自分に集中!(前編)
「もっと自分自身を知り、不要なものを手放したい」
60代の女性が
セッションのお申し込みの際に
このように書いてくれました。
“自分を知る”
“不要なものを手放す”
セラピーやセッション
のようなものに限らず
すべては
これに尽きるのかなって
思っています。
で、
その先にそれぞれの
よろこびを広げていく。
そのための方法は
なんだっていいとも思う。
その女性が的確にこう
書いてくださったこと
とてもうれしかったですし、
セッションでも
本当の自分に目覚めて生きることに
遅いも早いもないのだということ
教えていただけるようでした。
セッションも実は
セルフヒーリングで
セルフケアだとしても、
やっぱり他者を通してでないと
氣付けないことがあるので、
わたしのようなお仕事は
混乱を一緒に仕分けて、
不要なものは外に出して、
奥に押し込められていた
本当に価値あるものを
ちゃんと出して、
日々の選択がクリアに
できるようになる行程の
お手伝いをしているのだ
って思っています。
そのクリアな自分ほど
頼もしい存在は
他にはいません!
今日は長くなりそうな
予感がひしひしと
あります…
大好きな博多華丸大吉の
大吉先生の高校時代の愛称は
“焼却炉の魔術師”
だそうですが、
わたしも
“縦スクロールの魔術師”
となり、
縦スクロール深く潜るほどに
恵み多いものとなることを
目指したい。
というか、
今日はぜひとも
お付き合いいただきたい
内容なのです。
服部みれいさんが
おすすめされていた
並木良和さんの本が
時代や意識のシフトについて
本当にわかりやすくて、
このところの自分にとって
頼もしいガイドになって
くれているのですが、
今はまりにはまっている
神聖幾何学の立体作りと
共通するのは、
“本来の自分に目覚めて生きる”
ということです。
また、
並木さんの本では
意識を水平軸から垂直軸に
と表現されていて、
神聖幾何学、
また日月神示では
平面意識から立体意識へ
と表現されているのですが、
実は視座の違いが
対立があるように見せているだけで、
本当は対立も葛藤も
存在しない。
それぞれが
自分の源に繋がって
本来の自分を生きるほどに
自ずと調和した道ができていく。
とはいえ、
ルールがないと
スポーツも成立しないように、
ヒットを打って、
三塁に走らないとか、
サッカーは
手は使わないとか、
制限がないと
楽しめないことって
たくさんあるから、
本当はないことを
あるってことにして、
それぞれに
プレイしているのが
人生だとして、
でも、わたしたちは
そのルールにどっぷりすぎて
ゲームだってことも
忘れもしてるし、
ルールをより楽しくない
ものにしてしまってたりする。
本当は
そのゲームのルール改定は
いつでもできるのだし、
それに実は誰の力も入らない。
自分が本気でそう決めることだけが
ルールの改定となる。
心から確信できたら
それでオッケーという。
自分の領域では自分が
神さまだし社長さんだから、
社長さんのハンコが
押されたらそれは
採用されるのだけど、
じゃあなんで
社長さんはハンコを
押さないのか?
社長さんには
長きにわたって
握りしめてきた
何かがあって、
社長さんは
それこそが我が社の価値だと
勘違いしている。
握りしめてるものを
なんと呼んでもいいのだけど、
ホ・オポノポノで言ったら
記憶で、
インナーチャイルド的には
トラウマによる
自分への抑圧的な設定で、
(前世からのものも多くある)
わたしは
潜在意識のノイズとか
お魚って呼んで
リリースしてますが、
並木さんの本では
地球の周波数と
書かれていて、
その自分の記憶が、
周波数が、
投影していることを
現実として見ている。
セッションで
お話をうかがっていく中で、
ご家族や
職場の方など、
なにか許せない出来事があった話に
なることがあります。
大切な情報ですので
十分にお話をうかがうのですが、
誰が聞いても相手に非があるようなことでも
いかに理不尽なことであっても、
そのドラマにまた引き込まれて
止まらなくなってしまう場合、
せっかくのその方の
セッションの時間が
そのお話ばかりですぎてしまうのは
もったいなくないですか?
って質問します。
わたしがいちばん聞きたいのは
ご家族のお話でも
職場の方のお話でもなく
ご本人のお話だから。
「誰かが」ではなく
「わたしが」が
セッションの軸です。
これは
そのまま人生にも
当てはまると思って、
せっかくのセッションが
誰かへの批判で過ぎてしまっては
もったいないように、
せっかくの自分の人生も、
もう無用ななにかを頑固に
握りしめているばかりに
本当にいたい場所じゃないところに
留まらせてたりするのなら、
もったいないって
思うのです。
豊かさにもよろこびにも
制限なんて本当は
ないみたいです。
パターンを脱してこそ
現れるドアの先を
見てみたい!
これは完全に
自分のこととしても
書いていますが、
そこに留まるのも進むのも
どんな選択も自由だし、
なにが正解もないとしても、
楽しいと楽しくないは
どっちがいい???
苦しいと苦しくないは
どっちがいい???
ってことは、
いつもわたしは
聞いてしまうと
思うのです。
並木良和さんの本にあった
菊理媛(くくりひめ)からの
メッセージが強く印象に残ったので
ぜひ引用させてください。
「各自が自身の人生に完全に責任を持ち、いま何を手放すときなのか、何を変えるときなのか、常に自分に問いかけてください。人ではない、すべては自分にあることをいま一度、心に据え置いてください。
(中略)
何が起きても他人や出来事に意識を向けるのではなく、自身に目を向け、何を変えるべきなのかに耳を傾けてください。誰かや何かのせいにしている限り、あなたに真の自由が訪れることはありません。
(中略)
ときは迫っています。
時代の転換期をあなた方は今迎えています。
自分です。
自分に集中するのです。
そしてあなた方の光をさらに大きくしながら
その光を放ってください」
ふう。
びっくりさせて
もうしわけないのですが、
こんなに書いてるのに
今日書こうと思ってたことに
実はまだたどり着いていません(笑)
さすがにここで一度
終わりにして、
後編に譲ることに。
縦スクロールの魔術師と
なるべく精進いたします。
後編につづく
先日娘の部屋で発見した習字は「旅立ちの朝」でしたが、
今日は「新たな時代」。
もはやオラクルカード的に思える。
(こんなに習字上手だっけ?って思ったら、お手本をなぞって書いたやつらしい。さっき学校に行く用事があったので、廊下に貼られていたホントに本人が書いたやつを見たら、あまりにギャップがあって爆笑しました)
多分平成最後ってことで先生が選んだ氣がしますが、意識のシフトのことですね!って思ってしまいましたよ。
「新たな時代」は5次元らしいです。
5時間目じゃなくて。