Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

トンネルぬけて

車を運転中の熱唱ソング

不動の第1位は

ボ・ガンボス

「トンネルぬけて」です。

 

UAとか、EGO-WRAPPIN’

中納良恵さんとか、くるりの岸田くん

とかたくさんの人がカバーしてる名曲)

 

どんとが大好き。

特にこの曲は特別に。

  

生まれる赤ちゃんが

温かく安全なおなかの中から

外の世界に出るときに

 

せまくて暗い産道を

通ってくるように、

(安全な水の中にいたのに

急に自分で呼吸しなきゃ!

ってなる)

 

次の世界を味わうためには

くぐらないといけない

トンネルがあるのだと

思います。

 

それは生まれてからも

何度かあって、

 

通過儀礼と呼ばれるもの

でもあると思いますが、

 

次のステージに進むためには

避けては通れないものだと

思いますし、

 

その人がくぐりぬけられる

ようになったからこそ

トンネルは現れるのだとも

思います。

 

トンネル、

暗そうだし、

長さもわからないから、

こわくて

腰が引けるかも

しれないけど、

 

通過儀礼通過儀礼です。

 

通過しないと

次はなしです。

 

トンネルの中では

ひたすら自分の次の足を

出すしかないです。

 

でも不思議と

暗いトンネルの中で

こっちだよって

声をかけてくれる存在は

現れてくれるもので、

 

でも、結局は自分の選択

なのだとも思います。

 

トンネルをぬけるか

ぬけないか。

 

まだぬけたくない

って場合もある。

(で、戻っちゃったり)

 

でも、ぬけたかったら

はい、次の足ね!

ってだけ。

 

実はぬけられる

トンネルしか

出てこないから。

 

その先にある

あたらしい世界を

ぜひ味わってみてください。

 

思ってもみない

よろこびが

いっぱいあるよ。

 

 

さてさて!

ここからは

 

わたしがトンネルぬけたら

なぜか通うことになっている

サイドバーンでのお話を。

 

今週わたしが

ウキウキとこの日を

迎えましたのは、

 

キネシオロジー

インストラクターで

理学療法士の亨くんが

来てくれたからです。

 

亨くんは

わたしが一番はじめに

受けたキネシの講座で

講師のアシスタントとして

参加されていて、

 

お若いながら

俄然先輩であります。

 

亨くんじゃなくて

亨先輩だろ!って、

部活で怒られそうに。

 

サイドバーンの

タイチさんには

表面的な美にとどまらない

内面の健康や美しさまでを

ケアするような場を

作りたいという

構想があって、

 

わたしがサイドバーンの

場所をお借りして

IHセッションを行わせて

もらっているのも

その一環になりますし、

 

今後は

火曜日のサイドバーンで

いろいろな講座などを

開いていけたらと

考えていて、

 

亨くんには

キネシ体験講座の

講師をお願いしたいと

思っています。

 

亨くんご自身が

西洋医学のお仕事でありながら

東洋医学の知識も豊富で

IHやヒプノセラピー

行えるという

境界を越えた存在ですから

 

亨くんほど

うってつけの存在は

いないと思って。

 

そして!

亨くんのハイパーさが

いちばん炸裂するのが、

キネシタロットです!

 

筋反射を利用した

タロットリーディング

なのですが

 

タロットのときの

亨くんの先輩感

半端ないス。

 

この日は

ヘアカットをお願いしていた

サイドバーンの岡田くんも

おりましたので

 

岡田くんと

わたしの

タロットリーディングを

お願いしました。

 

 

うーむ、

(リーディングの内容をかみしめている)

 

亨くんのタロット

本当にすばらしいんです。

 

 

キネシの仲間に会えるのも

久しぶりでしたから

いろいろ質問させて

もらったりもして

 

初心の初心に戻れるような

気持ちになれたことも

よかった。

 

ひとりで自宅にサロンを持って

細々とやっていくものだと

思っていたIHのお仕事なのに、

 

サイドバーンのみなさんや

亨くんのような存在が

近くにいてくれることで

 

学びも増えますし

自分自身の軌道修正も

こまめにできる気がして、

 

なんてありがたいこと

なんだろうって

 

思っています。

 

 

あ!

ものすごく脱線する

ようですが、

 

わたしにとってこの日

熱かったお話が

もうひとつ!

(ここからはほぼ自分の

整理のためになります!) 

 

亨くんのカットをしている

岡田くんの写真を

撮ってたとき、

 

松井の撮った写真がひどい

って話になって(笑)

 

岡田くん「他の人の撮ったのと違って、

松井さんが撮ったってすぐわかりますよね」

 

ギクッ!

 

亨くん「結びを感じてないからじゃないですか?」

 

グサッ!

 

(結びというのは魂合気(たまあいき)という合気道の一種(?)の概念で、対象と結びを感じることで起こる作用のことなのですが、これはキネシオロジーで筋反射をとるときにも役立てられるため、キネシの師である雪乃さんが教えてくれたものです。この「結び」を教えてもらってから筋反射が急にわかるようになった!)

 

おふたりの

このつっこみにより

 

浮き彫りになった

課題があるように

思えて、

 

それはここのところ

あちこちで

指摘されていることと

同一に思えて、

 

それは今後セラピストとして

やっていくために必要なことで、

 

とにかくわたしには

グラウンディング

たりない!

みたいなことなのですが、

 

 

肉体性ってものを

重要としないで

生きてきてしまっていて

 

またそもそもこの現象の世界も

幻ですし…

みたいなところもあって

(ご興味があるかたは

『神の使者』さらには

奇跡のコースがおすすめです)

 

お空は大得意だけど

地面は弱い!!!

みたいなところがあります。

わたくしには。

 

般若心経の

色即是空 空即是色

(しきそくぜくう くうそくぜしき)

 

とは

 

色(現象の世界)にも

空(目に見えない世界)にも

偏らずどまんなかを行けという

教えだと聞いたことがあるのですが

 

 

わたしはたぶん空(くう)に

偏りすぎていて

 

なんか現象の世界に弱い気がする

 

写真が下手ってだけで

こんなにこねくり回す話でも

ないのかもしれなですけど(笑)

 

洋服を買うのが苦手

っていうのもちょっと

似てて、

 

肉体性ってものに

フォーカスするのを

無意識に避けたいんだと思う。

  

肉体が本当の自分

じゃないにしても

 

肉体に生まれたくて

生まれたんでしょ!

って、

肉体もちゃんとやんなきゃ

いけないんだと思う。

 

(予想以上に自分のために

書いてるコーナーになってます…)

 

亨くんのタロットでも

 

「どっしりと安定する」

みたいなことが重要でしたし…

 

 

もう、ドリフのエンディングで

(♪ババンバンバンバンの)

 

「歯磨けよ!」

 

「お風呂入れよ!」

 

って言うときに

 

グラウンディングしろよ!」

 

って言われてるような

イメージ。

 

カトちゃんに。

 

 

ヨガでも予約しようかな…

 

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亨くんが岡田くんを口説いているようですが、筋反射をとっています。亨くんを見るとアルセウスというポケモンが浮かびます。進化した白い生きものって感じが。

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ちなみに亨くんは誕生数が5。最近わたしの周りは5の人がなぜかいっぱい。共通して感じるのは、ひょうひょうとしているのに静かな情熱があって、自分の軸をしっかりもっているところ。

5は自由を尊ぶ存在でもあるのでわたしもその自由な波動の影響を受けていると感じます。

ほうき持ってるのは髪の毛の掃除手伝わせてもらったから!

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ビクビクしながらアップしています。このおふたりを素材にして、もっといい写真がないものですから(汗)わたしもこのあと岡田師匠に髪を切っていただきました。

 

 

メディテーションはメディスンなり

 

わたしにとって

この世で一番危険なもの

それはインターネットの

猫動画です。

 

誘惑に負けて一度再生したら最後、

次の動画を再生し続ける

無限自動装置と化します。

 

もうただ放心して

猫動画にふけります。

 

やらなくてはならないことが

山ほどあるときほど、

この誘惑が訪れるので、

(見るつもりはなくても

不意に出てきませんか?)

 

最初のひとつを

再生しないことに

全力を注ぎます。

 

うっかり誘惑に負けたときには

パソコンの画面が見えなくても、

「また猫動画見てるんでしょう…」と

娘が言ってきます。

 

猫動画を見ているときに出る

わたしのダメ感がものすごくて

バレるのらしいです。

 

みなさんはどのようにして

この危険を回避して

いるのでしょうか…

 

 

と、

 

わざわざ読んでいただく

価値をどこに見つけたら

よいのかわからない話から

はじめずには

いられないほど、

 

心が揺れ動く日々

でありました。

 

 

6年間勤めて、

たくさんの母さんたちに

育ててもらった

職場での日々が

グランドフィナーレを迎え、

 

娘が体調不良で

学校からお迎え要請が

入って症状にあせり、

 

わたし自身も年齢的な

影響でいろいろあって、

(これが一番大きかった…)

 

こんなときこそと

必要だとしみじみ

感じるのは、

 

瞑想です。

 

TM瞑想の指導を

受けているものの

実践がほぼできていない

状況だったのですが、

 

(朝夕2回の瞑想の時間のうち

朝はできても夕方が難しい!)

 

これからは

自分のリズムで

仕事ができる

ようになるので、

 

ぜひとも

毎日続けたい。

 

 

瞑想は英語で言えば

メディテーションですが、

 

メディテーション

そのまま

メディスンだと

感じるからです。

 

メディスンは

薬の訳もありますが

 

ネイティブアメリカン

言うメディスンは

治癒をもたらす

力そのものの

ことだと思います。

 

細野晴臣さんの

昔のアルバムで

メディスン・コンピレーション

というものがあって、

 

この中に

ラフター・メディテーションという

曲が入っていました。

 

「笑う瞑想」

 

 

アルバムが出た当時、

このタイトルに

とても惹かれた

記憶があります。

(わたし20代…、

いつのまにかはるか昔)

 

 

笑いもまた

メディスン。

 

重い空気を

一瞬にして

払ってくれるし

 

がん細胞を

減少させるって

研究結果は有名ですよね。

 

IHセッションで

筋反射をとるときの

手のかたちが

江頭2:50

「がっぺむかつく!」

みたいですねって

言われたことがあって、

 

泣くほど笑ったことがあります。

なんか感動して。

 

どんな問題を扱うときも

いつも心にエガちゃんを

って思ってる。

 

最近相談に乗ってもらっていた

友人にも

 

複雑に考えないで

素直に陽気に明るくが一番だよって

言ってもらって、

 

本当にそうしたいって思った。

 

シンプルに考えられなくなったら

きっと注意信号なんだな。

 

不必要に理由付けを

しまくったり。

 

今朝起きたときのメッセージは

「理由付けはいらない」

でした。

(毎朝「今朝のひとこと」みたいのがくる)

 

 

 

今日はこれから

掃除もします!

 

掃除もまたメディスン。

 

って、

どんだけメディス

必要としてるんか!

って思いますね。

 

ちょっと前まで

本当にヘロヘロで(笑)

 

そんな中、

IHのセッションを行うとき

その方に集中できる

その時間が

わたしにとっても

大きな癒やしであることを

しみじみと感じられて、

 

感謝があふれました。

 

その方にも、

 

わたしを通過する

大きな力にも。

 

 

それは

メディスンそのもので、

 

誰の中にもかならず

あふれています。

 

さ!

掃除掃除!

 

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娘がおもむろに書きはじめた父さんの似顔絵が、似て過ぎる。娘、絵心のなさは幼少期から発覚しておりましたが、これはなにかをよく捉えている。寝ぐせもよい。娘史上最高傑作。

やめるをはじめる

 

いろんな場所で

断捨離の話題がでます。

 

毒だしという意味でも

春は断捨離の

季節なのでしょうか

 

そんなわたしも仕事の

区切りがついたら

まずは断捨離!って

思ってて、 

 

不要なものには

お礼を言って、

さっぱりお別れしたい

気持ちでいっぱいです。

 

でも、どちらかというと

ものよりも

自分の思い込みや習慣を

手放すような断捨離を

やってみたいような。

 

 

執着するのをやめる

 

依存するのをやめる

 

批判するのをやめる

 

自分を責めるのをやめる

 

やめなきゃ!って思うのをやめる

っていうのも。

 

春ははじまりの季節だけど

いろんな「やめる」を

はじめるのがいいと思って。

 

 

IHのご感想で

本当にうれしいものを

いただいています。

 

一方で

深い喪失を体験したり、

 

負のループを抜け出せなかったり、

 

自分が無力に

感じてしまっている

方もいるかと思います。

 

でも、問題が現れるのは

その人がそれを扱えるように

なったからなのだと思うし、

 

ふたをしてどこが自分の

奥底に隠してあった

壺が開いて

いよいよ中身が

ででいくとき 

だからなんだと思う。

 

病気も、破局も、リストラも

 

失敗でも挫折でも罰でもなく、

 

どんな強烈な体験で

傷ついたとしても

 

本来のその人自身は

なにも損なわれず

完全なままあるのだと思うし、

 

全部はその本来の姿に

至る道なんだって思う。

 

 

ブルゾンちえみ

声がかわいいですね!

 

なんか重々しいので

はさんでみました。

 

35億。

 

 

落後に「粗忽長屋」という噺があります。

 

死んだ本人がそれに気づかず

自分の死体を運ぼうとする

噺なのですが、

 

立川談志はこれを「主観長屋」と呼んでいて、

 

すべての現象がどう見えるかは

主観のみに頼っている、

ってことなのだと思うのだけど、

 

(死んだって気づかないほど

客観性がない、ってこと)

 

たとえば

カップルが並んで同じ景色を

見ていて「きれいだね」って、

言ってても、

 

なにをきれいって

感じてるかは本当は

わからないし、

 

なにをきれいと感じるかは

本当に自由なその人の

領域だとも思うから、

 

同じじゃなくても

当然だと思うし、

 

それで、かみ合ってる場合も

いっぱいあるのだと思うのだけど

 

同じものを「きれい」って

思ってるっていう

思い込みの方が

逆に乖離を生んで

しまう気がする。

 

みんなそれぞれの主観の

世界に暮らしているから。

 

今日はタイトルだけ

先に浮かんで、

書きながら、

こういう内容だったんだって

教えてもらってる感じがします。

 

ちょっと自動書記的。 

 (もちろんまったくそんな能力ないですけど)

 

先週みれいさんと

忍田彩さんの

トークショー

行ってきました。

 

次号のマーマーマガジンフォーメンで

特集される「都市を滅ぼせ」という

本についてのお話では、

 

みれいさんが

この内容を取り上げる

ことの難しさについて

語っていて、

 

でも取り上げずには

いられない強い気持ちも

語ってくれて、

 

「みなさんはわたしのことを

きらいになってしまうかもしれません」

とも言っていて、

 

それほどの覚悟の記事で

(マーマーマガジンは

どの記事だって実はそうだったと

思うのですが)

 

まさに「やめることをはじめる」

ための記事なんじゃないかな

って感じてる。

 

 

なにかの終焉に

別離に

悲しんでいる人に、

 

それは無理の上に

成り立った幸せとの

お別れっでことで、

 

むしろ継続的な

その人の本当の幸せの

はじまりなんだよって

 

言いたい。

 

ブルゾンちえみ

かわいい声で。

 

 

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犬の散歩で通る場所にある木。あきらかに男性と女性。葉っぱのある季節は完全に1本の木みたいに見える。「男女の木」って勝手に呼んでたけど、こういうふたつのものがひとつのように見えるのものをタントリックツインって言うらしい。他の場所でも見つけた。注意してみてると結構あるよ男女の木。

 

 

わらしべライフ

 

ねらって起こること

ではなく

 

自然に起こることが

すきなので

  

わらしべ長者マインドで

そのときそのときを

生きてるようなもの

なのですが

 

最近は、わらしべが

まさかこんなものに!

 

みたいな出来事ばかり。

  

なかでも

おもしろかった

エピソードを。

 

 

先日お会いした方の

お財布がとてもすてきで、

(アフリカの古布を

リメイクしたものだそう)

 

すてきですね!って

お話ししたら、

 

そこから近いお店で買った

って教えていただいて、

(としこさんありがとう!!!)

 

しかもそのお店の方の

雰囲気がわたしに

似てるってことで、

 

なんか無性に

行ってみたら

いい気がして、

 

その日の帰りに

早速寄ってみましたら、

 

モロッコの古布を

つかった、そのお店

オリジナルのバッグが

あまりにかわいくて、

 

最近IHの荷物でパンッパンの

カリマーのリュックしか

背負ってないから、

 

もうぜひ買ったらいい

気がして、

即座に購入することに。

 

この時点ですでに

わらしべがバッグに

なってるわけですが、

 

それよりもなによりも、

わたしに似てると

言われた

このお店の方、

 

想像以上に同じ顔で(笑)

 

生き別れた双子か

ドッペルゲンガー

という

 

不思議な気持ちで

お話してて、

 

先方にもそう思って

いただいたようで

 

お店を出る前には、

鏡で確認してみましょう!

ってことに(笑)

 

でも、「ほぼ一致」みたいな

気持ちでお顔を見てたのに

 

ならんで比べてみると

結構違ってて

逆にびっくりしてみたり。

 

たぶん骨格とか

パーツの位置とか

変えようがないところが

似てるのだと思う。

 

同じ顔のよしみで

 

IHのお話を

させていただいて、

 

同じ顔の方を

ナンパさせて

もらいましたが、

 

いらしていただけたら、

 

それも、

おもしろいですね。

 

 

もうね、こんな話が

毎日いっぱい。

 

シンクロと呼ぶのも

野暮なほど。

 

わたしが握ってる

わらしべがそもそも

変化したのだと

思うのですが、

 

(なんというか、より

純度の高いわらしべに…)

 

わらしべごときと

思わずに、

 

その時その時

自然に起こることを

楽しんだら、

 

どんどんと

 

思ってもみない

ギフトに姿を

変えていくのだと思う。

 

 

魔法ってあるよ!

 

 

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地元のホールに喬太郎師匠が来まして、超久々に喬太郎師匠の高座を見ることができました(写真はうんと前の上野の鈴本で、喬太郎師匠がトリだったとき)。

もう喬太郎師匠のことがどんなに好きか、説明したくないくらい喬太郎師匠が好きです。月が月であることをいちいち説明したくないように、鳥が鳥であることをいちいち説明したくないように。喬太郎師匠はわたしにとって絶対的存在。

ネットで検索しても、その素晴らしさは残念ながらわかりません。生でみてこそ。落語は生きもので流動体だからです。

 

落語はだいたいその日の客席の様子を見て演目が決められるので、はじまるまでなにが見られるかわかりません。寄席などコアなファンが集まる場所ではなんの噺がはじまるのか、一瞬息をのむ空気になります。

この日の演目は「夢の酒」と「井戸の茶碗」。

 

井戸の茶碗」は喬太郎師匠の得意な演目で、超わらしべ噺!

 

でもこの日は「夢の酒」がさらによかった、軽いお話だけど、喬太郎師匠の演じる女性がわたしは大好き。めちゃ美人なのが目に浮かぶようで。

 

はー、話せて少し気が済みました。

喬太郎師匠が好きです。

(しつこい)

 

オカン芸

 

全部の子どもの

お母さんになりたい

 

という、

おそろしく

傲慢な感情が

うんと若い頃から

ありました。

 

自分でも

なんでそんなこと

思うんだろうって

不思議だったのですが、

 

(だってたったひとりの

娘にすら自分の感情に

まかせて理不尽に接して

いるくらいですから…)

 

ひとつの謎解きに

なったのは

 

修道女だった前世で

たくさんの子どもたちと

暮らしていたときの感情で

あるらしいこと。

 

どの子もみんな

すばらしくて

子どもに囲まれた

暮らしが

その人には

とても幸せだったし、

 

どんな理由が

あったとしても、

子どもが

自分は愛される

価値がないって

思うのが

我慢ならなかった。

 

にしても、

 

今回のわたしは

 

面倒見がいいわけでもなく

(面倒はみてもらいたいです)

 

お料理が得意なわけでもなく

(昨日職場の最後の食事当番で

おかず作り終わったらホッと

しちゃって、炊飯器のスイッチ

入れ忘れて恐ろしい思いをしました)

 

手作りが好きってわけでもなく

(娘の幼稚園バッグは布を選ぶ

ところまでは楽しかったけどミシン

が嫌すぎて泣きながら作りました)


時々ひとりの時間を

持たないと

耐えられないし

(時々じゃなくて、

頻繁に持ちたいくらいで

 

そんなわたしなのに

 

なんで

全部の子どものお母さんに

なんて思うのって

 

不可解でならなかった

わけですが、

 

 

IHのお仕事を通して

もうひとつの

謎解きが。

 

最近のセッション、

 

インナーチャイルド

お出ましいただくことが

本当に多いのですが、

 

その子が教えて

くれることが

いつも正解だから

常にその子の声を

聞いてあげて

くださいね、

って、

 

どうぞどうぞ

その子をよろしく

お願いします!

って、 

 

ご本人に熱く

お願いするような

場面も多く、

 

それはもう、

その子を預ける

実の母みたいな

圧で、

 

セッション中の話し方といい

もうオカン芸みたいなことに

なってきているのですが、

 

要するにわたしは

全部のインナーチャイルド

お母さんになりたいみたいです。

 

 

いろんな環境や体験から

子ども時代に

子どもらしく過ごせずに

大人になった人は

ほんとうにたくさん

いるのだと思います。

 

思えば

うちの父もそうでした。

 

父は亡くなってしまったけど、

今からでもできることなら

父のインナーチャイルド

抱っこしてあげたい。

 

子ども時代は

取り戻せないかも

しれないけど

 

大人になったその人自身は

小っちゃい自分の

面倒を見てあげる

ことができます。

 

好きなところに

連れて行って

あげられます。

 

お話を聞いて

あげられます。

 

今からでも

いっぱい子どもを

やらせてあげられます。

 

どこかに

閉じ込められて

しまっているなら

 

その場所から

出てきてほしいし、

 

言いたいことを

我慢してるなら、

 

ちゃんと発言

できるように

なってほしい。

 

子どもらしく

 

駆け回るように

自由に

 

跳ねるように

楽しく

 

過ごしてみてほしい。

 

喜びで満々に

なってみてほしい。

 

ふわっふわに

幸せをふくらませてほしい。

 

わたしたぶん

それが一番やりたい。

 

 

本日行ったセッションも

やはりインナーチャイルド

大活躍でした。

 

 

ご本人も忘れかけていた

本当の目標へ

導かれた展開も

すばらしくて、

 

筋反射への信頼は

厚くなる一方

なのですが、

 

おもしろかったのが

 

わたしのオカン臭を

嗅ぎつけてくださるのか

 

今回お会いするのは

はじめてでしたのに

ご自分の子どものころの

写真を持ってきてくれて

いたこと。

 

まるで、

セッションの内容が

そうなるのがわかっていた

かのように!

 

 

他にも

セッションを通して

感じているのは、

 

人はそれぞれ

本当に自由で制限のない

存在なのだということ、

 

心の領域は無限だし

なにを大切に

思ったっていい。

 

 

全部のインナーチャイルド

オカンになりたいって

思うのもきっと自由。

 

オカン芸、磨いてまいります。

 

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駆け回るように自由に!跳ねるように楽しく!

 

先日の連休に思い立って向かった千葉の海。浜焼き?みたいのでハマグリいっぱい食べた。なめろうめちゃうまかった。海に足をつけたら、それはそれは冷たかったけど、帰りは足がぽかぽかだったのが不思議。ときどき素足で土とか草とかに立ってみたらいいね。電化製品みたいにアースするから。

 

木がないと落ち着かないので、海はそんなに好きじゃないけど、春の海は好き。

 

金色の糸口

ブログを書く時間が

ありそうだった本日、

 

いくつか

書きたいテーマも

そろっていたけど、

 

これにしようという

決め手がなく、

 

はて、なにか

糸口となるものは…

と思って、

 

糸口、

 

そうか!糸!

ってなって、

 

思いついたお話を。

 

 

世界が

1枚の布だとしたら、

 

って昔からよく

考えます。

 

世界が1枚の布で、

 

1本1本の糸が

ひとりひとり。

 

 

たとえばその布が

全体で見れば

くすんで黒く

見えてしまっていても

 

いろんな色の糸が

もちろん混ざっていて、

 

実は金色の糸も

たくさん光っている

かもしれなくて、

 

布全体が何色に見えているかに

フォーカスしたら、

 

黒いじゃないか…

 

って思うかもしれないけど、

 

自分が何色の糸でありたいか

(何色の布に存在していたいか)

にフォーカスして

 

1本1本の糸が

金色に光りはじめたら

 

黒いと思っていた布は

金色の布に変わるのだと思う。

 

 

「この薄汚れた世界から

子どもたちを守りたい!」

って発言したら

 

世界は薄汚れているって

自分で設定してしまう

ことになるから

 

たとえ世界が黒い布に見えてても

 

黒いじゃないか!

って反応することに、

全然興味がありません。

 

1本1本の糸が

布そのものだと思うので、

 

1本1本の糸が

色を変えることでしか

世界の色は変わらないって

思ってるからです。

 

糸が何色であるかは

ひとりひとりの

自由です。

 

くんすだ糸でいたかったら

全然自由だけど、

 

その糸自身が

そのことに

いちばん苦しむの

かもしれません。

  

糸の色はいつだって

自分で選べるって

思います。

 

どうも、わたし

金色の布の世界に

生きてみたことが

ある気がする。

 

キラッキラに金色の布。

 

(前世がもっと調和した

未来だったり、他の星だったり

することもあるみたいですよ)

 

 

だから今の世界で

やる気を失って

「この世アレルギー」として

生きてきたんだと思うのだけど、

 

せめて自分は金色の糸を

目指したいって

ずっとこっそり思ってた。

 

でももう、

こっそり思ってる

場合じゃないです。

  

IHのお仕事を通して

1本1本の糸が

自分に最適な色に戻る

お手伝いができたら、

 

すごくうれしいし、 

 

わたしのできることは

ほんとうに微力だけど、

 

その糸の周りで、さらに

それが伝播していったら、

 

世界はどんな色の

布になるのか。

 

ものすごくそれに

興味があります。 

 

意外と壮大。

 

車で熱唱しすぎて

のどを痛めていますが

 

バカなだけでは

ないのではと、

自分に希望を

抱いています。

 

 

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我が家のご神体。チュー太郎。わたしが1歳くらいのときから一緒。なぜかこのぬいぐるみだけに愛着を示したようです。綿がパンッパンに詰まってる様子といい、ブサイク加減とい、ボーダーにサロペットといい、何もかもたまらなく大好き。

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転がしてみたらそれもかわいくて。写真どれにするか筋反射で選んだら今日はチュー太郎で、なんで?って思ったけど、破れたところを母が何度も縫って補修してくれていて、その糸の色が白かったり黒かったり適当なところが、なんとも母らしいのですが、糸つながりでチュー太郎だったのかも。

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チュー太郎には立派な白い歯がありました。

 

 

脱力の春

脱力デーです。

 

脱力してお届けしてまいります。

 

ホームページの準備が

全然できていません。

 

自宅の和室を

サロンにする準備も

遅れています。

 

最優先事項にちがいないのに

こんなことではいけない

気がしていましたが、

 

自分の処理能力を思えば、

 

仕事がもうすぐ

終了となるのだから、

 

目の前の日々のことを

順番にやっていって、

 

呼吸を整えて、

とり組むのがよいかなと

いう気持ちになってきて、

 

今は職場の最後の日々を

ただ心を込めて

過ごしてみることに。

 

 

ネット上からご予約いただける

ようになるのはもう少し先と

なってしまいそうなのですが、

 

この期間にわたし自身が

整うことが、

クライアントを迎えるために

必要なのだとも感じています。

 

 

いずれにしても、

船出のときで、

 

春で、

 

聖子ちゃんの

チェリーブラッサム

熱唱したい気持ちで

いっぱいなわけですが、

 

船に一緒に乗ってくれる人が

どんどん現れて、

 

まだまだおぼつかない

わたしにちゃんと

苦言を呈してくれたりもして、

 

わたしは本当に

幸せだと思うし、

 

これからやっとこの人生が

本当にはじまるのかも。

 

 

とても不思議なのですが、

 

IHセッションに出かけるとき、

 

どんな方かも

どんなテーマかも

わからないのに

 

緊張したり

不安になったり

することがありません。

 

理由を考えてみるに、

 

完全に自分がツールだと

思っているからなのだと思う。

 

 

キッチンのお玉が

「今日のわたし、お味噌汁を上手にすくえるかしら…」

とか不安に思わないように。

 

爪切りが

「手の爪は切れるけど、足の爪は切れるだろうか…」

とか心配しないように。

 

 

わたしはIHという

洗練された方法を

行うためのツールなので、

ツールとして

自分を整えておく必要は

あるとは思うけど、

 

もはや自分の裁量を超えた

クライアントの存在全体と

宇宙との作用が起こる場に

立ち会わせてもらっている

だけみたいな気持ちでいる。

 

これも不思議なのだけど、

 

すべてクライアント自身の

選択や決断で進むのだけれど、

立ち会う人、というのは

どうも必要みたいで、

 

まあ、それが宇宙が

分離してる意味

(他者がいるという意味)

なのかもしれないけど、

 

IHを行うわたしは、

ツールで

立会人

なのだと思っている。

 

 

 

そう、脱力といえば、

 

さっき娘が友だちと遊ぶと

出かけていったのですが、

 

部活もない休みの日なのに

学校のジャージを着ていたので、

理由を聞くと、

 

「おにごっこするから」

と。

 

耳を疑いましたが、

 

この春で中2の娘、

おにごっこして

遊んでるみたいです。

 

半袖半ズボンの体操着の上に

長袖ジャージの

万全の体制で。

(「暑くなったら脱げるでしょ」

って、ものすごく得意げに

言われました)

 

脱力の春。

 

 

娘も夫も家におりません。

 

 

このチャンスに

やっと、本当にやっと『騎士団長殺し』。

 

この世から全力で気配を消して読みます。

そこは全力です。

 

 

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娘の誕生日プレゼントに買ったアンデス25。娘が小さいとき栗コーダーカルテットのコンサートに行って、CDにサインしてもらったとき、栗原さんに「鍵盤なのにリコーダーの音がするあの楽器はなんですか?」って聞いたら、サインの横に「アンデス25」って書いてくれて、いつか絶対買いたいと思っていた。内部に笛が内蔵されている。リコーダーの音だけど和音が弾けるのも新鮮。何の曲を弾いてもめっちゃ脱力。めっちゃかわいい。娘、よろこんだ。耳コピーは得意なので言うと何でも弾いてくれる。