Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

『わたしの中の自然に目覚めて生きるのです』(ちくま文庫版)

 

服部みれいさんの

『わたしの中の自然に目覚めて生きるのです 増補版』

ちくま文庫になりましたね!

 

ちくま文庫の装丁大好きです。特に背表紙から裏表紙にかけてのあの色!)

 

新たな書き下ろしを含む

この文庫版をあらためて胸いっぱいで

読むこととなりました。

 

この本には

「もしも選択肢で迷ったら」

という項目があります。

 

そこには

「自分の自由を広げるものなのか、

制限するものなのかをチェックする」

と書かれていて、

(秋山佳胤さんから教わった

「アドバイスを受けるときのアドバイス

として紹介されていました)

 

それは、そのまま

この本に書かれていることに

あてはまるというか、

 

みれいさんの発信はいつも

わたしたちの自由を

広げてくれるものだと

感じますし、

 

そのために必要なことに

いつも目を向けさせてくれます。

(信じられないほどたのしく、わかりやすく)

 

 

わたしがこの文庫版で

特にハッ!となりましたのは、

 

「女性について」という項目です。

(文庫版に追加された文章です)

 

本来のあるがままの

女性性について、

実は多いに誤解や

すり替えがあることを

考えさせられましたし、

 

「あけわたす」という

一見不利に思える態度を

提示することは、

大きな誤解もあるかもしれないながら、

 

これを書くことの勇敢さも

みれいさんならではと

感じられます。

 

これから「女性性の時代」という

大きなサイクルに入って行くなかで、

この内容の重要性は

はかりしれません。

 

「わたしの中の自然に目覚めて生きる」

ということは

本来の自分の力を取り戻す

ということなのだと思います。

 

 

わたしはみれいさんの

熱心な読者でありながら、

古い友人でもあります。

 

何より感動するのは、

この本に書かれていることを、

 

みれいさんはずっと

自分がただ実践されているということです。

(そこにはむしろことばや説明はありません)

 

どんな相手に対しても、

いつも深い敬意を感じます。

 

それは、

自分に対しても、

自然に対しても

感じます。

 

ただ実践することの尊さ。

 

そして、

循環として

必ずそれが

自分に帰ってくる

自然の道理。

 

みれいさんという存在は

その証明のようでもあるとも

感じています。

 

 

『わたしの中の自然に目覚めて生きるのです』(ちくま文庫版)

 

 イッキに読むのももちろんいいのですが、

 

いつも傍らに置いて、

 

必要な部分を

とにかく実践してみる!

というのが、

 

すごくいいのかな?って

感じています。

 

 

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読み終わったらすぐに書きたくなったので、めずらしく連日のアップとなります!

 

みれいさんの新刊『わたしと霊性』今日発売だったかも。

こちらもたのしみ!

 

 

 

 

 

自分旅行(コンビニ編)/突然フラワーエッセンスブーム到来中

 

コンビニのレジで

インターネット決済の

支払いをしていましたときのこと。

 

わたしをターゲットと決めた

蚊が飛んできて、

 

わたしは支払いに必要な番号を

携帯で表示させたりして

両手がふさがっていた

こともあり、

 

とっさにレジの女性が

(アニメ声の高齢の女性、髪型ツインテール

蚊を追い払ってくれたのですが、

 

蚊はあきらめずにわたしを

狙って飛び回り続けるので、

 

お財布からお金を

出したりしている間も、

レジの方がずっと

カウンターから身を乗り出して

手をブンブンとふって

しばらく追い払い続けてくれて、

 

なんかその状況に

爆笑しました。

(おかげさまで蚊に刺されることなく支払いを終えられました)

 

 

わたしが住んでいる地域は

本当にみなさん親切だなあと

感じています。

 

自治会とかそういう集まりでも

いやな思いをしたことないですし、

(子どもがいるのですごくお世話になってきました)

 

なんといっても、

車のマナーがとてもいい!

(反対車線でわざわざ止まって「右折どうぞ!」ってパッシングしてくれたり、そういうことだらけ)

 

埼玉県民は民度が低い

などという発言を

聞いたこともあるのですが、

 

そのときは

埼玉に住むことになるとも

思っていなかくて、

「そういうものか」と

なにもわからず聞いていましたが、

 

埼玉に住んだこともない

その方は何を持って

そんなことを言ったのだろう?

と今は思います。

 

確かに投票率は低いそうです。

他にもなにか理由があっての

発言だったのかもしれません。

 

でもデータには

現れないことって

あると思いますし、

 

条件やデータ、

ましてやイメージで

判断することって

実は大切なことが

抜け落ちてしまうのかな

って感じます。

 

 

先のエピソードでは

「住んでいる地域の方が親切」

と書いたのですが、

 

実はどこに暮らしても

自分にはそういう体験が

あるようにも感じられてもいます。

 

今回のコンビニのレジでのように

知らない人と爆笑!

みたいな場面は

すごくよくあって、

 

親切な人が多いというよりも

わたしがそういう

バイブレーションなので

 (おもしろムードというか…)

 

自然とそうなるという

だけなのかなとも思う。

 

 人生はひたすら自分旅行ですね。

 

 

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ある方にある相談をしたところ、

リーディングとして「フラワーエッセンスがいい」と伝えてくれて、

さっそく専門家のところに足を運んでみました。

(Sさん改めTさん、ありがとうございました!)

 

写真の本はそのお店に古書としておいてあったもので、

『妖精と詩と花図鑑』というデラックスな1冊。

ぜひうちに来てもらいたくて購入しました。

 

そのお店でセッションとして選んだエッセンスがふたつあって

毎日ブルーソーラーウォーターに落として飲んでいるのですが、

 

ものすごく効果を感じていて、

フラワーエッセンスすごい!となっています。

(現在のわたしにフィットしたというのがいちばん大きいと思いますが)

 

セッションではカードを引いてエッセンスを選んだのですが、

この本でも選べるのでは?というきがして、

 

ラクルカード的に本を開いてみたら、

スノードロップ(マツユキソウ)のページ。

スノードロップのフラワーエッセンスについて調べますと

 

手放す事、身を任せる事、不滅。過去を解放し、新しいものを喜んで迎え入れる。死への恐れや死のプロセスを受け入れ、解放し、精神的な再生をうながす。未来に楽観的な希望を見いだし、不滅の光に目を向ける。人生における様々な執着の解放に。死への恐れ、深い悲しみ、闇にいる時に。

 

「死と誕生」、「破壊と再生」は

この時期たくさんの方に共通するテーマかと思います。

おわりとはじまりのサポートになりそうな

このエッセンスのことぜひシェアできたらと思いました。

ピンと来たかたはネットで調べたりしてみてくださいね。

  

宇宙意識に目覚めていく今だからこそ

地上由来のもので波動を調整するといい気がしています。

 

 

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ページを重ねた側面がキラキラシルバー✨️

 

この本をひらいてフラワーエッセンスを選ぶのがブームすぎて、

頼まれてもいないのに、身近な誰かを思い浮かべて選んでみたり。

 

 

 

と…

 

おわったようで

もうひとつ!

(ここから、読まなくていいほうです)

 

タモリ倶楽部

「もじ鉄」の石川祐基さんが

出演していて大感激でした!

 

「細分化されすぎ!ニュー鉄」特集の

ひとつとして紹介されたかたちでしたが、

 

石川さんのプレゼンがあまりに上手でおもしろいので

 

タモリさんも、ものすごい集中して聞いていて

「いや〜、知らなかった!おもしろい!」と

感心されていました。

 

特に京阪電鉄の心配になるほどの統一美の

プレゼンがすばらしかったです。

駅名標だけでなく、時計、自動販売機、ゴミ箱の分別の表示にいたるまで徹底して、和文は「新ゴM」欧文は「Fruthiger Bold」に統一されているのだそう)

 

もじ鉄だけでひと番組やってほしい。

 

 

あと、 

京阪の地下鉄が途中から路面電車になる路線にいつか乗るのが夢です。

 

 

 

 

 

 

 

 

メロンが食べたいならメロンを食べよう/現実がいちばんスピリチュアル

 

 「自分のお役目」って

なんなのだろう……。

 

スピリチュアルな方面に興味があるほど

そんなことを考えてしまうかもしれません。

 

わたしもセラピストの

お仕事をはじめたとき、

 

後押しするような流れが

次々とあって、

「これをやりなさい」と

言われているようで、

「お役目」は頭をよぎりました。

 

でも、「お役目」って

巧妙なトラップだとも

思うのです。

 

それが完全に自分のよろこびと

一致しているのならいいのですが、

 

「お役目」の中に

無理や我慢や

自己犠牲が含まれるのなら

スピリチュアルな領域で

あるほど矛盾を感じるからです。

 

 

「誰かのためなら自分はそれでいい」

みたいなマインドが

わたしにもずっとありました。

 

それがわたしたちの美徳でも

あったと思います。

 

これがトラップと思うのです。

 

ちょっと飛躍するようですが

たとえば、

 

「メロンが食べたい」

「すごくすごく食べたい」

って思ってたとします。

 

でも、

「メロンって贅沢」とか

「わたしはメロンにふさわしくない」とか、

メロンが食べられない場面を何度も繰り返すうちに、

(前世とかでも)

 

「誰かがメロンを食べられますように」

みたいなねじれた願いをわたしたちは

持ってきたように思うんです。

 

自分はほしがらないけど

誰かのために祈る…みたいな。

そんなわたしの健気!みたいな。

 

これは最近書いてきた

セルフ鎮魂期とも重なることなのですが、

 

いよいよ地球はアセンション

となってまいりましたこのタイミングに、

 

この「メロンへの無念」も

噴出してきてるように思うのです。

 

 

(大丈夫でしょうか今日。伝わっていますか? メロン)

 

 

実は

「メロンが食べたい!」って思ったら

メロンが食べられる状況にあったのに、

 

数々の転生の中で

「いいえ、メロンはあなたが!」

みたいにやってきて、

 

その自分への

義理というか意地というか、

そういうのが根強くあって、

 

でも、

それを上回るほどに

今噴出しているのが

「メロンへの無念」(笑)

 

メロン食べてる人を見ては

本当の本当はめっちゃ

「いいなあ……」って

なってたわけです。

 

 

書いてて思うのは、

これ完全にわたしの話ですね(笑)

 

(それぞれバージョンの「メロンへの無念」もたくさん感じられてはいますが)

 

 

これから統合の時代へとシフトするほどに

「メロンが食べたいのに食べられない」

という状況が無くなる中で、

 

「食べられそうで食べられなかった

メロンをやっと食べられた自分!」

っていうのをやりたい、

 

「分離の時代のメロン」への

駆け込み需要がすごいある

って感じています。

 

 

うーん、わかるけど、

(ていうか、わたしだけど(笑))

これもほどほどにというか、

 

「食べられなかったメロン」っていう

ストーリーはもう手放して、

  

どんなかたちでもいいから

食べたいメロンを自分に

食べさせてあげようぜ

って思うのです。

 

 

自分に「お役目」があるのだとしたら

 

自分を本当に

しあわせにすることなのだと

思っています。

 

わたしのセッションのお仕事についても

「お役目」ではなく、

純粋に「やりたい!」と思う

自分の動機にいつも注意しています。

  

わたしが楽しみでならないその時間に

結果としてクリアな自分になって

お帰りいただけることに

大きなよろこびがあります。

 

 

今日は最後に

ご感想をシェアさせてください!

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

  

先日はとても楽しい時間を

ありがとうございました!

 

まさか自分がEテレっぽくなるとは

思いませんでした。

 

若者っぽい!普通よ!

とかおりさんに言ってもらえて、

一緒に笑いあえたのは、

わたしと過去世のわたしにとってもう大大大解放でした。

 

絵を描くことについても

小さいわたしが「そう!」と大喜びしたのか

自然と涙が出そうになりました。

 

セッションでは、

わたしの中にはわたしにとっての

最善の答えがちゃんとあるんだと、

深く体感することができました。

 

話せば話すほどなんだか普通…!

と恥ずかしくなりそうだったけど、

でもそのおかげでセッションを受けられたのだし、

やっぱり万事OKなんだ!と思えました。

 

話すことが苦手でしたが、

かおりさんの愛いっぱいの「流しそうめん」と

トイプードルさまのおかげで安心して話せました。

 

断捨離少しずつ進めています。

統合のワークもコツコツやっていきます。

過去世のわたしにスマホを見せつつ(笑)

 

セッションとっても素晴らしかったです。

わたしにとって、甘いメロンの一口目は

かおりさんのセッションでした。

 

本当にありがとうございました!

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

20代半ばという若さのTさん、

 

スピリチュアルな知識も豊富で

自覚するような過去世のトラウマもあり。

 

現在、そう呼ぼうと思えば「ニート」の

ような状況でもあって、

 

また、志した道にスムーズに

すすめなかったことからも、

 

劣等感にさいなまれてしまう

という状況がありました。

 

セッションは複雑になっていくかと

思いきや、

 

少し回り道をしたようで

Tさんには今学びたいことがあって、

 

その学びたいことの学校は

とある地方にあるので

実家を出ることともなりそうで、

 

親戚のご縁があったその土地は

以前からTさんがいつか

住みたいと思ってきた場所で、

 

聞けば聞くほど

めちゃめちゃ普通に

若い女性の希望に溢れた

自立への一歩のセッション

となっていって、

 

「なにこれ?! Eテレのドキュメンタリーみたいじゃない?

って爆笑しました。

 

前世のことも

スピリチュアルな知識の

あれこれも

 

今この瞬間の

自分の解放に反映させてこそ

って思っています。

 

目の前の現実が

いちばんスピリチュアルというか。

 

今この自分が

手足を動かして

ことばを発して

表現することに

すべてがあるのだと思います。

 

過去世も含め

目の前の現実も

言ったら全部

イリュージョンでは

ありますが、

 

どちらにしても

幻想なら

 

おいしいメロンを

食べませんか?

 

って思います。

 

 

自分が食べたら

誰かの分が無くなるなんてこと

絶対ありません。

 

いっちばんおいしいところを

ちゃんと自分が食べましょう!

 

「メロンの無念」を残さないためにも(笑)

 

 

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おゆるしいただける方には犬ありセッションとさせていただいています。

犬は本当にお手本です。

 

 

 

 

 

 

自分のマザーボード、入れ替え完了!

 

ITバブル華やかなりしころ、

 

パソコンのメモリーメーカーに

勤めておりました。

 

花型ポジションの方たちは

別のフロアで颯爽と

お仕事をされていましたが、

  

わたしが配属されていましたのは

「技術部」。

 

自作パソコンとか作っちゃうような

高度なおたくの人たちの集団です。

 

華やかフロアでは

わたしは3日ともたなかった

気がしますが、

 

おたくの人たちとは

波長が合いますから、

「技術部」では

なかなかたのしい体験を

いただきました。

 

パソコンの中身を開けて

各社のマシンに

自社のメモリー

まちがいなく動作するかの

チェックを行う作業があって、

(わたしはそのマシンを手配したり、おたくのアルバイトくんのスケジュールを組んだり、結果をまとめたりする人)

 

分解されたパソコンの本体が

そこら中に置かれているような

環境だったことから、

(あたらしいMacがいっぱいくるので、Appleのステッカーいまだにいっぱい持ってる)

 

パソコンには

マザーボードという

基板があるのを

いつも目にしていたのですが、

 

 

今って、

 

自分がパソコンなら

 

モリーの増設とか

OSのアップデートとか

そんな程度の更新ではなく、

 

みんながマザーボードを入れ替えている

ような時期なんだなと思っていて、

 

 

それはアセンション

直結するのですが、

 

今までのわたしたちには

想像もできないような

高性能の基板に入れ替えていける

タイミングなんだと思うのです。

 

 

でも、

マザーボード入れ替えるのも

結構大変です。


普通なら買い替えるのかなと思う。

(人間なら一回その生は終えて、次の生で取り組むようなことなのかと)

 

データをバックアップしなきゃとか

高額なマシンが台無しに

なるんんじゃないかとか

 

リスクも考えるし、

 

新しいマザーボード

どんなものなのかも

未知でもあるし、

 

そもそも

めんどくさい。

 

 

でも

古いマザーボードのままだと

アセンションした地球に

対応しないのもわかるから、

 

もう自分にパソコンこじ開けさせざるをえない

なにかがそれぞれに起こったりもする。

(自分の潜在意識はもう夢のマザーボードに入れ替えるって決めてるから)

 

 

わたしにも

なんだかわかんないけど

 

こじ開けられて、

解体されて、

更新された

出来事がありました。

(ふりかえって思えばですが)

 

出来事に夢中で

対峙しているうちに、

自分の基板がいつのまにか

入れ替わっていた感じ。

 

その出来事に目を奪わていたけど

目的は基盤の入れ替えのため

だったんじゃないかとも思う。

  

今朝は特にあたらしい自分の

実感があります。

 

ワクワク!

 

※9月の個人セッションあとおひと枠ご予約可能です。

(ご案内はこちら

 

 

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クリスチャン・ボルタンスキー展。
最終日にすべり込み(撮影OKのエリアで)。

全然知識がないながら、ビビビと来て行ってまいりましたが、感じたのは「無名の記憶の鎮魂」。

この作品も無数の亡霊のようですし、テーマは宗教的だったり、無名の存在の死や記憶だったりするのですが、入り口から出口までがひとつの作品のようになっていて、アトラクション感があって重々しくない。

 

 

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もう生きながらにして来世ですよね。わたしたち。

 

ゲートを超えていくためにも、今はセルフ鎮魂、セルフ成仏期なのだと思います。

 

すべて幻想なのですが、それぞれに体験した(と思っている)ことを丁重に弔いたいきもちにはなります。

 

その先で本当に自由に遊ぶためにも!

 

 

 

 

 

 

 

セルフ鎮魂期/「ラスボス」は例外なく自分

 

今日は書きたいことが

たっぷりあるのですが、

 

身近な小ネタからまいりますね!

(落語ではこれを“まくら”ともうします)

 

前から思っていたことで

最近、より顕著になっている

ことがあります。

 

題するなら、

「左右のお宅とほぼ同じ条件なのに、うちの植物だけモリモリに成長する件」

 

わたしは現在一軒家に住んでいて、

横並びの3棟はほぼ同じ条件。

南側に小さな庭があります。

 

庭にはどの家にも

ハナミズキ若木

元々植えられていて、

(建て売り住宅ゆえ)

 

ほぼ同時期に入居して

もう15年くらいとなりますが、

 

うちの木だけずいぶん成長がよく

背の高さも枝の広がり方も

大きく違うことになってきて、

 

近隣に落ち葉が散らかるのもあって

昨年かなりさっぱりと剪定したのですが、

早くもやっぱりうちの木だけ

なんだかモリモリしてきている……。

 

玄関のある北側にも

ベンジャミンの木が植えてあるのですが、

(これは自分で植えた)

 

このベンジャミンの

成長も著しくて、

若葉が常に絶えず、

少し剪定をサボると

うっそうとしてくるほど。

(北側ということもあって、左右のお宅の植物はぜんぜんそうじゃない)

 

植物は個体のちがいも

あることですし、

偶然かな?

とも思っていたけど、

 

最近は偶然でもないのかな

とも思えてきていて、

 

 

ひとつの理由として

想像しているのは、

 

ここに住みはじめてしばらくしたころ

家を「ゼロ磁場」にしていただいたこと。

 

ゼロ磁場にしていただいたのは

建物のみではありますが、

たぶんこの影響は

あるだろうと思う。

 

もうひとつは

家でセッションの

お仕事をはじめたこと。

 

家がそういう場所となったことで

ややUFO化してきている(?)

というか、

 

家がある種の拠点となっている

感じはあります。

 

最近は庭の虫たちも活性化している

感じがあって、

 

植物や虫の存在って、

ダイレクトに宇宙って

感じがしてきています。

 

これからも注目してまいりたい!

 

 

さて!

 

絶賛アセンション中の

地上体験はみなさま

いかがなものなのでしょうか?

 

あちこちで

フェス的な

ちょっと早めの

お祭りが始まっている

ことも感じつつも、

 

いよいよ現れた

ラスボスみたいななにかに

対峙している方も

多いように感じています。

 

 

わたしたちには

それぞれに自分の

パターンがあります。

 

いずれも

それを深く刻んだなにかを

体験したからなのですが、

(正確には体験したと深く信じているからなのですが)

 

「本当の自分はわかってもらえない」

「自分が悪い」

「自分はしあわせになれない」

「いちばん望むことは手に入らない」

 

とにかく

「またそうなるにちがいない」という

根強い思いがあるからこそ、

 

設定を変え、

相手を変え、

同じパターンが再生される。

 

宇宙には無限にYesが

あるだけなので、

 

自分がもっている

周波数がオーダーとなって、

 

「よろこんで!」と

運ばれてくる居酒屋

って思うと、

 

「頼んでませんから!」

ってことは実は絶対にない。

 

ほしくないものが

運ばれてくるなら、

その周波数を

手放すのみなのですが、

 

セッションを通して、

 

また自分のこととしても

感じていますのは、

 

最後の最後のゴツイやつを

いよいよ手放す!というときに、

 

自分が駄々をこねる……

みたいなこと。

 

 

ひとつのパターンは、

 

 

そのゴツイやつが、

 地球で転生を繰り返す中で

自分を保つための

誇りだったというか、

 

ある時期にはそれが

自分を守ってくれた結界

ともなっていたというか、

 

それを頼りに生きてきたもの

でもあるから、

 

その制限がもう不自由だから

手放したいのだけど、

 

それが自分の価値ともなっているし

美徳ともなっているから、

 

手放せずに逆結界のように

なってしまっている。

 

(この逆結界パターンは、聖職者、リーダー、また子を思う親、親を思う子など「自分のよろこびを封印してでも、他者のために生きた過去世の記憶」が多いと感じます)

 

でも、潜在意識ではもう手放すと

決めているので、

 

その周波数をふるい落とすかのような

結構インパクトのある出来事が起こったり

するのだけど、

(これが“ラスボス”)

 

1回では手放せなくて、

何度かラスボスに対峙するような

イベントが起こる……。

 

みたいなことは

今多いかなと思います。

 

 

もうひとつのパターンは

 

誰かをゆるせないあまり、

 

自分をゆるさない!という

駄々をこねてるパターン。

 

謝ってくれるまで

ゆるさない!って、

自分が幸せにならないような

選択ばかりをし続けるのだけど、

 

もうそれもしんどいので

やめたい。

 

でも、

相手が謝ってくれる

誰かが助けてくれるなど

 

自分の望むかたちでの

オトシマエをつけたいから、

 不幸であることを手放せない。

 

こっちはより

しんどいかなと思います。

 

そして、

 

望むかたちの大団円は

実は自分が先にゆるすから

起こるので、

 

 

「謝ってほしい」

「助けてほしい」

を待ち続けているかぎり

それは起こらない……。

 

 

ゆるしたから

相手が謝る。

 

解決を許容できる自分になれたから

誰かが助けてくれる。

  

望むかたちのストーリーに

執着しないことは

大切だなあと感じています。 

 

 

他者を通して体験しているかのような

ラスボスイベントも、

例外なく、自分がラスボスです。

(その人はその役をやって現象化してくれているというだけで)

 

 

ネガティブな周波数は

からだの中に物質のように

存在しているので、

 

ゴツイやつほど

深いところから出すためにも、

 

派手なラスボスが現れたりする。

 

 

それは、実は

ゴツイやつをやっと手放せる

チャンスタイムなので。

 

することは反応して

またネガティブを膨らませることではなく、

 

ラスボスに「今までありがとね♡」

くらいの感じで、

 

ひたすら統合です。

 

ラスボスにも

ラスボス役もう辞めさせて

あげたいというか。

 

 

 

今は本当にゴツイやつを

やすやすと手放せるキャンペーン!

しかも希望者全員に!

みたいな時期なので、

  

わたし自身、

真剣に自分の周波数の仕分けを

するしかないと思っています。

 

これからはもう体験できない

ネガティブ体験をしてきた

自分の魂に対して、

 

今はそれぞれに

オトシマエをつけるというか

説得というか、

セルフ鎮魂というか、

 

そういうことを

しているのかなって

思いますし、

 

どうやったら自分が納得して

解放を許可するのか?

ということだけなのだと思います。

(ここに結構それぞれのこだわりがあるって思う)

 

 

ただし、

駄々をこねている猶予は

もうあまりないタイミングではあって、

 

あせる必要は

ないのですが、

 

せっかくの

手放しキャンペーンのこの時期です。

それぞれが真剣に自分に向き合う

しかないのだと思っています。

 

 

セッションではその方バージョンで

手放す部分、本質の部分、

クリアにするお手伝いをしています。

 

9月の個人セッションについて、

あと2,3名のご予約が可能です。

(ご案内はこちら

 

 

 

http://healingroom3.com 

 

 

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ネットでこのページの写真を見つけて、咳き込むほど爆笑しました。

(なぜこ画像にたどり着いたのかは後から説明します)

 

まずは宗方コーチの浴衣の柄。どういう状況で浴衣なのかはわかりませんが、なぜこの柄! そしてそんな状況で、正座姿で語られている内容……。シュール過ぎて咳き込みました。

なぜかかわたしが宗方コーチにおしかりを受けているようなきもちにもなってきています。

(若い世代の方に説明しますと、これは『エースをねらえ!』というテニス漫画です)

 

元はと言えば、今日全米オープンでの大坂なおみ選手の15歳のココ・ガウフ選手への神対応を生で見ていて感動して、

(15歳とは思えぬ才能と器でメキメキ頭角を現していたガウフ選手でしたが、今回の試合ではまったくいいところを発揮できず、ほとんどゲームを取れないままストレート負け。試合後、15の幼さが戻って涙をこらえるガウフ選手に大坂なおみ選手がコートでの試合後のインタビューを一緒に受けようと提案して、そのインタビューがすばらしかったんです。これから自分にとって驚異となる存在ではあるけれど、大坂選手は自分の勝利はさておいて、とっさに若い芽を守る対応をしていました)

 

で、なんかエースをねらえ!(笑)

 

アニメのオープニングの曲とかググったりとかしてて、(暇でもないのですが…)

上の画像にたどり着きました。

 

  

エースをねらえのオープニング曲には

 

わたしの愛も

わたしのくるしみも

誰もわかってくれない

 

という歌詞がありますが、

 

宇宙は全部わかっています。

 

「誰もわかってくれない……」

はもうおしまいにして、

 

自分のエースをねらいましょう!


  

https://www.youtube.com/watch?v=cuHyUfMNAws

↑観なくていいのですが(笑)

 

 

 

 

9月個人セッションのお知らせ/自分の本質で生きる

 

9月の個人セッションについて

ご予約受付中です。

 

詳しくはこちらをご参照ください。

 

前々から

同時期にセッションに

いらしていただく方には、

 

グループテーマのような

共通するテーマがあるなあと

感じているのですが、

 

8月はそんな思いを

さらに強くするような

セッションが続きました。

(ご同業の方が4人連続したり!)

 

 

今はもう本当に

自分の本質で生きるしかない、

 

「正しい」で判断せず、

純粋な衝動で行動するしかない、

 

そんな、

確信をいただく

ようでもありました。

 

 

次なる節目となります

秋分を控えた9月。

 

セッションが

自分の本質と

純粋な衝動を

クリアにするための

お手伝いになったら

なによりです!

 

 

さて、

ここからは

 

8月にセッションに来ていただいた

Mさんからのご感想をシェアさせてください。

 

セルフイメージをどんどんはがして行くと

ぶっ飛びMさんが現れてきて…(笑)

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

かおりさん、先日はありがとうございました。

 

セッション後は不思議とやすらかな気持ちでした。

しっとりとおだやかで、こんな気持ち久しぶりでした。

 

わがままで奇抜な存在のわたし。

自分自身のことなのに、

すっかり忘れていました。

 

そうだった!

わたしにはこんなところやそんなところがあった!と、

懐かしい自分と対面することができ、

わたしの中の小さなMちゃんがよろこんでいるのを感じました。

 

また、パートナーと知り合ったときに

「ラリってるね」と

言われたことを思い出しました。

 

「そんなこと言うなんてひどーい!」

と言い返しましたが、

内心すごくうれしかったのです!

 

今思うと本質を見抜いてくれたからこそ

うれしかったのだなと思います。

わたしの本質を思い出させてくれたかおりさんに

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

また、10年勤めた職を退職したことについて、

自分自身に頑張ったねって褒めることができませんでした。

逃げてしまったという罪悪感があったのだと思います。

 

苦しいことも楽しいこともあった10年。

自分にやっと頑張ったねって言ってあげることができて

さっきおいおい泣いてしまいました。

 

やっと自分自身を少し受け入れることが

できたのかなと思います。

 

セッションで教えてもらった

感情の仕分けや違和感に忠実になることを忘れずに、

コツコツやっていきたいなと思います。

 

本当にすばらしい時間をありがとうございました!

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

 

「ラリってるね」

って言われて

内心うれしかったって…

 

わたしにはそのきもち

すごくわかりますけど。(笑)

 

 

Mさん、

少し前に辞められた

お仕事の職種や

 

かわいらしいルックスから

受ける印象とは、

 

実は全然ちがう方なのでは?

とセッションの中で感じられて、

 

掘り下げていくと、

 

「そうだった!わたしの本質はもっとぶっ飛びキャラだった!」

と思い出していかれました。

 

 

今月は

Mさんのセッション以外でも

 

セルフイメージの乖離が

大きく調整されるような

セッションが続きました。

 

自分が自分の本質を

理解するということは

人生を快適に展開するための

大前提なのだと思います。

 

 

Mさんが「ラリってる?」

って言われて

逆にうれしかったように、

 

わたしも

 

「頭おかしいね」とか

言われた方がうれしいです(笑)

 

なんかホッとします。

 

 

「すてきな大人」とか

「いいお母さん」みたいなことを

言われると、

 

居心地悪すぎて

その場に深い穴を掘って

今すぐ隠れたくなります。

 

 

Mさんのパートナーの方も

ラリってるかのような

傍若無人ぶっ飛びMさんを

好きになったのでしょうし、

 

ありのままの自分を

表現してこそ

ふさわしい人間関係も

生まれるのだと思います。

 

誰かから見て

「映える」自分を作ろうとしても、

結果輝かないのだとも思いますし。

 

 

わたしはオタクの人が

大好きなのですが、

 

人から見てどうか、

とか全く考えずに

 

好きなことに没頭していたり

純粋な衝動に忠実だったり

するからです。

 

(鉄道オタク、落語オタク、音楽オタクを得に好みます)

 

わたし自身はオタクというほど

なにかを極めてはいませんが、

 

自分の好きなものには

全幅の信頼がありますし、

(それが優れているとかそうじゃないとかではなく、自分にとっての価値として)

 

他の人にとって価値があっても

自分が必要と感じないことには

目もくれないようなところはあります。

 

 

誰に見せるために

生きてるわけじゃない

ですもんね。

 

 

「好き」を動力に

 

「純粋な衝動」をガイドに

 

それぞれが毎日を

生きていたら、

 

自ずとその人の

能力は発揮されて

誰かの役に立ってしまうの

だと思いますし、

 

エネルギーの循環として

それが収入ともなるのだとも

思っています。

 

 

さらなる節目を迎えます9月

 

最適なタイミングでご縁を

いただけましたらなによりです。

 

 

Healingroom3

榎本かおり

 

http://healingroom3.com 

 

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西荻窪くしまの久嶋健嗣さんのご厚意で、お店をお借りしてのセッションをさせていただいておりましたが、わたしのセッションの変化に伴い、今後は自宅のみでセッションを行うことにいたしました。


「くしま」という、願ってもいないような空間で、セッションをさせていただいたこと、また、おひとりおひとりとのご縁により、他では得られない貴重な体験と時間をいただきました。本当に光栄に感じています。ありがとうございます!

 

くしまでのセッションは終了とさせていただくこととなりましたが、

わたしは久嶋くんのお料理教室のいち生徒でもありますので、これからも変わらず、くしまのお料理と久嶋先生をお慕いしてまいります!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子ばなれ小噺

 

 15と なりし娘が タピりし夏

犬を抱きて 夕日を眺む

 

 

またしても一句詠んでしまいますのも、

(「タピる」は、タピオカドリンクを飲むことの動詞らしいです)

 

 

先日高1の娘が浴衣を着て

夏祭りにでかけていきました。

 

 

「下に何着るの?!」

 

「体操着???」

 

とか大騒ぎしながら。

 

(中学の頃からどんなときにもアンダー的に体操着着てなきゃって思ってる)

 

 

 

「子ばなれ」というのは

段階があるのだなと

思っているのですが、

 

いちばんはじめに

そう感じたのは

娘が小学校に

上がったときでした。

 

 

3月生まれで

小さかった娘が

 

やけに巨大に見える

ランドセルを背負って、

 

自分の足で

学校に出かけていくのを

見送ったとき、

 

生んでから何年も

経っていたけれど、

 

そのときはじめて

からだが離れたような、

不思議な感じがした。

 

 

出産のとき、

からだは別々になったようで、

 

エネルギー的にはずっと

一心同体だったんだなって。

 

 

幼稚園にも行っていたから

もちろんその前から

別々に過ごす時間は

あったのだけど、

 

送り迎えや

送迎バスという

庇護の中のことだったし、

 

 

小学校に上がって、

 

近所の子どもたちだけの

登校班というグループで

外の世界に出かけていくのを

はじめて見たときに、

  

「ああ、今離れたんだー」

って感覚的にわかった。

 

 

もうひとつ、

 

わたしはぐっすり寝ていても

娘が声をかけると

「秒で」

起きるらしく、

 

「マー子は本当に寝ているの?」

って何度も聞かれるのですが、

 

(娘はなぜか小さい頃からわたしを「マー子」と呼びます)

 

たぶん、

娘が赤ちゃんだったとき、

わからないことだらけの

子育てに突入して、

 

ホギャ!と泣いたら

おっぱいあげて、

とか夢中でやってる内に、

 

娘の声の周波数に

完全に反応するセンサーが

わたしにセットされたのかなと。

 

 

小6までは

一緒の部屋に

寝ていたので、

 

「おなかいたい」とか、

 

「鼻血出た」とか、

 

娘の声が

なにか聞こえたら、

 

ぐっすり寝てても

起きてた人みたいに

即返事して

対応してたみたいです。

 

(わたしに自覚はまったくない)

 

 

でも、今思うのは、

 

このセンサーは

もう解除して

いいんだなってこと。

 

高1ともなった娘に

このロックオン!状態は

もう不要なのだろうし、

 

これからどんどん

自立していく娘には

わたしの設定も変わるのが

自然なのかなと思う。

 

 

なんてことを

書いていていたら、

 

うちの母の不思議な

話を思い出した!!!

 

わたしが高校を卒業したかしないか

くらいの頃のことです。

 

ひとりで札幌に映画を見に行って、

デヴィッド・リンチだった。名画座的小っちゃい劇場)

 

上映中、となりに座っていた男の人の腕が

なんかこちらに寄ってきたきがしたので、

 

いやだから、グッ!て

押し戻すようにしたら、

 

その人は逃げるように

出て行って、

 

わたしは超絶ぼんやり少女だったので

(口から魂の3分の2くらいはみ出させて生きてた)

 

最初はよくわからなかったのだけど、

 

これは、「ちかん」を

しようとしたのかも

って段々わかって、

 

そしたらどんどんこわくなってきて、

(映画、デヴィッド・リンチだし!)

 

もう映画館からの帰り道も

すごくこわくて、

 

札幌の中心部から

ちょっと距離のある家まで

不安なきもちのまま

バスで帰って、

 

当時は携帯などもないから

家に何時に帰るなんて

連絡せずに帰ったのだけど、

 

最寄りのバス停を降りると

なぜか弟が自転車を停めて待っていて、

 

聞くと、母がわたしを

迎えに行くように

言ったらしい。

 

そのバス停から家までは

歩いて5分もかからない距離だし、

道中もすごく安全な道だから、

 

迎えに来てもらったことなんて

後にも先にも一度もなかったけど、

(もう18とかだし!)

 

でもこの日ばかりは、

弟が待っていてくれて

心底ホッとして、

 

今でも憶えてるくらい

うれしかった。

 

 

帰ってから、

「今日こんなことあってこわかったんだ」

って話は母にしなかったと思う。

 

母もなんで弟を迎えに行かせたか

本人もわかってなかったふしもある。

 

弟もそれなりの年齢なので

そんな頼みよく聞いたなって思う。

 

なにより

いちばん不思議なのは、

 

なぜ母はわたしが

その時間のバスで

帰ってくるって

わかったのか。

 

 

わたしの母は

大らかを絵に描いたような人で、

(ザ・道産子!って感じ)

 

日頃サイキックな所見は

皆無だったけど、

 

母というものは

必要とあらば

サイキックとなるのかも。

 

 

母はもう亡くなって

5年近く経ちますが、

 

いつもそのままのわたしを

尊重してもらったこと、

 

超常的にサポートを

してもらったこと、

 

(それは今もかもしれなくて)

 

見習えたらと思っています。

 

 

 

先日、

高校生の娘が浴衣を着て

夏祭りにでかけていきました。

 

 

わたしにとってまたひとつの

子ばなれイベントだった

きがしています。

 

 

http://healingroom3.com 

 

 

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今日は親バカおゆるしください。幼稚園の盆踊りのとき。

 

このときはかき氷を抱えていた娘が、

今はタピオカドリンクを抱えています。

 

(どこかで買った冷凍のタピオカで、家で自前のドリンクも作っている…、わたしはキッチンに時々落ちている黒いぷるぷるしたなにかに、一瞬タピオカとわからずビクッ!となったり…)

 

 

 

夏祭りといえば。

 

日本語と夏がなくならない限り、聴き継がれると思う名曲を最後に。

https://www.youtube.com/watch?v=_dcpKrUk_Jo