Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

極楽は自分が決める

新年あけまして、

2017年。

 

いつにも増してはじまりの予感が

むんむんに立ちこめています。

 

みなさまはどんな新年を

お迎えでしょうか。

  

わたしは夫の実家がある

岡山でお正月を過ごしました。

 

瀬戸内の温暖な気候と

島々が浮かぶ

凪いだ海の景色は、

ただただ平和で、

 

何を食べてもお出汁が

上品でおいしいし、

(今回は岡山バージョンのおすましの

お雑煮に加え、京都バージョンの

お雑煮も食べた!白味噌の!!)

 

こんなにいいところは

なかなかないと思うのですが、

 

ややアピール力に欠けるのか?

岡山。

晴れの国なんよ岡山。

(日本一晴れが多いらしい)

 

 

さてさて、

年をまたいで、

IH(インテグレートヒーリング)の

お話の続きをもうすこし。

 

前回はセッションの流れを

お話したのですが、

 

IHのセッションには

たくさんのプロトコルと呼ばれる

ヒーリングの手順があります。

 

 

その一部を紹介すると、

 

 ◎インナーチャイルドを癒やすプロトコル

 

◎記憶の部屋のクリアリング

アカシックレコードとも呼ばれる

記憶の部屋にある、ブロックや

刷り込みを除去します)

 

 ◎ネガティブなエネルギーコードの切断

(ネガティブな形で結ばれているエネルギーを

慎重に、でも確実に切断します)

 

扁桃体のネガティブな記憶を除去

(3歳までの記憶が蓄積された脳の

扁桃体という部分にアクセスして、

問題の原因となるプログラムを削除します)

 

◎アッセンブリッジポイントの移動

(胸のほぼ中央にあるエネルギーの出入り口、

アッセンブリッジポイントを本来の位置に戻します)

 

◎不要な誓いを解く

(過去の自分の誓いがその後の人生の

邪魔をしている場合があります。

いらない誓いを解くプロトコルです)

 

◎魂の統合

(大きな事故や、強烈な悲しみに見舞われたとき、

自分の魂の一部をちぎって置いてくることで

自分の身を守ることがあります。トカゲのしっぽ

切りのように。離ればなれになった自分の魂を

もう一度統合するプロトコルです)

 

 

などなど。

 

IHのプロトコルは他にもたくさんあって、

わたしがまだ学んでいないものも

まだまだあるのですが、

 

 

わたしが実習で受けたセッションの

体験をいくつか具体的にお話しすると、

 

 

「誓い」のプロトコルでは

 

わたしは

無意識に「夫の遠くに行かない」という

誓いを立てていて、

不要な束縛を自分で

設定してしまっていたのですが、

 

そのセッションでは

自由に飛んでる鳥の姿が浮かんで来て、

夫婦それぞれがすきな場所に飛んで行っても、

くちばしに思い思いの虫をくわえて帰ってきて、

「こんな虫いたよ!」って

報告し合えたらいいんだって思えて、

 

「お互いがすきなところで自由に飛びます」

みたいな目標設定で

調整したのだったと思う。

 

 

「魂の統合」のプロトコルでは、

 

母が亡くなってから無人になっていた

北海道の実家に、

わたしの魂の一部が残っていたため、

それを統合してもらいました。

 

人によっては、

魂が複数の箇所に散らばっている

場合もあって、

100%に回復するまで

数回のセッションを要することも。

 

 

前回の繰り返しになりますが、

初心者である実習生同士で

行ったセッションであっても、

大きな効果を感じられたことで、

 

ほんとうにこの方法が優れて

洗練されたものなのだと

確信できたことと、

 

これらのプロトコルのヒーリングを

ひとつひとつを受けられた体験が

わたしにとってはとても鮮烈でした。

 

(通常のセッションではテーマに合わせて

必要なプロトコルを筋反射で選びます)

 

実習後、

エネルギー的に自分がどんどん軽く

なっていくのがよくわかったし、

 

本来の自分に戻るとこんなに

生きるのが楽なのかと、

 

内側からこんなにもじゃんじゃん

エネルギーがあふれてくる

ものなのかと、

 

 しみじみ実感できて、

 

さらに、そういう自分は

どうやらまわりの人の

お役にも立てるようだ

ということもうれしかった。

 

別にヒーリングなどなくても、

本来の自分として

生き生きと生きられて、

その人の能力が発揮されて

いるのであれば、

なんでもいいと思うのですが、

 

今はまず、このIHを通して

ご縁のある方おひとりおひとりのために

ただ働きたいと思っています。

 

 

MacBookにタイプしている

喫茶店に、

強烈に西日が射してきました。

ビームのように。

 

祝福と受けとります。

 

 

さて!

岡山と淡路島で過ごしたお正月なのですが、

エピソードをいくつか。

 

元旦は近くの神社に初詣。

犬を連れていると、

旅先で子どもたちに

囲まれることがよくあって

つい話し込んでしまうのですが、

 

初詣では小学校低学年くらいの

女の子3人組がよってきてくれて

ぺちゃくちゃおしゃべり。

 

一人称が「うち」なのが

たまらなくかわいい!

 

その神社の帰り道、

ペットのお店の前に

見たこともないほど大きな犬。

(その店の看板犬らしい)

 

聞くと、アイリッシュウルフハウンドという犬種。

ものすごく背が高くて、

犬というよりも、子鹿くらいある。

 

顔も目も大きくて、

ネバーエンディングストーリー

ファルコンみたい。

 

いや、もっと気高い感じで、

ご神馬のよう。

 

アイリッシュだから

高温多湿の日本の夏はちょっと

しんどいのかな?

とも思うけど、

 

本当に悠々としていて、やさしくて、

こんな犬がお供にいてくれたら

どんなにいいだろうと思った。

  

子どもたちと犬。

 

一年の計は元旦にありなら、

 

無垢であること

正直であること

うたがいのない目

気高さ

楽しむこと

遊ぶこと

 

そんなことを

胸に置いて

新年をスタートさせます。

 

 

翌2日は夫の両親や親戚と

淡路島の宿へ。

兵庫だから、飛び交う言葉は関西弁に。

 

一泊した翌朝、露天風呂に浸かっていたら

関西弁のおばさまがやってきて、

朝からお風呂にのんびり入れることについて、

 

「ええやん、ええやん、極楽やん」

 

と6回くらい繰り返していた。

 

関西のおばさまにみる

肯定力と共感力。

 極楽は自分が決める。

 

見習います。

 

関西では他者との境界が

ややずれる気がする。

 

買いものしたスーパーで

知らないおばさまと

バナナについて

結構な時間話し込む場面も。

 なんかシュールだった。

 

 

3日。淡路島を出発した帰り道、

欲張って京都に立ち寄ることに。

 

いきあたりばったりだったけど、

つきたてのおもちを食べられるお店で

おいしいおもちをいっぱい食べた。

白味噌のお雑煮、磯辺巻き、あべ川…

 

その後のわたしの機嫌が

あまりにもよかったので、

 

夫と娘がひそひそ

話していた。

 

「母さんにはもちを与えておけ」

的な相談だったのか。

 

自分でもおもちで

あんなにテンションが上がるのは

意外だったけど。

 

最後に瀬戸内海の写真も添えて。

ピース。

 

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日の出が見られるかな?と思って夜明け前に海岸に出てみたものの雲の向こうで見られず。それでもおばさまを見習って「ええやん、ええやん、極楽やん」とわたしも心の中で6回くらい言ってみた。

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トイプードルは実はめちゃ足が速い。トップスピードではその姿を捕らえられません!

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スワンボートがあるくらいの凪の海。砂を走る犬。子どもの遊ぶ声。瀬戸内海は超ピース。

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めずらしく娘が撮ってくれた。透明な海に「魚だ!魚だ!」と騒ぐ。

 

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捕らえられません!

 

人はみんな神さまの出口

昨日は

IHブラッシュアップデイに参加するために

横浜のピースリンクへ。

  

IH(インテグレートヒーリング)が

なにかというお話を

まだしていませんでした。

 

IHはキネシオロジー(筋反射療法)の

ひとつなのですが、

 

からだの構造的なこと、

環境的なこと、

スピリチュアルなこと、

そのほか

その人の存在に関わるあらゆる次元に

縦横無尽にアクセスして行う、

(ホログラフィックという概念)

パワフルなヒーリングです。

 

セッションはこんなふうに進めます。

 

まず、問題と感じていることをひとつ選び、

(筋反射で最優先のものを特定します)

 

その問題に関する情報を収集して

原因を探ります。

(ホログラフィックに!!!)

 

次に、必要なバランス調整を

行うのですが、

(これも筋反射で選びます)

 

その場にあるものがすべて調整のための

ツールとなり得るので、

調整でなにが出るのか

セッションの中でしか

わからないというところも

IHのユニークなところで、

 

代表的な調整方法としては

ハンズオンヒーリング(丹田やチャクラなどへの手当て)

音叉(音の波動を利用した、パワフルな調整ツール)

などがあります。

 

必要な調整がすべて終わると、

ヒーリングを統合して

終了します。

(integrateとは統合の意味です)

 

 

このIHの資格のための講座に

通っている間、

実習生同士で何度もこの

セッションを行うので、

わたし自身もこのヒーリングを

何度も受けたのですが、

 

本来の自分ってこうだったよね!

と思えるような自分にどんどん

戻っていけた感覚があって、

 

生きているのがほんとうに楽になった。

 

わたしの場合の変化を

列挙すると、

 

感覚がクリアになるので、

決断が素速くなる。

「こっち!」ってすぐわかる。

 

歩けばシンクロ、というくらい

もはや特筆するまでもないほど

シンクロが起こる。

 

単純にからだの調子がよい。

 

波動ブンブン丸に。

(激おこぷんぷん丸ってありましたよね)

 

波動ブンブン丸になったことで

周りの人がなんか楽しそうに

よく笑ってくれる。

(自分がパワースポットになったみたいに)

 

などなど。

 

一緒に受講したIHの仲間たちも

それぞれに大きな変化が

見てとれて、

 

この体験から、

わたしはほんっとうに信頼して

この方法を行っています。

 

その人が本来の姿を取り戻して、

さらにその能力を発揮するために

とても有効なヒーリング

なのだと思います。

 

(今年、IHの創始者のおひとり

ニック・オリバーが他界されました。

こんなネットの僻地からではありますが

ありったけの感謝を送ります)

 

そして、

IHにわたしが最も惹かれるのは

ホログラフィックという部分です。

クライアント個人の問題を扱っているようで、

宇宙のあらゆる次元から

その問題に関わるルートを特定して

それ全体を癒やすのです。

 

宇宙からひとつ問題

(とだれかが思っていること)

が消えるなら、

それは宇宙が癒えることで、

わたしが癒えること

なのだとも思う。

 

わたしはそれがやりたい。

 

すべてはわたしの別の現れだから

究極に利己的になると

愛の存在になるしかないのだと

思ってる。

 

癒やすぜ宇宙。

 

というか、

ヒーリングという言葉自体、

実は矛盾をはらんでいて、

 

いのちも

宇宙も

本来傷つきえないもの

なのですよね。

(この話はまたいつか!)

 

 

とにかく

人はみんな神さまの出口なのだと

わたしは思っています。

 

どんなに苦手な人からも

ちょろちょろと神さまは出ているから、

その神さまとだけお話したい。

 

頭おかしいでしょう?(笑)

でもほんとうに

それしか興味がないんです。

 

 

さて!

IHブラッシュアップデイだよ!

(8時だよ!みたいなテンションで。

ばりばりドリフ世代!志村けんは永久にスター)

 

雪乃さんに直接質問できる

貴重でありがたいこの機会。

 

それに加えて、

同期のみんなとIHの仲間に

再会できた!

 

IHの同期のみんなへの感情といったら

もう「愛している」と言って

差し支えないくらいなのですが、

 

わたしはちょっと感情のボリュームが

おかしなことになっているので

適切なのかよくわかりません(笑)

 

けいこちゃん、なおこちゃんは

来るってわかってなかったから

会えてめちゃめちゃうれしかった。

(来るってわかってた、まつさんがうれしく

なかったわけじゃないですけど(笑))

 

この年にして、こうして

仲間と思える人が現れてくれるなんて

ほんとうにしあわせ。

 

けいこちゃんが名付けてくれた

「天然の結び」を感じています。

 

それもこれも全部雪乃さんが

ピースリンクという場を

作ってくれたおかげです。

名前の通りわたしたちを

つないでくれた場所。

 

雪乃さんについては

ここでは書ききれないので、

そのときがくるのを待って

思いの丈を書こうと思っています!

 

 

年末に愛のバケツをザブザブとあふれさせて

まついかおり

 

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IHブラッシュアップデイの写真を。

後列左から、まつさん、とっちゃん、わたし、雪乃さん、あみさん、前列は右から(なんとなく右回転を意識して)けいこちゃん、なおこちゃん、わにこさん。

それぞれにIHのフィンガーモードを。フィンガーモードはIHの魔法なのです!

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雪乃さんのお鍋を囲んで忘年会。右側あみさんに注目。

笑顔だけに猟奇感がすごい(笑)みんな大すき。

 

 

 

母なるもの

「ひさしぶりに、寝るリンピックをやろうよ」

 

と娘が言ってきた。

 

 

“寝るリンピック”は

娘がまだ小さかったころ

よくやっていた遊びで、

 

寝室まで競走して、

先にベッドに飛び込んだほうが

勝ちというもの。

 

「早く寝なさい!」と言う

かわりによく誘っていた遊び。

 

(同じルールで、“おふリンピック”もあり。

お風呂に入るまでのスピードを競う)

 

 

小さいころなら

よろこんで「よし、やろうぜ!」と

なりますが、

 

娘は現在中1。

 

そんなことを言い出すには

少し成長しすぎています。

 

少し前には、寝るときに、

「絵本を読んで」

と言い出した日もありました。

 

ようするに

赤ちゃん返りのような現象です。

 

親離れが加速しているかのようだった

この時期に、どうして急にそんなことを

言い出したのか。

 

原因は完全にわたしにあるようです。

 

 

最近、わたしが家にいない時間が

飛躍的に増えていたこと。

 

通常の仕事に加えて、

キネシオロジー関連の講座が続いたり、

毎週IHのモニターセッションに

出かけていったり。

 

「しばらく外出が続くけど、

ずっとではないから、よろしくね」

と説明はしてはいたけど、

 

 

不在の時間が積み重なるのに

比例して、娘の様子に

どんどん変化が。

 

「ご飯が手抜きになっている!」

などの不満を訴えて、

反抗的になったのが

第一段階。

(過去、手抜きでなかったことなどないのに!)

 

外出が多いことで

せめて家族に恩恵を

もたらせるとしたら、

外で学んだことを

シェアすることだと思って、

 

なるべく出会った人のことや、

体験したことを

家族に話すようにしていたのだけど、

 

これも、ある時期以降、

娘にとっては逆効果だったようで、

 

「マー子は(話せば長いのですが、

娘はわたしをマー子と呼びます)

わたしの知らない遠くの世界に行っている!」

と、しくしく泣きはじめて、

 

もう彼女の許容範囲を超えている

のはあきらか。

 

 

娘はひとりっ子で、

むしろ干渉が過剰になってしまうことを

日頃から注意してるくらいだったし、

 

夫が自宅で仕事をしているから、

ひとりになる時間も

ごく少ないから大丈夫、

と高をくくっていましたしたが、

 

娘はまだこんなにも

ほやほやに

子どもであること、

 

何をするわけでもなくても、

ただ母親がそこにいるということが

まだこれほど必要なんだ、

ということに驚かされました。

 

 

お母さんがもっとハードに

仕事や子どものことをこなして

いても、子どもが十分に愛情を

感じられているようなおうちを

いくつも知っているので、

単に時間の長短ではないのでしょう。

 

問題だったのは、

この時期、ただ不在が多かった

というだけでなく、家にいるときも

わたしの意識はいつも別のことに

あったこと。

 

娘はそれを敏感に察知していました。

 

人間の子どもというのは、

これほどの長期にわたって

親の愛情や注目を必要と

するものなのだということを

改めて思い知ります。

 

 

 

それは、娘のことに

上の空になってまで

毎日考えていた

わたしのテーマそのものでもあって、

 

 

「十分に愛された」

「ありのままで肯定された」

という体験がないまま

大人になった場合の、

 

インナーチャイルド

ヒーリングについて

もっと学びたい。

 

子どものほやっほやに

やわらかい部分が、

もしもクシャッと潰れて

しまっているなら、

とにかくそれを

ふわっふわに戻したい。

 

できることなら

片っ端から。

 

 

なんて考えて、

目の前の娘に対して

さみしい思いをさせていたり、

理不尽にどなってみたり

しているのですから、

本末転倒もはなはだしいのですが、

 

傲慢は承知の上で。

 

いのちがそのままで完全に

肯定される体験を

もし子ども時代に逃してしまったとして、

どうしたらそれを提供できるのか。

 

このことについて、

わたしには強烈な欲があるのだと

思います。

 

クリスマスの日に、

このことが書けてよかった。

 

クリスマスの日に抱っこしたかった、

前世の、ある子どもに捧げます。

愛!

 

 

写真は

スヌーピーとピアノが異常なほど大すきな

娘へのクリスマスプレゼント。

 

VINCE GUARALDY TRIOの

アナログレコード。

 

レコードはわたしから。

プレーヤーは夫から。

 

レコードが部屋で回ると

想像以上にいい!

右回りだから???

(右回りはプラスの波動)

 

娘はよろこんで針を落とす

練習をしています。

 

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本物の果実をとりなさい

わたしが住んでいるのは、

ぎりぎり都内通勤圏ぐらいの

埼玉県の某市。

 

家のまわりには田んぼも

たくさんあって、

ちゃんとくねくね曲がって

流れている川があるような

のどかな場所です。

 

出身は札幌なので、

東京に出てきたときは

それはそれは楽しくて、

代官山!自由が丘!

と浮かれていましたから、

 

もういつまで経っても

お上りさん体質は

抜けないのですが、

 

子育て期間を経て、

すっかり郊外の暮らしになれた今、

ときどき都内へ、

特に混雑した中心部に出かけると、

 

(うきうきと出かけてはいるのですが)

 

都会というのは

集団催眠のようだなと感じます。

 

これを持っていないとイケてない。

これを使いこなせないと遅れている。

 

みたいな暗示がすごくて

 

それって、

まったく違った位相から見れば、

ほんとうに空っぽの、

空っぽの世界すぎて、

 

はだかの王様

全部バージョンみたいな

気がするのだけど。

 

(ほんとうの景色は、夜空のように

ただ命のひかりだけが光っている

だけのはずだから)

 

集団催眠にかかる楽しさも

十分味わってきた上で、

今、つくづく思うのは、

 

ほんとうに自分にとって

価値があるものは

 

買うことはできないし

コントロールもできない

ということ。

 

 

わたしは結婚指輪も

買っていないのですが

 

もともとアクセサリーは

つけないし

全然、

ほんとうに全然

欲しくなかったから

買わなかった。

 

夫はぜんぜんイケてもないし

(失礼)

趣味も違うし

(根っこは一緒だけど)

甘い、恋愛期間みたいなものを

経ずにいきなり家族!

という感じの相手で、

 

結婚して15、6年経ちますが

(それすら憶えてられない…)

 

なんということはない毎日にも、

わたしはとても大切にされている

実感があって、

 

つまらない言い合いみたいなことは

当然あるのだけど、

 

夫には

決して洗練されてはいないけど

(やっぱり失礼)

100年余裕でもつ家みたいな

感じがあって、

(とにかく言葉より行動の人です)

 

わたしはそこで

自由にふるまえる猫の

ようでいられることに

とても満足している。

 

別に指輪を買ったって

同じだけど、

その満足があれば

指輪もなにもいらないって、

思ってる。

 

 

 

おととい、自転車で出勤したときのこと。

 

会社のある東の方向の空には

朝日が雲間から放射状に

白い光を放っていて、

 

視界を遮るものがない

田んぼエリアを自転車で進んでいると

その光に吸い込まれていくようで

 

前方不注意で危険なくらい

空ばかり見ながら

疾走していたら、

 

 

 なんとなく


「このままであってるよ」

って言われてる感じがした、

 

IHのお仕事をはじめること、

そのほか少し迷っていたことに

対してのメッセージとして受け取る。

 

さらに、

「今にあれ」とも。

 

これは完全に心当たりが…

ある前世の記憶が急にアクティブになっていて

最近それにとらわれすぎている…

 

常に目の前に起こってることが

最高のことだから、

そこにフォーカスしなさいと。

 

もうひとつは

 

「本物の果実をとりなさい」

と。

 

お金で買えない、

コントロールもできない

 

自分をほんとうに満足させるもの。

 

誰がいいって言ってたからとか

これを持ってると有利だからとか

価値があるとされてるからとか

ではなく、

 

自分のためだけの果実。

 

それはもうよく熟して

目の前に実っているのかもしれないから

そのときは見逃さずに

自分の手でとるんだ。

 

 

先日の水脈のお話と

おなじように

その果実もやはり

自分にしか

とることができないのだと思う。

 

そんなフルーツ狩りの

お手伝いも

Healing room3の

大切なお仕事にできたら

いいです。

 

 

今日は冬至

職場のロッカーがある部屋には、

 

「ゆず湯にどうぞ」

と紙袋にいっぱいのゆずが。

 

ご自宅にゆずの木がある方が

持ってきてくれたもの。

 

おかげで

5個も6個もゆずが浮かんだ

ゆず湯に入ることができた。

 

 

朝、犬の散歩に出かけたとき

通りかかるお宅のおばあちゃんは

いつもわたしの顔を見ると

「白菜はあるの?」

などと聞いてくれて、

畑のお野菜を 持たせてくれる。

(ご自分たちの分だけを育てている

大きすぎないとてもすてきな畑!)

 

 

そこのお宅にも

犬がいて

犬の名前が同じ

”モモ”だということ以外は

お互いの名字も知らないのに。


荷物になっちゃうから、

ごめんねと言って。

(わたしはいつもお礼がしきれない)

 

立派な白菜と

花瓶にさして

鑑賞したいほど

みごとな葉っぱの大根を

いただいて帰る。

 

わたしはこういうことが

ほんとうにすき。

 

 

買うことも

コントロールすることもなく

受け取る恵み。

 

それは相手があってはじめて起こることだし、

自然のようにコントロールすることができない。

 

何日までに届けてくださいといって

ネットでは買えないもの。

 

 

 

大根の葉は

じゃことごまと炒めて

ふりかけに。

(娘の好物)

 

白菜はストウブで

豚バラ肉と重ね蒸しにしました。

(やはり娘の好物)

 

冬至のかぼちゃは

豆乳でポタージュにして。

 

 

すきな人にはすきって言おう!

唐突ですが、

 

男の人はどうしてかっこつけたいのでしょう?

自分以上のものに見せたがるのでしょう?

 

ライオンのたてがみや

クジャクの羽根や

鹿のツノなどを考えても、

 

雄であるゆえに

しかたがないことなのなのかな?

 

 

でも、立派なたてがみにも、

羽根にも、ツノにも、

 

とっくに女性たちは

魅力を感じなくなってる

気がするのだけど、

どうでしょう?

 

わたしに関して言えば、

どちらかと言うと、

オエッ!と思います(笑)

(人間だけには)

 

わたしがなにより勇敢で

かっこいいと思うのは、

正直であること、素直であることです。

 

それだけに萌えます。

 

 

先日、ご縁があって親しくお話させて

いただく機会があった男性に、

 

面と向かって、

「だいすきなんだけど!」

と言われて、

握手を求められました。

 

そのときはあわてて反射的に握手して、

とりとめの無いお話に戻っていきましたが、

 

後から考えると、

「だいすき!」って言えることって

すごい勇気だなと思えてきて、

 

その方はわたしより年上で、

ご結婚されてて、

お子さんもいらっしゃって、

(わたしも結婚していて、子どもがいます)

 

「すき」とか言うと

いろんな意味にとられて

めんどくさい気もするから、

大人としては

どんどん言わなくなってくると

思うのですが、

 

そんなどうのこうのは

ぶっ飛ばして

気持ちを伝えてくれて、

 

なんか感動しました。

(男女のすきじゃないすきだからなおさらに)

 

まねしたいと思った。

 

男女に限らず、すきって言われて

いやな人はいないし

 

すき!って気持ちそのものと、

それを伝えたい!って衝動を、

 

神さまがだめっていう訳ないよね

ってすごく思うし、

 

非二元論的には

すべては分離した自己ですから、

わざわざ分離したことに

かろうじて利点をみつけるとしたら

 

それぞれの違いを「すき!」って

言い合うことしか

ないのでは?という

思いが今すごく強まってて、

 

(↑ドスピすぎるこの話は、わかる方

だけうなずいていただけたら…)

 

 

今後、わたしは

ほめ変態で告白マニアという

危険人物路線をブレーキなしで

疾走する予定です!

 

 

……、

 

終わりそうで、

まだ続きます。

(縦スクロールサディストですから)

 

 

男性がなんでかっこつけるのか、

という話をしたなら、

 

このお話も。

 

先日お話する機会があった20代の女性が

(スタイルのよい、すごくかわいい女性です)

若い女性であるということに

とても優位性を感じている

発言をしていて、

 

ゲッと思うよりも、

(まあゲッと思ってはいるわけですけど(笑))

その考えは他でもなく

そのご本人を苦しめることに

なるだろうなあと思った。

 

 

若くて美しいという価値を

自分に設定するならば、

そうじゃなくなったときに

自分に価値がなくなったように

感じてしまうし、

その価値に近づく男性を

相手にすることは、

やはり若くなくなったときに

どうなのだろうと思うから。

 

 

もし、かっこつけて鎧を着た男性と

若い優位性を武器にした女性が

「俺についてこい」とか、

「わたしのことどう思ってるの」とか、

やることが恋愛だと言われても、

 

そんなのただのパワーゲームで

ほんとうは愛でもなんでもないよね、

と思ってしまう。

 

鎧も武器も戦場で使うものだし。

 

 

先日、ほんとうに息も止まるほど

美しい恋愛のお話を

聞く機会があって、

 

便宜上、恋愛と表現したけど

もう名前なんてつけるのが

やぼなくらいのお話で、

 

そこには鎧も武器も登場しません。

 

鎧と武器になれてしまっている人には

その美しさは

とても無防備で怖いように

感じられるのかもしれないけど、

 

わたしはほんとうに美しいものは

守られる、と感じています。

この世界にも聖域はあります。

 

名前をつけられないような関係に

救われている人も

きっとたくさんいるのだと思う。

 

別に、ザ恋愛なんかしなくたって

いいのだと思う。

 

 

 

なーんて、考えた今週。

 

分離してるからこそできる、

「すき!」って告白を

広めるためにも、

 

ほめ講座をやろうかと

本気で構想中。

 

 

<ほめ講座 ━━ すきな人にはすきって言おう!>

 

 

どう思いますか?

藤巻さん

 

ブログ上からいきなり名指しで相談。

1回しかお会いしてないのに(笑)

しかも読んでるかわからないのに。

(内容に登場された方ではありません!) 

 

ふつふつと野望は広がっています。

 

 

 

ラブレターは出土する

昨日は服部みれいさんのトークショーのために横浜へ。

 

まぁまぁマガジン、

内容ばかりに胸を打たれていましたが、

あの新しいフォーマットは

持続可能であるために発明されたという

思ってもいなかったお話に感動する。

 

『あたらしい移住日記』もゲット。

 

weezerのアルバムがジャケットの色で

ブルーアルバムとかホワイトアルバムとか

通称があるように”東京”はきいろ日記とか

”移住”はみどり日記とか通称をつけたくなります)

 

移住日記には、暮らすこと、生きること

といった普遍的なことについて

たくさん書かれていると思うので、

より強い共感を持って読むことになりそう。

 

みれいさんの日記シリーズは、

武田百合子富士日記ばりに、

スタンダードとなるでしょう。

 

先日アップした、まぁまぁマガジンの

感想のブログ(16.11.27)

みれいさんのブログでご紹介いただいて、

たくさんの方に読んでいただいたようで、

こんなに光栄なことはないのですが、

 

いつも誰かについて書くときには、

それはわたしの思いを書くのではなく、

その人についてもうある文章を「掘る」と

いう感覚がすごくあります。

 

ラブレターは掘られるものなのです。

 

この日のブログは

「残さず掘れた!」という満足感がものすごく強くて、

それが、たくさんの人に読まれたということは

ほんとうにほんとうにうれしい。

 

もう、床に両手をついて、おうおうと

謎の獣のような声を上げて泣きたいほどに

うれしい。

 

なぜだかわからないのだけど、

自分の中に文章を書くときにだけ

流れる水脈があって、

(自分のいちばーん深いところにある水脈)

その水脈に水が流れたときにだけ

自分がほんとうに満たされる感覚があります。

 

たぶん、人それぞれにその水脈はあって、

もしその水脈が涸れ涸れだとしたら、

なにをすることで水が流れるのか、

 

Healing room 3(ひーりんぐるーむ さん)では

ぜひそれを重要なテーマとして

扱いたいと思っています。

わたしはたぶんそれが得意です。

 

Healing room 3は

来春には、本格オープン予定。

ホームページからご予約

いただけるようになります。

 

それまでの間、都内某所で

IHセッションを中心に

ご縁のある方

おひとりおひとりのために

働きたいと思っています。

 

神さまに

(臆面もなく神さまに!)

「どうかわたしを使ってください」と

毎日祈っています。

 

”家事てつだい”ならぬ

”神てつだい”という

肩書きにしたいくらいに。

 

 

さて!

 

昨日のお話の続きなのですが、

みれいさんのトークショーとサイン会が終わってから

 

みれいさんとある読者の方との席に

わたしもご一緒させていただいて、

 

その読者の方のお話が

美しくて美しくて

絶対に、絶対に、

壊したくないほど美しくて

 

当のご本人を差し置いて

みれいさんとわたしが泣いていて、

(あと120回くらいは思い出して泣けると思う)

 

そんななか、

「絶対に読んでるから、またメールを書いてね」

と声をかけるみれいさんを見て

 

みれいさんはほんとうに

少っしも変わっていないと思った。

 

東京から美濃にお引っ越しされたし、

マーマーマガジンはまぁまぁマガジンになったし、

お話会など大きな集まりはぐっと減ってしまったから、

 

もしかしてさみしく感じている

マーマーガールもいるかもしれないけど、

 

みれいさんは1ミリも変わっていない。

 

マーマーマガジンが生まれるもっと前、

まだみれいさんもわたしも20代だったようなころ

わたしはみれいさんを見ていて、

『幸福な王子』のようだと思っていた。

オスカー・ワイルドの。

 

苦しんでいる人、悲しんでいる人がいると

自分のからだの宝石や金箔を

つばめを使いに、分け与える

王子の像のお話。

 

愉快そうな王子ではあったけど(笑)

 

でも自己犠牲には、限界があるから、

みれいさんは自分もちゃんと

受け取る練習をして、

与え続けられる王子へとどんどん

進化していったように思う。

 

今、みれいさんのとなりに

福太郎さんがいてくれることも

わたしにはほんとうにうれしいことで、

 

私のみれいさんに対する内訳は

マーマーガール5

友人4

親戚のおばちゃん1

みたいな感じで

 

福太郎さんと一緒のみれいさんを見ていると

その親戚のおばちゃんがほんとうに

満足する。

 

なんか、夫婦芸(めおとげい)みたいのが

進化してたし(笑)

 

それにしても、

トークショーの会場で

「あのブログを書いた方ですか?」と

お声をかけていただいたのだけど

(ブログがアップされた直後だったので)

何人かは顔など知らずとも、

話しているうちに

「もしかして…」と気づいたようす。

 

マーマーガール、

すごすぎる!

 

マーマーガールと

みれいさんを囲んで

 

ドスピな(ポノるなどに続いて、普及したいマーマー用語)

トークが出来たらどんなに楽しいでしょう。

 

「そろそろからだに質量あるの、ださくね?」とか。

(これわたしだけですか???)

 

 

ちなみに昨日も起こった

わたしのあるある。

 

胸いっぱいになって帰ると

suicaを無くす。

(結構チャージされてたのに…)

 

こわがらないで、踊ってごらん

怒濤の11月中旬からの日記を

りゅうちぇるからピナ・バウシュまで思いをはせて

 

11月15日(火)16日(水)

 

タッチフォーヘルス レベル1を

受講するために横浜のピースリンクへ。

14筋というキネシオロジーに使われる

代表的な筋肉とそれに対応する

経絡を使った調整法を学ぶ。

 

雪乃さんがタッチフォーヘルスの講座を

初めて教えるという記念すべきクラス。

いつもながら膨大な知識の中から瞬時に

その場に必要な情報にアクセスして

具体的に教えてくれる雪乃さんは

天性の教師だと感じるのですが、

 

同じキネシオロジーでもどの層から

表現するかを切り替えないといけないのが

すごく大変に違いないのに、

ひょうひょうとクリアしていく

雪乃さんは見ていて痛快なほどで

ほんとうにキネシオロジー

すきなのだなあと心から感じるし、

 

その雪乃さんがいつも言う

自分がキネシオロジーを広めていくその先に

キネシを使うまでもなく

その人自身が気づきを自分で得られるようになって、

もうキネシがいらなくなるという目標がある、

というお話がほんとうにすき。

 

自分のやっていることに依存させない

本物のセラピストの姿だと思うから。

 

雪乃さんのアドリブで決行された、

近くの神社で神さまの声を聞いてみる

というワークがおもしろかった。

(タッチフォーヘルスの講座なのに!)

 

予定にとらわれず、その場のメンバーをみて

必要だと感じることを採用していく、

雪乃さんの授業スタイルは、

わたしが誰よりもロックだと感じている

落語家さんたちの高座も彷彿とさせます。

 

ちなみにその神社の神さまには

「ここにあれ」

と言われました。

 

からだにちゃんといて、

役割をきちんとやりなさいって

意味にうけとりました。

 

からだにいないからなあ、わたし…

 

16日の帰り道、電車の窓から

スーパームーン を眺めた。

(正確にはスーパームーンの翌日)

この時だけ雲が晴れたみたい。

 

 

11月17日(木)

 

娘の中学校のマラソン大会。

わたしは役員なので、コースに立つ。

女の子たちはみんなかわいく

はちまきを巻いているけど、

遠目に見つけたうちの娘は、

はちまきが前に来すぎてて

「りゅうちぇる」みたいなことに。

 

血は争えず、わが家に女子力というものが

あったためしはありません。

 

肝心のマラソンは

なかなかにがんばりました!

 

 

11月23日(水)

 

ホームページの相談のために、

Webデザイナーの遠藤さんにお会いする。

 

遠藤さんは脚本を書かれるので、

わたしはそこにすごく興味があって

脱線したお話ばかりしてしまった。

(少女漫画のお話も!岩館真理子とか!

なつかしい!!!)

 

Webのことを何も知らないわたしに

遠藤さんは丁寧に説明と

ご提案をくださって

なんと心強かったことか。

 

それにしてもWeb上に見えているものと

プラグラミング言語の関係は

 

今すごく興味がある

カタカムナで言われている

物質世界と

その背後にある物質世界を

作り出している潜像世界の関係と

まったく一致する気がする。

 

要するに物質世界を

潜像世界でプログラミング

しているのは自分だから

無意識に使っている言語が

あるはずなのに、

それが使えるということは

なぜか封印されている。

 

わたしはそれをあばきたい!

でやんす。

 

カタカムナを背景にしているという

魂合気(たまあいき)が

春頃からピースリンクで学べる

とのことなので

絶対行きたい! 

でやんす。

 

遠藤さんとの出会いに感謝の日。

 

 

 

11月28日(月)29日(火)

 

目標設定講座を2日に渡って受講。

 

横浜まで、湘南新宿ライン(または上野東京ライン

グリーン車で過ごす片道1時間半が、

自分のために使えるものすごく贅沢な時間。

 

まぁまぁマガジンを読んだばかりだったので、

ヘッドフォンでレインコーツを聞いて

なぜか泣く。

このところあることで頭がいっぱいで

そのことを考えても泣く。

10代みたいな気持ちで泣く。

 

目標設定はわたしがおこなっている

IH(インテグレートヒーリング)の

セッションの要になる部分です。

これがうまくいけば

そのセッションはうまくいくと

いってもいいほどに。

 

目標設定講座についてはまた改めて

書けたらいいなと思っています。

 

雪乃さんは毎度のことながら

惜しげもなく

自分が築き上げてきた

方法を伝授してくれるのですが。

(とても実践的に)

 

やはり実際のセッションでは

毎回違うケースになるので

ひたすら経験を積むしかないとも

思った。

 

長い道のりになります。

 

 

12月3日(土)

 

PTAの運動会で三角綱引きなるものに参加する。

娘がいつもものまねする先生も参加していたので

その先生に釘付け。

 

早口で四文字熟語を繰り出す

その先生のものまねが

私にはものすごくツボで、

最近我が家で大ブーム。

 

絶対その先生が言わないような

四文字熟語をその先生のものまねで

言ってみては、

ひーひー言うほど笑ってしまう。

 

先生すいません!

お世話になっております!

 

 

12月4日(日)

 

とても落胆することがあった。

 

自分の

執着や

エゴ

浅はかさ

などもあらわに。

 

歩くのもやっとなくらい

よれよれになって

帰りましたが

IHを学んでからよくあることなのだけど

必要な調整が

自ずと現れてくれる。

 

まず、

大きなけやきの並木を歩いた帰り道、

風がものすごく強く吹いていて

けやきの背の高さの

うんと上の方まで

落ち葉が飛ばされて舞っていて

その様子を見ていると

わたしの落胆もおなじように

ちりじりになって

吹き飛んで行きました。

 

それからIHでは

ただ色を見たりするだけの

調整があったりしますが

光るように黄色い

いちょうの並木を見たことも

よい調整になりました。

 

(いつも木にはたすけられています)

 

それでもまだやや呆然となったまま

電車に乗って、

帰りに地元の図書館に

(とってもいい図書館!)

吸い込まれるように入っていって、

ふらふらと呼ばれるように

棚を巡って、

なんとなく手に取ったのが

ピナ・バウシュの本で、

(バレエやダンス、演劇方面は

全然うといのですが)

 

本を開いてすぐの、

たばこを持った手を

顔に添えたピナ・バウシュの写真に

たまらなく惹かれたので、

 

それを持って図書館の奥の

館内閲覧のみ可の重厚な辞典や美術書の

あるコーナーのいすに座って

目の前にある『隠語大辞典』を

ぼんやりと眺めながら

(辞典ではありながらピンク地にむらさきの柄

の装丁でいかがわしさをきちんと出していた。

5㎏くらいありそうな重量の分厚さとサイズだったけど、

隠語というのはそんなにたくさんあるものなのかな?)

 

ピナ・バウシュの本をたまに拾い読みしていたら

いつのまにかリカバーできている

自分を発見。

 

ピナ・バウシュが強力な調整ツールだった。

それとも『隠語大辞典』?

中身見てないけど。

 

家に帰ってから

アマゾンでピナ・バウシュの

”夢の教室”というDVDをポチリ。

作品の説明文にあったのはこの言葉。

 

「こわがらないで、踊ってごらん」

 

 

オラクルカードのメッセージと同様に受け取りました。

 

踊るというのは肉体を使うことで

ここ数週間ずーっとあらゆる場面で

テーマに上がったことです。

 

(望んでからだに生まれたくせに、

もうからだに生まれたくないって話ばかりしてるので…)

 

また、ピナ・バウシュの存在から受け取ったのは

 

いつわりがないこと、

 

ありのままを見せても

聖域は守られること。

 

正直でいること(上と同じだけど)、

 

そのことでいちいち傷ついたりしない

確かなものにつながること。

 

 

こわがらないで。

 

 

 

完璧なメッセージでした。

 

帰ってから、

とりあえず髪を真ん中で分けて

後ろで結びました。

髪型だけでも、

ピナ・バウシュのように。