Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

6月、たましいの旅支度

 

「自分の内側総点検」

とのワークショップを

企画しましたのも、

 

わたし自身が

絶賛総点検中だからで、

 

今はそれぞれに

旅支度をする

タイミングなのだと

感じています。

 

 

本当に望む場所に

旅に出るためにも、

 

自分の旅支度は

自分がするしかない。

 

 

夢のような旅先が

ゲートの向こうに

あるとして、

 

もうその国の

匂いまで感じられて

いるとして、

 

でも、

手荷物によっては

ゲートを超えられない

ということが

あるからです。

  

 

これは荷物に対して

いい悪いの判断が

あるのではなくて、

 

単に規格の問題

みたいなこと。

 

 

量子力学的にも

周波数が現象化する

ことが説明されていますが、

 

ゲートの向こうでは

ただ使えない周波数がある

ということ。

 

 

宇宙の手荷物検査は

いつも本人の荷物を

尊重してくれますから、

 

その周波数なら

こちらへと

導かれる先が

別れていく。

 

今は自分を最優先として

旅支度をするしかないのは、

 

人の荷物を

あれこれ言ったりしても

その人の荷物(周波数)は

いつもその人しか

選択できないのだし、

 

自分の荷物の仕分けを

曖昧なままにしていると、

 

その曖昧さが

尊重された旅先に

案内されることにもなる。

 

「待ち合わせは旅先で!」

 

として、それぞれ

自分に集中する

時期なのだと思います。

 

 

 

今は旅支度のときでもあるし

魂の脱皮期みたいでもある。

 

日常の処理能力とか

めっちゃ落ちてるけど、

(もともと低いけど)

 

生き物が脱皮する時って

たぶん脱皮しながら

他のことしないですよね(笑)

 

いろんなこと

効率悪いし、

 

それぞれにコアな部分の

仕分け、手放しが

起こってくるから、

 

感情が揺さぶられたり、

 

すごく不安定に

感じるかもしれないけど、

 

断捨離のとき

一回めっちゃ

部屋が荒れたりする

のと同じって思ってる。

 

奥の奥から

何か出すのだから

そうなっても

当たりまえなのかなと。

 

 

6月は

 

物理的にも

精神的にも

断捨離を

しておくのが

よさそうです。

 

この夏には

新しい旅先への

一歩を進めるように!

 

 

 

 

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すきな絵本。(前も紹介した氣がしますが)

 

 

 

 

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ポプラの木はとても背が高くて、上に向かってまっすぐ伸びますが、

地面の中の根は真逆で、横に向かって広く伸びます。

 

 

 

(わたしは北海道の出身なので、ポプラはとてもなじみがある)

 

 

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ならの木は横に向かって広く枝を広げて成長しますが、

 

根はあまり枝分かれせず、一本を下に深く成長させます。

 

 

これは陰と陽についての

説明にもなってくれて、

 

見えている部分には

真逆の見えない部分がある。

 

陰陽は完全な

相関関係にあるけど

 

現象的には陰と陽に

タイムラグがあって、

 

陰の動きが、陽の動きに

反映されている。

 

 

 

ずっと疑問だった

陰陽の謎解きについて

 

最近、「これは!」と思うような

解答をもらえた思いがあります、

 

わたしたちが本当に豊かで、自由で、生きやすくなるような謎解きでした…                                             

 

 

 

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根菜の葉っぱと根を両方食べると、陰陽のバランス的によさそうですね。

 

ニンジンの葉っぱ大好きです。香りが強めでハーブっぽくもあって。

 

 

 

 

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にっこうにあたったしょくぶつだけが

くうきとつちから

えいようぶつをつくります。

 

 

 

 

 

 

ワークショップのお知らせふたつ

 

ワークショップのお知らせです。

 

 

刻々と時代がシフトしているこの時期に

 

◎徹底的な感情のクリアリング

 

◎自分の方向性を明解にすること

 

◎あたらしくなっている地球にグラウンディングして自分を常に微調整していくことが、

 

 

とても重要と感じていて、

 

わたし自身も

日々できることを

行っています。

 

また、

 

これからの時代の体験は

まだまだ3次元的な制約の中にある

わたしたちには想像もできない

展開となるのなら、

 

3次元より高次なものに

チューニングしておくと

移行がスムーズとも感じられてもいて、

 

 

これらをふまえて

ふたつのワークショップを

企画しました。

 

 

いずれも埼玉県鴻巣

自宅セッションルームでの

ワークショップとなります。

(最大4名までの少人数のワークショップです)

 

おひとりおひとりの

テーマをクリアにして

必要なワークや

調整を行っていきます。

 

 

日にちが迫ってしまってからの

ご案内となってしまいましたが、

 

くわしい内容は以下のとおりです。

 

 

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<畳のある宇宙船  6月その1>

 

自分の内側総点検!

── 望む自分につながるためにできること

(受付終了しました。ありがとうございました!)

 

 

<日時>

6月14日(金)

12時〜15時

 

<場所>

埼玉県鴻巣

(駅まで車で送迎いたします。くわしくはご予約のメールにて)

 

<ご参加費>

5,000円

 

 

<内容>

時代の変化に調和的な自分に。

より身軽に、意図を明解に、

夏至を前に自分の内側の総点検を!

 

予定のワーク

◎ネガティブな感情のクリアリング

グラウンディングの実践的なワーク

◎マンダラチャートを使って、自分が本当に望むこと、具体的にできることを整理整頓(思い描くのではなく、思い出すルートから)

 

 

リラックスしていただける和室で、遊ぶように過ごしていただけたらと思っていますし、楽しみの中でくっきりと自分を感じてそれぞれの持ち場で活かしていただけたらと願っています!

 

ホームページのフォームより

「6月宇宙船 その1 内側総点検」として

お申し込みをお願いいたします。

 

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続けて、もうひとつ。

 

 

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<畳のある宇宙船 6月その2>

 

第2回神聖幾何学綿棒部

(受付終了しました。ありがとうございました!)

 

<日時>

6月28日(金)

12時〜15時

 

<場所>

埼玉県鴻巣

(駅まで車で送迎いたします。くわしくはご予約のメールにて)

 

<ご参加費>

5,000円

(必要な材料はこちらで用意いたします)

 

 

<内容>

 

DNAのらせんも、エネルギーが生まれる構造もすべて神聖幾何学のかたちが関わっています。

 

秋山佳胤さん、井上靖子さんの綿棒ワークショップに参加して、自分の手で立体に起こすことで開かれたものが大いに感じられました(フラワーオブライフを形霊に起こしたのはトッチさんというアーティストです)。

 

いのちを活性化して、高次の自分を思い出す近道とも感じます。 

 

3次元的に説明不可能なものを感じて理解するためにも、理論ではなく自分の手で立体に起こす体験が有効だからです。

 

この日は

神聖幾何学で陰陽の対として存在する

ベクトル平衡体と

マカバを実際に作ります。

 

 

立体作りを通して

ご参加のみなさんに

浮上したテーマを

シェアして整理する

時間も持ちたいと

思っています。

 

こちらも遊ぶように、楽しく!

 

帰ってからの毎日に

実際に反映できるような

内容にできたらと思っています。

 

 

ホームページのフォームより

「6月宇宙船 その2 神聖幾何学綿棒部」としてお申し込みをお願いいたします。

 

 

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どちらも平日である上に

日にちが迫ってのご案内と

なってしまいましたが、

 

 

必要と感じられた方に

ご縁をいただけますことを

お祈りして!

 

 

 

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田中麻記子さんの原画買った…

 

今まで自分に買ってあげたものの中でいちばんご褒美感がある。

 

展示を見て、結構短時間で買うことを決めたのだけど、あとからあとから自分がこの絵を買う必然が湧いてきて、何度か泣き出す始末です(笑)

 

この絵が来てくれてとてもうれしい。

 

「フラワードレスの儀式」という絵です。

 

リアルにこの儀式がやりたい…

(たぶん参加希望者多いと思うのですが、どうでしょう?)

 

 

 

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正二十面体のデッサンと並べてみた。

 

 

 

 

 

 

 

食べられる光

 

先日のこと。

 

西荻窪「くしま」の

久嶋健嗣さんの

料理教室に。

 

自分が料理教室に

参加する日がくるとは

思いませんでしたが、

 

「料理教室」では

説明できないほど

贅沢な時間でも

ありました。

 

 

料理が得意でも好きでも

楽しくもないわたしは

 

久嶋先生にとっては

やや心外な生徒かも

しれないのですが、

 

「くしま」にご縁を

いただいたときから、

 

このマインドこそを

変えましょう、

って氣がしていた。

 

 

他のお料理教室に

参加したことはありませんが、

 

こんな料理教室あるんだ!

って思ったのは、

 

 

お料理のレッスンは

もちろん

 

それを美味しく

いただくことができて

(デザートまで…)

 

でも

なによりの価値と

感じられたのは、

 

久嶋くんが料理に

向かうときの態度に

触れられること。

 

 

ひとつひとつの

素材を感じること、

 

素材が料理になる

場を整えること、

 

 

久嶋くんの創作は

 

思考的な感じが

どこまでも希薄で

 

ひとつひとつの

素材があって、

 

そのときの

季節があって、

 

であるならば、

 

このお皿は

そうなるという

必然に至るような、

 

そのためにむしろ

思考的な自分を消すような

態度が感じられて、

 

でも思考を消すほどに

純粋に久嶋くんの表現が

現れてくるという

現場を見せてもらった

ようなきもち。

 

 

そう!

 

わたしがいちばん

エキサイティングだったのが、

 

久嶋くんのライブを

観ているようだった

ということ。

 

 

先日ある画家の方の

ライブペインティングを観て

それは感動したのですが、

 

お料理するくしまくんを

見ているときと

同じ感覚があった。

 

(美しさという点でも)

 

画家の方は

絵の具で、

 

久嶋くんは

食材で、

 

自分を通して、

自分を超えたものを

表現しているようだった。

 

 

 

「料理において、人は自己的な創造をしてはならない。個性を通して自然(食品の生命と美)を翻訳するだけである」

(『今蘇る味の世界——東佐誉子の人とことば』より)

 

 

 

自分という個性を通して

生命を翻訳することが

人を感動させるんだな

って思う。

 

 

それは

どんな存在でも

どんな環境でも

できることなのだ

とも思う。

 

 

(くしまくんの料理のことは、なるべく偏らないように伝えたいって思いつつ、わたしが書くとどうしてもスピってくる…)

 

 

スピってきたついでに

 

 

『黎明』から

料理に関する部分を。

 

 

料理は材料が元々持っている固有の波動に、作る人のヴァイブレーションが作用するわけですが、現象としては携わった人(地上の人間だけとは限りません)のエネルギーが、食物の高次媒体に対応する波動を生じさせることを意味しています。従って料理を作る人の心が平安で愛に満たされていれば、調理は食物に調和したエネルギーを入れる作業にもなるわけで、それを食べた人に光を与えてヴァイブレーションを高めますから、心身のヒーリングになることさえあります。

 

 

このように食物は直接体内に入って意識や肉体に影響を与えるものですから、食事のヴァイブレーションを高く保つということは、私たちの想像するよりも遙かに大きな、世の中に調和をもたらす奉仕になることを理解していただきたいと思います

 

 

くしまの料理の

解説みたいって思います。

 

 

 

くしまお料理教室

次回を今から心待ちにして!

 

 

 

 http://healingroom3.com 

 

 

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久嶋健嗣さん。お料理教室のひとこま。

 

わたしにとっては久嶋健嗣ライブでした!

 

 

和やかな中に

背筋が伸びるような時間でもあった。

 

 

久嶋くんは料理を通して

料理に限らないいろいろを教えてくれる

わたしにとって大切な師です。

 

 

そう!久嶋くん、服部みれいさんの声のメルマガにご出演でしたね!

淡々とした語りの中に、ふいに差し込まれるおもしろ発言がわたしにはツボでした(笑)

 

 

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『今蘇る味の世界——東佐誉子の人とことば』

(久嶋くんがおすすめしてくれた本です)

 

大正の時代に渡仏してフランス料理を学び、その後たくさんの生徒に技術を超えたエッセンスを伝えた教師だった東佐誉子さんご本人の言葉と何人もの生徒さんが文章を寄せたアンソロジーのような1冊。

 

東佐誉子さんの言葉がめちゃめちゃハイパーで驚く。

 

でもいちばん胸がいっぱいになったのは、

たくさんの生徒さんたちが寄せた文章です。

 

とてもきびしい方だったようなのですが

だからこそ届いたものがそれぞれにあることが

伝わりましたし、

 

誰かのことを思って書かれたものを

まとめて読むことって

なんかすごい至福だった。

(東さんは晩年理不尽なかたちで学校を追われたり、いろいろあったようなのですが)

 

 

東さんという方が

わかりやすく伝わるエピソードがありました。

 

 

誰よりも紅茶を入れるのが上手だと

先生に認められていた生徒さんが

 

その日は

「今日の紅茶は濃すぎる」と

一緒にいた友だちが言ったので、

 

「そうかな?」

「ちょうどいいと思うけどな?」

と思いながらも

 

少しお湯をさして薄めてから

先生に出したというお話です。

 

先生は一口飲んで、

 

「こんなまずい紅茶は飲めません」

とはき出してしまった。

 

「こんな紅茶の中には迷いが入っていて飲めません。どうしてこんな紅茶を入れたのですか?」

とひどくしかられたそうです。

 

(先生は入れているところは見ていないのに)

 

「どうしていつもの様に美味しく入れられなかったのですか?」

と先生は聞きます。

 

「実は…」と理由を話すと、

 

さらに雷が落ちる。

 

「あなた自身はどう思ったのですか?」

 

「どうして自分がよいと思った通りにしなかったのですか。今後世の中を渡っていくときに、いろいろの問題にあった時に、自分が正しいと思ったことでも、はたの人が、ああだこうだと言ったら、そのたびに変えるのですか?その人は責任をとってくれるわけないのですよ。いつでも自分が判断して正しいと思う方向にすすまなければいけません」

 

 

(この生徒さんは晩年まで先生を慕われています)

 

 

 

どんな立場でも

どんな環境でも

 

自分が自分の真実につながるしかないのだと思う。

 

それを自分らしく表現するしかないのだと思う。

 

それで失敗したときは

その体験が大切なのだと思う。 

 

 

そのときはそう思えなくても、

 

祝福がない場所はないって、

 

本当にそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月個人セッションのご案内/人生は思ってたんとちがう

 

6月の個人セッションについて

ご案内をさせていただきます。

 

6月は都合により

自宅でのセッションのみとなります。

 

ご不便な場所ではございますが

最適なタイミングで

ご縁をいただけましたらなによりです。

 

ご予約につきまして

くわしくはこちらを

ご参照お願いいたします。

 

 

 

さらに、

今日はセッションの

ご感想も紹介させてください!

 

 

自分に向き合い

はじめた途端、

 

加速度的に毎日が

好転し始めたという

Kさんからの

ご感想です!

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

「タイミングが来た」と感じて

なんの不安もなく申し込みをしたものの、

 

セッションについて、

何をするのかも

わかっていない状態で

うかがいましたが、

 

全然問題なく、

自然に道をたどった気がします。

 

ワークの中で

自然にながれた涙を思うと、

今もウルっとします。

 

帰りの電車、

こみ上げてくるものがあり、

ガマンしないと泣いて

しまいそうでした。

 

人目があったので、

気を散らすために

デパートでもらった

パンフェスタのチラシを

凝視してこらえましたが(笑)

 

それでも抑えきれず

涙ぐんでしまい、

 

「我慢していたんだね」

という思いが出てきて、

そう思うといっそう泣けて、

 

電車を降りてからは

誰もいなかったので

なみだを流しながら

帰ってきました。

 

自分が何に反応しているのか

わからなかったのですが、

 

その後2、3日が経って、

その日を振り返っていたら、

理由がふと浮かびました。

 

 

「“ちがう世界がある”とわかったんだ」

 

 

私は今まで仕事でも愚痴もあまり言わず、

共感を求めることもしませんでした。

 

自分を伝えるための表現を

ほとんどしてきませんでした。

 

誰かと話すときは相手の求める

『正解』を出さなくては

いけないと思っていました。

 

人と会話するのが

プレッシャーでした。

 

今思えば、相手の『正解』なんて、

わかるわけないじゃん!と思います。

 

どれほど自分を押し込めてきたか、

我慢して、しらない振りをして

自分をキズつけてきたのだろうと。

 

そんな中で

ちがう世界があると気づきました。

我慢しなくていい世界。

 

今まで気づけずにごめんね、

でももう気づいたよ、大丈夫だよ、

という思いが湧き上がりました。

 

加速度的にいい方へ

すべてが変わっていきました。

 

・だれかと会話するのが楽しい。

・堂々と有給を申請して、すんなり許可される。

・屋台の焼きそばを一人で食べる、楽しい。

・自分の思いを伝えて、その思いが相手にも伝わる、うれしい。

・必要かも、っと思ったものがすぐ手に入る、などなど。

 

 

今回ワーク中にながれた涙は、

本来の、もしくはこれから進んだ先の

自分をみつけたという、

安堵とよろこびだったと思います。

 

ただ榎本さんもおっしゃっていたように

まだ外れていないものがあり、

それはおそらくかなしみを

放出させることではないかと

感じています。

 

そのためにも今は

天使のカードのPLAYFULLNESS

“楽しもう!遊ぼう!”という気分です。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

Kさんはご自分で

「スピリチュアル2年生」と

自己紹介してくださいましたが、

 

ご感想の中にあった

加速度的なよい変化は

セッションの前に

Kさんがご体験していたことで、

 

ご自身の身に起こる

あまりの急激な展開の

整理のための

セッションのようでした。

 

Kさんが自分に

向き合うようになって、

 

これほどの速度で

毎日に反映があったのは、

 

ご自身の素直さあっての

ことなのではと

感じられます。

 

Kさんは今までの

セルフイメージとは違う

本来の自分が

どんどん出てくることに

戸惑いながらも、

 

楽しんでもいる姿が

とっても頼もしかったですし、

 

(使用前使用後のように、最近更新された免許の晴れやかな写真と古い免許の別人のような写真を見せてくれました(笑))

 

大きな解放を

もたらしてくれた

ひとつでもある、

すごくユニークなボディケアを

学ばれてもいて、

 

 

すこしだけ体験させて

いただいたのですが、

 

ボディケアながら

完全にインチャケアでもあって、

 

めちゃめちゃ癒やされました。

 

わたしが(笑)

 

 

Kさん

受け取ることに

まだまだ控えめなので、

 

自分さえ許可すれば

もっともっと

思ってもいない

よろこびや解放が

起こっていくとのだと

思います!

 

 

わたし自身のこととしても

感じているのですが、 

 

 

人生っておもってたんと

全然ちがう。

 

 

「え〜!そうなる?!」

みたいな展開っていっぱいある。

 

 

わたしたちはまだまだ

思い込みが強いのだと思いますが、

 

 

本当は制限も枠も

自分の設定なので、

 

想像もできないような

未来って、

 

いくらだって

起こりえる。

 

 

素直に

純粋に

 

いつも

変化にオープンで

いたいですね。

 

 

Kさんありがとうございました!

 

 

 

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以前引いたオラクルカード。

 

夢はイマジネーション。

目は肉体。

 

肉体の目で夢を見る。

からだをもってイマジネーションを自在に体験できる。

 

地上はそういう場になっていくようですよ。

 

 

 

思ってたんとちがう↓

 

思ってたんとちがう - ダンボール 【デザインあ×NHK1.5ch】The Unexpected - Cardboard box - YouTube

 

 

 

 

 

 

 

平成最後の祝福@通天閣

 

たくさん耳にした

「平成最後」

 

ひとつだけ本氣で

感慨深かったものが

あります。

 

 

通天閣で叫ぶやつ…

 

 

そうです。

 

今日は探偵ナイトスクープについて。

 

(ときどき探偵ナイトスクープのブログになります)

 

 

道行く人に声をかけ

通天閣の上から

日頃の思いを

叫んでもらう

 

という、

 

シリーズ化されている

人気企画なのですが、

 

真栄田探偵の

引きがすごすぎて、

 

平成最後の

大クリーニング大会

みたいなことに…

 

 

この企画で泣く日が

くるとはびっくりでした。

 

 

特に印象的だったのは

 

吃音がある高校生。

 

とにかく

真栄田探偵の対応が

すばらしくて、

 

道で声をかけて、

 

吃音のことが

徐々にわかって、

 

躊躇があるけど

やってみたい本人に

 

「(吃音があることは)関係ないから行こう!」

って連れて行って、

 

その男の子が

 

吃音があることのつらさと

同じ症状がある人たちへの

メッセージを叫んだあと、

 

「勇気を出してくれてありがとう」

って真栄田探偵は泣いていた。

 

(でも前に登場した人をいじってちゃんと笑いで終わらせてた)

 

ちなみに!

 

この男の子は

通天閣で叫んだあと

スムーズに話せるように

なったそうです…

 

 

この日は

全部がカミングアウトみたいな日で、

 

真栄田探偵の

全肯定力による

ヒーリングがすごかったのですが、

 

 

路上でボーッとしてたところに

声をかけられた無職の男性は

 

「仕事をくださーい」

って叫んだあと、

 

生き返ったみたいになってて

(実はけっこう追い詰められていたのかなって後から思った)

 

 

32さい男性は、

 

同級生に

言ってなかった

こととして

 

「10年前から、女から男になりましたー!」

って叫んでて。

 

(ぱっと見では全然わからないので、探偵もびっくり)

 

他にも

 

犬の散歩中に薬の売人に間違われたとかで

「人見てモノ言え!」

と叫ぶ金髪のおばちゃんとか(笑)

 

生前は不満ばかりだった亡き夫に

言ったことないからって

「大好きやったよー!」

って叫ぶ77歳の女性とか、

 

「一度は結婚したい!」

となぜかパンツ1枚で叫ぶ

69歳男性(私服は超サイケデリック)とか、

 

 

なんだろう…

 

無職

高齢で独身

吃音症

性的マイノリティ

薬の売人風(笑)

 

まったく

ならべて語れませんが、 

 

すべての存在に

肯定と浄化と

祝福があった。

 

(西田局長もちろん号泣)

 

 

真栄田探偵の引きのすごさ、

 

探偵ナイトスクープにおける

ラクル発生率の

尋常ならざる高さは

 

はたして偶然か。

 

 

 

偶然という概念は、全体の因果関係を把握することのできない視野の狭い意識状態の中でのみ造られる迷妄のひとつに過ぎない

 

葦原瑞穂『黎明』より

 

 

 

 

『黎明』の読書体験がすごすぎて

 

チェックしたところを

全部書き起こして、

 

自分用ダイジェストみたいのを

作っています。

 

 

「実在」

って聞くと、

 

からだや物質って

思い描いてしまうけど、

 

 

からだも含めた

物質的なものは

表現媒体というだけで、

 

実在ではない。

 

これが本当に

たたき込まれている。

 

(なにが実在でなにが幻想か)

 

すごく

わかりやすかったのが

 

電気のたとえ。

 

 

電気ヒーターと

電球と

モーターに

 

電流を流すと、

 

ヒーターからは熱

 

電球からは光

 

モーターからは力

 

それぞれ異なる

表現が生まれる

わけだけど、

 

それは電気そのもの

ではない。

 

 

それと同じように

 

わたしたちは

自分という

媒体を通して

生命を表現をしているけど、

 

わたしたちの本質、

生命そのものは

あらゆる現象の

その奥にある。

 

その奥にあるものが

物質的なすべてを

創造してもいる。

 

 

 

見える触れるというだけで

物質的なことを

確かなものとして、

 

本質であるその奥にあるものを

疑わしいとしてきた

あまりのナンセンスに、

 

だんだん笑ってしまうような

氣持ちにもなってくる。

 

 

 

わたしたちが

「正常」と呼んでいる

ことのすべてが、

 

どんなに異常かということにも。

 

 

 

心が完全に平安で愛一元(愛の他には何もないこと)の状態に在れば、精神波動のみならず、物質的にも、現象としての外界から害を受けることは一切なくなります。なぜなら、ひとりの人間の周囲の出来事は、その人の出しているいる波動によって現象化されているからです。

 

 

ひとりひとりの人生上におけるあらゆる判断の機会には、全能の叡智が宇宙全体の視野から決まるただひとつの正しい選択を常に内側から示し続けています。そして私たちがそれに気付くか否か、外側の世界の様々な迷妄(社会通念や他人の批判、自分自身の執着している固定観念や過去のトラウマ、利己的な都合)から、いかに自由になっているかの度合いによって、その人を通して表現される普遍意識の程度も決まります。すべての人に内在し、正しい判断を智慧として内から啓示し続けている普遍意識は、それがただひとつであるがゆえに、その展開は完全な調和という果実をもたらします

 

 

 

出来事はその人の出している波動によって現象化されている。

 

宇宙全体の視野から決まるただひとつの選択はいつも自分の内側に示されていて、それに気付けるようになるためには自己のクリアリングあるのみ。

 

その内側からの選択ができるなら、その展開は完全な調和をもたらす。

 

 

愛一元。

 

もうそれがいいです。

 

 

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ひるねこBOOKSが「じゅん散歩」にご登場だった!(追っかけ再生みたいなやつで見れた)

 

「どうも大谷翔平です」という高田純次さんの挨拶を果敢に受けて立つ小張さん(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲダッツへの道(メンバー随時募集中)

 

楽器が何ひとつ弾けないくせに

 

バンドを組むなら

なんて名前にするか

考えるのが好きなのですが、

 

(はい。友だちは少ないです)

 

 

ヘッドコーツとか

レインコーツとか

アイケッツとか

シャーベッツとか

 

最後のSを

“ツ”で発音する

グループ名が

いいなあって思ってて、

 

今日ハッと

思いついたのが

 

 

ゲダッツ(解脱)

 

 

わたし史上最高に

氣に入っているのですが

いかがでしょう?(笑)

 

 

Gedattes

 

って綴ります。

 

 

 

もっと他に考えることあるでしょう!

とお思いかもしれませんが、

 

 

解脱、覚醒、悟り、

 

なんと呼ぶかはさておき、

 

とにかく

普遍意識に目覚めてまいりたい!

 

その思いは

高まるばかりです。

 

 

でも、だからこそ

日常や物質的なことも

とても大切であることも

しみじみと感じられて

もいる。

 

 

『黎明』にも

 

自分の目の前の現実から

充分にゲダッツできるという

内容が書かれていましたが、

 

エゴを現実で動かしながら

手放していくのは

実は近道ともいえる方法で、

(ゲダッツの道は存在の数だけあります)

 

 

でもそのためには

ちゃんと人間を(エゴを)

やらないといけない…

 

 

わたくしはゲダッツに

目がないながらも、

 

当初はここに

ガックリきました。

 

 

そこが苦手で

ゲダッツしたくて

ならないのに、

 

終えるためには

ちゃんとそこを

やらなくては

いけないという…

 

 

神社のご神体として

置かれている鏡に

なぜ拝むのかというと、

 

「かがみ」から「我」を

引いたら「かみ」で、

 

わたしたちそれぞれが

「神」であるからですが、

 

 

わたしたちがどんなに

 

「誰かのお役に立てればそれで…」

と生きたとして、

 

それは

いつわりのない

自分の本心で

あったとしても、

 

ゲダッツした上での

ことではないのなら、

 

どこかに蓋をした

エゴ(我)があるということで、

 

(だってまだ神じゃないないなら、我はありますもんね)

 

このエゴを引き出す

必要がある。

 

 

エゴって、

 

地球で必要だった

役割をやってくれた

シャドーみたいな

存在って思ってて、

 

悪いやつじゃない。

 

他の表現がわからないだけ。

 

自分の中に対立も葛藤も

本当はない。

  

 

シャドーを

引き受けてくれたエゴを

お疲れさま!って、

統合するためには、

 

蓋をして、

ないことにしておく

わけにはいかなくて、

 

蓋を開けて

光をあてる必要がある。

 

 

たとえその人が、

 

「自分は受け取らなくていい」

って、

欲はどこかに押し込めて、

美しさ清らかさに

生きてきたとしても、

 

 

「自分はがまんすればいい」

って、

本当の氣持ちは表に出さずに

理性で自分を防御して

生きてきたとしても、

 

 

美しさも

清らかさも

理性も

 

エゴを覆うための

蓋のように

使ってしまっているなら、

 

その蓋は一度外して、

 

きれいに思えても

そうじゃなくても、

 

自分の中にあるものは

全部に光を当てて

出してあげることは、

 

ゲダッツの道には

欠かせないプロセス

なんだと思う。

 

 

 

エドガー・ケイシー療法の

ひまし油湿布の

最初の3日間を

終えました。

 

ヨーロッパで古くから

“キリストの御手”と

言われているひまし油を

 

フランネルにたっぷり

含ませて、

 

ヒーターで温めながら

肝臓のあたりに

湿布のように貼り付けて

横になったまま

1時間から1時間半、

 

という療法なのですが、

 

内観する時間にもなるので

どこか退行療法みたいな

感覚もあって、

 

(ゆるんで開くところがあるからだと思う)

 

わき上がってくるものが

いろいろあった。

 

 

 

直傳靈氣の遠隔を

受けたときも

 

涙が流れてきたのですが

(流れてから氣づくような涙)

 

ひまし油湿布でも

1日目は涙が流れた。

 

深いところにある悲しみは

もうストーリーを伴わないのか

感情がないまま、

ただ涙が流れる。

 

 

2日目は

ただ心地よかったような。

 

意識はクリアなまま

夢を見ているときみたいに

いろんなビジョンが浮かんできて、

 

イメージの中で

なにか署名する書類を

差し出されたので、

 

迷わず署名してみた。

 

なんの書類だったのだろう???

 

 

3日目は

意外とそわそわしていた。

 

統合しながら過ごした。

 

粘度が高いみたいな

なかなかしぶとい周波数を

掻き出すように統合。

 

 

 

ひまし油湿布の影響に

限ったことではなく、 

 

今の自分は

かつてはなかったような

 

エネルギー的な変化を

体験しているのだなと

感じられていて、

 

 

 

脱皮というより

青虫が羽化するような

 

(形態も能力も一新されるような) 

 

そういう変化って

氣がしてて、

 

今はさなぎ期

なのだと思うけど、

 

とはいえ

能動的な

さなぎ期というか、

 

 

とにかく

自分の純粋な

思いからなら、

 

どんな1歩でも

いいから、

 

進むのを

やめないのが

いいみたい。

 

 

 

 

ゲダッツ

メンバー随時募集中。 

 

 

 

  http://healingroom3.com 

 

 

f:id:utaori:20190504102201j:plain

近所。陸上競技場の外周。きみどり大好き。

 

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=26&v=8sbRRx9hvKw

 すごいいい曲!カバーらしい。

最後に靴に注いだジュースを飲むorono。

 

 

統合の時代に、ちょっぴりフライングでcongratulations

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すべての行為はラブレター

 

死んだ後に、

 

自分の人生を

振り返って、

 

いちばん

後悔するのは、

 

 

「なんであんなことしてしまったんだろう」

 

ではなく、

 

 

「なんであれをやらなかったんだろう」

 

だそうです…

 

 

 

 

服部みれいさんが

 

自分がいちばん

やりたいことほど

おそれる氣持ちも

強くなる、

 

ということを

書かれていたかと思いますが、

 

 

「なんであれをやらなかったんだろう!」

 

って

悔やむほどのことに、

 

生きてる間になぜ

取り組めないか

というと、

 

 

こわくてたまらないから…

 

 

自分の核心と言える

いちばんの望みだからこそ、

 

「もしうまくいかなかったら…」

 

と思うと、

 

めちゃめちゃ怖い。

 

「失敗するくらいならもう現状で…」

ってなってしまう。

 

 

でもでも、

 

この肉体生は

いろんな制限がある中で

自分を表現していく

という場だから、

 

障壁に思えることも

自分でセッティング

してきてもいて、

 

それを超える自分を

 

体験してみたくて

ならない。

 

障壁を嬉々として

セッティングしたとも

言える。 

 

 

にもかかわらず、

 

いざ人生を生きてると、

プレイヤー目線でしか

なくなってしまって、

 

(ゲームにたとえるなら、画面の中のプレイヤーはあくまで幻想で、コントローラー持ってる方が本当の自分)

 

 

障壁を目の前にすると、

 

「マジ無理…」

 

ってなってしまう。

 

 

そんで、

 

死んでから、

「なんでやらなかったのだろう!」

ってなって、

 

同じテーマで

もう一回生まれたりとか…

 

 

でももうこれも

かつての話に

なってきているのは

 

輪廻転生のしくみも

ふくめて

 

地球があたらしく

変わるからです。

 

 

あたらしい地球では、

 

いろんな制限は消えていくし、

 

重かったものは軽く、

遅かったものは速く、

困難だったことは容易に、

 

意図したことが

スピーディーに

現実に反映される

世となってくる。

 

でも!

 

(ここが大事)

 

これは、

 

「やったラッキー!」

って、

 

今までの自分のまま 

受け身で体験できる

世界ではない、

ということ。

 

自分のカルマを

解消していってこそ

体験できる世界でもある。

(カルマという表現はあまり好みではないのですが)

 

 

カルマの法則は

因果の法則です。

 

すべての結果には

必ず原因がある。

 

自分が体験する

すべてに原因があって、

 

そしてその原因は

すべて自分の中にある。

 

 

宇宙は

 

その人が持ってる

周波数がオーダーとなる

居酒屋みたいなもので、

 

それが

ネガティブであろうと

ポジティブであろうと

 

制限的であろうと

無制限であろうと

 

 

「よろこんで!」

 

と言って現実に

はこんできてくれます。

 

 

いくら地球があたらしく

軽く、速く、調和的になっていっても、

 

宇宙では

 

その人のオーダー(周波数)が

もっとも尊重されているから、

 

本人が古い制限的な周波数を

握りしめて離さないなら、

 

そのオーダーが通るのだし、

 

オーダーが

重く、遅く、非調和的なら

 

重く、遅く、非調和的な

体験が運ばれてくる。

 

 

そして、

 

重く、遅く、非調和的…

というのは

あたらしい地球では

もう体験できないことだから、

 

それぞれの周波数に合わせて

パラレルの移行が

起こったりもするんだと思う。

 

 

それなら、

 

「いやいや、

あたらしい地球の方

体験したいですわ」

 

ってなったとする。

 

 

だとしたら、

 

その自分の

ネガティブなオーダーを

ストップしないといけない。

 

 

そして、

 

「もしうまくいかなかったら…」

 というおそれを超越して、

 

本当にオーダーしたいこと

(体験したいこと)を

行動に起こしていかない

といけない。

 

 

うまくいっても

いかなくても

 

結果は実は

どっちでも

よくて、

 

 

前も書きましたが、

 

地球って

スベりにきてる場所だと

思うのです。

 

失敗してなんぼ

というか。

 

 

「すべってもええ、前のめりに転べ」

 

吉本新喜劇

小籔座長の

名言ですが、

 

 

スベってもええから

自分のコアからの願望を

表現していくしかない。

 

「でも、こんな障害や、こんな制限がある!」

って思えても、

 

実は障害も制限も

 

自分の思い込みが

ほとんどで、

 

伝える相手にはちゃんと伝えたり、

 

仕組みに問題があるのなら

見直したり、

 

調整していくことが

可能なのだと思うし、

 

その先で

願望が体験できるの

かもしれないし、

 

思いっきりスベってみて、

その失敗こそが

体験したかった!

 

ってことなのかもしれない。

 

(失敗も、コントローラー持ってるハイヤーセルフ目線の自分からしたら、経験値ゲット!って話で、魂はめちゃめちゃ喜びます)

 

 

ここで、

びっくりの

お知らせです、

 

今日書きたいって

思ってることに

まだ全然たどり

着いていません。

 

今日も

縦スクロール新記録を

目指すことになるのか。

 

地上2階くらいの

長さを目指して

続けてまいりますね。

 

 

セッションでよく

 

「“昭和枯れすすき”を歌わない」

 

という話をさせてもらいます。

 

 

“昭和枯れすすき”は

男女デュエットの歌謡曲

 

(男) まずしさに〜 負けた〜

 

(女) いいえ〜 世間に負けた〜

 

 

って歌なのですが、

(若いみなさん知らないですよね。でも続けますよ)

 

「冷たい世間」

「やっぱりお金」

「いつもむくわれない自分」

 

わたしたちは

自分の繰り返すパターンに

「やっぱりね」って

なったとき、

 

脳から快楽物質が

出るそうです。

 

失恋ソングとか

カラオケで歌うと

めっちゃ陶酔する感じ。

 

それに中毒しているから

自分のパターンを

抜けられない。

 

 

 

ネガティブな体験が

あったとき、

 

「やっぱりわたしって…」

ってなって、

 

“昭和枯れすすき”的

自分ソング、

 

歌ってもいい、

歌ってもいいよ、

 

でも、

 

その周波数で

また同じオーダー

通っちゃうよ!

 

っていう…

 

 

今って、

 

100キロマラソン

最終の何キロ地点って感じの

タイミングみたいとも

思ってて、

 

それぞれに

いよいよのお題が

目の前に現れてくるかと

思うのだけど、

 

(なんなら輪廻の中で何百年もかけてきたお題だったり)

 

ここで

 

「いいえ〜世間に〜負けた〜」

とか

 

自分ソング歌ってる

場合じゃない、

って、

氣がしませんか?(笑)

 

 

だって、

 

せっかく走ってきた

100キロマラソン

(繰り返します。今回の生だけじゃありません!)

 

 

ゴール目前に

 

現れた障害物に

 

ひるんでしまって、

ゴールできずに、

 

断念して、

 

また別の場所で

スタート地点から…

 

とか

いやじゃないですか。

 

 

わたしはもういやなんです!

 (鼻息!)

 

 

結果はさておき

 

「やらない」ってことが

いちばん後悔するんだぞ

って、

 

自分に声をかけて、

 

とにかく

現実に起こしていく。

 

 

このブログの

タイトルのところに、

 

「日記および公開ラブレター」

としているのは、

 

コラムニストの小田嶋隆さんが

「すべてのテキストはラブレターであるべきだ」

って書いていたのを読んで感動して

(読んだのはずっと前ですが)

 

なにかテキストを書くなら

ラブレターのつもりで書きたいと

思ってのことです。

 

(先日イベントでご一緒した牟田都子さんが、イベントのレポートを読んでくださって、「ラブレターの意味がわかりました」って伝えてくれて、めちゃめちゃうれしかった)

 

 

わたしは元々

相手のすばらしいところを

伝えたくてならない

性分です。

 

なにがいいのか、

 

どういいのか、

 

どうしてそれが

好きなのかを

 

相手に伝えることが

とにかく無性に好きでなりません。

 

 

その圧と量がすごすぎて

服部みれいさんは

滝行のようだと言っていましたが、

(「ほめ滝」と呼んでもらった)

 

今は、

もうこの

「ほめ」なり

「すき」なり

 

これだけが使いたく

なってきている。

 

 

テキストだけでなく、

 

自分の行為の全部を

ラブレターって

してしまいたい。

 

なんかもうそれしか

やりたくない。

 

セッションだって

もちろんラブレターの

ひとつの表現です。

 

 

 

家の近所の

スーパーの話なのですが、

 

このスーパーは

 

レジのみなさんが

いつも楽しそうに

お仕事されているのが

伝わってきて、

 

そのようすを見るのが

わたしは大好きなのですが、

 

たまに会う

レジの人で

 

購入後の商品を

かごに入れていくとき、

商品の袋を

両手でパリッと整えて

入れていく人がいて、

 

わたしこれになんか

キュンってなるのですが(笑)

 

スピードを要求される

お仕事だと思うし、

 

自宅に持ち帰る袋に

移し替えたら、

 

またグチャって

なっちゃうかも

しれないけど、

 

その方は

とにかくなんか

自然と整えちゃうん

だと思う。

 

 

なんの話かって、

 

彼女が入れてくれた

商品のかごは、

 

わたしにとって、

ラブレターだと

いうこと。

 

 

すべての行為が

ラブレターであったら、

って思うし、

 

宇宙の隅々までそうだったら

って思うし、

 

わたしは本当に

もうそういう世界で

生きたいから、

 

まずわたしが

すべての行為を

ラブレターにする

って決める。

 

 

表現することで

自分の欠点があらわになっても、

それをおそれない。

 

 

今日の記事が

こんなに長くなりましたのも、

 

 

 

昭和枯れすすき的

自分ソングを

 

わたし自身が 

脳内で歌いかけていたから

ではあるのですが…(笑)

 

 

もう自分ソングやめて

ラブレターしか書きたくない。

 

 

 

自分ソングって

 

地球限定の

ネガティブ体験を

通した作品でもあるから

愛着もある、

 

ってのもわかる。

 

 

でも、

 

「つらい」「かなしい」「叶わない」「みじめ」

 

持ってたら、

オーダー通っちゃうから。

 

それでも

  

自分ソング歌いますか?

 

という…

 

 

 

もうひとつ。

 

何年も心の中にあることで、

なにかを理由に

取り組まないことが

あったとしたら、

 

ぜひ無視しないで

ちゃんと取り組むのが

いいと思う。

 

それをやらない理由って

なんだろう?

 

自分が本当に進みたい

道を選んだとき、

 

ときに人から理解されない

場合もあったりする。

 

 

ブッダは悟りの道に

進むときに

 

家族をすてています。

 

 

ここで

「妻と子どもをすてるなんて!」

という批難は

宇宙の本当の奥行きからすると

 

狭量にすぎるの

だと思う。

 

すべての存在は完全なのだし、

 

 

どの存在の体験にも

原因と結果が

完璧に本人の中にある。

(外から「被る」ということは実はないのだという)

 

 

純粋な衝動こそが

宇宙の発露なら

 

自分という端末を

使ってそれを

表現することほどの

貢献はないのだと思うし、

 

「正しさ」という

幻想を超えて、

 

ひとりひとりが

現実を使って

表現していけたら

いいんだよなって

思う。

 

 

名著『黎明』から

引用で終了です!

 

(まだ続くのか!ってどうぞ言わずに…、地上2階には至らなかったと思います…)

 

 

それでは自分自身の表現とは一体何でしょうか。(中略)大切なことは、その人の進化にとって必要かつ充分な状況は、既に目の前に与えられていると氣がつくことなのです。

 

 

解脱に至るためにはオリジナリティーということが非常に大切であり、誰のものでもないその人自身の表現こそが、普遍意識の展開と成るのです。(他の誰かと)同じ表現を二度する必要は全くないということをよく理解していただきたいと思います。

 

つまりその人の進化にとっての最短距離は、自分の周囲に起こってくる出来事のひとつひとつをやっていくことに在るのであって、他に何か特別なものを探したからといって、近道ができるわけではないのです。きちんとやるというのは、ひとつひとつの表現を心をこめて丁寧に、しかも確実に為していくということで、別の言い方をすれば、心に想い、言葉によって語り、身体をもって行うことの一切が神の愛の表現に成っているという意味になります。

 

芸術活動や磁場調整、霊的知識の普及や個人に対するヒーリング等はそれらを仕事とする人にとっては大きな愛の表現の機会です。けれども注意していただきたいのは、この地上におけるあらゆる出来事の中で、大いなる愛の表現の機会でないものは何ひとつとして存在していないという事実です。

 

 

わたしはもう

ラブレターしか

書きたくありません。

 

 

 

  http://healingroom3.com 

 

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nidi galleryで開催中の田中麻記子さんの個展に。

https://nidigallery.com/news/20190510

 

 

そして、なんと…

 

原画を買った!

 

 

小さい作品なのだけど、観に行きたくなったインスタのお知らせでみた絵で

(写真はフライヤー。買ったのはこの絵ではありません)

 

なんでしょう…

 

人生でいちばんよろこびの高い買いものって氣がしてる。

 

 

あの絵が自分のところにきてくれるなんて!

 

水彩画って大好きなのですが、ものすごく独自の技法をお持ちの方だなとギャラリーの方の説明でも感じましたし、あと作品がちょっとずつ狂ってる(笑)そこが最高に好きでした。

 

展示は23日(木)までらしいです。

 

セラミックの立体作品も超絶かわいかった!!!