Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

感性の怠惰を殺せ  

 

物騒なタイトルで

失礼をします。

 

ふつふつと

内なる10代が

呼び覚まされて

おりますのは、

 

ホンマタカシ×服部みれい

トークイベントを

見てきたからだと思います。

 

ニュードキュメンタリーと

銘打たれた

ホンマさんの映像作品に

ついてのイベントで、

 

みれいさんはゲストとして

ご登壇。

 

美濃におじゃましたとき、

みれいさんといろいろ

お話した中で、

 

「写真を理解することは、

詩を理解することと同じ」

 

という、みれいさんの

発言にガビーンと

なりまして、

 

(ガビーンは死語ですか?)

 

『まぁまぁマガジン』は

詩とインタビューの雑誌に

なったけど、

 

そのリニューアル号に、

 

ホンマタカシさん

東野翠れんさん

松岡一哲さんが

登場しているのは

そういう意味もあったのか!

 

と読者として

しびれる思いにもなり、

 

この日はホンマさん

みれいさんの

ガチトーク

生で聞けると

大興奮で出かけた

わけなのですが、

 

はじめに、

ホンマさんの映像作品の中から

『きわめてよいふうけい』

の上映がありました。

 

『きわめてよいふうけい』は

ホンマさんが写真家の

中平卓馬さんの

晩年を追った映像作品で、

 

上映後のお話では

ホンマさんが

「中平さんのことが好きすぎて」

とおっしゃっていましたが、

 

終始その好きすぎるが

伝わってくる映像で、

 

わたしは写真に

不案内すぎて、

 

中平卓馬さんを

全然知らなかったのですが、

 

SHORT HOPEって書いてある

赤いキャップ。

 

ボソボソとしゃべる声。

 

自身の写真集を

ホンマさんに向けて

熱心に見せているようす。

 

自転車をこぎながら、

ホンマさんに

カメラを向けたときの

笑顔。

 

最後まで夢中で

見ることができました。

 

イノセンスというものを

ひたすらに。

 

中平さんは過去に

急性アルコール中毒となり、

一命はとりとめたものの

多くの記憶と言葉を失った

とのことなのですが、

 

あまりに大きい犠牲に

思えるかも知れないけれど、

 

記憶と言葉を失ったことで

中平さんだけが

得たものがきっとあって、

 

『きわめてよいふうけい』は

 

その失ったかわりに

得たもののほうを

見せてくれるようでした。

 

ニュードキュメンタリーという、

コントロールを手放した

映像の自主性によって。

 

このブログに書くには

ぜんぜんIHと

関係ないようでは

ありますが、

 

このトークイベントの

2日後のIHセッションが、

 

エゴを手放した表現や、

 

自然と芸術、

 

といった

内容だったことは

偶然ではないと

思いましたし、

 

あたらしい意識に

進むためにも、

 

これらはとても

大切なテーマと

感じています。

 

 

にわかにもほどがある

わたしが語るのは、

大いに気が引けるのですが、

 

中平卓馬さんは

ご自身の著書に

 

「眼の怠惰」について

書かれていたらしく、

 

ウィキペディア

調べたての内容で

これまた気が引けて

なりませんが、

引用させてもらうと、

 

「眼はすでに制度化された

意味をひきずったまま、

意味の確認しか

世界に求めようとしない」

 

とあって、

 

これは、ホンマさんと

みれいさんのお話にも

同期する内容で、

 

たとえば、

ホンマさんがインタビューを

受けるとき、

 

インタビュアーが

もうあらかじめ予想した

記事を作るかのように、

 

決まり切ったことしか

聞いてこないし、

 

疑問を切り込んで

くることもないから、

 

もうホンマさんも

まともには答えない、

というお話とか、

 

みれいさんは

もはや予想以上のものは

発信されないメディアと

なっている雑誌の世界で、

マーマーマガジンを発行してきて、

 

(君はマーマーマガジンフォーメン

3号を読んだのか!!!)

 

マーマーマガジンは

まぁまぁマガジンとなり、

雑誌の「制度化された意味」など

ぶっちぎった存在と

なっていると思うから、

 

もうおふたりにしか、

共有できない境地が

あるにちがいないと

思いましたし、

 

ホンマさんの

ニュードキュメンタリー作品の

『最初にカケスがやってくる』も

一部を見ることができて、

 

この作品についての

ホンマさんのお話からも、

今のホンマさんの

境地というのは

 

もう芸術畑のみでは

受け止めきれない領域に

及んでいるのだと

感じましたし、

 

かといって、

学術畑とも違いますし、

 

みれいさんはみれいさんで

 

編集者として

文筆家として

常に革新的な存在で

あったと思いますが、

 

これからはさらに

あたらしい表現に

挑戦されていく

のだと思いますから、

 

その未踏の境地で

おふたりが

なにかを共有するようすに

胸が震えました。

 

ホンマさんが

美濃を訪れたというお話や、

 

iaiの居合大輝さんや

ボアダムスのヨシミちゃん、

など、

 

今後ホンマさんの

映像作品として

見られるかもしれない

という方のお名前にも

ワクワクしましたし、

 

なにしろ最高だったのが、

 

『最初にカケスがやってくる』の

 

エゾ鹿の内蔵を警戒しながら

せっせと食べる鷹(?)の映像

をバックに語る

おふたりの姿でした。

(雪の白、内蔵の赤、

時にカメラ目線の鷹、

それをはさんで淡々と

語り続けるおふたり)

 

そして、

それを目の当たりに

していたからこそ、

 

このトークショー自体も

ニュードキュメンタリーだ

というお話に、

 

ハッとなることに。

 

頬をはられたかというほど。

 

もう全部がその

延長だから、

 

どこのお茶の間だって、

実はニュードキュメンタリーで、

 

本当は予定調和なんて

ないんだよねって思う。

 

中平さんの

「眼の怠惰」という話で言ったら、

おふたりのお話に

わたしは自分の「感性の怠惰」

を思い知る気がしましたし、

 

みれいさんが

ホンマさんの

ニュードキュメンタリーについて、

「運動」って

言ったらどうですかと

発言されていましたが、

 

ニュードキュメンタリーって、

 

自分の目に、

 

自分のこころに、

 

主導権を取り戻す

運動なんじゃないかなとも

思って、

 

おふたりの意図を

わたしがどこまでキャッチ

できていたのかはさておき、

 

これは運動なのだとしたら、

 

それは

わたし自身の中に

ぜひとも生きたまま

持ち帰りたい!って、

 

心から思いました。

 

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ホンマタカシさんの『たのしい写真』。読みものとしてひたすら秀逸なので、写真にそれほど強い興味があるわけでもないわたしが読んでも、めちゃめちゃおもしろい。

「photographは写真じゃない。<真を写す>だけじゃない」ということを、平易な言葉でどんどん読ませてくれる。幸福な読書体験。

 

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インナーチャイルドについてのブログをアップした日、みれいさんの日めくりカレンダーをめくったら…。

「自分の中のちいさな自分」

シンクロ自慢は野暮かと存じますが、やっぱり自慢したい。

ちなみに寝ている娘からもう子どもの匂いがしないことに、ハッとなった朝の日めくりカレンダーは、

「においを感じて」

ちょっと笑ってしまいました。

 

子どもの匂いってあったんですよね。焼き菓子を焼くときのような甘い匂い。いつのまにかその匂いがしなくなってる。

犬のおなかの毛の生えてない部分は、それに似た匂いがします。

って、犬のおなかの匂いをかいでることがばれますね。匂いフェチです。好きな人の足の匂いはかぎたい派です。