年無条件の旅/母を見送ったお正月のこと
あけましておめでとうございます
あっという間の新年5日目です!
わたしは北海道の出身なのですが、
北海道でも最も寒い2月の生まれ
ということもあって、
原風景と言えば、やはり雪景色です。
お正月の期間中には
母の命日もあるため、
尚更に北海道を
思ったりもします。
もう何年も前のことになりますが、
何度思い返しても
母の最後は本当におみごとで、
急に倒れてから、
わたしが駆けつけ、
元々北海道の実家でお正月を
過ごすつもりだったため、
夫と娘も元々とっていた
飛行機のチケットがあったから
数日後に合流して、
母はそのまま意識を
取り戻すことは
ありませんでしたが、
数日を病院で一緒に
過ごすことができて、
大晦日には病室のテレビで
紅白を見て、
(あまちゃんの年だったため
あまちゃんメドレーが
盛りあがっていた)
一緒に年越しをしてくれてから、
母は肉体を脱いで行きました。
そのまま
悲しみに浸る余裕もなく、
親族のやることは
たたみかけるものなのだなと
知るのですが、
お正月時期の深夜、
慣れない雪道の運転で
役所に向かったり、
時間外窓口の入り口を探して
真っ暗な雪の中をさまよったり、
ドタバタもいろいろ
ありましたが、
母と一緒に過ごすはずだったお正月が、
急なお別れのときとなり、
頭が真っ白だった中、
逆にお正月期間であったことで、
みんなからだがあいていて
すぐに駆けつけてくれたり、
なにより
夫と娘がいてくれたことに
本当に支えられました。
お葬式がすんだあとも、
残るあれこれを片付けるために
わたしはさらに1か月くらい
実家に残りましたが、
夫と娘はお葬式のあと
元々とっていたチケットで
帰ることとなって、
この辺も
完全に母らしい
采配だと
この期間はとにかく、
たくさんの方が
それぞれの立場で
協力してくれたり、
きもちをよせてくれたりして、
体感としては、
突然ドラム式洗濯機に
放り込まれて
ぐるんぐるんに
翻弄されるような
感じだったけど、
洗濯機の中には
止めどなく美しいものが
流し込まれているような
日々でした。
車庫にある大きな樽には
母の漬けた
たくさん入っていて、
(酒粕とお味噌とかで漬けた甘めのお漬けもの)
保存容器で自宅にも送って、
自宅に戻ってからも1か月くらいは
母の漬けものを食べることができました。
母らしい甘めの味付けの
お土産までつけて、
得意げな
目に浮かびます。
突然のお別れは
本当に悲しかったけれど、
母は本当におみごとだった。
(近所にあいさつに回ったときも
「みごとだった!」とほめてくれる方も多く、
わたしが知らない母の爆笑エピソードを
聴かせてくれる方もいて、
お悔やみをもらうよりもうれしかった)
もろもろ済ませて、
埼玉の自宅に戻る
わけなのですが、
急に1か月以上という
長い期間休ませてくれていた
職場も本当にありがたく、
戻ったら戻ったで
いろいろやることが
溜まっていて大変だろうからと、
すっかり落ち着いてから
復帰するように
わざわざお声かけ
いただいたりもして、
この職場は
前回の記事の写真の
会社なのですが、
地域の主婦及び
子どもたちを支援したい、
という意図から、
スタッフはほぼ全員主婦という
ユニークな環境の職場で、
子育てはもうずいぶん前に
人生の先輩もたくさん。
母を見送り
帰ってきたわたしに
廊下ですれ違うときに
「よくがんばりました!」
と短く労ってくれる方や、
たくさん休んでしまったことを
お詫びしようとすると、
「榎本さんが帰ってきてくれただけでいいから」
と言ってくれる方もいて、
(↑こんな殺し文句あります!? 今でも泣きそうになります)
みなさん、
家族を見送るということが
どういうことなのか
それがどういう仕事なのか
どういうきもちになるものなのか、
言葉を超えた理解と
さっぱりとあたたかな対応に
本当に胸がいっぱいになりました。
無関係なように思えて、
同じことと思っているのは、
車の運転をしていても
なぜか親切な人ばかりに
遭遇します。
パッシングで合図をくれて
どうぞ!って
譲ってくれる人が
ものすごくたくさん。
(こんなとき、
運転歴が浅い頃は
お礼の合図ができずにいましたが、
最近はサッと手を上げて、
お礼の合図を返せるように
なりました!)
先日はウォーキングの途中、
車が途切れたら渡ろうと
道路の端で待っていたら、
横断歩道から2メートルくらい
ずれた場所なのに、
わざわざ車を停めて、
どうぞ!って
してくれる車がいて、
横断歩道でもないのに
なんかすいません!
って思ったのですが、
今年で半世紀
生きたことになるため、
出会う人出会う人、
知らない人まで
なぜ親切なのかということは
50年の検証結果として
結論に至っていて、
要はすべて自分の
波動ですもんね。
もちろん
「おや?」とか
「むむ?」って
思うようなことも
日々あると思うのですが、
あまり憶えていられない(笑)
フライングで感謝が溢れて
生きているところと、
おめでたい性格のおかげが
大いにありそうです。
「問題が解決するから心が楽になるのではなく、
心が楽になるから問題が解決するのだと思う」
ケルマさんの本で
ある体験をされた方の
ことばとして
紹介されていました。
自分の意識が先、
起こることは
すべてその反映。
今の地球は
反映されるまでの
タイムラグが
どんどん短くなって
いるようですね。
わたしにもまだまだ
いじけた部分があって、
全方位で自分を肯定できている
わけではないため、
(徹底的に無視してきた部分がある)
自分の目をそこに
向けさせるための
出来事というのは
必然的に起こってくること、
強く感じています。
自分のテーマを
無視し続けることは
できないのですよね。
(他でもない自分がテーマを
設定して生まれているから)
どんなプロセスに
あったとしても、
その時その時、
自分のために最適にデザインされた
出来事が目の前に起こっていると、
ポジティブもネガティブもなく
歓迎できるようになれたら
最強なのだと思います。
前回も
「これでいいのだ」の境地のこと
少し書いたのですが、
起こることに
「無条件の肯定」
がある上で、
「で、どうする?」
と自分軸で
選択、
いつも
そうしていけたらなと
目指しています。
サレンダー&リリース
手放し委ねる姿勢、
というのも
テーマなり!
2021年は変化の年と
たくさんの方が
伝えられています。
変化にいつも
ウェルカムであること、
起こることはすべて
自分の意識の反映である
ということに
例外をつくらないこと、
意識を変えるだけでなく
行動も
大切だなと
感じられています。
昨日、ある方と
おしゃべりする機会があって、
途中からおしゃべりセッションの体と
なっていきました。
Zoomでのセッションのご案内は
来週はじめあたりになるかと思いますが、
エンジンのドライブが
ブンブンとまわりはじめています。
真あたらしい1年のはじまりに、
zoomでお会いできますこと、
こころからたのしみにしています!
娘、里帰り出産で北海道で生まれました。
今はもう高校生です。
冬に帰ったときには
何時間でも外で遊び続ける。
(雪がめずらしくもない地元の子は
こんな天気のときはわざわざ外で遊びませんが)
母が亡くなり、無人となった実家を
数年間管理した間、
冬場の雪には本当に
神経を削りましたが、
(放置してしまったら
雪の重みで車庫が潰れたり、
水道管が凍結して
破裂してしまったり、
便器も水の凍結で割れたり
ということは北国では
あるあるなのです)
ときに命を左右するほどの
脅威となるのに、
春になったら
溶けて跡形もなくなる
というあたりが、
幻想でありながらも
リアルな出来事として翻弄される
人生のメタファの
ようでありますが、
春になったら
溶けるからと、
雪を放置するわけにも
まいりません。
自分の雪は
自分で雪かき!
自分の記憶は
自分でクリーニング!
自分の周波数は
自分で統合!
それが
集合意識にも
大きく働きかけることにも
なるのだあなあと、
ケルマさんの新刊
『地球統合計画NEO』でも
あらためて理解が深まっています。