クララが立ったわけ
7月。
夏休みに入った娘が
真っ先に
とり組んだ課題が、
“アルプスの少女ハイジ”の
一気見だったことに、
母として一抹の不安を
抱いたものですが、
横目で見る限り
部活も宿題も
問題なさそうです。
ハイジ何歳まで
見るのでしょうか…
ヤギたちがありえない
ジャンプをしながら
踊るシーンが
お気に入りで、
「見て見て!」って
言われると、
ほほえましいばかりの
気持ちでいていいのか
ふとわからなくなります。
さて、
ひとつ前のブログで
紹介させていただいた
Tさんのご感想の中に、
“あたたかさと厳しさの
あるセッション”
という言葉がありました。
“厳しさ”
以前のわたしなら
かけ離れているような
ワードではありますが、
確かにセッションに
よっては、
自分から
ある種の気迫が
発せられる瞬間が
あることを
最近はよく観察します。
IHに限らずなのだと
思いますが、
やっぱり
まず自分の担当は
自分なのは
この世の鉄則です。
誰かが魔法の杖で
キラキラのなにかを
かけてくれて、
一瞬にしてことを
解決してくれたりは
しません。
でも!
魔法はあります。
わたしにとって
夢と魔法の世界は
千葉県のランドじゃなくて
この毎日だと思ってて、
(娘は千葉県のランドの
大ファンですが)
パワースポットだって
自分の内側にある
のだと思ってて、
そして、
それは全部の人にとって
そうなのだとも思ってる。
だれか
特別な人にだけ
魔法や奇跡が起こる
わけじゃない。
わたしがIHセッションを
通してお伝えしているのは、
その方ご自身の
潜在意識の声です。
その声を
普段からご自身で
キャッチできるように
なっていただけるように
橋渡しすることが
わたしのお仕事
なのだと思います。
(ここから帰ってからが本番だと
思ってください!といつも
お話させていただいています)
セッションの中で
わたしがおしゃべりする
場合がありますが
(ときに脱線するかに
思えるような…
ときにいつ終わるのかと
思えるような…)
そのお話をしたことで、
さらに引き出されるものが
あるときに、
しゃべることになってる
気がしています。
とにかく、
言ってもいいかもしれませんが
わたしはその方の
その声の代弁者で
いろいろな理由から
その声を封印してきたり、
手放してしまっていたり、
する場合に、
沼から引き上げたり、
銀行の地下金庫並みの
分厚い扉を開けたり、
土から掘り起こしたり、
してるのだと思います。
筋反射と話芸を通して。
(道具はいらない)
そこで、
せっかく、
再び小さくでも
聞こえはじめたその声を
なんとしても
その方にお任せして
帰っていただきたい。
手を引いて帰って、
やさしくしていただきたい。
それはその人ご自身だから。
魔法の杖を持っているのは
ご自身です。
魔法って
自分の設定を変えること。
自分が選択すること。
自分が確信すること。
自分が本当は
いちばんなにがすきで、
なにをしてたら
幸せで、
これからどうしたいか
なんて、
自分しかわかりません。
いろんな理由からそれが
わからなくなっちゃったとき、
IHはとても
お役に立てると思います。
でも、
その声を聞いて、
自分を幸せなところまで
足を運んでいくのは
自分だということ。
かぼちゃの馬車なんて
いらんのです!
猫バスならちょっと
乗ってみたいけど。
でも、
俺の足がいちばん。
俺の足と
俺の魔法の杖(エアで十分)、
以上です。
あとは日々レッスン。
俺の足よりも
誰かのかぼちゃの馬車に
なっちゃってる場合、
または
自分の声よりも
また誰かの声の方に
耳を持って行かれそうな
気配を感じるとき、
わたしの気迫が
発生するのだと思う。
本当にその方に
楽に生きていただきたいし、
幸せになっていただきたい。
そのためにわたしが
できることは、
その人がその人の
担当だということを
ちゃんと思い出して
いただくことしかない。
クララはどうして
立てたでしょう。
アルムの山で
「わたしは立つ」
って設定に
変えたからです。
自分が自分の
担当として。
フランクフルトでは
無理でした。
セラピストとなって
というか
普通に大人になって
見てみると、
全然違う感想を
抱きます。
デーテおばさんとか
全然気持ちわかるし。
死んだお姉さんの残した
娘の面倒見てて(自分独身)
いい働き口があるけど、
ハイジと一緒だと無理なら、
身内の誰かに
協力してもらうの
わかるし、
おかげでおじいさんは
ハイジという宝物を
得たのだし、
デーテおばさん、
おじいさんとハイジを
更に引き裂いたみたいに
なってるけど、
ハイジに教育を
受けさせたかったからで、
おかげでハイジは
目の見えない
ペーターのおばあさんに
本を読んであげられる
ようになって、
悪役のように感じていた
デーテおばさんの
天使性に気づかされる。
あと、
フランクフルト時代の
ハイジが完全に
IHで言うところの
「誓い」を立てていて、
「わたしは気の毒なクララから離れません」
という設定になっていて、
夢遊病になるほど
自分を失っていくのだけど、
(ハイジも自分よりも、クララを
優先したことでおかしくなっていく)
むしろハイジが
スイスに帰ったことで
クララは能動的になって、
アルムの山に行きたい!
ってなれたし、
ついには歩けるようにもなる。
助けたい人がいるなら、
まず自分の面倒を
自分が見る。
自分の担当を
それぞれ
自分がやる。
というのが
鉄板中の鉄板なのだと、
夏休みにゴロゴロしながら
娘が見るハイジから
学んだ次第。
本日もまた
きな優子さんの本から
引用させてもらうと、
“自分の人生や感情の責任を他人に預けず、自分から
はじまっているという姿を自分に見せ続けること”
自分を優先することに
罪悪感はいらない
のだと思います。
自分のいのちを
大切にすることは
他の人のいのちも
大切に思うこと
だからです。
ハイジはハイジを
大切にしたから
クララも歩ける
ようになった。
クララも依頼心を
手放して、自分を
取り戻したから
歩けるようになった。
クララが立った!
くらいの魔法、
みなさんの人生で
じゃんじゃん起きる
のだと思う。
顔、切れてます。
娘がめずらしくカメラを向けてきたので、上機嫌でポーズをとりましたところ、馬がメインの写真が撮影されていました。
回転木馬というものも、メタファー感ハンパありませんものね…、順位は決して変わらないというのに、こんなに必死の形相だなんて。
ポール・スミザー氏の植栽。自然の理にかなうように何年もかけて作られた庭。土地の植物とかで、農薬や肥料も使ってないのだと思う。
この場所にある、ドイツっぽいお店で食事をしたのですが(白いウインナーとか、ザワークラウトとか…、ビールの種類もいっぱい)外国人のスタッフが目だつ中、料理を運んでくれた女性の名札が”クララ”だった。
次のブログこの内容にしようと思ってたけど、オッケーの合図かなと。こういうシンクロ遊び、しょっちゅう起こるのだけど、だれかお相手してくれているのかな。
滞在中ずっと雨が降ったりやんだり。
自然と調和してるとそれでも濡れずに移動できる説を実験中。実際土砂降りのときは全部屋根の下だった。
自立と共生。植物もお手本。