「わかった!」の瞬間は誰にもうばえない/自分バージョンで氣づくおたのしみ
先日の台風により
前の車が水没して、
あたらしい車を迎えて
しばらく経ちますが、
その日いちばんに
エンジンをかけると、
ナビの機能なのか、
「◯月◯日◯曜日」
とその日の日付が
女性の声(AI?)で
読み上げられて、
続けて
「◯◯の日です」
という一言が入るのですが、
この機能いらないな〜って
最初から思っていて、
(設定で消せるのかわからないけど)
わたしの今日一日に
いらない意味づけを
しないでちょうだい!
ってきもちだったのですが、
おとといだったか、
エンジンをかけてみたら、
「◯月◯日◯曜日、
って言われて、
あまりの不意打ちに
吹き出して笑ってしまいました。
(ひとりなのに)
どういうことですか!?
誰がいったい
何をする日なんでしょう???
雑誌の『ムー』とか
知らないと
わからないと思うので、
もはや若い世代に
認知もされていないと
思うのですが……。
運転中もずっと
氣になりすぎて、
バミューダトライアングル協会の
みなさんが集まって
(そんな協会あるわけありませんが)
怪奇現象について
今年も語り明かす!
という集会を
勝手に想像したりして、
大分笑えました。
(ひとりで爆笑しているという点で
若干不審者ではありますが)
こうしてあたらしい車とも
仲良くなっていく
ものなのですね。
さて!
冬の到来とともに
アセンションも深まりゆく
この時期、
自分のこととしても
セッションを通しても
ハイヤーセルフや
スピリットガイドからの
情報が、
より伝わりやすく
なっていることを
感じているのですが、
肝心なことって
「意外と教えてくれないのね…」
とも思っていて、
でもそれも
当然なのかなとも
思うのは、
このステージから目覚めて
次なるステージへ
移行していくために、
今それぞれが
向き合っていることは、
その人バージョンで
自分が設定した
目覚めのための
イベントなのだとしたら、
もんどり打ったり
同じところでグルグル
迷ったりしていたとしても、
そのプロセスを通して、
自分が
「そうか!わかった!」
ってなるためのことだから、
こんなに苦しんでいるのだから
って、助けることはできない。
「わかった!」の
瞬間は誰にもうばえない。
それは自分の魂が
いちばんよろこぶ
ところなのだし、
そのためにわざわざ
体験してきたこの次元の
いちばんいいところで
ネタばらしをすることは、
二段組み1000ページくらいの
筋トレに使えそうな厚さの
推理小説を読んで
伏線をたたき込んできた末に、
いよいよ真犯人は……
ってなったときに、
「あー、その犯人◯◯さん」
って、
いきなり犯人教えちゃうような
ものなのかなって。
「本当はなにも起こっていない」
「すべては幻想」
が真理なのだとしても、
わたしたちは
なにかが起こっているとして
反応して生きています。
5次元化と言われていても
まだまだわたしたちは
電車移動とかするのでしょうし、
いろいろな移行は
それなりに時間を
要するのだと思います。
(時間の延び縮みというか、
体感はすでに変わってきていると思いますが)
それぞれのステージで
宇宙の真理に
氣づくことは、
それも、
自分バージョンで
氣づくことは、
分離のいちばんの
おたのしみなのかな
って思う。
そう、
こんなお話を聞いたことがあります!
ある方が
著書もたくさんあるような
とあるサイキックの方の
遠隔のセッションを
受けたときのお話なのですが、
リーディングをふむふむと
聞いていった中で、
恋愛のことに関してだけは
自分とはまったく一致しない
とんちんかんなことを
言われ続けたそうで、
そのことを
身近なスピリチュアルな
専門家に伝えたところ、
「恋愛のことでリーディングが
的外れになることはよくあること」
とのお話だったそうです。
なるほどなーと
思ったのは、
恋愛というのは、
外側にいろいろ
確かめたくなるものかと
思いますが、
(相手の条件やらいろいろ考えたり、
友だちに相談したり、占いを熱心に
チェックしてみたり)
自分のハートの真実を
確かめるために
恋愛というのは
この上ないレッスンに
なるのでしょうし、
(だからなによりもたのしいし、くるしい)
そこで
外側に惑わされる
情報があえてもたらされる
というのは、
自分が自分の本心を
知るためのおためし
になるのかなって。
たとえば占いで
「彼はすごく執着が強いタイプなので
ストーカーになるような可能性がある」
と言われたとします。
でも、
自分が知っているその人が
まったくあてはまらない!
と感じるのならば、
用心したりするよりも
自分の真実を
信じることが
大切だと思うのです。
先に書いた、
宇宙の真理に
自分バージョンで氣づく
というお話を
別のたとえにすると、
自転車の運転を
おぼえるときみたいな
ものかなとも
思っています。
自転車の乗り方って
自分がからだで
おぼえるしか
ないですよね。
「解説!自転車の乗り方」
って本に詳しく
言葉で書かれていたとしても
あまり参考にならない。
さらに、
「補助輪」ってあって、
いかにも自転車乗ってる風を
簡単に体験できるものだけど、
自分が本当に
自転車を運転できるように
なるためには
「補助輪」の存在って
実は逆に
混乱させられるもの
だったりもする。
(重心とかバランスとか
乗ってる感覚が実は
まったく別物ですよね)
今わたしたちは
目覚めた自分として物理次元を
自由に生きようとしていて、
それは
補助輪なしで
それぞれが
自由に自転車の
運転をたのしむような
感じなのだとしたら、
今は結構
「補助輪」に
注意するのも
大切かなって
思っている。
今自転車の乗り方を
おぼえるためには
目の前の自分のテーマに
向き合うことしか
ないのだと思いますが、
「補助輪」は
それをせずに
自分が「目覚めた風」に
思えることというか。
わたしも補助輪に
ある時期しがみついていた
氣がしていますが、
補助輪なしで
いきなり
自転車に乗っちゃう
子どももいますもんね。
でも、補助輪を経て
いっぱい転んで
おぼえる子もいる。
自分バージョンでの
目覚め方を
このプロセスを
ほこりに思って、
たのしみに思って、
かっこよくなくても、
とにかく自転車乗る
練習したらいいんだな
って思っている。
だってもう
自転車乗りたいし!
もしかしたら
膝小僧すりむきながら
自転車の練習してる
かもしれないみなさんも、
自転車乗れるようになったら
今までできなかったこと
いっぱいしてあそびましょう!
自由にいきたいところに
いきましょう!
てなところで、
を超える
爆笑記念日がありましたら
また報告させていただきます!
恵比寿で湘南新宿ラインを待っていたら、
同じ線路に相鉄線の濃紺の車両が入ってきて
「おお〜っ!」ってなりました。
(わたしが待ってた位置がここ。
湘南新宿ラインは15両と長いのです)
2週に渡って特集されていた、
相鉄線のJR乗り入れ。
わたしは鉄道オタクではなく、
鉄道オタクの人が好きな
「鉄道オタクのオタク」ですが、
タモリ電車クラブを見るのが
本当に大好きです。
(みなさんのあの瞳の輝き!)
タモリ電車クラブでも
くわしく特集されていた
相鉄線のこだわりの車両に乗ってみたかったけど
新宿止まりだし…と
自宅最寄り駅までの
湘南新宿ラインを待ちましたよ。
って、大分どうでもいい話でしょうか。
誰も聞いてくれなさそうなので
ここに書いています(笑)
更新がまちまちではありますが、
次回もたのしく書いてまいりたいです!