Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

息を吐く星 前編

日曜日のアマミヤさんの

呼吸ラボラトリーとの

コラボイベント。

 

火曜日のサイドバーンでの

セッションはじめ。

 

それぞれに

新年のミラクルな

ギフトでした。

 

アマミヤさんとのコラボでは

インナーチャイルドのお話を

させていただいたのですが、

 

会場に向かう電車で

なぜか涙が溢れてくる。

 

わたしがいつも乗る

湘南新宿ラインには

2階建てのグリーン車

なるものがあって、

 

都心までは1時間

かかる距離なので

喫茶店に入ったと思って

いつもこのグリーン車

使うのですが、

 

窓側のわたしの席に

朝日がピッカーッと

まっすぐに射して、

 

「いよいよだ」という

感覚が胸をおそいます。

 

私事にもほどがある

前世の話をさせてもらうと、

今生に多大な影響がある

前世でわたしは修道女でした。

 

たくさんの

子どもたちと

暮らしていて、

それが本当に

しあわせだった。

 

わたしにとって

お気に入りの生だったのか

ところどころ思い出される

ような場面があったりもします。

 

(時間は実は同時なので前世にとらわれることはないのですが…とゴニョゴニョいいわけしたくなりつつ)

 

以前、

お慕いしてやまない

migiwaの麻さんの

セッションを受けたとき、

 

「何のために生まれてきましたか?」

 

って聞かれて、

 

食い気味の即答で

 

「子どもたちのために働きたい」

 

と答えた自分に驚いた

ことがありました。

 

子どものことにやたら

思い入れが強い自分を

感じてはいましたが、

 

高い志を持ってて

なにかを学んだり

行動を起こすような

タイプでは

ありませんでしたし、

 

たとえば夜回り先生

水谷修さんのように

いつでも子どもを

受け入れるような

覚悟なんてぜんぜん

ありません。

 

子ども食堂のような方法で

貢献している方とも

自分は違う。

 

ましてや

たったひとりの娘の

母親としても、

つっこみどころ

だらけです。

 

どの口が言う?

と思いました。

 

でも、IHを学んで、

セッションを

重ねていくうちに、

 

自然とインナーチャイルド

向き合う場面が

増えたことで、

 

インナーチャイルドとはいえ

リアルな子どもと少しも

変わらないように

感じられることも

知って、

 

この方法なら

わたしでも

お役に立てるのかも

と思うように

なりました。

 

大人のその方自身に

その子のケアを

お願いする方法です。

 

これは前世の修道女の

たどり着いた結論でも

あります。

 

子どもは

ひとり残らず

素晴らしいし、

 

ひとり残らず

かわいくて

たまらないけど、

 

子どもなら当然の

 

自分をいちばんに

愛してほしい、

 

自分にいちばん

注目してほしい、

 

という願望を

全員に満たして

あげることは

できなかった。

 

いつも足りない

気持ちで

いっぱいでした。

 

これは日曜日に

お話させていただいた

内容でもありますが、

 

子どもが必要とすることとして

3つの要素があると思います。

 

◎完全に安心できる環境

(裕福じゃなくても衣食ことたりる暮らし。その場にいれば安全であるという確信)

 

◎理解と肯定

(子どもは言葉で自分のことを説明するのは不得意、説明せずともわかってもらえるとうれしい。また、子どもはよくできたらほめられたいもの、失敗しても、自分の価値を肯定されたいもの)

 

◎泣くこと遊ぶこと

(泣くことは解放だし浄化。遊ぶことは子どものすべてで、いちばんやってもらいたいこと)

 

実際の子ども時代が

どうであれ、

 

この全てを

満たしてあげられる

夢のような存在があります。

 

大人のその人自身!

 

その夢のような存在に

「その子をお願いします!」と

言うことはわたしにでもできる。

 

どのような体験が

あったとしても、

 

その子の人生が

損なわれてしまう

はずなんてない

って思うんです。

 

傷は手当てが必要ですが、

 

それはその後の

楽しい遊びの時間

のためです。

 

インチャのワークは

気が重くなってしまう

ことが少なくないと

思いますが、

 

傷→手当→傷→手当

(問題→ヒーリング→問題→ヒーリング)

 

の無限ループが

ただあるのではなく。

 

その先にめくるめくワンダーが

待ってるのだということ。

 

それを伝えたいですし、

 

インチャとの

コミュニケーションは

 

大人の自分にとっても

本当に頼もしいことで、

 

その子の声が

なによりの

ガイドとなってくれます。

 

インチャのケアは

タマネギの皮むきのようと

学びましたが、

(ケアされてもまた次の

問題が現れることから)

 

わたしは

バラバラになった

自分のかけらとの

統合だと思っています。

(同じことなのですが、

そのほうがやる気がでるので)

 

ケアされるほどに

自分がより本来の姿に

戻っていく。

 

苦行ではなく、

 

楽しいワークです!

 

 

湘南新宿ライン

グリーン車

泣いていたのは

修道女だったと思います。

 

麻さんに言った

「子どもたちのために働きたい」は

 

インナーチャイルドのために

働きたい」だったということに

今気づくことに。

 

それにしても、

わたしは本当によく

湘南新宿ライン

グリーン車

泣いています(笑)

 

移動中という

ポケットみたいな時間が

解放する感情が

あるみたい。

 

撮り鉄

「音鉄」

 

鉄道マニアには

いろいろありますが

 

わたしは

「泣き鉄」かと(笑)

 

 

そして…

 

まさかのここからの

アマミヤさんとの

コラボイベントリポート!

 

みなさんの体力が

残されていることを

祈って続けます。

 

新年の仕事はじめに

このような機会を

いただいたこと、

 

わたしの特性を

理解してくれて、

フリースタイルで

アマミヤさんの

フィールドに

放ってくれたこと、

 

本当に感謝で

いっぱいでした。

 

ご参加のみなさんにも

改めてお礼を

伝えたいです。

 

アマミヤさんが

指導されている

加藤俊朗先生の

呼吸法は

 

息を吐いてゆるむこと、

 

余分なものを吐いて

吸う息では

よりよいエネルギーで

満たすこと、

 

潜在意識をきれいにすることで

より直感と繋がって

能力を発揮すること

など、

 

角度が違うだけで

実はインチャのワークと

同じと感じています。

 

ホ・オポノポノで言う

ウニヒピリ(インナーチャイルド)は

潜在意識と説明されているように、

 

インナーチャイルドといっても、

実は子どもの姿だけでもない

内なる自分の全体なのだと

思うのです。

 

この日は

インナーチャイルドについて

お話させていただだいた後の

 

アマミヤさんの

呼吸レッスンが

本当に気持ちよかった。

 

本当に幸福な

コラボだと感じます。

 

アマミヤさんは

雑誌や書籍の編集の

お仕事もされていますが、

 

呼吸法の講師の

お仕事との両立は

 

全然モードが違って

大変じゃないですか

って聞いたとき、

 

呼吸法の仕事を

してからの方が

能力が活性化して

編集の仕事も

より効率も上がって

楽しめるようになった

 

との内容のお話が

印象的でした。

 

今回ご一緒して、

 

アマミヤさんは

緩急の案配が

本当に心地よくて、

 

その包容力のおかげで

緊張することなく

参加させてもらえました。

 

アマミヤさんが

呼吸を通して

調整されている

証明のような

存在と感じます。

 

 

「静と動みたいだね」

って話してたのですが、

 

知的で、

静かな炎を持った

アマミヤさんと

 

ボーリューム大しかない

エモーションの獣的な

わたしは

 

相性バッチリの

組み合わせでした。

 

実は同じことを

別の表現で

お伝えすることで、

 

ご参加のみなさんにとって

より深いところに

お届けできた

気がするから。

 

ご感想も感動して

読ませていただきました。

 

読みながら

また泣いたのは

前世の修道女。

 

彼女とわたしが

言いたいのは

 

「どうぞその子をよろしくお願いします」

ということのみ。

 

あとは無力だということを

思い知っているのです。

 

 

ところで、

今回漫談方式というか

立ってお話する機会を

いただいて、

気づきましたのは、

 

話しながら

揺れる自分(笑)

 

紙切り

林家正楽師匠

さらに弟子の

二楽師匠が

 

見てる人の

間が持つように

紙を切りながら

からだを揺らす

のですが、

 

なんか自分も

自然とそうして

いたような(笑)

 

https://www.youtube.com/watch?v=nt7_czLv8Hw

二楽師匠がアメリカ人の日本語を学ぶ学生を前に紙切りを披露しながら、なぜからだを揺らすのか説明しています。アメリカ人学生の歓声もうれしい。

 

とっさのリクエストをどうやって紙で切るか、目線を浴びながら脳内で描くことができる紙切りさんは本当にすごいって思う。

 

「息を吐く星」として

なぜか前後編。

 

星の理由は後編に。

 

後編は、

サイドバーンでの

セッションはじめに

起こった超ミラクルを

お届けしたいです!

 

http://healingroom3.com

 

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新年この時間をシェアできたことにとにかく感謝を!

アマミヤさん、ご参加のみなさま本当にありがとうございました。

 

呼吸とインチャの幸福すぎる組み合わせ。

アマミヤさんとのコンビ名を考えた方がいいかもしれない(笑)

 

https://www.youtube.com/watch?time_continue=10&v=yrotsEzgEpg

これ以外考えられない選曲でお別れです!

 

“Ooh Child”/THE FIVE STAIRSTEPS

 ファイブステアステップスはジャクソンファイブより前の兄弟ユニット。

 

歌詞の和訳もコピペします。

 

ねえ、こどもたち

いろんなものはどんどんわかりやすくなっていくんだ

 

ねえ、こどもたち

いろんなものはかがやきだすんだ

 

いつか、そう

ぼくらはいっしょにそれをてにいれる

そして、ぼくらはそれをかんぜんにおわらせる

 

いつか、そう

あなたのあたまがもっとあかるくなったら

 

いつか、そう

ぼくらはすばらしいひかりのみちをあるく

 

いつか

せかいがもっとかがやきだしたら

 

 

 

新世界より

 2018年、

みなさんはどのように

お迎えかしら?

 

今、宇宙一熱いメディア

服部みれいの声のメルマガで

大フィーチャーされていた、

 

TAKAHIRO MAXさんの

オネエ言葉にあやかって

新年をスタートよ!

 

先日アマミヤさんと

お話したとき、

 

オネエ言葉が使いたいけど、

 

わたしたちが使うと

単に微妙なおばさま風に

なってしまわないかという

懸念が浮上しましたが、

 

それもまた一興ね!

 

底抜け脱線ゲームよ!

 

いいえ、

これは意味がわからないわ!

 

でも想像以上に

この口調は楽しいの!

 

高原のテラスで手紙

風のインクで

したためています

って気分になれるわ。

 

聖子ちゃんよ。

 

ジュリーがライバル!

 

こちらは真子ちゃんね。

真子ちゃんはご存知?

 

でもここは

2018年なの。

 

サヨナラって

砂に書いてる

場合じゃないわ。

 

どちらかというと

ピンクレディーなの

 

もの言わずに

思っただけで

愛し合える

話もできる

 

UFOね。

 

テレパシーは

日頃から練習中よ!

 

名残惜しいけど

もうそろそろ普通の

口調にもどるわね。

 

普通のおばちゃんに

もどりたい!

 

キャンディーズね。

(オリジナルは「普通の女の子にもどりたい!」)

 

もう古すぎて

ついてきていただけない

でしょうけど、

おゆるしくださいね。

 

おふざけはともかく、

 

みれいさんの声のメルマガが

熱いのは真剣な話です。

 

本当に自由度の高い

あたらしいメディア

だと思うし、

 

どこでも発信できない情報を

ダイレクトに発信できるような

発明だと思う。

 

毎週配信されるとのことで、

タイムラグの短さからも

みれいさんの最新を

キャッチできるし、

 

著書に加え

この声のメルマガが

はじまったことで、

 

マーマーマガジン黎明期のころの

マーマー本誌+トークショーなどの生みれい

というみれいさんのエッセンスを

享受できる組み合わせが、

 

どこに住んでいる人にも

行き渡る仕組みができたとも

感じる。

 

福太郎さんとの

夫婦(めおと)芸にも注目。

 

米!米!

(ごめんなさい。わかる方だけに)

 

平松モモ子さんの

キュートで的確なコメントも

魅力です。

 

次の配信が楽しみ!

 

それにしても

お正月は

静かなのがよいですね。

 

ちょっと前にテレビで

ベルリンフィル

コンサートマスター

樫本大進さんの

ドキュメンタリーを見て、

 

ドヴォルザークの「新世界より」の

バイオリンの弓の運びを

ボーイングって言ったかな?)

代々演奏されてきたものと逆にして

現代のあたらしい表現にするために

尽力するようすに感動しました。

 

古典を時代にあわせて

更新するのは

落語も一緒で、

 

わたしがいちばん

魅力と敬意を

感じる部分ですが、

 

ひとりひとりが

強い信念とプライドを

持った集団である

オーケーストラで

それを行う大変さは

想像を絶します。

 

反発は必至なのに

それを厭わないようすと

最終的には尊敬を得て

演奏をまとめるようすに

コンサートマスター

仕事というのは

実は指揮者以上

なのだということを

見せてもらう

ようでしたし、

(実際指揮者がタジタジになって

いるときもうまく導いていた)

 

それもこれもすべては

ただその場に表れる音楽のため

という姿勢に感動しました。

 

ほんの一部の演奏を

テレビを通して

聴いただけでしたが、

 

そのボーイング

上下を逆にした部分の

演奏で鳥肌が。

 

演奏後の

 

「新しい世界でしたね」

 

という短いコメントにも

しびれました。

  

もう変えられないって

固着しているように

感じられていることも、

 

実はこうして変えることは

可能なんだって

見せてもらった気持ち。

 

新しい世界は

わたしたち

ひとりひとりによって

作られていて、

 

ひとりひとりの

意識が変わると

 

変わらないって

思ってることも

それまで以上に

美しくなることがある。

 

ミヒャエル・エンデ

『モモ』の中の

時間の部屋の描写が

読書史上最高峰に

好きなのですが、

 

時間の部屋では、

 

もうこれ以上ないというほど

きれいな花が咲いていると思ったら、

 

次の瞬間には

それよりさらにきれいな花が咲く。

 

さらなる美しさは

なくならないのです。

 

それは

 

世界最高峰の

オーケストラの話でも、

 

児童文学の不朽の名作の

中だけの話でもなく、

 

わたしたちが日々を暮らす

この世界の話として

そう思います。

 

そのためには

それぞれがそれぞれの

持ち場についていることが

大切って思ってて、

 

チェロの人はチェロ、

オーボエの人はオーボエ

ティンパニの人はティンパニ

というか、

 

そこは敏感に、

 

その人の得意なことで

光を広げていくことで

さらなる美しさは

実現するのだと思う。

 

2018年

新世界がスタートよ!

 

http://healingroom3.com

 

 

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戌年を祝って。

トイプードルという愛玩色濃厚な犬と暮らすことになるとは思っていませんでしたが、娘の懇願によりもっちゃんを我が家に迎えてもう7年目。今や愛玩しまくっています。猫が好きだけど、知るほどに犬もすばらしい。

人生に野心がひとつだけあるとしたら、同時に犬と猫と暮らすことです。

先日アニマルコミュニケーション(動物と対話する方法)を学んだ方にお話をうかがう機会があったのですが、要はテレパシーだと言っていました。新たなことを学んだというよりも、今までもしていたことの確認だったと。

 テレパシーは新しい世界のたしなみかも。

 

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 テレポーテーション中。

大阪の新世界にもいつか行ってみたい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=Ay1iI6vHQ9U

「ジュリーがライバル」ってどんな曲だっけ?と思って見てみたら、

真子ちゃんのかわいさすごかった…

本物のジュリーがいることに注目。

あと後ろの百恵ちゃんやばい。 


 

 

 

「未のもの」は「身のもの」

スキーの

ジャンプ競技

スタート地点

みたいな気持ちで

書きはじめます。

 

宿題だったことを

いよいよ。

 

K点越えを

目指して!

(K点がなにか知らないまま)

  

今週はIHの同期の

けいこちゃんが

和歌山からやってきて、

 

それに合わせて

大阪からまゆみちゃんも

やってきて、

 

なおこ姫と

 

わたしと

 

IHの同期の姉妹が

集結した。

 

(末娘のゆみちゃんが仕事で

来られなかったのだけど!)

 

普段は密に

連絡をとることも

ないのに、

 

わたしたちの

相思相愛感は

すごくて、

 

それは一緒に過ごした

講座の時間が

素晴らしかったから

でもあるのですが、

 

同期だからといって

誰もがこんなに

仲良くなれる

わけでもない

みたいだから、

 

ご縁に恵まれたなあって

しみじみ感じてる。

 

愛しの姉妹たちの話は

余すところなく

聞きたすぎて、

 

会うなり

「足りない!」

「時間が足りない!」

と叫ぶしかありません

でしたが、

 

みんなで知ることに

なったのは、

 

それぞれに

新たな領域の

学びを得て

進化していることには

間違いないながら、

 

出会った当時から

持っているそれぞれの

テーマ(問題)はやはり

今も引き続いている

ということ。

 

それは

自分が設定していることで、

 

観念で、

 

思い込みで、

 

自分が選択すれば

本当はいつでも

手放せるって

知ってはいるのに、

 

相変わらず

それぞれに

ぐるぐるしている

ことがある。

 

「チーム牛歩」という

新しいチーム名を

つけたくなるほど。

 

(牛歩が設定されてしまうから

よろしくないですね(笑))

 

日々IHセッションを

行っていても

感じていること

なのですが、

 

自分でこの状況を

本当に変えたいって

心底思っているのに、

 

そのために

こんなにいろんなことに

とり組んでいるのに、

 

ある種のパターンから

脱することが

できないことに

 

疲弊してしまっていたり、

 

より自己否定感が

強まったりしてしまう

場合はたくさん

あると思います。

 

セッションを受けて

一時クリアに

視界が晴れた思いが

あったのに、

 

また似たような

状況になってしまう

自分にがっかりしたり。

 

なにかひとつの問題を

クリアしても、

次なる問題(テーマ)が

表れることは

 

インナーチャイルド

ワークを行うように

なってから

より顕著に

感じてもいます。

 

でも、

気を落とすことも

ないというか、

 

この状況って

生きてること

そのものだって

思うのです。

 

 

問題があるから

人生が運動して、

 

他者への感謝が生まれて、

 

自分の成長もある。

 

 

問題はいつでも

手放せるものでは

あって、

 

その力を持っているのは

いつも自分自身だけど、

 

なかなか問題が

解消しない状況が

続く場合、

 

問題そのものよりも、

 

その状況にある

自分を少しも

責めないことの方が

重要だって、

今は思う。

 

そんなふうに

整理するための

 

ヒントとなって

くれたのは

 

Sちゃんのメールでした。

 

以前の記事で紹介

させていただいた

三つ編みのSちゃんです。

 

Sちゃんは

自分が人知れず

並々ならぬ

執拗さで行っている、

 

実務とも創作とも

判別できない

あることを、

 

「作業」

 

と呼んでいて、

 

その「作業」は他では

得がたい大きな

よろこびであることを

教えてくれました。

 

Sちゃんには

「作業」の他にも

独自の用語があって、

 

そのひとつが

 

「未(み)のもの」

 

です。

 

 

Sちゃんは

 

自分をずっと

「未」である

と感じていて、

 

未完成、

未処理、

未整理、

などの

「未」

なのですが、

 

Sちゃんには

ある種の完全性を

体験するような

出来事があったので、

 

その体験があった

からこそ、

 

普段の自分を

より「未」であると

感じてしまうのかなって、

想像もしますが、

 

でも、Sちゃんは

20代半ばの若さですから、

 

通常の感覚的には

「未」であって当然。

 

IHの同期の姉妹は

末娘をのぞいて

みんな40代ですが、

 

わたしも含め

それぞれに

こじらせまくって

生きています(笑)

 

「未」のままです。

 

きっと人生は

ずっと

「未のもの」で、

 

完成してしまったら

もうからだは

いらないの

だろうから、

 

「無のもの」になる。

 

 

ホ・オポノポノで

言ったら、

 

記憶が「未のもの」で、

クリーニングが「作業」、

ゼロポイントが「無のもの」、

 

というか、

 

「未」であるから

肉体を持った

人生がある。

 

「未のもの」は

「身のもの」で

 

からだがある限り

わたしたちは

「未」だし、

 

問題(テーマ)は

なくならない。

 

「未」であるから

「身」があって

「作業」の中で

「美」も生まれる

 

 

問題を味わうために

肉体をもっていて

その体験の中で

創造が起こる。

 

 

これは純粋な

遊びでもあるとも

思うのです。

 

 

IH同期の

なおこ姫も

 

ずっと持ち続けている

テーマがあって、

 

本当にいつまで

これが続くの?って

思いにもなって

しまうと思うけど、

 

それを脱していない

自分を微塵も

責めないでって

伝えた。

 

そのおかげで

わたしは

なおこ姫と

会えたし、

 

その体験がむだ

なんてことは

絶対にない。

 

 

それぞれにご自身の

テーマにぐるぐる

どっぷりの日々を

お過ごしのみなさんも

 

苦しんでる自分を

微塵も責めないで

あげてください。

 

寝ても覚めても

Ilove meで

お願いします。

 

からだでいる限り

未完全が完全

なのだと思うから。

 

 

うーん…

 

K点全然手前だった

気がしますが

ここまでに。

 

今年いただいた

すべてのご縁に感謝を!

 

http://healingroom3.com

 

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超久々に営業中のサイドバーン。けいこちゃんのカットをする岡田くん。

けいこちゃんを待ってる間、以前IHを受けに来てくれたKさんに偶然会えて(カットにいらした)とってもうれしかったのですが、Kさんとひとしきりおしゃべりしてから、けいこちゃんのところに戻ると、ふたりが無言で無表情。

なにか気まずいことでも?と一瞬思って、けいこちゃんに後から聞いたら、岡田くんを見て「この人は話さなくても大丈夫」って思ったらしく、話すこともできたけど話さないでいたみたい。岡田くんもそういうのキャッチするのが得意な人なので、実はものすごく高度なコミュニケーションの結果、この写真の状況があったようです(笑)

わたしにとってはけいこちゃんがサイドバーンで髪を切っている歴史的写真。

 

けいこちゃんの前にわたしも岡田くんにカットしてもらいましたが、最初に話しながらスタイルを考えているときのようすが、落語家がまくらをふりながらお客さんに合わせて最適な演目を探しているときのようでした。

岡田師匠進化しています。

 

この日のサイドバーンでは

 直感で選んだ差し入れがスタッフのまいちゃんに

どストライクだったこともうれしかったし、 

タイチさんの生け花も壮観でした!

 

美容室にお悩みでしたら、

表参道にサイドバーンってありますよ。

 

  

けいこちゃんは

わたしのIHを受けるために

はるばる来てくれた。

 

本当に気絶しそうに

光栄なことだった。

 

わたしの今年1年の活動を

肯定してもらえたようで。

 

けいこちゃんのおかげで

みんなが集まることもできたし、

 

祝福の使者のようでした。

 

また会える日を楽しみに。 

 

和歌山方面に

愛をこめて!

 

大阪方面と

新宿方面と

浜田山方面にも!

 

 

NO INNERCHILD NO FUN

娘はもう中2ですから、

朝の身支度などに

手を出さなくなって

久しいわけですが、

 

毎朝、一応

髪を整えている

ようすはあるものの、

 

「それで完成?」って

思うほど

すごい寝ぐせで

出かけていく。

 

昨日も、

ものすごい高速で

走ってる人みたいな

寝ぐせが

 後頭部に残ったまま

部活に出かけようと

しているので、

 

一応「後ろすごいよ!」

とは伝えるのですが、

 

「大丈夫」との返事。

 

どう大丈夫

なのでしょうか?

 

でも、

さすがに昨日の

この寝ぐせには

つっこみが

入ったらしく、

 

部活の男子から

 

サイヤ人みたい」

と言われたらしい。

 

ドラゴンボール

ストーリーを知らない娘

 

サイヤ人は悪の人なの?」

と聞く。

 

わたしも亀仙人とかの

ころしか

読んだことないから、

 

サイヤ人がなんなのか

知らないけど、

 

悟空もサイヤ人

みたいだし、

 

「悪の人ではないんじゃないかな」

と答えると、

 

なにか納得して

その話題は終了。

 

どうやら娘が気になるのは、

 

◎男子に寝ぐせを指摘されたこと

 

ではなく、

 

◎似てると言われたサイヤ人が悪かどうか

 

のようです。

 

彼女には彼女の

なにやら立派な基準が

ある気がするので、

 

スーパーサイヤ人級の

寝ぐせでも、

 

母さんもう

なんにも言わない

ことにする。

 

と、

 

年末ムードが

そうさせるのか

 

いつにも増して

ゆるいお話と

なりましたが、

 

ただ今

意識的にゆるむ期間を

過ごしています。

 

いつも

深い助言を

いただける

整体のHさんの

ところで、

 

わたしがわたしの

インナーチャイルドの声が

聞けていないということを

先日ふっと言われて、

 

本当にそうだったと

気づかされる日々。

 

 

セッションを

行うことは、

 

わたし自身の

よろこびでも

ありますが、

 

いろいろな

周波数を

渡り歩くよう

でもあるので

 

自分の周波数に

意識的に戻す

必要があるみたい。

 

いろいろ

小さな不調が

でていたのに

「わたしは大丈夫」

って無視してもいた。

 

エネルギー的に

リカバーできてない

感じがどんどん

強まってきて、

 

しばらくセッションを

お休みしようかなとも

考えるほどでしたが、

 

Hさんのご指摘で

自分のインチャの声を

よく聞いてすごすように

なってから、

 

なんか内側が

ふっくらしてきた。

 

まずは「自分のお世話」は

鉄板の法則ですね…

(セッションではみなさんに

あれほどお伝えしているのに…)

 

ただ、継続的であるために

いろいろ見直す時期では

あると感じています。

 

セッションが変化していて

テキスト通りでは

ないナビゲーションを

行っていること、

 

内容も包括的に

なっていること、

 

セッションの時間も

2時間ほどと

ご案内していますが、

わたしの場合もう少し

長めになってしまうこと

などから、

 

お代を見直すことがひとつ。

(これから先のご予約に関してです)

 

もうひとつは、

ピッチャーの登板間隔のように

エネルギーのリカバーを

考慮してセッションの

予定をいただくようにすること。

 

ツールとしてのわたしが

よりよい状態でいるためと

 

継続的であるための

変更です。

 

 

これからも

すべてのご縁に

感謝して!

 

http://healingroom3.com

  

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インナーチャイルドの声を意識して過ごすようになって、インチャがけっこうはっきり言ってきたのは「本が読みたい!」でした。

唸る気持ちで受け止めたのは、娘が生まれてから、なんとなくどっぷり浸っちゃうような読書は避けるようになっていて(戻ってきたくなくなるから)、娘がとっくに相当育っているにもかかわらず、そういう時間を持たないままになっていた。

 

わたしは本当に本で救われてきたし、本で導かれてきたし、なによりもただ本というものが好きだった。

それを思い出す。

 

「年末年始はとにかく部屋にこもって本を読みます!」宣言を家族に放ち、

(放任的な家庭なので、あまり注目を浴びませんでしたが)、

寝室の本棚に読みたい本を積み上げました。

見るたびにうっとりします。

 

もうここからは完全にわたしのインチャケアコーナーになります。(インチャが読みたい本ってわけじゃなくわたしの内側を満たすこととしてのご所望)

 

一冊一冊紹介をさせてください。

 

写真下から。

 

①『ソラリススタニスワフ・レム

 

超ロングセラーのSF。NHKの番組で1ヶ月にわたって取り上げられてましたが、ソラリスという惑星の生きている海とのコンタクト、ソラリス探査の宇宙ステーションで繰り広げられる、自己と記憶の物語。

 

人間の記憶を現象化する海

自己など確かではないこと

観念と記憶の無限再生

違和感の重要性

 

SFなのにホ・オポノポノですか?みたいな内容にも思えて、今読みたくなった。この作品が再度注目を浴びているのはAIなどの現代の状況を予見しているようでもあるからなのかな。

多分高校生のころハヤカワ文庫の『ソラリスの陽のもとに』を読んだ。これはロシア語に翻訳されたものの翻訳だったみたいなのだけど、今回ポーランド語の原典からの新訳を買っての再読。楽しみ。

タルコフスキーが映画化した『惑星ソラリス』はエンディングがノスタルジックに変更されていて、レムは激怒したらしいのですが、レムが激怒するほど大切にしたものを原作に発見したい。

 

②『噺は生きている』広瀬和生

 

広瀬和生氏はヘビメタ雑誌『BURRN!』の編集長だけど(今もなのかな?)、無類の落語好きで毎日のようにお目当ての噺家の高座を観に行っていた方(今もなのかな?)。今や落語の著作も多数で、ご本人が企画した落語会もあったりと落語の世界でも大いにご活躍です。

わたしも広瀬氏の『この落語家を聴け!』で現代の落語家がいかに層が厚くて、恵まれた時代なのかを知ることになりましたし、落語を楽しむためには、「誰の」落語を観に行くのかということが大切なのだということを指南していただきました。(『この落語家を聴け!』は「ほめ」の観点でもすばらしい本です。取り上げたひとりひとりの噺家の違いを根気強く、本質を掬い、わかりやすい言葉で伝える姿勢に感動しました)

 

広瀬氏の最新刊は古典の演目の進化について。

「同じ“芝浜”は一つとしてない」という帯の文のとおり、同じ噺が落語家によってどのように変化するのか、ものすごく楽しく読めると思う。

 

③『われらが歌う時』(上下巻)リチャード・パワーズ

 

娘が赤ちゃんのころに上巻を買ったと記憶していますが、長編小説を読めるような状況ではなかった…、そのまま本棚で10年以上。でもどう考えてもやばそうなこの本はいつも頭の片隅にあったのだと思う。

インチャの「本が読みたい」の声に真っ先に思い出したのはこの小説だったので、よし!買っていなかった下巻も手に入れよう、と思ったら、絶版でびっくりした…。

リチャード・パワーズって最重要作家のひとりみたいなイメージなのですが…。今後も良書が出版される世の中でありますようにと、微力すぎますが、本は新刊で購入する決意をあらたにしました。(今回下巻は古書で購入しました)

 

④『雪』オルハン・パムク

 

これも、長いこと読もうと思ったまま読んでなかった本。ノルウェーで授賞式のある文学賞をとったあとの、トルコ語という読む人の絶対数が少ない言語で作品を書くということがどういうことなのかという講演録が印象的でずっと読みたかった作家。今さらながら。

文庫版は超訳みたいになっちゃってるみたいなので、最初に翻訳されたものを古書で。

 

ソラリス』のスタニスワフ・レムポーランド語で書いているのなら、もっと絶対数の少ない言語なのかなって思いますが、トルコもポーランドも政治的背景から、ある日突然日常が奪われることがあっただろうし、どちらの作品にも自己の不確かさと常態としての違和感という要素を感じる。

 

読んでないのでまだわかんないけど、

とんちんかんなこと書いてるのかもしれないけど、

 

不確かじゃない自己に繋がる時代に、

違和感ってガイドとして大事だよなって感じてる。

麻痺しないでいることというか。

 

⑤『大局観』羽生善治

 

未読であることを恥じまして、『大局観』と『決断力』を購入。直感についての言及など、あらゆる立場の方に役立つ普遍的な本なのだと思う。

 

⑥『生死半々』淀川長治

 

先日ご紹介させていただいたAさんのセッションでAさんがトークショー淀川長治さんに会ったときのお話を聞かせてくれて感動でした。

 淀川さんのこのエッセイを再読したいです。

『生死半々』というタイトルがとにかく最高。

 

⑦『僕はこんな音楽を聴いて育った』大友良英

 

表紙は18歳の大友さんの写真。学生服でギター。Gibsonてロゴは自分で書いたって。裏表紙は55歳の大友さん。ニューヨークのライブハウスでギターはホントのGibson。飾らなすぎる天才。読むのがひたすら楽しみな本。

 

⑧『甘い、甘い、甘くて甘い』服部みれい

 

祝復刊!の処女詩集。我が家には『甘い、甘い、甘くて甘い』が2冊あって、ひとつはわたし用、ひとつは娘用、どちらもサイン本なのがひどく自慢。超短編小説のようなあとがきも大好き。

 

⑨わたしの手帖2018

 

手探りだらけのあたらしい時代に、指標があることほどありがたいことはないと思う。あたらしい年をうつくしいこの手帖と。

 

・・・

 

こんなに読めるはずもないけど

積んだことに意味がある気がする。

 

本の奥の写真は

幼稚園のころのわたし。

早すぎたサンタフェ

 札幌だけど。

 

NO INNERCHILD NO FUN

インナーチャイルドなしに

本当の楽しみもなし!

 

それぞれにインチャのご所望に

耳を澄ませてみてくださいね。

 

 

日々是、好転反応

英気を養うとは

このことだったと

思います。

 

本当に行ってよかった…

 

昨日の鈴本演芸場

お話でございます。

 

元はと言えば

今日なら行ける!と

ゴッホ展を観に行こう

と思い立ち、

 

上野じゃないかと、

 

ならば、鈴本の

番組を調べようかと、

 

ホームページを

チェックしました

ところ、

 

年末にちなんで、

古典落語

「掛取り」

という噺を

 

日替わりで

5人の噺家

演じるという

イベント中で、

 

なんとこの日は

喬太郎師匠!

 

観に行かないという

了見はございません。

 

(鈴本の案内の喬太郎師匠の写真

すてきすぎる。なにがあってのこのポーズ?

まもなくページが変わるのでしょうがリンクを)

 

平日の昼の席ながら

喬太郎目当ての

お客さんで会場は即満員。

立ち見も多数。

 

とはいえ寄席は

お目当ての登場までが

長いのでございます。

 

鈴本は座席を確保して

いったん外に

出られますから、

 

「みはし」で

おでんと茶飯と

みつまめをいただいて

時間を過ごし、

 

柳家小ゑん師匠の

あたりから

鈴本に戻って、

 

春風亭一朝師匠

橘家文蔵師匠

桃月庵白酒師匠

 

トリの喬太郎師匠まで

 

みんな観られてよかった…

 

文蔵師匠の「時そば

めっちゃよかった。

もう全部わかってる話を

その人の色で笑わせるのって

本当にすごいことって思う。

 

そんな文蔵師匠の

遅刻をぼやきながらの 

白酒師匠も最高。

持ち時間が短く

なっちゃって残念。

(とっさにそれに対応できるのも

本当にすごいこと)

もっと観たい

師匠のひとり。

 

紙切りさんにも毎度感動する。

(客席から声がかかったお題に合わせて即興で切り絵を作成してくれる芸人さん。お題をリクエストして作品をもらってみたいけど勇気が出ない)

 

喬太郎師匠は

さらに別次元。

 

レアな「喬太郎の掛取り」に

高まる会場の期待を

見事にいなすような。

 

座布団の上では

おさまらない

奔放さで、

なにより本人が

いちばん楽しそう。

 

喬太郎師匠のことは

書けば書くほど

足りない気持ちになる。

 

どこが好きとか

何が好きとか

言いたくないほど好きです。

 

しかしながら、

 

そろそろこれが

落語のブログでは

ないことをわたしは

思い出さなくては

いけません。

 

日々インテグレート・ヒーリングを

行っています。

 

おそるおそる

お伝えしますと

これからが本題です。

 

あきれずにこの後も

読んでいただける

ようでしたら

 

お役立ていただける

内容がきっとあると

信じて続きます。

 

今日はセッション後の

好転反応について、

シェアしたいです。

 

IHに限らず、

物事が無理のある状態から

本来の姿を取り戻すときに

 

好転反応」「めんげん」は

避けがたく起こることだと

思いますので、

 

むしろ歓迎するものでは

あるのですが、

 

終わりがないようで

不安に感じたりすることも

あるかもしれません。

 

文字通り人生が

好転するための

第一歩として、

 

Kさんのご感想を

紹介させてください。

 

***********************************************************

 

セッションから1ヶ月経ちます。

半年ぐらいたった感じの

時の流れがゆっくりな1ヶ月でした。

 

実は、セッションから一週間は

これでもかってぐらい落ちに落ちて、

ひどく落ち込む日々でした。

もう暗くて暗くてどうしようみたいな…。

 

IHを受けたのは「やっとここまで元気になったから

最後のもう一歩前に進むため」だったのに、

ゴールの目の前からスタート地点に戻された感じでした。

 

でも、一週間経った頃から、

もしやこれ私のインチャの状態なのでは、

ちっちゃい私が前にでてきたのか、と思い始めて。

 

そしたら徐々にですけど落ち着いて、

今となってはあの状態が懐かしい(笑)

 

セッションで話したことは誰にも話したことがなくて、

もう自分の中では終わった話で、まさかあれを話すとは

思ってもみなかったことでした。

 

でもどっかでやっぱりこの話かと

腑に落ちた感じもして複雑な感覚。

でも、あの日でやっと終わったのかなって思ってます。

 

とにかく、自分の物語を生きます!

インチャの声をよく聞いてねっ!

 

たくさん話を聞いてくれて、いっぱい話してくれて、

ありがとうございます。

愛をいっぱいありがとう。

(プロフィール写真の「愛」とポーズが最高に好きです!)

 

***********************************************************

 こちらこそ、ありがとう!

 

Kさんあの日の服、

ホント似合ってて

かわいかったです!

 

Kさん、

セッションの後に

すごく気持ちが落ち込んだことを

報告してくれました。

 

いろいろ自分をケアしてもきて、

やっと前進できた気がしていたのに

「スタート地点に戻された」

とまで感じたけれど、

 

インチャが

前面に出てきた

からなのではと、

 

その状態を受け入れて

あげることで

大丈夫になってきたと

あって、

 

素晴らしい!って思いましたし、

ホッともしました。

 

インチャのケアは

生きるのを楽にしてくれますし

その人本来の能力を高いレベルで

発揮できるようになるものでも

あるって思いますが、

 

開かずの間みたいな

状態でどこから

手をつけて良いか

わからなくなっている

ような場合、

 

そこをスキップして

先に進みたくなってしまう

 ことも多いのだと思います。

 

でも、本当の自分はその

開かずの間にいるから、

そこをスキップしようと

すると何度も

「スタート地点に戻る」

ことになってしまうの

だと思う。

 

オートリバースの

カセットテープのように

 

B面までいったら

A面まで巻き戻ってて、

 

また最初から…

 

でも

怖れなくて大丈夫なんス。

 

テープだから

消去できる。

 

ホ・オポノポノの

記憶のクリーニングと

同じでとてもシンプル。

 

テープはひとつじゃないけど

繰り返し消去するだけ

ホ・オポノポノそのもの

って言えると思う。

 

ただ、インチャはたくさんの

ワンダーをもたらしてくれる

存在としてパワフルな分

 

解放の時の

好転反応は大きいのかも、

と感じています。

 

以前、

紹介させていただいた

三つ編みのSちゃんも

好転反応としての

落ち込みが激しかったと

報告をいただいていたのですが、

 

先日メールでやりとり

したときのようすが

Sちゃんの若さが

素直に表れている

ような文面で、

 

エネルギーが

自然にゆるんで

ほぐれていっているの

かなって感じられて

 

本当にうれしかった。

 

(Sちゃん!ありがとー!!!)

 

Kさんも

一時スタート地点に

戻されたかのような

体験があったにも

かかわらず

 

セッションの印象を

よいものとして

受け取ってくれているのは

 

やはり、それは

自分の選択で

前進なのだと

感じてくれている

からなのかなって

思います。

 

 

気づきと選択で

人生は運動します。

 

お、なんかいいこと

言った気がする。

 

気づきと選択で

人生は運動します。

 

大きなエネルギーの

変化があったからこそ

好転反応が起こるので、

 

ご自身を十分に

いたわる時期では

あるかとは思いますが、

 

怖れるものではなく

歓迎するもの

なんだって思う。

 

そう!

 

Kさんセッションで

初めて人に話した話のこと

「いつかそれを話す人がいるから

誰にも言わなくてもいい」

って内なる声があったそうで、

 

また、

『冷えとりガールのスタイルブック』に

わたしの写真があるのを後日発見して、

(片隅に写してもらってるの)

 

昔その写真を見て

この人に会いたいって

思ったことがあったという

ことも思い出して、

(わたしその時はセラピストじゃなくて

“子育て中”ってなってたのですが)

 

わたしに聞いてもらう

ってことだったのか、

って気づくことになった

経緯もメールに

書いてくれました。

 

「今まではこんな自分がこわかったけど

これからは全開で生きたいです」って。

 

こんな風に、

セッション後

感覚が鋭くなるという

ご報告も多くいただきます。

 

千葉にお住まいの

Mさんもすごく

人の感情の変化などに

敏感になったことを

報告してくれて、

 

Mさんはご自身の

インナーチャイルドとの

交流をまだ不足していると

感じているとのことでしたが、

 

ご自身の方法でインチャとの

信頼関係を深めていると

メールを読んで感じましたし、

 

だからこその

ワンダーなのだと感じます。

 

(Mさん!ありがとうございました!)

 

 

あと、もうひとつ!

 

Kさんのセッションでは

超具体的で簡潔な

目標設定が立ったのですが

 

その後、

その目標ではないながら

前からやりたかったのに

できなかったことを

はじめたとのこと。

 

目標設定、

 

全然とらわれなくて

大丈夫ですので!

 

それを1回宣言してみる

必要があっただけで、

 

セッション後に

その方の存在は

どんどん変化

していくから、

 

変わって当然

なのだと思う。

 

日頃から自分の

本当のニーズを

キャッチできるように、

 

日々、好転反応

歓迎してあげてくださいね。

 

日々是好日(ひびこれこうじつ)

禅宗の僧の言葉だと

思いますが、

 

「今日もいい日でよかった」

という意味じゃなく、

 

「なにがあっても全てが好日なのだ」

という意味のようです

 

今日が嵐でも、

 

なにかを失った日でも、

 

自分にとっての

最善が起こっている。

 

好転反応もまた

最善として

起こるのだと思います。

 

お後がよろしく

まとまりましたところで。

 

http://healingroom3.com

 

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正月初席がやばすぎる。さらりと小三治師匠いる。トリじゃなく。寄席で小三治師匠観たことない。小三治師匠のキラースマイルを間近で観られたらどんなにいいでしょう。検討します。

 

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上野ゆえに鈴本の看板にもパンダ。そして白酒師匠と喬太郎師匠にみるパンダ感。

 

喬太郎師匠の出囃子のまかしょ、これが鳴り出すときの高揚といったらありません。

 

こんなにスクロールした後に、びっくりさせてもうしわけないのですが、まだ書きます(笑)

 

わたしがこんなに喬太郎師匠を好きになったのは

母と最後の日々を過ごした病室で喬太郎師匠の落語を聴いていたからだと思います。

突然倒れた母と数日病室で過ごした日々は、もう意識は戻らなかった母と、最後に一緒に過ごせた貴重な時間となってくれたのですが、何日も眠れないし、食べられないし、肉体的に極限状態だったわたしが、なにか救いを求めて、落語を聴いてみたら、少し眠ることができて(音楽は情緒が揺さぶられすぎて聴けなかった)、ものすごく助けられたことがありました。

落語には物語があるはずなのに、不思議とニュートラルで感情が揺さぶられなかった。その頃は全然落語の知識が無かったけど、なぜか喬太郎師匠を続けて選んだ(今思うのは、生の喬太郎がいちばんだけどね!)。

喬太郎師匠は卵から生まれたひよこが最初に見た人みたいなものでもあるし、極限状態にあったわたしの恩人みたいでもある。

 

「母の病室の喬太郎師匠」に次いで

笑いに救われたエピソードとして

「高速道路の事故渋滞3連続の時のレキシ」という話もございますが、もうさすがに怒られると思うのでおしまいにします。

 

 

 

 

 

ほめは感謝

新年、1月7日(日)

 

呼吸ラボラトリー

アマミヤアンナさんのレッスンに

お招きいただいて、

 

インナーチャイルド

お話をさせていただきます。

 

詳しくはこちらをご参照ください。

 

IHセッションを通して、

どのような問題や課題においても、

インナーチャイルドのケアは

最優先になると感じています。

 

ご参加のみなさんの

日常にお役立ていただける

お話をお届けできると

思っていますし、

 

アマミヤさんが伝えている

呼吸法と共有していることも

たくさんあるため、

 

ふたりで力を合わせて、

みなさんの内側に

お持ち帰りいただけるものを

しっかりお届けできたら

うれしいです。

 

落語がそうであるように

ご参加のみなさん

おひとりおひとりに

引き出されての

内容となるのだと

思います。

 

気分はアマミヤさんとの二人会!

(※二人会は文字通りふたりの落語家が開く会。

むりやり落語に寄せなくていいのですが…)

 

ヒーリングルーム3を

飛び出して、

 

みなさんとの

シェアの機会を

いただけることに感謝して

お知らせさせて

いただきます。

 

(ここでのお知らせをのんびりしていたら、ありがたいことにまもなく満席とのこと。ご興味のある方はお急ぎでチェックいただけましたら)

 

さてさて、

 

このブログで、

内容はもちろん

わたしがただならぬ

情熱を注いでいる

部分として、

 

タイトルがあります。

 

タイトルだけ

ずらりと読んでも

楽しめるようにしたい。

 

独立した

コピーライティング

のような。

 

誰にも求められて

いないのに!(笑)

 

内容はとっくに

書けているのに

タイトルだけ

長い時間考えている

ことも多いです。

 

今まででいちばん

気に入ってるタイトルは

 

「破綻でも愛なら」です。

 

内容の力を損なわず

簡潔にまとめられた

気がして。 

 

どうでもいいですか?(笑)

 

直近のタイトルが

「女性は太陽」

「ユーモアは体液」

「○○は○○」が

ふたつ続きましたので、

 

これは3部作か!

と思い、

 

本日も

「○○は○○」としたいです。

 

やっぱり、

どうでもいいですね(笑)

 

上記アマミヤさんとの

コラボのお知らせで、

アマミヤさんが書いてくれた

わたしの紹介の内容が

本当に光栄だったのですが、

(本質をわかってくださっていて…)

 

━エモーショナルで感受性がとてつもなく高く、
人のいいところを見つける超☆達人!  
「ほめ滝」と呼ばれるエネルギーで相手を包み、
そうっと、しかしアツく、背中を押してくれるのです━

 

って書いてくれています(照)

 

「ほめ滝」の語源は

服部みれいさんで、

 

みれいさんの著書

『あたらしい結婚日記』では

 

用語を解説する

付属の冊子に

「ほめ滝」が解説されていて

それは光栄だったものですが、

 

時に発動してしまう

その滝はわたしには

まったく無自覚で、

 

そのあまりの勢いが

滝行の様相となり、

 

当の本人がしばし絶句して

浴び続けるしかない

ものとなるようです。

 

わたしが呼吸ほど

無自覚に行ってきた

この「ほめ」について、

 

先日、少し

考える機会が

ありました。

 

「ほめるという行為は

ジャッジになるから、

けなすこととも同じ」

 

こんな言葉を

もらったからです。

 

その方の意図を

その時は明確に

汲み取ることは

できなかったのですが、

 

ジャッジという言葉には

強烈な違和感があったため、 

 

自分の「ほめ」について

整理する機会と

なってくれました。

 

わたしにとって

「ほめ」は、

 

「あなたはこうですね」という

ジャッジじゃなくて、

 

わたしが受け取っている

よきことへの感謝です。

 

わたしがいただいた

ものへのお返しです。

 

相手を持ち上げる

ことでもない。

 

その感謝を

お伝えせずに

いられない性分

となったのは、

 

わたしがそれで

生き延びてきたから

なのだと思う。

 

他者の中に見る

美しさが

好きなんです。

 

大げさなようですが、

本当にそのおかげで

生きてきた。

 

わたしの場合

人生の実際的な

苦労というのとは

また別な、

 

からだを持って

生きることへの

モチベーションの

異常な低さを抱えて

まいりましたので、

(根深すぎて、あえてサラッと(笑))

 

自分と違ってすごい!

ってこととか、

自分と同じでうれしい!

ってこととか

 

他者の中に

キラキラッ!て

するものが、

 

動力となって

くれていた

というか、

 

いちいち助けられて

きたのだと思う。

 

「ほめもジャッジ」との

言葉をもらった方へも、

 

最終的に、

ほめる場面が訪れて、

 

わたしは終始

その方に魅力を

感じていたので、

それを伝えられて

本当にうれしかったし、

 

これからも

「ほめ」を

続けていいよ、

 

という許可のように

受け取った。

 

下記は前回の

Aさんのご感想の

紹介していない部分です。

 

**********************************************************************

カオリンには「ひとは褒められるととっても嬉しい。

そしてその事が生きていく上ですごく大事」という

とてもシンプルでたいせつな事を身を持って

教えてもらいました。

 

こんなに身体の芯から体感した事は無かった。

ほんとうに感謝です。

**********************************************************************

 

「わたしはあなたからこれを受け取っています、

どうもありがとう」

 

そう言われて

うれしくない人って

いないですよね。

 

「ほめ」は感謝です。

 

受け取ったものへの

お礼です。

 

たくさんのプレゼントが

渡されるシーズンかと

思いますが、

 

どうぞ

一緒に「ほめ」を

渡してみてください。

 

「ほめ」には

衝動も大切なので、

 

自分が心の底から

そうしたかったら!

 

http://healingroom3.com

 

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わたしの手帖2018のおよろこびさまカードが「ほめほめ星人になろう」だったので、更なる許可をいただいた思いでいます。

 

あ!「ほめ」は自然に発動しますので、「ほめてください」には未対応です(笑)

 

 

 

ユーモアは体液

わたしの力が足りれば、

大作をお届けできる

はずです。

 

満を持しての

Aさん特集。

 

Aさんは

演劇に関わるお仕事を

されている方です。

 

サイドバーンへの

アプローチの階段を

下りてくるときの姿から

 

なにかもう舞台感は

はじまっていた気が

するのですが、

 

セッションの途中、

すっかり筋反射すら

とらずに

 

座って白熱トーク

場面があったり、

 

わたしの話を

聞いてもらう場面も

いっぱいで、

(セラピストとしては多すぎるわたしの私語。

それが引き出すことも大きいと感じているので

自分にゆるしています)

 

これはセッション?

という様相を

呈したあげく、

 

次のご予約の方が

いらっしゃって、

 

最後の宣言のあたりが

ワチャワチャしたり

した場面で、

 

完全にサイドバーンが

舞台セットに見えて、

 

どっちが上手で、

どっちが下手ですか?!

って感じがして、

 

あー、

このセッションは

舞台作品だったのか、

 

と思いました。

 

プロローグから

エピローグまで。

 

破綻したセラピストと

つっこむクライアントという

役どころがあり、

 

途中、

修学旅行の夜みたいに

自由な姿勢で語り合う

場面があり、

 

そうは言っても

壮絶なAさんの人生を辿って、

慟哭の川も渡って、

 

でも今いる場所は

Aさんにとって

本当にやりたいことと

本当に大切な人がある

場所で、

 

その場所まで

自分を運んだのは

他でもないAさん自身で、

 

そこでAさんは

まだまだ自分をケアしつつも

才能を解放していくのだ!

というカタルシスを経て、

 

いい感じで物語が

完結するのかと

思ったら、

 

次のご予約の方の登場で

ドタバタ喜劇となって、

(絶妙なご登場でした!)

 

最後は

「んがっぐぐ!」(サザエさん

みたいなオチで

 

幕が下りる、

みたいな。

 

観客がいない方が

不思議だったような

セッション。

 

セッションとは

本当にふさわしい

呼び名だと思うのですが

 

その存在同士の

掛け合いなのだと思う。

 

演劇のお仕事をされている

Aさんのセッションだから

こうなった。

 

ここで、Aさんから

いただいたご感想を

紹介させてください。

 

わたしはカオリンって

呼ばれています(笑)

 

*********************************************************************

 

セッション後の変化としては…

 

*心持ちがどっしりしたように感じる。

ちょっと引っかかる事が起きても、

始め少しうろたえたとしても、

愛からの視点への切り替えが早くなった

(心の中で「はい、終わり!ここから愛!」と

掛け声がかけられるように!)

 

*「抜き」が上手くなったような。

「○○じゃなきゃ」「○○でなければ」が

希薄になったような。

 

*自分ではこれはかなり大きな

出来事に感じているのですが、

 

ときどき見る同じシチュエーションの夢で

(ものすごくどよーんと目覚める夢…)

思いっきり怒鳴ったひと言があって、

 

目覚めた瞬間、ハァ〜重いの出たなあ〜、

すごい言葉だなあ…と思ったのですが、次の瞬間

インナーチャイルドの言葉だ」と気づいて、

「やっと言えたね。ほんとだよねえ。大丈夫。わたしがいるからさ。

わたしもちゃんと聞いたからさ」と声をかけました。

 

この夢でこれまでの何かが救われたことを感じたのでした。

これはカオリンのセッションを受けた事で

見られた夢のような気がしました。

 

*そして、最後に。ドドーーン!!!

賞味期限切れのものを気にせず食べるようになった!

 

自分の中では一番この変化が気に入っているかもしれません。

おおらかになったというのか。今までは賞味期限に凄く

センシティブだったのですが。今は切れてても食べてます。

 

口の端に泡を溜めながら気にせず喋り続ける姿をはじめ、

どのカオリンもわたしの記憶の抽斗で眩しく輝いて

わたしをニヤつかせます。

 

わたしの表現について、カオリンからのアドバイス

「それは○○にした方が良いってこと?」と確認した時に、

すぐ冷静な表情になって

「ううん、これはあくまで私の意見だから。この通りにしないで。

Aは自由なんだからどんな風に何したっていいの!」

と言った時に、この人、本当に信頼できると思いました。

 

この世にカオリンがいてよかったです。

カオリンは完全にかみさまのお手伝いをしていますね。

わたしも精進しますので、

茶箱劇場、ぜひ初陣きらせてください。

 

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茶箱劇場、あとで説明します。 

 

神さまのお手伝いって

言ってもらって光栄です。

 

「家事手つだい」ならぬ

「神手つだい」って

名のりたかったことを

思い出しました。

 

Aさんがいちばん

気に入ってる変化として

書いてくれた、

 

賞味期限切れのものを

気にせず食べるように

なったとのお話、

 

寛容さの

象徴なのだと

思います。

 

寛容さは他でもない

自分をいちばん

楽にしてくれますね。

 

 

口の端に泡をためながら

しゃべってるんですね、

わたし(笑)

  

集中してると

髪をくしゃくしゃにする

クセもあるのですが、

 

セッション中

「髪の毛がすごいことに…」

とのご指摘をいただく

ことも多いです(笑)

 

そして、

 

ついに、

このことが

書けるよろこびで

震えておりますが、

 

先にお伝えしましたように

Aさんのセッションでは

雑談と見分けがつかない

時間がとても多かった中、

 

Aさんが話してくれたのが

 

「ユーモアの語源は体液らしい」

 

というお話。

 

息が止まるほど

ハッとなりました。

(実際数秒息が止まったと思う)

 

Aさんとわたしが

終始高い共感を持って

話し続けていたことは、

(おい!ニュートラルな姿勢は?

とどうぞつっこんでください)

 

笑いの大切さ。

 

「ユーモアは生命力」

「ふざけることの尊さ」

 

Aさんの口をついて

出る言葉は

とにかく

 

笑いが救済となる

 

ということだった

ように思います。

 

そんな中飛び出しました

ユーモアの語源情報。

 

心が震えてなりませんから

帰宅後に「ユーモア 体液」

でググりましたところ

 

━ ユーモアは「体液」を意味する

ラテン語フモールに由来し、

中世では医学用語だった。

 

「血液」「粘液」「胆汁」「黒胆汁」という

4つの体液のバランスによって

人間の気質が変化するという

考え方が当時主流で、

 

ユーモア(体液)が変化することで

人の気質が変わり

笑いにも繋がることから

人の心を和ませるような

シャレを意味するようになった ━

 

 

ユーモアは医学用語だった…

 

笑いががん細胞を

減少させることは

有名なお話ですが、

 

インナーチャイルド

ケアにおいても

笑いは魔法になると

わたしは感じています。

 

 

Aさん、

まだ小さいお子さんの

子育て中でも

いらっしゃいますが、

 

子どもたちを

主な対象に

あたらしい表現を

考えていて、

 

それはAさんが

普段身を置いている、

 

演劇の世界のような

大がかりなセットを

必要とするものではなくて、

 

ミニマルで

機動性の高いもの。

 

その特性を活かして

フットワークよく

活動していきたい

とのお考えがあって、

 

そうすることで

 

日常を非日常に

スライドする

提案になると、

 

今この日常にいながら

どんな創造もできる

ということの

発信になるのだと

 

お話ししてくれました。

 

わたしも日頃、

 

塀に囲まれた

どこかのランドに

行かなくたって、

 

お茶の間こそが

夢と魔法の世界だと

思っていますし、

 

どこかの有名な聖地を

はるばる訪ねなくても

 

自分が自分の

パワースポットだって

いつも思っています。

 

 

Aさんにはすでに

素晴らしいアイディアと

コンテンツがあって、

 

それをいよいよ

かたちにしていく

時が来たのだと思う。

 

Aさんのそのあたらしい

表現、心から観たいと

思いましたし、

 

Aさんのセッションでは

 

わたしも完全アドリブの

舞台に立たせて

もらったような

 

貴重な体験を

させていただけた

って感じています。

 

ありがとうございました!

 

 

「ユーモアは体液」

 

タトゥーにして

からだに刻みたいほど

好きな言葉です。

 

 

http://utaori.hatenablog.com

 

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Aさんによる書でございます。メールに「来るか、軸女ブーム?」とあって笑いました(ご承諾の上アップさせていただきます。お名前は消してね)。

「茶箱劇場」はAさんによる、ミニマルかつ機動性の高いあたらしい演劇表現の名称です。