失敗もすべては完璧!/自分の地球プランを思い出す
この人生を通して、
自分が体験したいことの
テーマに沿って、
自分が自分に用意したプラン、
「魂のプループリント」。
今回の生のみならず、
相当な道のりに
なることを承知の上で、
地球に転生すると決めた
大元のテーマみたいなものも
あるように思うのですが、
いかがでしょうか。
人生は
本当にドラクエみたいな
思えています。
(わたしのドラクエの知識は
ドラクエが生まれた80年代で
とまっていますが)
メインのストーリーとは
関係なく、
フィールドや
ダンジョンで
モンスターと
戦うことに
時間を費やす
こともできるし、
エクストラゲームに
興じて過ごす
こともできる。
けれども、
メインのストーリーを
進行させることから、
遠ざかりすぎると、
他ならぬ本人に
違和感が出てくる
ものなのだと思います。
(空虚さや不安などなど)
また、
自分のメインのストーリーが、
この世界での
標準ストーリーみたいなものに、
(しあわせとはこう、
成功とはこうみたいな)
すり替わってしまう場合も、
強い葛藤と
なりそうですよね。
わたしは個人的に、
自分が感じる
しあわせと
社会的な評価とか
成功みたいなものは
一致しない、
感覚があったので、
自分のしあわせって……、
ということをガイドに
進んできたように
思ってるのですが、
それでもやはり、
こうでよかったのかな?
と疑問に思ったり、
することは、
ありましたし、
すべては自分のプラン、
シナリオと思ってはいても、
どうしてこんなことが!
と翻弄されたりすることは
多々ありました。
うん。
「あった」(過去形)
なんです。
ここに来て、
1枚1枚
ベールをめくるように
徐々に思い出されて
いますのは、
今回の生の
ブループリント
というよりも、
地球に生まれてきた
大元のブループリントの
ようなもの。
自分がどういうテーマを持って
やる気満々でやってきたのか、
ということも、
そのわりに、
あまりのハードさに
ポキリと折れていたことも、
感覚として
思い出されます。
ポキリと折れてきたのも、
失敗なんかではなくて、
それでよかったの
だとも思う。
ここは、
自分のプランも
自分の本来の力も
忘れた設定で
プランを進めていく
ゲームだったから、
うまくそれを
やってきたんだなと。
ダンジョンに
ハマるように、
忘れて忘れまくって、
迷いに迷いまくって、
それでも、
自分の魂の
ナビゲーションで
ここまで
進んで来たのだと
思う。
きっとみんな
そうですよね。
そして今、
たくさんの人が
思い出すことを
すすめているのだと思う。
思い出すことは
元の自分に
帰ること。
「これでよかったんだろうか?」
という自分への疑問のすべてに、
「それでよかった」
と完全に思えるし。
「どうしてこんなことが!」
という出来事のすべてに、
他でもない自分のニーズが
あったことがわかる。
過去の道のりの
すべてが
照らされ、
浄化され、
現在の自分は
安心に包まれて、
創造の力に
満ちてくる。
長くかかった
ように思えるけれど、
わたしたちは
ずーっと守られていたし、
愛されてもいた。
かわいい、
かわいい、
こどもたち。
もう帰っておいで。
わたしが地球に
来た理由は
「遊び」と「祝福」
ここで遊んでみたかったし、
そして、
ここでのすべてを
祝福したかった。
すごいね!
きれいだね!
おもしろいね!
ただただ、
よろこびたかった。
その人の魅力を
いくらでもいくらでも
ほめたくなってしまう
わたしの性質も、
こどもたちといると
たのしくて
しかたないことも、
「遊び」と「祝福」
という、
わたしのテーマに
沿っているから
なのだと、
今はわかる。
あの人、
この人に
合ったわけも、
あんなことが
起こった理由も、
ただただ
わたしに必要
だったからで、
すべては完璧に
起こることが
起こってきた。
そして、
これからだってそう。
いや、
違うところは、
これからのわたしたちは、
自分のテーマも
自分のちからも
思い出した状態で
進んで行く
ということなのかな。
とびっきり自由に!!!!
*「祝福セラピー」について、30日(土)にご案内をはじめる予定です。
気になる方はこちらのブログをのぞきにいらしてくださいませ✨️
春がやってきています。
春がくることを、誰にも止められないように、
わたしたちが本当の自分を思い出すことも
誰にも止められないのだ!