Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

ハバナイスミラクル✨️/起こることは起こる

なかなかに

おもしろい春を

迎えているように

感じています。

 

といっても、

一見大きな変化はなく、

毎日はむしろ地味目

かもしれません。

 

でも、

この春はきっと

わたしにとっては

お祝いの春。

 

特別ではない

今日に、

 

実は

めくるめくほどの

祝福が

溢れている。

 

自分の内側が

完全に平和で、

安心できていて、

 

とにかく自由。

 

こうなったらいいな、

ということは

あるけれど、

 

そうならなくても、

どちらでもいい。

 

(起こることが

わたしにとって

必要なことだから)

 

そんな自分に

なってきているのは、

 

望む現実を

体験していくために、

 

思い通りになにかを

コントロールしよう、

 

または、

しなくては!

 

という、

きもちがすっかり

なくなって、

 

もっと大いなる流れを

完全に信頼して

明け渡すことが

できたからだと

感じています。

 

ずっとよくわからずにいた

サレンダー。

 

誰もが

 

おそれておそれて、

 

または

 

望んで望んで、

 

手放せないもの

というのが、

 

あったりするかと

思うのですが、

 

それって

自分をくるしめるために

起こっているんじゃなく、

 

お手上げ状態を

つくることで、

 

あらららら!

手放してみると

毎日はこんなに、

楽ちんで、

 

あーだろう

こーだろうと

コントロール

気を揉んできたけれど、

 

つかんでいた

なにかを手放すことで、

 

ふわり快適な気流が

自分を運んでくれる

ことにも気づく。

 

でも、

なにを選ぶにしても

いつも自分が

決断するしかない、

 

ということで、

 

その人それぞれに、

いろんなイベントが

起こってくる。

 

これは

魂の

アッパーマネジメント

なのだと思う。

 

小我をすてて

大我を生きる

 

本当にそうなって

いこうとするとき、

 

これくらいならと、

 

ポケットの中に

小我のかけらを

しのばせて

進むことは

できない。

 

それは

 

依存や執着かもしれない。

 

コントロール欲や

ジャッジかもしれない。

 

傲慢さかもしれない。

 

それがなんなのかは

その個性がたどった

道のりによって、

さまざまだとしても、

 

もう本当の自分を

思い出して

帰りたい!

と決意した場合、

 

その人バージョンでの

イニシエーションは

進行していくもの

なのかな?と

思っています。

 

さてさて、

 

じゃあわたしは

元の自分を思いだし、

帰ってこられたのか

と言いますと、

 

まだまだ、

移行期には

あると思います。

 

が!

 

毎日にあふれ出す

圧倒的安心感。

キラキラ感。

 

どこかに、

探し回らなくても、

誰かに

聴きにいかなくても、

 

自分の内側に

必要な情報が

やってくるという

信頼。

 

起こることは

起こる、

という確信。

 

そんな

心境でいられることが

とても心地よく、

 

なんというか、

 

川を渡って

向こう岸までは

とりあえず

こられたような、

 

そんなきもちでいます。

 

故事として

伝えられる

「塞翁が馬」のように、

 

(馬がいなくなってしまった→しばらくして、その馬がもう一頭立派な馬を連れてきた→その馬に乗って息子が大けがをした→そのけがのおかげで戦地に出向かなくてもよくなった)

 

ネガティブに思えたことが

よい結果をもたらす

なんてことは、

 

そこそこ

長く生きていると

何度も

体験するものですよね。

 

どちらにしても、

自分にとって

必要なことが起こる。

 

そのことへの

完全な信頼が

ためされている

ような。

 

 

奇跡というのは、

 

すごい誰かの

体験談ではなく、

 

たくさんの人が

自分で体験していく

時代なんだと思う。

 

ハバナイスミラクル!✨️

 

 

数年前に深瀬啓介さんのセッションで

描いていただいた絵。

 

深瀬さんを通して、

ガイドが記録した絵のようなかんじで、

 

深瀬さんはなんと

途中で何度も寝落ちのように

意識が遠のいたり、
(電車で居眠りしている人のような

状態で絵を描いていた!)

 

またはまったく関係ない雑談をしながら

絵筆を動かし続けていたのですが、

(おせんべいが大好きとのことで、

主催の女性と熱くおせんべいについて

語られていて、いろいろシュールすぎて

わたしはずっと爆笑していた)

 

完成したこの絵を

みせていただいて

とてもとても感動しました。

 

BAMBINO BENEDETTA

イタリア語で

「祝福された子ども」

の意味だそう。

 

ゲートの向こう側では

 

帰ってきた子どもへ、

花が渡されていて、

 

喜びが

金色の綿毛となって

降りそそぐ。

 

その祝福に、

 

鳥だけど花、

花だけど鳥、

という不思議な

生きものが

歌うように

よろこんでいる。

 

現在の心境に

リンクしていることもあって、

 

今のタイミングで

この絵がたくさんの

インスピレーションを

くれています。

 

 

 

 

祝福セラピー 予告編

内から自分を照らす光

 

「祝福セラピー」を

はじめてまいります。

 

外側から自分を照らせば、

そこには影も生まれます。

 

影ありきの光も

ドラマティックで

すてきだったかも

しれませんが、

 

外には探さず、

誰とも比べず、

 

内なる光に

目を向け、

 

さらには

その光は

誰にとっても

ひとつだということを

体感していく。

 

大いなる安心への

一歩となればと

思っています。

 

セッションでは、

おしゃべりをします。

 

そして、

おしゃべりしか

しません(笑)

 

遊びのような身軽さで。

 

意味や条件を飛び越えて。

 

自分を信じ

自分を愛し

自分を祝う

 

祝福セラピー✨🕊️✨

 

4月より

スタートできるよう

準備中です。

 

──────────

 

こちらをのぞきに

来てくれている

みなさんに

先がけて

お知らせできたらと

予告編を

つくらせていただきました。

 

3月中には

ご案内ができたらと

思っています。

 

 

今、自分の物語を越えていくとき。

そんなきがしませんか?

 

 

太陽も祝福。雨も祝福。

ネドじゅんさんの

エレベーターの呼吸が

すごくいいです。

 

「わたし」と

思っているものの、

ほとんどは、

 

本当は

わたしではない。

 

ということが、

とてもわかりやすく、

 

(自分が思うことって、

自分を制限したり

苦しめたりすることばかり

だったりしませんか???)

 

そのことに、

自分で気づく体験の

積み重ねにより、

 

本当の自分で

いることは

こんなに安心で、

 

最速で、

最適に、

物事を調整する

ことができるんだ

ということが、

 

よく実感できるような、

とても優れたメソッド。

 

自分への信頼ほど

最強なことは

ないですもんね。

 

思考優位の回路により、

ストレス物質に

つねに浸されているような状態が

現代の普通とされていたこと……。

 

気づくほどに反転は起こり、

 

救いや解決法を

外側に求めるということが

どんどんなくなっていくように

思います。

 

 

そして、

どこか遠くの

パワースポットに

いかずとも、

 

いつでもどこでも、

自分自身のからだが

宇宙のポータル

だったんだ、

 

なんてことも

感じたり。

 

(どこかに行くことも

もちろんすてきですが!)

 

自分ではない、

特別な誰か

じゃなく、

 

今ではない

いつか

じゃなく、

 

実はもう

すべてが完了していたりもする……。

 

そして、

今ここにいるのは、

 

雨でも、

晴れでも、

たのしく味わい

遊べる自分。

 

毎日にあるのは

祝福と遊び。

 

どんどん

そんな感じに

なってきています。

 

 



 

 

 

 

そのアイディアにいのちが注がれるとき

このブログのページを

再開するのが

よいような

気がしたのは、

 

今後お知らせする

なにかが

出てくるような

気がしたから

だったりするのですが、

 

「気がする」だけで、

それが具体的に

どういうものなのか

わかりかねていました。

 

しかし、

ここに来て、

 

漠然と抱えていた

アイディアを

話す機会があって、

 

楽しいおしゃべりの中で、

それがどういう

アイディアだったのか、

 

わたし自身、

やっと理解できたような

すてきな時間が

ありました。

 

まだしばらくは

準備段階になるかと

思うので、

 

お知らせは

もう少し先と

なりそうなのですが、

 

気が早いのに

今これを書いているのは、

 

これだ!

と思う流れを

感じたときは、

 

なるべく

人に共有しておいたほうが、

よさそうだから。

 

時代が大きく

シフトしていく

まっただ中で、

 

仕事やものづくりなど、

 

これまでとは違う

アイディアを抱いている方

というのは

今たくさん

いらっしゃるかと

思うのですが、

 

漠然としていても、

人に共有することで、

 

いのちが注がれて、

次にどうしていったら

いいのか、

 

道のりが示されていく

ことになるのかな。

 

ほんの小さな例

かもしれませんが、

 

わたし自身感じたこととして

シェアさせていただきますね。

 

よく言われることですが、

頭の中にそのアイディアが

あるということは、

 

それが実現している

時空があるということ。

 

でも、

実際にそのパラレルを

体験するためには、

 

具体的な行動が

マストとなる。

 

このプロセスこそが、

醍醐味って思えたら

最強ですね。

 

それぞれの

アイディアを

より合わせて、

 

みんなでもって、

最高におもしろい地球に

していけたらいいですよね!

 

 

 

本文にまったく関係ないのですが、

北の国から」見てましたか!?

 

わたしは黒板家の身内くらいの勢いで

入り込んで見ていました。

 

この写真の蛍ちゃんと同じ、

赤いジャージわたしも持ってたな。

純くんの水色のジャージも同級生が着ていた。

(多分当時北海道で流通していたものかと)

 

今はどうなのかわからないけど、

北海道では体育着がなかったから、

上下ジャージで登校するのが

普通だったのです。

 

だからどうした、

ってお話なのですが(笑)

 

 

 

この人(自分)がよろこぶものって???

自分がいちばん

よろこぶことって

なんですか???

 

ひとつではないと

思うのですが、

 

わたしの場合、

「朝の時間をゆっくり過ごす」

 

ということに、

すごくしあわせを感じます。

 

ゆっくりめに

起きても大丈夫だったり、

 

洗濯などの家事も

慌てず済ませられたり、

 

そのあと

好きな飲みものを作って、

ゆっくり飲んだり。

(このときのBGMを選ぶのもたのしい!)

 

だとしたら、

どういう働き方がいいのか、

暮らし方がいいのか、

 

他のやりたいこと、

やる必要のあることとの

バランスをどうするか

 

などなど、

 

それにあわせて

デザインしていくこと

というのは、

 

やってみると

案外むずかしくは

ないのかもしれないな、

 

なんてことを

思っています。

 

(こどもが小さいうちは

無理な話だったので、

そのとき可能な範囲でと

なりそうですが)

 

今月は自分の

誕生月ということで、

 

自分へのプレゼントとして、

すきなアルバムを

アナログで探すというのも、

 

最近の楽しみです。

 

この人が

よろこぶものというと、

 

洋服だったり、

アクセサリーだったり

というよりは、

 

レコードだったり、

本だったり。

 

10代のころから

変わりません。

 

魅力的なものは

溢れているし、

 

これがイケてる!

的なものも

どんどん

移り変わって

いくものですが、

 

評価が高いものや、

たくさん支持されているものと、

 

自分にとって、

必要なこと、

よろこびを与えてくれるものは

必ずしも一致しない。

 

(あたりまえだけど)

 

この人(自分)が

何でいちばん

よろこぶのか、

 

今目の前に

あったとしても

なかったとしても、

 

それだけは

いつもクリアに

理解していたい

ものですね♪

 

 

ジョニ・ミッチェル

Court and spark

 

ジャケットの絵は本人が描いたもので

The Mountain Loves The Sea

というタイトルなのだそう。

 

この絵がめちゃ好き!

 

 

 

 

からだにまかせてみる

昨日はピアノ教室へ。

 

ご縁をいただいた

すてきな先生のレッスンです。

 

まったくの初心者として

スタートした上に、

 

月に一度程度しか

通えないので、

 

まだ何か弾ける

という段階では

ないのですが、

 

先生のお話が

おもしろすぎて、

 

毎回、たくさんの

気づきやお題を

おみやげに帰ってくる。

 

譜面は平面だけど、

音楽は立体だから、

 

そのエネルギーを

読み取り

音にして現す。

 

昨日はそんなお話を

してくれて、

 

見本として、

実際に平面バージョンと

立体バージョンの

演奏をしてみせて

くれたりもして、

 

なんというか、

無機質なものに、

いのちが吹き込まれて

動き出す瞬間を

見るようで

エキサイティングでした!

 

レッスンに通い始めてから

数ヶ月もの間、

 

わたしは

まともにピアノを

鳴らすこともできなくて、

 

緊張の高さや、

表現することへの

強い抵抗などを、

ひたすらゆるめていく

ような期間があったのですが、

 

(といっても、セラピーでも

なんでもなく、先生は

ピアノのレッスンを

してくれているだけなのですが、

先生のレッスンは不思議と

その人それぞれの解放が

起こるようです)

 

ここにきて

やっと本当に

レッスンがはじまった

ような気がしています。

 

(ピアノを習いたくて

来たくせに、

なかなかピアノを弾こうとしない

謎の生徒でしたが、

わたしに合わせて

レッスンを続けてくれた

先生に本当に感謝……)

 

からだに聴く、

からだで感じる、

からだで表現する。

 

今続けている、

呼吸法やワークとも

連動してもいて、

 

わたしにとっては、

いろいろ相乗効果を

もたらしてくれるような。

 

頭のコントロール

外して、

 

ゆるむ、

感じる、

 

そして、

からだにまかせてみる。

 

どれも、

そんなレッスンに

なっているのかな。

 

 

わたしはことばが

大好きだけれど、

 

ことばには

表現できない領域の

ことももっと大好きだから、

 

音だったり、

色彩だったり、

動きだったり、

 

そういう表現や、

コミュニケーションに

ますます

興味がわいています。

 

 

 

亀の歩みですが、

練習続けてまいります。

 

ついにわたしが手放したもの/新しい作法のレッスン

やっと、

おもしろく

なってきたような……。

 

なんの話かって、

 

ここ数年、

ずっと

「自分に人見知り」

 

みないな

気分だったのです。

 

なんというか、

 

いろんなことが

浄化され、

浄化され、

 

こちらへ、

こちらへ、

と、

 

確かな導きを

感じて、

進んできた場所が、

 

「わあ!おもろ!!!」

 

みたいな感じ、

というよりも、

 

「ん?

どないやろ???」

 

みたいな、

感じで、

 

いったいここで、

自分がこれから

どうするのか、

 

うまく描くことが

できずにいました。

 

そうはいっても、

 

毎日に楽しみは

あるし、

 

大好きな人たちも

います。

 

しばらくは

社会的には

大きく揺れ動く

時期が続いていく

ことを思うと、

 

これで十分なのかも、

 

感謝して日々を

生きるのがいいのかも、

 

という、

ご隠居みたいな

心境になって

いたのですが、

 

ポテンシャルと

そのスタンスが

そぐわないような

感じがあって、

 

謎の違和感が

ずっとありました。

 

ここにきて

やっとわかってきたのは、

 

たとえるなら、

 

わたしは大きな川を

渡って、

 

(数年がかりだったですダ!)

 

お花畑のような景色の

向こう岸に

上陸してはいるのだけれど、

 

マインドが

もとの岸のまま

すぎたし、

 

(自分への制限、

受けとるキャパの小ささ

などなど)

 

あたらしい岸では、

自分の判断や

コントロール

超えて、

 

より大きな流れの

一部として、

いろんな体験が

起こってくるから、

 

むしろ、

その小手先の

判断やコントロール

手放すことが、

課題だったのかな。

 

自分に人見知り

みたいになっていたのは、

 

新しい岸では

かつての自分的な

やり方はあまりうまく作用せず、

 

前の自分は自分で

気に入ってもいたから、

(制限的であったとしても)

 

なんか、

寂しいような

変な感情に

なっていたのだと思う。

 

でも、

こちら岸での

作法は圧倒的に違う。

 

サレンダー、

 

という言葉を

多用しておりますが、

 

とにかく、

大いなる流れ、

 

それを宇宙と

呼んでも、

 

神と呼んでもいい、

 

本当の自分に、

 

自分を完全に

引き継ぐこと。

 

あれこれ計画するよりも、

意図し、委ね、

直感に従って、

必要な行動をすることで、

 

すべての必要が

満たされ、

さらなる

流れへと

運ばれていく。

 

その流れを

完全に信じられる

ようになるために、

 

小手先の判断や

コントロール

手放して、

 

その大いなる自分に

ハンドルを渡すために、

 

わたしには

さらに

手放すことが

あったのだなあ、

 

ということも

今はわかる。

 

わたしが手放したのは、

 

「記憶」

だと思っています。

 

それは、

 

地球でくり返した

いのちの体験の中で、

 

わたしがハマってしまった、

物語のようなもの。

 

とてもとても、

苦しんだと同時に、

たまらない甘美さも

あったのだと思う。

 

後生大事に

風呂敷に包んで

持ち運んで

まいりました。

 

でも、

幻想なんス。

 

どんどん軽やかに

なっていく世界には

持って行けない、

重さのお荷物。

 

それが、気球が

飛び立てない

重りみたいに

なっていたのだなあと。

 

今、トーシャ・シルバーさん

という方の本を読んでいるのですが、

 

こんな序文で

はじまります。

 

ーーーー

 

皮肉にも

神に手綱を渡すとき

かつての願望が殻を破りはじめ

どんなかたちであれ

それは果たされる

(愛そのもののギフトとして)

そのときばかりは

あなたは願望の奴隷ではない

 

ーーーー

 

う〜ん、

 

願望の奴隷。

 

手綱を握りしめ、

執着しているうちは、

むしろ願望は

喪失や欠損のように

わたしたちを

苦しめるかもしれない、

 

けれど、

 

本当に大いなる自分を信じて

手綱を引き渡すとき、

 

思ってもいないかたちで

満たされたりする。

 

この境地になっていると、

もう願望自体に

執着はなにもくて、

 

叶っても、

叶わなくても、

どちらでもいいと

思えている。

 

そのことよりも、

すべてが完全だという

安心感。

 

絶対的

大丈夫感。

 

圧倒的

おもしろ感。

 

その感覚こそが

ギフトだったのだなあ

ということが、

わかるのだな。

 

うむ。

 

まだまだ、

新しい作法の

レッスン中ですが、

 

レッスンそのものが

おもしろくて

たまらなく

なってきてもいる。

 

今、ここに

集中して、

 

起こることを

ただ

たのしみに

していたいです。

 

 

 

子育てロスみたいなことも、

ここ数年あったかな。

 

すごく楽しくて

わたしを夢中にしてくれる

ことだったから。

 

 

バイトで北海道に行っている娘。

 

今日は

真冬の屈斜路湖

カヌーをしているらしい。