Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

まぁまぁマガジン リニューアル号!!!!!

早起きしました。

 

まぁまぁマガジンリニューアル号(22号)が出たからです。

 

家族が起きてくるまでの時間、

わたしの現在の全存在をかけて

感想を書きたいです。

 

渾身のラブレターです。

(よって長いです。サディスティックにスクロールさせます)

 

 

 まぁまぁマガジン(前号まではマーマーマガジン)の編集長

服部みれいさんははわたしにとって

古い友人であり

師です。

 

みれいさんの日記シリーズの1冊目

『あたらしい東京日記』では

わたしの「ほめ」がすごすぎて

滝行のようだったと書かれているように、

 

わたしの永遠のほめターゲット。

 

みなさんご存じのとおり

無邪気にして

聡明にして

美人。

 

近くから見ても絶対にがっかりしない

カリスマ。

というか

ポップスター。

(カリスマやスターはみれいさんにとっては

まったくほめ言葉じゃないのだけど、

受け取るほうから見て)

 

女とか男とか、

おとなとか子どもとか、

からだとかこころとか

都会とか田舎とか、

あらゆる境界をひょいと超えた存在。

 

みれい物語を最高の席でみるために

わたしはこのポジションを選んで来たと

自負していますが

(自称「前世からのおっかけ」、

または「早すぎたマーマーガール」)

 

スコット・フィッツジェラルド

『グレート・ギャツビー』が

比較的凡庸なニックという隣人の目線で

書かれることで効果を生んでいるように、

 

比較的どころではなく凡庸な

わたしから見た

みれい物語というものがあって、

それはきっと

みれいさん本人が見ても

すごくおもしろいのではないかな。

 

そのみれい物語に

新展開がありました。

 

『マーマーマガジン』が

詩とインタビューの雑誌

『まぁまぁマガジン』に!!!!

 

この興奮がどうやったら伝わるでしょうか。

 

このリニューアルは

完全にわたしのためなのではないかと

思えてしまうほど、

これはわたしのための雑誌です。

そして、そう思っている読者が

どれほどいることでしょう!

 

それは今までのマーマーマガジンの読者と

一致するものではないかもしれません。

 

マーマーマガジンでは

みれいさんが

川なのか、泉なのか、

澄んだ水の中にざぶざぶと入って

向こう岸に渡って行っては、

「こっちのほうがいい感じだよー!」と

手を振ってくれるので

わたしたちも安心して何度も

向こう岸に渡っていけた

気がしています。

 

そのたびに澄んだ水に浄化されながら。

 

冷えとりであったり

ホ・オポノポノであったり

数秘術であったり

呼吸法であったり

 

今すぐ誰にでも

実践できるもので

パワフルに効果を発揮するものを

みれいさんはたくさん

発信してくれました。

 

そのひとつひとつが

血肉化するほど

なくてはならないものに

なっているのは

わたしだけじゃないはず。

 

 

そのみれいさんが

今回向こう岸に見つけたものは

詩です。

 

 

しびれました。

 

 

わたしはみれいさんの詩集

『甘い、甘い、甘くて甘い』が

大っっっっっっっっっ好きなのですが、

(サイン本がわたし用に一冊、娘用に一冊あります)

 

わたしがみれいさんの詩に感じるのは

 

わたし以外のなにものにも

帰属するものかという

少女の気概と

 

何かへの強烈な敬虔さです。

 

 

また、前に池袋の自由学園

谷川俊太郎さんとみれいさんの

詩の朗読会があったときに

詩の権化のような谷川俊太郎さんを横に

みれいさんが読みはじめた詩は

「おっさんたちにはわかるまい」で

(『だからもう はい、すきですという』ナナロク社に収録)

 

もちろん谷川俊太郎さんはおっさんではないから

にこにこして聞いていらっしゃいましたが、

そういう挑戦的な茶目っ気というか

パンクの姿勢みたいなものは、

みれいさんの活動すべてに通底するものだと思います。

 

17歳より、もっと17歳みたいな。

 

 

少女の気概。

 

何かへの敬虔さ。

 

パンクの姿勢。

 

 

それが弁当箱にぎっしり

つまったものが

今回あたらしくなった

まぁまぁマガジンで、

 

冒頭のタムくんの漫画の時点で

わたしは悶絶するのですが、

 

実験的なリニューアルだから

排他的になりそうなものなのに

そうではなく

途中、途中に、合いの手のように

ナビゲートする文章が入るのが

ちょっとラジオのようで

ほんとうにほんとうに

楽しく読むことができて、

 

翠れんちゃんの記事も写真も

ホンマタカシさんのインタビューも

とってもおもしろくて

大好きな詩もいくつもあって

松岡一哲さんの写真も

もう詩だと思ったし、

(ポストカード最高です!)

 

この3人はみんな

写真家なので

まぁまぁマガジンは

詩とインタビューとともに

写真の雑誌でもあるな

とも思ったり。

 

 

中でもいちばん好きだったのは

忍田彩ちゃんによる

レインコーツのインタビューで、

 

育児のため離れていた音楽に

戻ってきたとき、

「わたしのかけらが戻ってきた!」と

感じたというお話に涙が出た。

(こちらもポストカードの写真が最高!)

 

やはりそこにも

 

少女の気概と

何かへの敬虔さ

を見つけます。 

 

何かへの敬虔さ。

 

何への?

 

その「何か」により近づいたからこそ

まぁまぁマガジンは詩とインタビューの本になった。

 

そして最後の谷川俊太郎さんの詩

「ホントかな」も

その「何か」についての詩だと思ったし、

 

わたしはもうそれにしか興味がない。

 

 

 

美濃の山の木々が今吐いたばかりの風が

川を越えてみれいさんのところに吹くから、

みれいさんはこれからももっと

17歳よりも、17歳になって行くのだと思うし、

まぁまぁマガジンもずっとあたらしくなっていくの

だと思う。

 

 

 

いちご畑でほめさせて!

 

わたしが人をほめることが異常に好きな

ほめ変態であることを

このところ各所でカミングアウトしておりますが、

 

変態とはいえ、

よろこばれるカテゴリーであるようで、

予想を超えて受け入れられることに味をしめて、

最近では常にストッパーが外れてしまっていて、

 

ときに、道行く人をつかまえて

ほめはじめそうになるものですから、

いよいよ危険人物化しています。

みなさまのごきげんはいかがでしょうか。

 

ほめはじめ、って語感がいいですね。

 

ラップとかにしたくなります。

 

♪ズンチャッチャ ズンズンチャッ(バックトラック)

 

あー

 

すきなあの子はなぜかきまじめ

 

俺の心はいつもじめじめ

 

気のないそぶり、まるでいじめ

 

それでもいいと、ほめはじめ

 

 

うーん、最後がいまいち。

(お気づきかもしれませんが、バカなんですわたし)

 

 

しかし、変態にも変態の道があります。

ほめにも道があるのです。

 

まずお世辞は御法度です。

 

お世辞ってなんですか。

ほめ変態から言わせるとまったく

かかわりたくないものです。

 

「ほめ」は

わたしがその人から受け取っているよきものを

ご本人にお伝えしたくてたまらない衝動です。

 

告白です。

 

もう、最近は個人的なメールも

すべてラブレター化してしまうのですが

 

わたしはすきな人のことをすきと言うことが

ほんとうにすきです。

(すきが3回入ったこの文章もすき)

 

お!3がでました。

 

このブログの上にある

Healing room 3とはなんぞという

お話をまだしていなかったので、

ここで書きたいです。

 

ただ今、準備中の自分のサロンなのですが

名前を

 

Healing room 3(ひーりんぐるーむ さん)

 

としたいと思っています。

 

 

どうして3なのかというと、

 

理由も3つ込めていて、

 

ひとつめは

3がわたしの誕生数であること(数秘術については、

また改めて詳しく書きたいと思います)。

3の特性である、トゥーマッチなほどの

感情と共感、表現力を人のために

いかせる場所になるように。

また3タイプは相手のよいところを増幅する

ブースターのような能力があると思うので、

(わたしの場合は「ほめ」でしょうか)

それを発揮する場所として。

 

ふたつめは

太陽のSUN。

プラーナたっぷりのおひさまの光のように、

問答無用のよきエネルギーの発信地として。

 

みっつめは

数字の3は卵がぱかっと割れた形なので、

新しい自分が生まれる場所にしてもらうために。

 

 

誕生数が3の場合、30/3と

12/3、21/3があるのですが

わたしは30/3。

構成する数字が3と0のみで

より3の特性が強烈な気がします。

ちなみに0は霊性をあらわす数字です。

 

興味があるかたは

マーマーマガジン16号(入手できるかな?)や

『魂の目的 ソウルナビゲーション』

という本が超おすすめです。

 

数秘術を知る前から

数字の3がとにかく好きだったのですが

 

なぜか音楽まで3拍子の曲が好きで

3拍子の曲ならすぐに思い浮かびます。

 

エリック・サティの

ジムノペディとか

 

ヴィンス・ガラルディの

christmas time is hereとか

 

RCサクセション

スローバラードとか

 

ニール・ヤングの

Only Love Can Break Your Heartとか。

 

どれも大好きな曲です。

 

タイトルのいちご畑でほめさせて!は

聖子ちゃんの“いちご畑でつかまえて”にかけました。

大滝詠一が自身のフォータイムスファンという曲を

元に作った曲らしく、yoububeにこの2つの曲を

リミックスした“いちご畑でフォータイムスファン”という曲が

アップされてて、聞いてみたら秀逸でした。

 

大滝詠一、亡くなってからもう3年になるのですね。

 

なぜか大滝詠一にたどりついて本日は終了。

 

 

Healing room3絶賛準備中です!!!

誰の絶賛なのかは不明ですが。

 

 

 

ラジオニクスと咲恵ちゃんのライカ

絵本のようなタイトルではじまりましたが、

容赦なくディープです。

 

ホームページ用にポートレートを撮影してもらいたいと

漠然と思っていたのですが、

常日頃から、わらしべ長者マインドで

生きているものですから、

 

行き当たりばったり、ご縁があるかたがいたら

それが今の私にとって最高のかたと思って、

特に身を乗り出して探したりはせず、

わらしべを握ってふらふらしていたら、

 

やはり縁というのは結ばれるものでして、

クライアントのご紹介で

咲恵ちゃんに出会えました。

 

三浦咲恵さん。

若いながらご活躍されている写真家さんです。

Sakie Miura Photography

 

撮影の日、咲恵ちゃんとははじめましてだったのに

いきなりの意気投合感があり

(片思いじゃありませんように!)

それは、咲恵ちゃんのキャラクターによるものが

大きいとは思うのですが、

やっぱりご縁のある方だからだとも思うのです。

 

咲恵ちゃんとは20さいくらい離れていることになるけど

ほとんど年齢を意識せず楽しく過ごせて

(ミシマ社がすき!とか)

アメリカで長く過ごされてたこともあって

なにか境界のようなものがない方だなあと感じました。

 

フリーランスでお仕事をされているので

若くてもそれはしっかりされているのですが、

でも時折ふっと女の子が垣間見えるのが

たまらなくかわいくて、

いつだってインディペンデントな女の子というものには

胸をきゅんとさせられます。

 

咲恵ちゃんが撮影に使うのは

ライカのレンジファインダーカメラです。

 

一眼レフのように内部に鏡がないので、

ファインダーを通して見える絵が

レンズに写るものとイコールではないらしく、

(ファインダーは純粋にのぞき窓)

 

必要な部品もびっくりするくらい高価だったりして、

手間もお金もかかるだろうに、

どうしてレンジファインダーカメラで撮影するのですか?

と質問してみたら、

咲恵ちゃんは少し考えてから

 

シャッターを切るときの音。

 

を理由にあげました。

 

写真の仕上がりとか、一眼レフにくらべてコンパクトなこと

などではなく、

真っ先に上げたのが「音」でした。

 

レンジファインダーカメラのシャッター音は

パシャッとささやかで、

切り取るというよりは、

記録するためのしるしのような音がします。

 

うろ覚えで、正確ではないかもしれないのですが

一眼レフはシャッターが文字通り下りるのだけど

レンジファインダーは開いたままで(あってる??)

要するに一眼レフがその絵を切り取るのなら

レンジファインダーはその場にあるものを開いたまま

焼き付けるみたいなイメージ?(あってる???)

可視領域を超えて。

波動を記録する。

パシャリとささやかな音をたてて。

 

やや強引に波動ということばを登場させましたが

ここでラジオニクスです。

 

先日ラジオニクス作成講座というものに参加してきました。

 

ラジオニクスについては

もろもろからあまり深く説明はしないのですが

 

すべては波動でなりたっていて、

(かたいように思える物質もみんな波動です)

 

そして、すべては意識が作り出していて、

もうびっくりするくらい意識が作っていて、

 

見えないってだけで

聞こえないってだけで

触れないってだけで

 

ないことにするのはもうやめない?

って思います。

 

レコードを愛好する人が絶えないのは、

レコードには可聴領域を超えて録音されているものが

あるからです。

(デジタルになると0と1の世界で切りおとされてしまう)

 

咲恵ちゃんの写真にも

可視領域を超えたものがきっと記録されていて、

 

それに心が震えるなら

そんな自分も波動なのだと気づくのです。

 

 

うーん、「ラジオニクスと咲恵ちゃんのライカ」というタイトル

だけ先に浮かんで書きはじめたのですが

ちょっととっちらかりましたね。

 

 

最後に咲恵ちゃんが撮影してくれた写真を。

(ここに自分の写真をアップすることは

あまりないと思うのですがこれは特別に!)

 

思いっきり0と1の世界から愛と感謝を込めて。

 

 

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赤いリボンをつけたら、魔女の宅急便のキキのつもりの45さい。

 

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絵画的。窓にうつる姿、非常ベルの赤、光の指す方向、示唆的な手。タロットカードのようにリーディングできそう。

 

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こそばゆい。すましてるようで。後ろが十字架みたいでちょっと修道女時代がよぎる。前世ですけど。

 

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スナック愛にて。わたし!って感じがして大好きな写真。

咲恵ちゃんがこの向かいのお店に連れて行ってくれたおかげ。

 

 

新時代へは意外と自転車で行ける

もう、ひとつひとつ取り上げたいトピックが

ありすぎの週だったので、

覚え書きで日記を。

また、おそろしく縦スクロールを強いてしまいますが、

おもしろいです。(なぜか断言)

 

 

10月28日(金)

 

朝、出勤しようと思ったら車のハンドルが動かない。

前後には動くけど、ハンドルがきれない。

 

なんのメタファーかと思ったけど、

それどころではないので、

いそいで自転車に乗り換え、

途中、男子高校生とデッドヒートを繰り広げて出社

(男子高校生との勝負はママチャリ対ルイガノ

というハンデにより私の勝利)。

 

この日はめずらしくある怒りの感情が

手に負えなくなりそうだったけど

その対象の人にとびっきりの愛を送って

なんとかしのいだ。

 

世界中の人が、いちばん許せないと思ってる人に

理屈抜きに愛を送る日とかつくればいいのにと

本気で思う。

どんなデモよりも平和に貢献するはず。

デモというのがすでに敵と戦う戦争のマインドだから。

 

午後、雨。

自転車で自宅まで。

パタゴニアのレインウェアのフードをかぶって、GOだ。

 

これは意外と楽しい。

雨が自分にしみていく感じが愉快。

土になったみたいで。

たまには雨に濡れたりするのもいいと思った。

冷たい雨じゃなかったからだろうけど。

 

 

10月29日(土)

 

車は修理中。

 

午前中は自転車であちこち。

車を前提に予定していた用事ばかりだったので

ものすごい距離を走行。

 

午後は家族で映画。

「君の名は」。

公開前から娘を誘っていたのに、

「もう親とは映画にいかないものなんだよ」と

中1になった娘は言う。

 

家族で見に行くなら

今日のこのタイミングしかないので、

「いいか、明日お母さんが死んだら、

ああ、あの時一緒に見に行ってあげればよかった…

ってめちゃめちゃ後悔するぞ!」

とひどすぎる脅迫をして決行。

 

映画、よかったです。

非二元論をたたき込んでから

正直、物語をあんまり楽しめなくなってきたのだけど、

(問題や悪を設定しないと物語が成りたちませんから)

この映画はすごい楽しめた!

 

でも、こうして特別なふたりだけが

出会えるというわけじゃなく、

袖振り合うも多生の縁、というように、

実は周り中、過去に繋がりのあった人だらけ

なんだろうなとも思う。

 

(実際、この前世のこの人でしょう?!

って思う人いるのだけど…)

 

 

それにしても、加速するばかりの

娘へのワンウェイラブ。(単に親離れ)

もういちど振り向いてもらえる日はくるのでしょうか。

 

 

10月30日(日)

 

車は引き続き修理中。

午前中はヨガのクラスを予約しているけど

いつもは車で向かう場所。

しかし、休むことなど考えられません、

なぜなら…

 

そこにはわたしの次なる公開ラブレターの

ターゲット、てるよ先生がいるから!!!!

 

ヨガマットをさすらいのギター弾きのように背負い。

えっさえっさとペダルを踏みます。

(片道40分でした)

 

てるよ先生と、ひふみヨガ、加えて

最近オープンされた、古民家を自ら改装して作った

yoganomaについては、改めて、それはたっぷりと

書きたいと思っているのですが、

 

毎週通うようになってこの日で3週目。

 

グラウンディングするとはこういうことか!と思う、

てるよ先生のたたずまいと、

そしてなによりその声!

 

てるよ先生の声は

チベタンベルやシンギングリンのように

神聖な響きで、

もうそれがてるよ先生の存在の美しさの

証明のようでもあるのですが、

 

わたしがこの日片道40分自転車をこいで

やってきたもうひとつのお目当ては

 

てるよ先生のグラノーラ

 

特注で大袋を作っていただいてあったのです。

 

はっきりいって趣味とかそういうレベルじゃない

質の高さです。

世には高価なグラノーラがたくさん売られていますが

てるよ先生のグラノーラがあるから、

もう見向きもできません。

 

娘もわたしが作ったグラノーラは全然食べないけど

てるよ先生のグラノーラは秒速で消費します。

 

ほめが止まりません。

 

しかし、核心にはまだ全然ふれられていないので

改めてまた、熱烈なラブレターを。

 

てるよ先生のヨガ教室が近くにある僥倖を

グラノーラよりもかみしめて。

 

 

10月31日(月)

 

娘とおしゃべりをしていたら、

なぜか「六角精児」という名前が出てきて、

 

私「へ〜、六角精児さんの名前とか知ってるんだね」

 

娘「相棒に出てる人でしょ」

 

私「六角精児さんって、鉄道好きだよね」

(私は鉄道そのものではなく、

鉄道オタクの人が好きな鉄道オタクオタクです)

 

娘「うん」

 

私「音楽も好きだよね」

 

娘「私、イケメンが好きじゃないし、

そういう人なら六角精児みたいな人がいい」

 

私「……………」

 

 

すぐに同意できなかった母です。

 

 

イケメンがむしろマイナス要素なのは

私も同じタイプなのでよくわかるのですが、

(ものすごく好きになった人がイケメンだったら

しかたなく受け入れよう…ぐらいの)

 

中1の女子にしては渋すぎるご意見では…

 

娘が小学校の3年生とか4年生のとき、

BSの番組に出ていた作家の高橋源一郎を見て

「なんかこの人かっこいい」

といったのもよく憶えています。

(この時は素直に同意)

 

娘が男の人を「かっこいい」と言うことなんて

まずないのでびっくりしたし、

それが白髪まじりのおじさんだった

のもびっくりした。

 

娘が将来どんな男性を連れてくるのか

少しどきどきします…

 

 

11月1日(火)

 

IHのセッションのために都内某所へ。

午前におひとり。

午後におひとり。

 

朝から弱い雨。

このくらいの雨ならなんとかなるだろうと、

折りたたみベッドを持って出発。

前回壊れたキャスターは夫が直してくれた。

 

セッションでは、実習以来はじめての

インナーチャイルドプロトコルが!

 

実習でこのセッションを行ったとき、

クライアントの中にもうひとりちびっ子が現れるから

感情移入しすぎてしまって、

与えられた時間を大幅に超えてしまった。

 

インナーチャイルドに対して

思い入れが強すぎる自分を知ってるので

とにかくニュートラルを心がけて

セッションを進めました。

 

たぶん、ヨーロッパの修道女で

孤児たちと暮らしていたときの

血が騒ぎすぎるのだと思うのだけど

(さらりと前世情報)

 

私には子どもが「自分には価値がない」とか

「こうじゃないと愛されない」とか

思っているのがたえられない。

 

「いいから、おばちゃんのお膝に来な!」って

「だっこするから来な!」って

冷静さを失う。

 

たったひとりの娘にも、しょっちゅう

すぐにいらっとして、不必要に怒鳴り散らしたり

しているにもかかわらず、

 

全部の子どものお母さんになりたい

みたいな傲慢さが私にはある。

 

それが、出ないように、出ないように

セッションを進める。

 

途中、インナーチャイルドと話すところで

その子がどうしているか聞くと

 

「松井さんと遊んでますよ」と…

 

うーん。

やっぱりニュートラルじゃないのか。

おじゃまして申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、

 

IHをはじめたいと思った当初から

いちばんテーマにしたいと思っていた

自己肯定感というものについて

改めて考えることになったセッションに。

 

クライアントさんが美容師さんなので

交換セッションを提案して

お支払いではなく、髪を切ってもらった。

 

私ももちろん心を込めてセッションを行ったし、

その方も心を込めて髪を切ってくれて、

 

お金を介さないエネルギーの交換が

成り立った感じがして美しかった。

満足と満足みたいな。

価値と価値みたいな。

愛と愛みたいな。

 

未来ってそうなるよね。

 

午後にもうひとつのセッションを。

 

こちらのクライアントさんは

IHの効果がめざましい方で

長期間ずっと不調だったところ、

数回のセッションを行って、

今や創造性があふれて止まりません!

みたいな状態に。

(それが本来のお姿なんでしょう)

 

いろいろな活動をされている方ですが

生け花をはじめられて、

それも自分で摘んできた花を

ライブ感を持って生ける!という

独自のもので、

それが本当に精妙で美しくて、

その美しさが生まれる過程に

わたしも少しお手伝いできたのかと思うと

本当に本当にうれしい。

 

美しいものがすきです。 

可視的なものじゃなく。

 

美しいもののために働きたい。

という思いも強く持ちました。

 

 

”ほんとうにみんなの幸いのためならば、僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない”

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でジョバンニはこう言います。

 

インナーチャイルドと美しさというテーマで

なんとなくこの文章が出てきました。

 

私は百ぺん灼かれるのはいやですが

(そもそも、もうからだに生まれたくありません!)

いや、私はほんとうはからだじゃないないから、

百ぺん灼かれても別にいいのか?

じゃあ、別に灼かれていいです。

 

 

この調子で

まだまだ続けられますが、

もうやめます。

大丈夫、やめますって。

 

 

※本当の最後に!みれいさんの『わたしの手帳2017』と

『日めくりッコンシャスプランカレンダー』

を届けていただきました。うれしい!!!!

そして、今月はマーマーマガジンの

リニューアル号が発売に!

なんと『まぁまぁマガジン』に?!

詩とインタビューの本に?!

しかも文芸雑誌のような分厚さに?!

今明かされていることだけでも大興奮ですが、

みれいさんがまた、思ってもみないところに

開ける風穴が絶対にあって

その風穴の向こうは新時代だ!

颯爽とバイクにまたがったみれいさんに

「振り落とされんなよ!」って

言われるてるようです。

背中見失いません!

 

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こぼれイクラよりも、あふれる愛をこめて

北海道出身です。

というと、

日本全国たいていの方のイメージがよいもののようで、

 

さらにカニとか、ウニとか、イクラとか、

北海道ワードをちらつかせただけで、

熱い羨望を受けるものですから、

いつしかちょっとスレてきて、

もう最初から得意げに北海道出身を

名乗ってしまうのですが、

 

北海道のどちらから?と聞かれたら

思わず「札幌の方」と答えて

微妙に見栄を張ってしまいます。

 

正確には実家があるのは

札幌のおとなりの石狩市だけど、

広い北海道では

「札幌の方」にはなるだろうと…

 

 

娘がこの春から中1になりました。

中1といえば、さのに会った歳です。

 

さのがその後のわたしにとって

(そしてみんなをつなぐ存在として)

どれほどありがたい存在になったかを考えると

 

娘もそんな出会いに恵まれることを

願ってやみませんが、

 

中学生というのは、

人生のバカ度を表すグラフがあるなら

間違いなくピークの時期になるでしょう。

 

ある種の神聖さを感じるほどのバカさ。

本人たちには無自覚な。

その感じが、たまらなく、たまらなく好きです。

 

 

中学の頃のわたしはと言えば

ぽかんと開けた口から、魂を半分以上はみ出させて

どっか別の場所でも同時に生きてたかのような、

 

「ぼーっとしてる」というだけでは済まされない、

重度の不思議ちゃんだったと思う。

 

(さのはわたしがゼリー状の繭のようなものに

包まれてて、手を伸ばして触ろうとしても、

ゼリーがボヨンと跳ね返して触れなかった、

と表現していた)

 

中1のときとなりの席だった石田は

ひどい鼻炎かなにかで、マイ箱ティッシュを常に持っていて

授業中に鼻をかんだティッシュを全部

わたしの机のひきだしに放り込んでいたのだけど、

 

何しろわたしは魂が半分口から出ていましたから、

ぼんやりがひどすぎて、

休み時間になるとティッシュでいっぱいの

引き出しに毎回びっくりしていた気がします。

 

「やめてよ〜!」とか言うタイプでもなかったので、

 

無言でゴミ箱を持ってきてティッシュを捨て、

 

次の授業で石田はまたせっせと鼻をかみ

そのティッシュを放り込み、

 

休み時間にはわたしが捨てる、

 

というルーティーンが自然に生まれ、

 

鼻水も触れる仲とは申しますが

(いえ、申しませんね)

その後もなんとなく石田には

近しい思いがあるのが不思議です。

 

さて、落語でいうところのマクラが長すぎますが

ラブレターなんですこれ。

 

まだ中1のさのと石田しか出てきてないから、

相当長くなりそうです。

 

おつきあいいただけるのか不安ですが、

縦スクロールの限界に挑戦する勢いで

思い残しがないように書きたいです。

 

なんでしょう、

学生時代って素晴らしい!とか

友達最高!とか

ぜんっぜん思わないんです。

そういうことが言いたいんじゃないんです。

 

学校って閉鎖的でものすごく変な世界だと思うし、

どうしてもつらくて学校行けないって子が

いるのもすごくわかるし、

これからの時代を考えると、

今の教育ならどうしても学校行かないと

いけないわけじゃないのでは?とまで思う

やや極端な考えの持ち主でもあるのですが、

 

わたしが中学時代に体験したのは

自分がただただそのままで肯定されている

という幸福でした。

 

なにができても、できなくても、

「えのだから」(えのはわたしの旧姓のあだ名)

というだけで存在を受け入れてもらっていた。

 

特に、今もLINEのグループで存在する

「2の6」で過ごした時間は貴重なものです。

(さのも完全にいたよね!)

 

担任の「わかおちゃん」が

もうひとりの「あそぶ」という名前の先生と

一軒家をシェアして住んでいて、

 

そこにしょっちゅう遊びに行って、

(いつも本人たちがいないときに、

上がり込んでた気がするんだけど

それってどういう状況だったんだっけ?)

 

わかおちゃんちのフルーチェを勝手に食べ、

あそぶの部屋で見つけた彼女への手紙を勝手に読み(ひどすぎる…)、

ハイパーにどうでもいい話で死ぬほど笑って…

 

そして、わたしがハイパーにどうでもいい話で

死ぬほど笑っていた間に手に入れていたのは、

30年後、わたしの母が亡くなるときに

ふらふらで歩けないような精神状態のわたしを

支えてくれた人たちでした。

 

 

母が亡くなってもうすぐ3年経ちます。

 

今でもこのときのことを書くのはすごくつらいのですが

これが本題でもあります。

 

ものすごくがんばって説明すると(短くする努力はします)、

 

父が亡くなってからひとり暮らしになった母に

毎日電話するのが習慣でしたが、

2日ほど電話が繋がらなくて、

12月の末のことで、来週にはお正月の帰省で会えるからと

まさかなにかあるなんて考えられなかったけど、

万が一があってはと、

思い切って警察に電話をして、

自宅を見に行ってもらったら、

母が倒れていて、

窓を割って入ってもらって、

母の意識は一応あって、

救急車で病院へ運んでもらって、

わたしは頭が真っ白で、

夫がすぐに次の日の朝いちばんの飛行機をとってくれてて、

寝ないでそのまま空港に行くと「吹雪のため引き返すかも知れません」という

アナウンスが流れていて、

北海道に行くには陸路がないから、

繰り返し繰り返し流れるアナウンスにに気が狂いそうになって、

飛行機に乗り込んでもやっぱり、

「引き返すか、旭川などに着陸」というアナウンスに

気が狂いそうで、

でもなんとか千歳には着いて、

そのあとはあんまり憶えてないけど、

病院に着いて、

顔が見たい一心だったけど母は手術中で、

 

なにもできずに待合室のベンチに座っていたら

 

こよりがひょっこり現れました。

 

こよりは中2から高3までクラスも一緒ということもあって

同級生の中でも特別な存在です。

わたしとはいろんな点で正反対で、

気をつかいすぎなほど人のことを思いやれる子。

みんなこよりのことが大好きです。

 

もうずっとずっと気が狂いそうだったところに、

こよりが来てくれて、

わたしの横に座っていてくれて、

いつまでかかるかわからない母の手術の間

わたしの話し相手をしていてくれて、

 

長いもんだからいろんな話をして

北海道の「おせち大晦日に食べはじめちゃう問題」とか

おせちにきんぴらは入るか?とか

なぜかおせち話が白熱して

私はこの状況で笑いすらした。

 

こよりはあたりまえのように来てくれた。

恩着せがましくならないように

注意すらして、さりげなく。

 

こんなありがたい人を

わたしは中学の最高潮のバカ期に手に入れていたのかと。

 

母はその後、意識を取り戻さず

でも、数日病室でわたしとの時間を作ってくれて、

年が明けてから亡くなりました。

 

病院で付き添いをしている間も、

実家が無人で暖房もしていないと、

ボイラーが凍結して故障しちゃうからと

(北国あるあるです)

さのがストーブをつけにいってくれたり。

頭が全然回らないわたしの代わりに

さのはたくさん考えて動いてくれました。

 

さのはものすごく腕のいい美容師です。

さのが地元で美容室をやってくれている

恩恵といったら計り知れなくて、

 

わたしの母もさのに髪を切ってもらっていて、

わたしは知らない母の話をさのが

たくさん教えてくれたりもした。

 

そしてさのの人柄と包容力で

たくさんの同級生がさののところで

髪を切っているので、

不義理で年賀状もろくに出さないような

わたしでもこうしてみんなとつながって

いられるのは、全部さののおかげ。

 

さのはわたしより先にお母さんを亡くしています。

しかも自宅で闘病されていたお母さんのお世話を

働きながらずっと続けていたので、

精神的にも肉体的にもどれほど大変だったか。

 

いつかくるとはわかってはいても、

母を失うということはやはり強烈な体験で、

生まれてはじめて母がいない世界を見るときに、

それを共有できるさのがいてくれることで

どんなに助けられたかわかりません。

 

お葬式には

まみとあっけがきてくれました。

気を張っていたけど

ふたりの顔を見つけたときには

ただうれしかった。

 

実家がお隣同士の

美香ちゃんちのお母さんには

「本当に見事な最後だったね」

「見習いたいぐらい」と

声をかけてもらって、

どんなお悔やみの言葉をもらうより

うれしかった。

(本当に見事な最後だったのです)

 

埼玉の自宅に帰ってからは、

千夏子に再会して(お互い涙ぐみながら)、

母の話を聞いてもらって、

 

それからトニー!

トニーにも再会できて、どんなにうれしかったか。

 

それから、鼻かみティッシュの石田は

今では札幌ですてきなすてきなお花屋さんをやっていて、

わたしの母の一周忌には素晴らしいアレンジメントの

お花を作ってくれました。

 

さののお店でたくじに会えたのもうれしかったこと。

(かわいいふたりの子どもと一緒に!)

 

 

札幌ではもう初雪が降ったみたいですね。

 

 

その年初めて、

積もるほどの雪が夜のうちに降って、

見慣れた景色が一夜にして

白く変わるのを目撃する朝が

毎年あるものですが、

 

枯れた色の庭も、

それぞれの色の屋根も、

なにもかも全部が雪の光る白の色で

 

それは本当に

頬を張られるほどの

ハッとする美しさで、

 

何歳になって、

何回見ても、

慣れるということがありませんでした。

 

今でも、

雪より美しいものを

わたしは知りません。

 

雪が美しいのは

目には見えなくても

ひとつひとつの雪の結晶が美しいからです。

 

そんで、わたしの中学時代があんなに素晴らしかったのは

雪の結晶と同じように、ひとりひとりが

違う素晴らしさを発揮していたからなのだと思う。

 

ちょっと、うまくまとめようとしすぎか?

 

でもとにかく、

私たちは雪の中で育ちました。

 

ものすごく厳しくて、

ものすごく美しい雪の中で、

一緒に育ちました。

 

 

こぼれイクラよりも、あふれる愛をこめて

 

えの 

 

 

 ※無断で画像入れてもオッケーそうな人のところで切り取ってみたのだけど、大丈夫か?自分の写りのいい写真を選んだだろうとつっこまれたら、それは否めません。

 

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奉仕と報酬は同時だよ

からりと晴れた秋の日に、

開け放った窓の前で

犬がひなたぼっこしています。

 

あまりの平和さに、この怒濤の一週間がうそのようですが、

キーボードを打つこの腕には、

なぜか先週はなかったはずの力こぶが…

なぜ、わたしの腕にこんなにも力こぶが発達したのか。

 

そもそも予定がつまっていたこの時期に、

さらに仕事を引き受けたあたりがはじまりです。

とあるインタビューのテープ起こしの仕事。

どうしてもやりたい内容だったのです。

 

平日は全部パートのお仕事がある週で、

さらに学校の役員のお仕事もいっぱいあって、

娘は部活の大会などで、お弁当の日が何日かあるし、

中間テストの勉強も教えてほしいと言う。

さらに、ありがたいことにIHセッションのご予約が2名。

そのすべての隙間でテープ起こし。

 

忙しい自慢がかっこわるいのは重々承知ですが、

わたしの処理能力が低い上に、

いろんなモードを渡り歩かないといけないところで

めちゃめちゃ混乱しました。

 

 

職場でいつものように働き、

 

娘に墾田永年私財法を教え、

(憶えてるわけないので、社会の教科書めちゃ読んだ)

 

夜中にテープ起こしをし、

 

PTAのスポーツ大会の参加者を募るメールをこつこつ送り、

(誰もよろこんでは参加したくはないので)

 

「明日弁当」と言われて、慌てて材料を買いに行き、

 

娘にレキシの墾田永年私財法を聞かせ、

(爆笑してました)

 

いつものように仕事に行き、

 

早朝にテープ起こしをし、

 

学校の資源回収で、中学生たちと地域の古新聞を集め、空き缶ををつぶし、

(※力こぶポイントその1/重い古新聞をひたすら高いところに積み込んだ)

 

PTAのスポーツ大会に出られなくなりました、とか

この人はやっぱり出られます、とか

連日メールがいっぱい来て混乱しまくり、

 

娘に理科を教えようと試みるも、

(勉強はできてもできなくてもどっちでもいいけど、

娘と一緒になにかすることが減ってきたので、

見てほしいというなら、そういう機会としてやろうかなと)

理科がわからないわたしのストレスがすごすぎて、

みにくい罵り合いが繰り広げられて

本末転倒だったり、

 

娘のピアノの待ち時間に車の中でテープ起こししたり、

(車めちゃ集中できてよい)

 

PTA会長が名簿を送ってくれと言ってますとか

人数が足りませんとか…

もう奉仕の気持ちでただただ働き、

 

 

こんな生活では、家も荒れてくるので

ものすごい勢いで掃除をし、

 

いつものように仕事に行き、

(※力こぶポイントその2/なぜかこの週は商品の梱包とか発送とか重いものいっぱい持つ役割が集中)

 

娘は社会のテストで墾田永年私財法の問題を無事答えられた模様で、

 

折りたたみベッド(約10㎏)を持ってIHセッションに行ったら、

ケースのキャスターが半分壊れて、

帰りはほぼ腕力で引きずって帰ることになったり…

(※力こぶポイントその3/自宅の駅に着いた時には腕の筋肉が笑っていて、精算機のお金を入れるところに狙いを定めて入れることができなかった!)

 

 

 

 

 

今も負傷レベルの痛みが腕にありますが、

それよりも見た目にもはっきりとわかるこの力こぶ。

ぜんぜんいらないんですけど…

 

 

雑多なお仕事の中でいちばん負担が大きいのが

学校の役員のお仕事です。

去年はもっと大変な役割をやっていて、

ものすごくエネルギーも時間も捧げていたのですが、

いろんな人がいるものですから(当然です)、

予想外のこともたくさんあって、

途中、「まじ、知らねーし…」と気持ちも

荒もうものだったのですが、

 

 

そのとき、頭の中でこう聞こえました。

 

 

「奉仕と報酬は同時だよ」

 

 

見返りがあるように思えないことでも、

その行為と同時に報酬ははじまっていて

よろこんで行うほど、それを受けとるまでの時間は短い、

みたいなメッセージでした。

 

「まじ、知らねーし」と思うことであっても、

自分に起こることは

自分が引いたくじです。

ホ・オポノポノの、すべては自分の記憶である

という考えかたがわたしはシンプルで好きなのですが、

 

誰かの行為によって起こったことであっても

全部わたしの記憶で、

わたしの担当です。

(そう感じているのは自分だから)

 

そして、「まじ、知らねーし」と思うことこそ、

丁寧に、真摯に対応すると、

本当に本当に、ギフトがあります。

 

去年わたしはそれを何度も体験しました。

 

同じ奉仕をするにしても、嫌々やる場合は

ギフトを受け取るまでの時間が遅くなるし、

受け取れるものも、波動の低いものになってしまうけど、

 

よろこんでやる場合は、報酬も素速く

波動が高いことにも気がつきます。

 

「奉仕と報酬は同時だよ」って言われた気がしたとき

同時に写真の図も頭に浮かんだので

メモしてみました。

 

シンプルです。

 

究極にエゴイストになると、愛の存在になるしかないということ。

 

誰かにすることは、自分にすることだから。

 

 

それにしても

力こぶ、どうしたらとれますか?

 

 

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奥さん、料理は瞑想だそうですよ

私の職場は少し変わっていて、

スタッフのほぼ全員が主婦です。

地域の主婦とその子どもたちを支援したいという

社長の意図もあるのですが、

(帰りが早い、急な休みがとりやすいなど)

はっきり言って、こんなに安くて

有能な人材はいないからでもあると思います。

 

いろんな職場を見てきて、

優秀とされている学歴の方がたくさんいるような

場所もありましたが、

こんなに調和的で、機転がきいて、

よく働く人の集まりを

他では見たことがありません。

 

人によっては、お子さんが3人もいて、

おじいちゃんやおばあちゃんのお手伝いもあったりして、

出勤前に掃除機をかけて、洗濯機を3回くらい回して、

お弁当を作って、夕飯の準備を済ませてから

来てたりするのに。

 

娘ひとりでふうふう言ってる自分がどんなに

生ぬるかったか、思い知りました。

 

そして、もうひとつの社長のこだわりは、

お昼ご飯を交代で作って食べること。

料理当番があるのです。

 

私はここの商品が好きで、求人がないか電話して、

奇遇にもその時ちょうどひとりやめる方がいて

入ることができたものの、

食事当番には震え上がりました。

 

料理はぜんぜん苦手と思ってたから。

 

それでも当番は回ってきます。

ご飯を炊いて、汁物とおかずを2品くらい

作ることになってたかな。

その当時は15人程度でしたが、

材料になにがあるのか直前までわからない恐怖…

必然的に家では作ったこともない

メニューをひねりだすことに。

 

人数分の分量もぜんぜんわからないし、

味見すればするほど迷子になっていくし、

時間はどんどん迫ってくるし、

わけのわからない汗が流れます。

 

それでもなんとか配膳して、

(配膳を終えたら放心状態で、食欲皆無です)

みなさんに初めて食べていただいた日、

長年おつとめされている年配の方が

(ものすごく料理が上手な方です)、

「おいしかったです。ごちそうさま」と

とても丁寧に声をかけてくれて、

どんなにうれしかったことか。

 

みんな食事当番がどんなに大変が

よーーーーーくわかっているので、

その日のお当番にとっても感謝してくれるのです。

 

アーユルヴェーダでは

作ってくれた人の顔がわかってるものを

食べるのがいいとされているそうですが、

いろんなお母さんの作ったものを

食べられる機会というのも、

実はものすごく貴重な体験で、

入った当時は、食事当番用のエプロンをしてる方を

今日はこの人がお母さん♡、と思って

眺めながら食事をしてたものです。

 

もうひとつアーユルヴェーダでいうと、

料理人は瞑想する必要がないと

いわれているそうです。

 

料理それ自体が瞑想になるのか、

瞑想が必要ないほど尊い行為なのか。

 

とにかく初めて食事当番をした日、

みなさんにぴかぴかに食べてもらった

お皿が並んだテーブルの光景は

ずっと忘れられません。

 

今日はまたその食事当番の日でした。

今や30人前後と人数が増え、

お皿の数も倍に。

あいかわらず、わけのわからない汗を流しながら、

あいかわらず、終わると放心状態になりながら、

でも、私にとって確実になにかのレッスンに

なっているのだと思って、

作っています。

 

 

写真は、、東横線の学芸大学の

タイ料理屋さんのココナッツアイス(めっちゃ食べかけだけど)。

なんと、ホームメイド!

コーンとピーナッツのトッピングがめっちゃ合う!

このお店には、ガパオライスとか、パッタイとか、

グリーンカレーとか、タイ料理屋さんには絶対ある

メニューはなくて、タイ人の女性が作る

家庭料理のようなメニューが数種類あるのみ。

もう一皿、一皿のとにかく波動が高い!

おいしいというだけではないなにかで

体が満たされます。

テキパキと調理をこなすタイ人の女性の姿を眺めながら、

ありがたく、ありがたくいただきました。

(ネットに店名をあげるのはNGなので、内緒です、ふふふ)

 

料理は瞑想!

 

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