Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

「歯についた青のり」と「切りすぎた前髪」/すべては自分の鏡なら

 

 前髪、衝動に任せて自分で切ったら切りすぎた……。

  

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(完全に寝起き写真にて失礼を)

 


いかなることにも

偶然はないという立場から、

前髪切りすぎについて

思いをめぐらせて

みたりもします……。

(ひまか!)

 

スピリチュアルな観点からは

自分の体験することは

自分の鏡であるということが

たくさんのかたちで

伝えられています。

 

もちろん、

カルマティックな背景や、

自分の学びとして

自分が設定したイベントなど考えると、


「鏡」というひとことでは

やや足りないのかもとは感じますが、

 

自分の選択、

自分の周波数以外のことは

体験できないという意味で

「鏡」ととらえると、

 

手放しのための体験として、

 

「歯についた青のり」的体験

 

と、

 

「切りすぎた前髪」的体験

 

 が、

 

あるように感じています。

 

 

鏡に映った自分を見るとき、

 

歯についた青のりは

その場ですぐに

きれいにすることができる。

 

でも、

 

切りすぎた前髪は

ときがくるのを待つしかありません。

 

髪を伸ばすことができる

自分の生命力と、

時間に完全に委ねるしかない。

 

要は青のりとは違って、

時間がかかるということ……。

 

 

何年がかりでとりくんでる

テーマってあったりしませんか???

 

ホ・オポノポノでクリーニングもしている!

並木良和さんの統合ワークで

ガンガン手放してもいる!

 

なのになぜ!?

 

みたいな。

 

これは「切りすぎた前髪」案件

なのかなと感じるのです。

 

自分にとってきっと

根深いなにかなのですよね。

 

他でもない自分が

向き合う時間が欲しいのです。

(青のり程度で済ませられないというか)

 

自分を信じることと、

コントロールを手放して

流れに委ねること。

 

前髪案件はこのことを

たたき込んでくれるとも

思っています。

 

何年も、人によっては

子どものころから、

自分が悩み続けていること、

 

前髪案件ととらえてみてください。

 

 

前髪が伸びる自分を信じること、

 

すべては必要で起こっていることと

流れに委ねること、

 

それができるようになったら、

もう前髪は切りすぎないのかなって。

 

 

自分が前髪切りすぎたからって

大分無理矢理でしたでしょうか???(笑)

 

 

髪型も服装も、

暮らしかたも、

働きかたも、

 

もっともっと自分らしく、

心地よくしていきたいものですよね。

 

どうぞ自分が体験することを

自分がどう感じるか、

本当はどうしたいか、

 

自分だけはつぶさに

注目しておいてあげてくださいね!

 

ではでは、今日はこれにて!

 



http://healingroom3.com

 

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茎が紫の菜の花。

外来種になるかもしれないのですが、

地元野菜コーナーなどでみつけると

絶対に買ってしまう。

(生でコリコリ食べたりも)

 

ハイボールが有名な銀座のバーのおつまみの本に、

焼いた菜の花にグレープフルーツを添える

というものがあったのですが、

 

今の季節なら文旦を添えたらおいしそうです。

 

 

グレープフルーツのようなさわやかさと苦みと

八朔のようなサクサクとした食感の

文旦を知ったときは衝撃でした。

 

グレープフルーツの味が好きで

八朔の食感がすきだったからです。

 

自宅からいちばん近いスーパーは

箱売りしてたり、お徳用!みたいな大袋もあったり

なぜか昨年くらいから超文旦推し。

 

この季節に1年分味わいたい!と、

 

わたしは今

文旦のことしか考えていません。