Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

「放蕩息子の帰還」わたし編/どのプロセスにある自分も相手も無条件に愛せるか?

 

7月がはじまっています。

 

占星術数秘術

各種リーディング、チャネリングなどで

今月や今年後半の流れが

伝えられていたりもしますが、

 

わたしはタイプ的に

獣の嗅覚タイプというか、

そういう情報はサラリと触れる程度で、

基本的には自分の嗅覚だよりで、

いろいろなことを決断したり、

行動したりしています。

 

「水星逆行」とか、

いろいろなこと気にしはじめたら

獣の嗅覚がわからなくなって

身動きとれなくなるというか、

 

自分の嗅覚を信じて行動することが、

結果、基本的に星の運行や

数秘の流れとも一致するのだと

思っています。


わたしは今年、来年と

数秘術の9年周期の終盤を

向かえているのですが、

 

それぞれの年のテーマを知らなくても

そのテーマのとおりに進んできた自分に驚きました。

自分の魂の目的に忠実でいられたら、

星のめぐりや数秘などの

大いなる流れと同調して生きている

ということになるのかなと

振りかえることに。

 

 

自分の魂の目的をやっていると、

ときに勇気を出すときもあれば、

ときに挑戦するときもあるし、

ときに何かを手放すこともあるけど、

 

 

自分のテーマに沿ったことに

とり組んでいたら、

必ず大きな支援があることも

実感しています。

 

 

わたしたちは

それぞれに魂の目的をもって、

生まれてきているのだと思います。

 

 

でもこの魂の目的というのは、

いわゆる「使命」「お役目」

みたいなこととは

少しニュアンスが違うようにも思っていて、

 

なんというか、

なんだかカオスを極めた世界で、

ほんらいの自分をすっかり忘れて生まれてきて、

しかも何転生もその体験を重ねて

眠りに眠った倒錯の上でも、

 

宇宙そのものの自分を思い出せるか?

すべては宇宙そのものであることを

思い出せるか?

 

みたいな、

いってみたらゲームのようなこと

なのかもしれないし、

 

 

「放蕩息子の帰還」というお話のように、

 

わたしたちはどんな回り道をしたとしても、

どんな愚かなことをしたとしても、

元いた場所に戻れたのなら、

歓迎され受け入れられる。

 

わたしたちはそれぞれが

自分のシナリオで放蕩しているのだと

思うのです。

 

 

アセンション、次元上昇というのは、

 

そろそろ、

思い出すときというか

そろそろ帰還するとき

ということになるのかなと思っていて、

 

今、自分が体験していること、

自分がいる環境、

身の回りにいる人、

 

すべて自分が自分を思い出すために

必要な出来事や登場人物に

なってくるのだと思っています。

 

 

「なんでこんなことが!」

みたいな出来事ことも、

 

実は自分が自分にしかけた

リマインダーだったりもする。

 

わたしたちはそれぞれの体験の中で

ほんらいの自分とはかけ離れた感覚を

身につけてしまったから、

それをふるい落とすためのそれなりのイベントを、

目覚めたい魂というのはを仕込んできているかな?

ということを感じています。

 


ちなみに!

2014年からはじまったわたしの9年周期は

まさにわたしにとっての古い観念、

ふるい落としのプロセスというか、

 

ほんらいの自分を思い出すプロセス

だったと感じています。

(まだ進行中ではありますが)

 

今までにない勇気が出たり、

挑戦ができたり、

魂の目的に沿っているからこその

大いなる流れを感じたり、

それまでの自分が

ガラガラと崩れ去るほどの

手放しも起こっていった

この期間。

 

渦中においては、

とても混乱することもありましたし、

封印されていた記憶が引き出されて、

感情が大きく揺さぶられたりもしましたが、

 

すべてはほんらいの魂の自分に

戻っていくために自分が仕込んだことだったのだなと

今では感じています。

 

 

なにか参考になるかもしれません。

2014年前からの

わたしの9年周期を簡単にまとめてみますね。

 

 

2014 
<1 始>

今だからこそ、わかるはじまりがありました……。

 

当時は無自覚だったけど、ここから

わたしの人生最大の大きなサイクルがスタート。

 

2015

<2 萌出>

セラピストの学びをはじめました。

 

子どもが中学に上がるころだったり、

母が他界してから数年管理してきた

北海道の実家のことがとてもよいかたちで片付き、

なにかはじめてみようと思えるタイミングでした。


もともとセラピストを目指していた

わけではなかったのですが、

飛び込んでみると、

「わたしはこれをやると決めていたんだな」

という強い確信が湧いてくることに。

 

2016 

<3 成長>

 

セラピストの活動を開始。

キネシオロジー(筋反射療法)を利用した

インテグレート・ヒーリングの

個人セッションをはじめます。

 

駆け出しではありましたが、

ひとつでも実際のセッションを重ねるしかない!

とご縁のある方に受けてもらっているうちに、

 

願ってもいない場所を

セッションの場として提供していただけたり、

服部みれいさんからのご縁で

たくさんの方に知っていただけるようになったり、

 

大きな展開があった年。

 

今に比べたら未熟だったことは確かですが、

当時のセッションが今より劣っているとは思っていません。

その時のその方にとって

「セッションは最高最善に整う」と信じて、

自分はツールに徹すること、

今もまったく同じ思いです。

 

2017
<4 安定>

 

セラピストとしての活動が

活性化してきました。

 

それ以前から続けていた

もうひとつのお仕事はこの年の春

辞めることに。

 

イベントやワークショップなど

いろいろあたらしい挑戦も

積極的にしていたかなと思います。

 

 

2018
<5 変化>

 

セッションのスタイルがより

オリジナルになっていったり、

セッションの場所が変わったり

したかと思います。

 

模索がいろいろあったかな。

 

2019

<6 手放し>

 

手放しました……。

 

実は2014年から

セラピストのお仕事のことと

同時進行というか、

セットのように

あるテーマがはじまっていて、

 

無我夢中でとり組んできた

セラピストのお仕事は

順風満帆な流れがありましたが、

 

一方でもうひとつのテーマの方は

暗礁に乗り上げたように感じられました。

 

だからこそ、

自分にたっぷり向き合うことができて

自分の中にある「執着」や「依存心」などが

ガンガンに手放されることに。

 

服部みれいさんの声のメルマガの

スタッフとしてのお仕事は

この年からはじまりました。

 

お仕事を通して自分の特性を開花させていく

ということに関してはこの9年周期の間

ずっと停滞することなく進行してきたように

感じられています。

 

そのためのつながりや出合いに

ずっと感謝ばかり。

 

 

2020

<6 内省>

 

内省しました……。

 

内省したとしかいえない1年。

 

名前がなくても、

誰にも証明できなくても、

自分が自分の真実を信じて

生きるしかないんだなということ。

 

しんどかったけれど、

 

見えなくても、さわれなくても、

絶対に失われないものが

自分の中にあることに

気づけたのならそれが最強です。

 

その気づきのために、

徹底的に、かたちも名前もない真実を

「自分だけは信じられますか?」と

わたしがわたしに問い続けていたような1年。

 

宇宙の「無条件の愛」の

「無条件」ってどういうことなのか

自分バージョンで理解するために。

 

 

そして今年。

2021年

<8 収穫>

 

この9年周期を昨年末に知って、

あまりにその通りに過ごしてきた

自分に驚愕しつつも、

 

今年が「収穫」来年が「完結」

であることにこころの底から安堵しました。

 

あ〜、どんなかたちであっても、

終わるんだなあ! と。

 

自分が用意した自分のシナリオは

最後まで自分がやりきるしかないのだ

ということも。

 

今年ももう折り返して、

なにが自分にとっての「収穫」なのか

まだ完全にわかっていませんが、

 

「期待」というのは

超エゴった感覚ですため、

期待から自由でありたいです。

(手放しと内省の2年間で徹底的に向き合った

エゴった自分……)

 

でも、希望はもっていていいよね

って思う。

 

 

また、「収穫」の1年とはいえ。

 

今自分がテーマと感じてとり組んでいることは

意外と地味だったりします。

 

手放しと内省の2年間の延長ともいえますし、

 

今わたしがやることは

この3つくらいかな?

と思えることがあって、

毎日シンプルに

それに向き合ってみています。

 

今は誰もが人のことを

気にしている場合ではないというか、

自分のテーマをこなしていくしかない

ときなのかなって思います。

 

ミナミ・A・アシュタールさんの

『身体を持って 次の次元へ行く 2』に

 

大切なのは「結果」ではなく「経過」

といったことが書かれていました。

 

結果に期待することは執着になるから

実はよい結果を遠ざけてしまう。

 

でも、経過(プロセス)をたのしんでいられたら、

「たのしい」という自分の波動が

自ずとよい結果を引き寄せる。

 

「期待」って、

実はトラップなのだと思います。

 

わたしはもうエゴった自分は

うんざりですため、

執着からも

期待からも

自由でありたいです……。

 

なにが収穫でもいいし、

なにが完結でもいい。

 

どんなプロセスにある自分も愛したいですし、

どんなプロセスにある人も愛したいです。

 

 

なにも考えずに書きはじめましたが、

今日はこんなん出ました。

 

 

 

とにかく自分に全集中だっちゃ!

(なぜかラムちゃん

 

 

http://healingroom3.com

 

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アメリカン ユートピア」観てきました。

デヴィッド・バーン師匠の知性とユーモアと愛に

ひたすら感動……

 

トーキング・ヘッズ、10代のときレンタルCDショップで

借りて聞いていたと思うけど、憶えているのはジャケばかりで

曲はあまり憶えていない……。

というわけで、このおじさん誰?な方でもきっとたのしめる!)

 

 

往年のスター感皆無。

どや感皆無。

ひたすら今というときに

アップグレードされてきた

最新版のお姿にほれぼれします。

 

「わたしたちにはまだ開かれていない可能性がある」

「大切なのはひとりひとり」

ユートピアは自分からはじまる」

 

そんなメッセージに涙。


志村けんの変なおじさんのダンスにまけないほどの

デヴィッド・バーン師匠のユーモアたっぷりのダンスにも魅了されます。

 

それにしてもどうしたらあのようなメンバーが集まるのでしょうか?

ダンサーなの? アクターなの? ミュージシャンなの?

誰もが超越的に全部をこなしていて驚きます。

 

 

実はこの日はひとりフェス的に

アレサ・フランクリンの教会での公開録音風景を記録した

アメイジング グレイス」もはしごして観てきました。

 

時間がぎりぎりだったため、

ステージ(映画館)をいそいで移動する気分も

フェスっぽかった。

 

どちらの映画も

ライブを観ている感覚になるため、

からだを揺らしたくなるし、

曲が終わると拍手したくなるのですが、

 

映画館でお隣だった女性が、

アレサが歌い終わるたびに拍手しそうになって、

ハッと手を下ろすという動きが

最後までおさまらなかったところに

内なる興奮や感動を感じてかわいかったです。

 

 

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テイクアウト専門のバインミー屋さんで。

(食べかけで失礼を!)

 

路上のベンチで食べたこともフェスっぽかったのかも。

めちゃおいしかった!

 

 

フィッシュマンズドキュメンタリー映画

いよいよ公開のため

ひとりフェス続きます。