Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

エネルギーのダンスが恋なのかも

恋というのは

 

惹かれ合う

エネルギーの

ダンスのような

ものならば、

 

年齢も性別も

関係ないのだよなあ、

ということ、

 

いつも思います。

 

たとえば、

 

ちょっとした

ハプニングに

目を合わせて

笑ったり、

 

ただそれだけで、

ふわっと

ときめくようなことって

いくつになっても

あったりする。

 

また、

わたしの場合、

 

こどもたちと

いると、

 

毎日が

エネルギーの

ダンスパーティーのようで、

 

それはある意味

わたしの中では

恋のような

エネルギーの動きに

なっているような

気もしていて、

 

そこにある

素直さや

まっすぐさ

みたいなものに

いつも胸が熱くなります。

 

いわゆる

恋愛に限らずとも、

 

心がポッと

花開くような

なにかというのは、

 

いつだって

あってくれた

ほうがいいし、

 

いくつになっても

女性であることに

意識的でありたい。

 

最近特に

そんなふうに

思うように

なっているのは、

 

そろそろ

閉経かな?

どうかな?

みたいな時期に

なってくると、

 

自分が女性である

ということについて、

意外と揺れる自分がいたりして、

 

(少し前まで髪型がセンター分けだったのですが

自分がどんどんみうらじゅんさんに似てくる気がして、

このままおじさんになっていくのかな?

でも、みうらじゅんさんは好きだから

それでもいいのかな???となっていっていた(笑))

 

でも、

依然として

自分が

俄然、断然、

女性であるということを、

あらためて感たりもして、

 

見た目やファッションは

また別として、

 

マインド的には

いつまでも内側に

ポンと花が咲く自分で

いられたらと思う。

 

いわゆる恋愛とは

また別であっても、

 

恋のような

エネルギーの動きというか、

エネルギーのダンスって、

 

いつだって、

誰にだって、

必要に思えるし、

 

生きている証拠

みたいな気もします。

 

 

娘に誘われて、羊文学のライブへ。

 

アンコールのMCで泣いてしまったモエカさんのお話の聴きながら、

前の席の女の子が何度もハンカチで涙をぬぐっているようすが

かわいかった。

 

個人的にいちばん好きだった曲は

羊文学 "ロマンス" (Official Music Video) - YouTube

です!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出すゲーム/これからが一番いいところ!

「わかった!」

 

の瞬間が

いちばんいいところ。

 

うろ覚えなのですが、

 

ピタゴラスイッチなどを

生みだした

リエーターの

佐藤雅彦さんが

そんなお話を

されていたことを

 

印象的に

記憶しています。

 

自分で「わかる」瞬間に

いちばんのよろこびがあるから、

 

近道ではなくても、

試行錯誤することに、

価値がある。

 

たぶん

そういった

お話だったような。

 

また、

 

とある方法で

スピリチュアルなセッションを

行っていたある方は、

 

一番多い質問が

「わたしの魂の目的はなんでしょうか」

といった内容であることに関して、

 

「それを思い出すことが

いちばんおもしろいことだし、

自分の内なる神が

絶対に知っていること」

 

といったお話を

されていました。

 

 

「空(くう)」

 

「源(みなもと)」

 

「一なるもの」

 

「神」

 

様々な表現で

呼ばれますが、

 

わたしたちの大元は

ひとつであり、

 

その大元の

無限の可能性を

試すかのように、

 

宇宙が生まれ、

今も劇的に

展開しているかの

ようですが、

 

実は本当のところ

何も起こっていない

というのも

かなりの

びっくりポイント

かと思うのですが、

 

では、

すべては幻想だから、

虚無なのかというと、

 

決してそうでは

ないですよね。

 

わたしたちが

意識として体験する

「わたし」という旅。

 

わざわざ分かれてまで

「一緒に」創造する

よろこび。

 

その道のりの

すべてが尊いのだと

思いますし、

 

同時に、

 

純粋な遊びというか、

ゲームなのだとも

思います。

 

「意味」

というよりも、

 

「味わうこと」

「たのしむこと」

の方に目的がある。

 

たくさんに分かれた

ひとつのものは、

 

それぞれのバージョンで

「味わう」「たのしむ」を

続けていて、

 

とりわけ

地球という星は

 

肉体的にも

精神的にも

ものすごく

 

貴重な体験を

与えてくれる

場所だったのだと思います。

 

地球は

レディガイア、

マザーアースなどと

呼ばれるように、

女性性、母性を

テーマとした星。

 

宇宙でも稀なる包容力を

持っているからこそ、

これほど豊かな生態系が

循環的に存在できて

いるようですが

 

(宇宙のアクアリウムのように!)

 

ただ、

 

そのあまりの包容力で

どんな存在も

受け入れてきたことで、

 

支配的な一部の存在が

現在の社会構造を

つくり出した面もあった。

(そして、そういった存在もまた

「わたし」でもあります)

 

長くなっていますが、

 

今日まとめたかったのは、

 

「わたし」という

旅において、

 

どんなコースを

たどろうとも、

自由だとしても、

 

旅って、

最後は絶対

おうちに

帰りますよね。

 

コースは

無限だとしても、

 

誰もが、

 

おうちから

出かけて、

おうちに

戻ってくる。

 

どこに行こうとも

本当はわたししか

いなかったんだ、

 

って、

わかる場所へ

いつかは戻る。

 

 

そのプロセスの

どこかにある

 

ということは

もれなく誰にでも

あてはまるのだと

思います。

 

 

今の地球は、

 

大きなサイクルの

変わり目ということで、

 

この機会に

思いだそう、

帰ろう、

という、

 

コースの

魂はきっと

とても多い。

 

そして、

 

重荷をひとり

背負ってきたかのような

マザーアースに

恩返しをするように、

 

これからの地球が

楽園となるための

種をそれぞれに

蒔いてもいきたい。

 

きっと、

自分バージョンで

そんなシナリオが

たくさん描かれていて、

 

でもでも、

容易ではないのは、

 

わたしたちは

そのシナリオのテーマも

攻略方法も全消去して

ストーリーに臨みます。

 

「そうか!」

って、

思い出していく、

わかっていく

過程にこそ

目的があり

味わいがある

わけだから、

 

ゲームをスタート

するときに

一度全部忘れて

きたんですよね。

 

 

その道中には、

直感の導きがあり、

 

自分が仕込んだ

イベントがあり、

 

それを通した

出合いや学びや

ヒントがあり、

 

ハマってしまう

なにかもあったりして、

 

すっかり

わからなく

なってしまうときも

あるかもしれないし、

 

外側に答えを

探しまくることも

あるかもしれません。

 

でも、

この道のりは

もう帰る道の

どこかであることは

確かだとわかるなら、

 

おためしも

ウェルカムというか、

 

自分の選択に

どんどん自覚的になるほどに

大丈夫になっていく感が

あります。

 

自分が創造してきた

この旅のコース。

 

(たぶんそれぞれに

相当な無理ゲー!)

 

ここまで進んでこれたことを

わたしたちは

思いっきり祝って

いいのだと思っていますし、

 

これからを

もっともっと

たのしみにしていて

いいのだと思っています✨️

 

八重桜の花を少しわけていただいて、

桜の花の塩漬けに。

 

土鍋で桜の炊き込みごはんにしてみたり、

桜湯にして飲んでみたり、

ありがたくいただいています。

 

庭のスギナの若芽を摘んで、

スギナ茶も作ってみた。

 

近くに生えているもの、

咲いているもの、

実っているものの

恵みはこんなにもあるものかと

感謝するばかり。

 

 

 

快眠イズカミングバック!

 

変容のときですね。

 

自分の選択を

クリアにするための、

 

大きな揺さぶりや、

おためしみたいなことが、

 

日常茶飯事と

なってきているのかも

しれません。

 

わたし自身も

日々のいろんな場面に

そんなことを

感じていたりもしますが、

 

自分のことに

関しては、

 

要するに

ひとことでいうと

更年期なのかも?

 

という見方も

ぬぐいきれません(笑)

 

からだの変化、

 

子どもが手を離れたことによる、

生活の変化、

自分の役割の変化、

 

これはいわゆる

ミドルエイジクライシス的な

揺さぶりなのかもですが、

 

このような時代に、

年齢的に

そのような時期を

迎えている

ということ自体が

必然というか、

 

より意識的に

これからの選択を

クリアにする

プロセスを

踏んでいるように

感じています。

 

思いますのは、

閉経前後と言える、

この年代の、

(わたしは53さいです)

 

からだとこころの

大きな変化というか

揺れについては

もっとくわしく

伝えられていて

よいのではないか

ということ。

 

「更年期」と

ひとくくりにされがちですが、

 

悩みとなることは、

実は人それぞれというか、

ものすごく多様だったり

するのではないでしょうか。

 

わたしに関しては、

ホルモンの影響かと思いますが、

どんどん眠りが浅くなってきたことが

悩みの種でした。

 

(眠りの質による心身への影響って、

小さくないですよね!)

 

なんといっても、

わたしにとっては

いかなる娯楽も

超越して、

 

眠ることが

最高の娯楽でしたから、

 

(「寝るの楽しみ!!!!」と

思って日中も生きているし、

実際にベッドに入って

眠れるときのしあわせ

といったらありません!!)

 

途切れ途切れにしか

眠れなくなってきたときの

落胆といったらありません

でした。

 

が!

 

ここ最近、

日によっては

とてもよく眠れていて、

 

久々のぐっすり感に、

それはそれは

よろこびを感じています。

 

ここをのぞきに来てくれた方で、

同じような悩みを感じている方も

いるかもしれません。

 

あくまでわたしの場合は

ということに

なってしまうのですが、

 

いくつか効果を

感じたこと、

紹介させていただきますね!

 

________

 

◎クラリセージの精油

 

眠る前に使う以外にも、

クラリセージとローズをブレンドした自作の

アロマミストも愛用中!

(眠る前に使うのは、毎日ではなく

使いたいと感じたときにしています)

 

松田純子先生に教えていただきました。

まるで植物たちの代弁者のように、

いつも植物側の目線から

お話をしてくれる純子先生。

植物たちがどれほど強く

わたしたちをサポートしてくれる

存在なのかということがいつも

言葉を越えて伝わってきます。

 

 

◎おでこまわりのリリース(寝る前)

 

これはわりと最近はじめた

習慣なのですが、

眠りの深さに関しては、

いちばん効果を感じています!

 

ベッドに横になった状態で、

手のひらを重ねておでこにあて、

手の重みでグーッと圧をかけて

そのまま上方向に上げる、

 

(眉の高さ、おでこの中央、髪の毛の生え際の三段階の高さ

× 中央、右、左で計6回 各15秒ずつ)

 

頭をほぐすといいのは、

自律神経に働きかけるのだと

思いますが、

 

自分でやりやすい場所ということで

おでこを試してみたら、

すごくいい感じです。

 

背骨回りをほぐすことも

同じく自律神経を整えてくれるようなので、

余裕があるときは

ボールなどをつかった

背骨まわりほぐしも

寝る前にやってみようかと思っている。

 

◎1日1アース

 

どんどん

なんのこっちゃに

なってきますが、

 

からだの電気を大地に流す?

みたいなイメージで、

1日1回、裸足で庭(猫の額)に

出てみています。

 

裸足で外

ができない場合も

多いかと思いますが、

 

代わりに

公園などで大きな木に

触らせてもらったり、

 

木に仙骨をあてるといい

なんてお話を

きいたことがあるので、

木に寄りかかるようにして

仙骨をあててみたりも。

 

以前からの習慣で

半身浴ももちろん

続けています!

 

ーーーーーーー

 

眠りが浅くなって

困っていること、

 

いろんな機会に

いろんな場所で

自然と話題となって、

 

寝室に携帯電話を

置かないという方も

いましたし、

 

確実に眠りを浅くする、

お酒はNG

というお話も

聴いたりしましたが、

 

わたしは結局、

 

寝室に携帯は

ありにしていたり、

(寝る前に落語聴いたりしたくて……)

 

寝る前でなければ

食事のときに

ワインを飲んだり

します。

 

本当ならこの辺も

気をつけるようにした方が

いいのかもしれませんが、

 

自分なりのバランスで

心地よい落としどころを

探しながら、

いろいろ調整中。

 

おもしろいなあと

感じるのは、

 

年齢的な変化に

揺さぶられている

おかげで、

 

自分がどのようにあることが

心地よいのかということに

より意識的になる機会

となってくれて、

変化はつねに

続くし、

 

そのベクトルが

逆向きになることは

ないのだけど、

 

必要なサポートというのも、

いつもちゃんと存在して

くれているのかな

ということも、

感じたりします。

 

変容のときですね。

 

すべて

受け入れられる自分、

 

よいとかわるいとかで

とらえずに、

味わえる自分に

 

なってきている

かもしれません。

 

 

娘と出かけたとき。

 

娘の留学まで1か月を切って、

わちゃわちゃしつつも、

家族の時間が密月みたいになってきた。

 

 

 

 

 

 

 

失敗もすべては完璧!/自分の地球プランを思い出す

この人生を通して、

自分が体験したいことの

テーマに沿って、

 

自分が自分に用意したプラン、

「魂のプループリント」。

 

今回の生のみならず、

 

相当な道のりに

なることを承知の上で、

 

地球に転生すると決めた

大元のテーマみたいなものも

あるように思うのですが、

いかがでしょうか。

 

人生は

本当にドラクエみたいな

ロールプレイングゲーム

思えています。

 

(わたしのドラクエの知識は

ドラクエが生まれた80年代で

とまっていますが)

 

メインのストーリーとは

関係なく、

 

フィールドや

ダンジョンで

モンスターと

戦うことに

時間を費やす

こともできるし、

 

エクストラゲームに

興じて過ごす

こともできる。

 

けれども、

メインのストーリーを

進行させることから、

遠ざかりすぎると、

 

他ならぬ本人に

違和感が出てくる

ものなのだと思います。

 

(空虚さや不安などなど)

 

また、

自分のメインのストーリーが、

 

この世界での

標準ストーリーみたいなものに、

(しあわせとはこう、

成功とはこうみたいな)

すり替わってしまう場合も、

 

強い葛藤と

なりそうですよね。

 

わたしは個人的に、

 

自分が感じる

しあわせと

 

社会的な評価とか

成功みたいなものは

 

一致しない、

感覚があったので、

 

自分のしあわせって……、

ということをガイドに

進んできたように

思ってるのですが、

 

それでもやはり、

 

こうでよかったのかな?

と疑問に思ったり、

することは、

ありましたし、

 

すべては自分のプラン、

シナリオと思ってはいても、

 

どうしてこんなことが!

と翻弄されたりすることは

多々ありました。

 

うん。

 

「あった」(過去形)

 

なんです。

 

ここに来て、

1枚1枚

ベールをめくるように

徐々に思い出されて

いますのは、

 

今回の生の

ブループリント

というよりも、

 

地球に生まれてきた

大元のブループリントの

ようなもの。

 

自分がどういうテーマを持って

やる気満々でやってきたのか、

ということも、

 

そのわりに、

あまりのハードさに

ポキリと折れていたことも、

 

感覚として

思い出されます。

 

ポキリと折れてきたのも、

失敗なんかではなくて、

それでよかったの

だとも思う。

 

ここは、

自分のプランも

自分の本来の力も

忘れた設定で

プランを進めていく

ゲームだったから、

 

うまくそれを

やってきたんだなと。

 

ダンジョンに

ハマるように、

忘れて忘れまくって、

迷いに迷いまくって、

 

それでも、

自分の魂の

ナビゲーションで

ここまで

進んで来たのだと

思う。

 

きっとみんな

そうですよね。

 

そして今、

 

たくさんの人が

思い出すことを

すすめているのだと思う。

 

思い出すことは

元の自分に

帰ること。

 

「これでよかったんだろうか?」

という自分への疑問のすべてに、

 

「それでよかった」

と完全に思えるし。

 

「どうしてこんなことが!」

という出来事のすべてに、

 

他でもない自分のニーズが

あったことがわかる。

 

過去の道のりの

すべてが

照らされ、

浄化され、

 

現在の自分は

安心に包まれて、

 

創造の力に

満ちてくる。

 

長くかかった

ように思えるけれど、

 

わたしたちは

ずーっと守られていたし、

愛されてもいた。

 

かわいい、

かわいい、

こどもたち。

 

もう帰っておいで。

 

わたしが地球に

来た理由は

 

「遊び」と「祝福」

 

ここで遊んでみたかったし、

そして、

 

ここでのすべてを

祝福したかった。

 

すごいね!

きれいだね!

おもしろいね!

 

ただただ、

よろこびたかった。

 

その人の魅力を

いくらでもいくらでも

ほめたくなってしまう

わたしの性質も、

 

こどもたちといると

たのしくて

しかたないことも、

 

「遊び」と「祝福」

という、

 

わたしのテーマに

沿っているから

なのだと、

 

今はわかる。

 

 

あの人、

この人に

合ったわけも、

 

あんなことが

起こった理由も、

 

ただただ

わたしに必要

だったからで、

 

すべては完璧に

起こることが

起こってきた。

 

そして、

 

これからだってそう。

 

いや、

違うところは、

 

これからのわたしたちは、

 

自分のテーマも

自分のちからも

思い出した状態で

進んで行く

ということなのかな。

 

とびっきり自由に!!!!

 

 

*「祝福セラピー」について、30日(土)にご案内をはじめる予定です。

気になる方はこちらのブログをのぞきにいらしてくださいませ✨️

 

 

春がやってきています。

 

春がくることを、誰にも止められないように、

わたしたちが本当の自分を思い出すことも

誰にも止められないのだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハバナイスミラクル✨️/起こることは起こる

なかなかに

おもしろい春を

迎えているように

感じています。

 

といっても、

一見大きな変化はなく、

毎日はむしろ地味目

かもしれません。

 

でも、

この春はきっと

わたしにとっては

お祝いの春。

 

特別ではない

今日に、

 

実は

めくるめくほどの

祝福が

溢れている。

 

自分の内側が

完全に平和で、

安心できていて、

 

とにかく自由。

 

こうなったらいいな、

ということは

あるけれど、

 

そうならなくても、

どちらでもいい。

 

(起こることが

わたしにとって

必要なことだから)

 

そんな自分に

なってきているのは、

 

望む現実を

体験していくために、

 

思い通りになにかを

コントロールしよう、

 

または、

しなくては!

 

という、

きもちがすっかり

なくなって、

 

もっと大いなる流れを

完全に信頼して

明け渡すことが

できたからだと

感じています。

 

ずっとよくわからずにいた

サレンダー。

 

誰もが

 

おそれておそれて、

 

または

 

望んで望んで、

 

手放せないもの

というのが、

 

あったりするかと

思うのですが、

 

それって

自分をくるしめるために

起こっているんじゃなく、

 

お手上げ状態を

つくることで、

 

あらららら!

手放してみると

毎日はこんなに、

楽ちんで、

 

あーだろう

こーだろうと

コントロール

気を揉んできたけれど、

 

つかんでいた

なにかを手放すことで、

 

ふわり快適な気流が

自分を運んでくれる

ことにも気づく。

 

でも、

なにを選ぶにしても

いつも自分が

決断するしかない、

 

ということで、

 

その人それぞれに、

いろんなイベントが

起こってくる。

 

これは

魂の

アッパーマネジメント

なのだと思う。

 

小我をすてて

大我を生きる

 

本当にそうなって

いこうとするとき、

 

これくらいならと、

 

ポケットの中に

小我のかけらを

しのばせて

進むことは

できない。

 

それは

 

依存や執着かもしれない。

 

コントロール欲や

ジャッジかもしれない。

 

傲慢さかもしれない。

 

それがなんなのかは

その個性がたどった

道のりによって、

さまざまだとしても、

 

もう本当の自分を

思い出して

帰りたい!

と決意した場合、

 

その人バージョンでの

イニシエーションは

進行していくもの

なのかな?と

思っています。

 

さてさて、

 

じゃあわたしは

元の自分を思いだし、

帰ってこられたのか

と言いますと、

 

まだまだ、

移行期には

あると思います。

 

が!

 

毎日にあふれ出す

圧倒的安心感。

キラキラ感。

 

どこかに、

探し回らなくても、

誰かに

聴きにいかなくても、

 

自分の内側に

必要な情報が

やってくるという

信頼。

 

起こることは

起こる、

という確信。

 

そんな

心境でいられることが

とても心地よく、

 

なんというか、

 

川を渡って

向こう岸までは

とりあえず

こられたような、

 

そんなきもちでいます。

 

故事として

伝えられる

「塞翁が馬」のように、

 

(馬がいなくなってしまった→しばらくして、その馬がもう一頭立派な馬を連れてきた→その馬に乗って息子が大けがをした→そのけがのおかげで戦地に出向かなくてもよくなった)

 

ネガティブに思えたことが

よい結果をもたらす

なんてことは、

 

そこそこ

長く生きていると

何度も

体験するものですよね。

 

どちらにしても、

自分にとって

必要なことが起こる。

 

そのことへの

完全な信頼が

ためされている

ような。

 

 

奇跡というのは、

 

すごい誰かの

体験談ではなく、

 

たくさんの人が

自分で体験していく

時代なんだと思う。

 

ハバナイスミラクル!✨️

 

 

数年前に深瀬啓介さんのセッションで

描いていただいた絵。

 

深瀬さんを通して、

ガイドが記録した絵のようなかんじで、

 

深瀬さんはなんと

途中で何度も寝落ちのように

意識が遠のいたり、
(電車で居眠りしている人のような

状態で絵を描いていた!)

 

またはまったく関係ない雑談をしながら

絵筆を動かし続けていたのですが、

(おせんべいが大好きとのことで、

主催の女性と熱くおせんべいについて

語られていて、いろいろシュールすぎて

わたしはずっと爆笑していた)

 

完成したこの絵を

みせていただいて

とてもとても感動しました。

 

BAMBINO BENEDETTA

イタリア語で

「祝福された子ども」

の意味だそう。

 

ゲートの向こう側では

 

帰ってきた子どもへ、

花が渡されていて、

 

喜びが

金色の綿毛となって

降りそそぐ。

 

その祝福に、

 

鳥だけど花、

花だけど鳥、

という不思議な

生きものが

歌うように

よろこんでいる。

 

現在の心境に

リンクしていることもあって、

 

今のタイミングで

この絵がたくさんの

インスピレーションを

くれています。

 

 

 

 

祝福セラピー 予告編

内から自分を照らす光

 

「祝福セラピー」を

はじめてまいります。

 

外側から自分を照らせば、

そこには影も生まれます。

 

影ありきの光も

ドラマティックで

すてきだったかも

しれませんが、

 

外には探さず、

誰とも比べず、

 

内なる光に

目を向け、

 

さらには

その光は

誰にとっても

ひとつだということを

体感していく。

 

大いなる安心への

一歩となればと

思っています。

 

セッションでは、

おしゃべりをします。

 

そして、

おしゃべりしか

しません(笑)

 

遊びのような身軽さで。

 

意味や条件を飛び越えて。

 

自分を信じ

自分を愛し

自分を祝う

 

祝福セラピー✨🕊️✨

 

4月より

スタートできるよう

準備中です。

 

──────────

 

こちらをのぞきに

来てくれている

みなさんに

先がけて

お知らせできたらと

予告編を

つくらせていただきました。

 

3月中には

ご案内ができたらと

思っています。

 

 

今、自分の物語を越えていくとき。

そんなきがしませんか?

 

 

太陽も祝福。雨も祝福。

ネドじゅんさんの

エレベーターの呼吸が

すごくいいです。

 

「わたし」と

思っているものの、

ほとんどは、

 

本当は

わたしではない。

 

ということが、

とてもわかりやすく、

 

(自分が思うことって、

自分を制限したり

苦しめたりすることばかり

だったりしませんか???)

 

そのことに、

自分で気づく体験の

積み重ねにより、

 

本当の自分で

いることは

こんなに安心で、

 

最速で、

最適に、

物事を調整する

ことができるんだ

ということが、

 

よく実感できるような、

とても優れたメソッド。

 

自分への信頼ほど

最強なことは

ないですもんね。

 

思考優位の回路により、

ストレス物質に

つねに浸されているような状態が

現代の普通とされていたこと……。

 

気づくほどに反転は起こり、

 

救いや解決法を

外側に求めるということが

どんどんなくなっていくように

思います。

 

 

そして、

どこか遠くの

パワースポットに

いかずとも、

 

いつでもどこでも、

自分自身のからだが

宇宙のポータル

だったんだ、

 

なんてことも

感じたり。

 

(どこかに行くことも

もちろんすてきですが!)

 

自分ではない、

特別な誰か

じゃなく、

 

今ではない

いつか

じゃなく、

 

実はもう

すべてが完了していたりもする……。

 

そして、

今ここにいるのは、

 

雨でも、

晴れでも、

たのしく味わい

遊べる自分。

 

毎日にあるのは

祝福と遊び。

 

どんどん

そんな感じに

なってきています。