Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

名前をつけなければ苦しみは生まれない/「きょとーん」の極意

 

服部みれいさんが

声のメルマガやnoteで

マドモアゼル・愛さんの

動画のすばらしさについて

熱く語られていて、

 

(それはもうほとばしるほどに熱く!)

 

今マーマーガールの間に

マドモアゼラーが

続出中かと思われますが、

 

わたしも

「マドモアゼル・愛」

というお名前と、

そのお姿のギャップと、

 

声と語りのすばらしさ、

そしてなんとも

みずみずしい感性に

魅了されて、


少し前から動画を

チェックしていました。

占星術の超有名な方とも知らず……)

 

 

きっとそれぞれに

「マイフェイバリット マドモアゼル・愛」

があることかと

思うのですが、

 

わたしはこの動画に

グッときました。

 

 

◎苦しみや悲しみという

感情は本当はない

 

◎感情に名前をつけなければ

体験が通り過ぎるだけ

 

◎パニックになるほどの

感情におそわれても

風に吹かれるように

ただ受け入れると

激しい感情は

20秒ともたずに過ぎ去っていく

 

◎その体験は人生の宝物となっていく

 

といったお話なのですが、

 

 

最高なのは、

この激しい感情を受け入れて

過ぎ去ったあとの境地を、

 

マドモアゼル・愛先生は

「きょとーん」と表現されていて

 

この「きょとーん」が

今わたしの大ブームです!

(文字だとニュアンスが伝わらないので

ぜひ動画で!何度か出てきます「きょとーん」)

 

 

ここでマドモアゼル・愛先生が

お話されていることは

 

ケルマデックさんの

「鬼を認めて」

「鬼を出す」

ということと

同じことなのだとも

思います。

 

ケルマさんは

「わたしたちは意味を求める」

という説明をしてくれていますが、

みれいさんとの動画

公開が延長されていて

まだみられますよ!)

 

マドモアゼル・愛先生が

お話されている

「感情に名前をつけるから続く」

というお話は

まさに形態形成場のことと

思いますし、

 

とにかくわたしたちは

自分の体験したことに

べったりと

こってりと

意味や名前をつけて、

 

場をつくって

くり返してきて

 

そのこってり加減に

胸焼けしまくってもきて、

 

でもその

べったりと

こってりと

塗りたくってきた

なにかが

 

まるで価値のように

なってしまって、

 

胸焼けしつつも

さらに上塗りしてきた……

 

場をより強固に

してきたんだなあと。

 

 

ケルマデックさんの

コイン占いを受けたとき

 

わたしは

場にはまりまくった

位置から

相談をしていました。

 

もはや説明できない

涙もいっぱい流れてきた。

 

(今生のことでもないということなのに

ケルマさんは秒で理解されていました)

 

今考えると

わたしが思っていた

解決や解放というのも

所詮、場の中でのこと

だったのだと思う。

 

謎の涙が止まらなかったのも

場から出ることに

自分が抵抗を感じた

からなのかと。

 

話の流れは

しっかり

憶えていないのですが、

 

もうわたしは

おしまいにしたい

一心だったことが

まだ続くような

話の流れに

フリーズしてしまって、

 

大泣きしながら

「それでいったい

どうなるのでしょう……」

ってつぶやいたら、

 

「どうなるなんて

考えなくていいんです!」

ってケルマさんは言いました。

 

わたしはまた

名前をつけようと

していたんですね。

 

 

ケルマさんの

コイン占いの

個人セッションを受けたのは

2月のことです。

 

コイン占いの

易を読んで

教えていただいた

場を変えるための

アイテムを肌身離さず

持って過ごしてきましたが、

 

きがつけば

「きょと〜ん」

の境地に近づいている

ような……(笑)

 

あとひといき!

というところは

ありますが。

 

 

どんな体験であっても、

魂にとって

失敗というものは

存在しない。

 

ということは

よく言われることです。

 

たとえば

受験に失敗した

としても

 

それを

体験してみたかった

魂にとっては

 

「受験に失敗する」

ということに

成功している。

 

大失恋などもしかりで。

 

(こっちは大泣きしてるけど

本体である魂的にはひゃっほー!

みたいなことがいっぱいだったのかと……)

 

 

 

地球は

このバリエーションが

すごいので、

 

ディズニーランドの

アトラクション全部乗る!

みたいなきもちで

 

魂的には

モリモリに

ミチミチに

体験を設定してきた

かと思うけど、

 

輪廻という

トラップとも

あいまって

 

特定のアトラクションに

はまり込んでしまって、

 

外に出て

パレード見てもいいのに

 

無限ホーンテッドマンションとか

 

無限スペースマウンテン

みたいなことになってたり

したんだなあ〜って。

 

 

これはどんどん

かつてのお話に

なっていくこととは

思いますが。

 

ちなみに

わたしは

「きょとーん」の境地に

なれてきたからか、

 

以前は思ってもみなかった

ビジョンを受け入れることが

できました。

 

プラスにもマイナスにも

ビジョンが拡大して

そのどれでも

受け入れられるような

きもちになった。

 

(マイナスの方はできれば

体験したくないけど

マイナスも受け入れられる

キャパが広がったから

プラスも拡大したと

感じています)

 

そういうパラレルが

あるんだなあって。

 

(自分が拡大したからそのパラレルが

生まれたってことなのでしょうね)

 

 

 

体験にも感情にも

名前や意味をつけず、

 

ただ受け入れて

流していくという、

 

「きょとーん」の極意は、

 

これからも

ぜひ身につけて

いきたいって

思っています!

 

 

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さっきもらったスナップえんどう。

 

うちの庭は

裏の家のかなり大きな家庭菜園に面していて、

 

ちょうどいい目隠しに

桃の木と柿の木もあったりして

借景としてもありがたいのですが、

 (この地域にずっとお住まいの方たちなのですが、新入りのわたしたちへのウエルカム感も最初からいっぱいで、娘が小中学生の頃からとてもお世話になってきました)



さっき庭に出ると

裏の家の方が畑仕事をしていて、

 

「スナップえんどういる?」と聞かれて

 

「いいんですか……」

といいつつ、

 

もらう氣満々でザルを用意して

向かいましたら、

 

山盛りの収穫を

モリモリにわけてくださって、

 

わしずかみで

威勢よくスナップエンドウ

盛っていくようすが、

 

ストップって言われるまで

盛り続けるという

こぼれいくら丼の

パフォーマンスのようで(笑)

 

「よいしょ〜!」とか

かけ声をかけたい雰囲気で、

爆笑してしまいました。

 

ありがたいです。

 

畑のこといろいろ

教えてください

って言えたし。

 

なんか

とってもたのしかった!

 

 

 

いい曲。

ラップのところがすきです。

演奏者も観客も円になるのよいですね。

 

ゴールデンウィークのギフトは

おふたりの天才のライブ動画でした


 

 

 

 

 

 

落語とコスプレ/自分の責任で時空を選ぶ

 

一之輔ロス

大丈夫ですか……?

 

もはやなんのブログか?

という状況ですが、

本日も思いの丈を

あますところなく。

 

一之輔10夜。 

 

鈴本の4月下席

トリの出演が中止に

なってしまったことから、

 

出番であった

8時10分から

10日間

一之輔師匠の落語を

連続配信してくれる

という夢の企画。

 

千秋楽は

上野鈴本演芸場からの

配信でした。

 

いつもの寄席の

流れの通り、

前の出番の方が

あったかのように、

 

前座さんが

座布団をひっくり返して、

めくりをめくって、

(めくりは「小菊」となっていたので

三味線漫談の後ということなのかな)

出囃子が流れて、

一之輔師匠が登場するという

演出でした。

 

お囃子さんも生!(涙)

 

鈴本は300人くらい?

のキャパということですが、

 

YouTube配信で

鈴本の舞台を

1万2千人くらいで

観たというのも

画期的。

 

やむにやまれぬ事情により

ひねり出されたものが

伝統を更新していく。

 

これは今ひとりひとりにも

起こっていること

なのだとも思います。

 

今は自分を

更新する大チャンス!

 

苦しい状況は

続きますが、

 

しっかり自分をケアしながら、

反対の足を出し続けることを

絶対にやめないでいたいですね。

 

そして、

今はまだまだ

序章なのかも

しれないという

長期的な覚悟も

どうやら必要そうです……

 

 

さて!

 

落語に戻ります。

(戻るのかい!)

 

目当ての落語家を追いかけていても

その日どの噺が聴けるのかは

そのときのおたのしみです。

 

熱心なファンが

とにかく注目するのは

まくらからネタに入る瞬間、

どの噺がはじまるのか

というところ。

 

今回はYouTubeでの

配信ということで、

 

チャットが

盛りあがっていて、

 

羽織を脱ぐと

ネタがはじまる

合図だから、

 

「羽織ぬいだ!」

とか

ざわついてきて、

 

まくらの内容から

幇間(ほうかん)という

太鼓持ちが出てくる

ネタのどれかだと思うから、

 

「鰻の幇間?」

愛宕山?」

「鰻の幇間?」

愛宕山?」

 

とか、

ざわついたあげく

確信できる部分が出てきて、

 

「鰻の幇間〜〜〜っ!!!!」

ってなる瞬間を

 

みなさんが

共有してる感じが

超おもしろかった(笑)

 

寄席や落語会で

みんな脳内で

孤独にやってたことが

可視化されていたというか。

 

落語を聴きながら

チャットはどうなの?

という面はあるかと思います。

 

一之輔師匠も

「チャットが止まるほど

引き込んでないなら

自分の実力が足りないだけ」

みたいに言っていました。

 

でも、

どの噺なのかってときは

チャット見させて

ほしいって思った。

 

いつもみんな孤独だから(笑)

 

 

音鉄の人が

 

京急の1500系に乗って、

 

モーター制御装置が

「チョッパ型」か

VVVFインバータ」か

 

走り出すまで

ワクワクしてて、

 

「チョッパ?」

VVVF?」

「チョッパ?」

VVVF?」

 

京急走り出す)

 

「チョッパだった〜〜っ!!!!!」

みたいな(笑)

 

(鉄の方たち聞いただけでわかるんですよね)

 

この胸の高鳴りを

共有するのって

すばらしいことだな

って思います。

 

 

そういえば、

喬太郎師匠の落語会

のんびりしていたら

定員でした……。

 

YouTubeとはわけが違ったのね。

 

 

今日は

喬太郎師匠のことばを最後に。

 

先日読んだ

柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記』

から。

 

ケンブリッジ大学の学生からの

喬太郎師匠にとって落語をしゃべるということは」

という質問への返事です。

 

 

僕にとって落語は楽しいものです

楽しいということの中身は、

喜びだけではなく、

悲しみもつらいことも含めて、

楽しんでいるのだと思います。

 

落語は全部が自分の責任です。

誰のせいにもできない、

すべてが自分です。

 

だからおそろしくもあるのですが、

この落語の楽しさをお客様にも

感じて欲しくて、

僕は毎日落語を演っている。

 

ただ逆に、客席にウケたというのは、

すべてが自分だけの力ではありません。

既にお亡くなりになっている落語家の先達や

今一緒になっている先輩に影響されて

その教えを咀嚼して落語をやらせていただいているので、

自分だけでお客様に受け入れられているのではありません。

 

そして、そのことも喜びのひとつです。

 

 

「誰のせいにもできない

すべてが自分です 」

 

ホ・オポノポノですか?

統合ですか?

という境地です。

 

「古典!?本寸法!?くそくらえだよ!」

と啖呵を切ったりしつつ

喬太郎師匠が切り開いている

独自の境地もまたあるかと。

 

語り尽くせない喬太郎愛は

またあらためて!

(↑誰も待っていない)

 

 

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ねづっちです!的決めポーズのわたし

(ねづっちチャンネルあるのご存じですか?)

 

ケルマさんの講座 がzoomでの開催となり、

なんと参加者にコスプレ指令が!

 

ケルマさんブログを読んでいたのですが

時空を変えるコスプレ! | mixiユーザー(id:24566070)の日記

 

別の講座のことなのだろうと思って

油断しまくっていました……

 

とにかく上記ケルマさんの記事を

見ていただきたいです。

 

特に最後のケルマさんの

イラストによる説明。

 

爆笑です。

 

さてどうしたものかと

頭をひねって、

 

娘が持っていた

ジャンプスーツに

ガムテ貼って

 

超常戦士ケルマ部隊の一員という

設定にしました。

「黒船」のメカニック担当のつもりです。

 

 

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くわしい説明もせずこの格好で

家の中をウロウロしていたら、

家族にギョッとされましたが、

 

ケルマさんからの伝達の通り、

 

「地球を救うためだから」

と説明しました(笑)

 

それにしても、

ケルマさんという方には

いつまでも感動します。

 

2月に安曇野のワークショップに

参加したときにも

コイン占いの公開セッションを

見ることができて、

 

今回も3人の方の公開セッションを

見せていただいたのですが、

 

それぞれに内容も環境も

まったく違う中、

 

ケルマさんがお話しているうちに

みなさんみじかい時間で

みるみる表情が変わっていくのです。

 

わたしたちは

時空を選べる。

 

ケルマさんという存在は

それを確信させてくれます。

 

鬼滅の刃』の竈門炭治郎は

 

骨折れたり、

あごに刀貫通してたりしても

戦い続けるタフさと、

 

残忍な鬼に対しても

慈愛のこころで見送る

深いやさしさを

 

あわせ持っていますが

 

炭治郎って

ケルマさんだなって思います。

 

 

 

*ケルマさんとみれいさん。

お慕いしてならないおふたりの動画

https://www.youtube.com/watch?v=TjJC7ea1IvE&t=2495s

「あれ」の出現により配信延長されています!

まだご覧になっていない方はぜひ!!!!

 

 

コスプレ超おすすめです。

 

違う時空を選ぶ人の数が多いほど

事態は好転していくのだから、

「不謹慎」とか絶対ないです!

 

ケルマさん講座には

アマビエさまいっぱいいましたし!(笑)

 

 

 

時空は自分で選ぶのだっっ!

 

 

 

 

 

プヒャ〜!『岐阜マン』/出てくるものは止めちゃあいけねえ

 

「笠碁」

きましたね……。

 

*一之輔10夜が続く間は、落語寄りになりますこと

どうぞおゆるしください。

 

つまらない意地を張る

人間のかわいさ。

「笠碁」大好きです。

 

その前は

「らくだ」でした。

 

あらすじは

知ってたけど、

ちゃんと聞くの

はじめてだった。

 

らくだは大ネタと

いわれますが、

 

内容と言ったら

あるようでないわりに

とても長い話で、

落語家の力量がないと

引き込むのが難しい

お話なんだなって思った。

 

だから

真打ちの大ネタって

言われるのかな?


(話し相手がいなくて

もはや架空の落語好きのだれかと

話しはじめるわたし)

 

誰にも感情移入できないし、

いい話でもなんでもないけど、

この噺が古典としてずっと語られ、

ずっと聞かれているところが

落語という芸能らしいなと思う。

 

人の死を

結構辛辣に扱うから

この時期にやるのは、

人によっては控えそうだけど、

 

それとこれとはまったく別!

というところに、

「正しさ」を掲げて

批判するような風潮には

本当に辟易させられるので、

 

いつも通りということ

だとは思いますが

一之輔師匠の

迎合とは無縁なようすに

胸がすく思いになります。

 

スーパーチャット

というのでしょうか

投げ銭システムは

昨日今日はお休みだそうです。

 

想像以上の額が

集まったからのようです。

 

やりすぎないところも

落語家らしいのかもしれません。

 

一之輔ロスになる暇も無く

喬太郎師匠の落語会もあります。

 

もうわたし落研はじめたら

いいんでしょうか?(笑)

 

 

「出てくるものは、止めちゃあいけねえ」

っていうサゲで終わる

新作落語の準備はあります。

 

 

 

みなさまは健やかに

お過ごしでしょうか。

 

わたしはこの機会に

からだのケアに集中

できています。

 

昨日半身浴を

気が付けば2時間半。

(落語見てました(笑))

 

雨が上がったからと

近所の陸上競技場の外周を

歩きにも行って、

1時間少々歩いたり。

 

歩くときはあえて

音楽聴いたりしないように

しているのですが、

 

だんだん瞑想状態に

なっていって、

ずっと歩いていたい

感じになってくるのが

おもしろいです。

(めちゃめちゃ合法)

 

つくるのがめんどくさいのも

あるのですが、

食べる量も少なくなっています。

 

瞑想もしています。

 

YouTubeの動画は

一時にくらべて

あまり見なくなってきました。

 

今は

自分に潜って知ることが

すごくおもしろいです。

 

 

刻々と変化していく

あたらしい流れに

乗っていくために、

 

自分に合った方法で

出てくるものは

全部浄化することと、

 

静かに進み続けることを

今は続けています。

 

 

 

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プヒャ〜!

岐阜マン届いた!

 

目にとまると

一気に脱力にいざなってくれる

この不思議さとかわいさ。

 

今いちばんうれしいもの

って思います。

 

サッカー好きの著者の塚原裕基さんが

FC岐阜のキャラクターを

「勝手に」考えて、

 

「せっかくだから」と

フリーペーパーの漫画として

スタートし、

 

「10年くらいかけて」

休みの日に奥さまと岐阜県

全市町村を回って描かれたという1冊で、

 

岐阜県美濃市

エムエム・ブックスから発売。

 

この経緯のすべてに

未来感を感じています。

 

 

 

服部みれいさんが紹介されていた

『大転換期の後 皇の時代』

という本の中には、

 

今という

転換期、移行期のあとには

 

人はそれぞれ固有の

「魂職」で働いていくという

内容がありました。

 

「魂職」は熱心に

営業したりしなくても

必要とされ、

かたちになったり

収入となったりするのだと。

 

岐阜マンを読んでいて

岐阜ガイドとしても

つっこみどころ満載の

シュールな漫画としても

おたのしみがいっぱいなのですが、

 

著者の塚原さんは

サラリーマンのかたわら

漫画を描かれてきた

とのことで、

 

馬の絵や

町並みの絵の

確かな画力に

びっくりします。

  

「頼まれなくても勝手にやってしまうこと」

「長年ずっと続けてきたこと」

 

わたしの場合はなにかなあって考えてみました。

 

 

確実にひとつあるのは

「ほめ」

 

わたしは相手から受け取ったものが

うれしくてたまらなくなってしまって

なんとしてもお返しせずにはいられない性分で、

 

(ものというよりは、その人の魅力とか

その人の行為とか、エネルギーで受け取ったもの)

 

それが「ほめ」となってしまうのですが、

 

お世辞とか持ち上げるとかじゃなくて

わたしにとって「ほめ」は感謝なのです。

 

 

あと、

 

わたし自身も

そうかもしれないのですが、

人というのは大抵自分の魅力を

ありえなくらい小さく見積もって

しまっているものかと思います。

 

この本来の自分と

見積もりの自分の

乖離を調整したい欲がある。

 

アーンド「ほめ」。

 

それが仕事として

 どんなかたちにできるのかは

まだわかりませんが、

 

これは自分に合っていることだし、

こころからやりたいと思うことの

ひとつだなと……

 

 

 

 

プヒャ〜!

 

手書き文字の『岐阜マン』に

こめられた魂に触れて、

わたしも自分の魂職に思いを

はせてしまいました。

 

岐阜マンの魂、全国へ!

 

 

 

 

あと、コスプレ決まりました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

落語が見せてくれる未来/かめはめ波!ならぬエバネッセント波!

 

連投せずにはいられませんのは、 

 

 第5夜は

「青菜」でしたね!

 

(本日も落語率98%くらいですが

どうぞおつきあいをいただけましたら……)

 

一之輔師匠がなぜ

真夏の話である

「青菜」を選んだのかは

まくらを聞くとわかります。

 

前日の一之輔師匠の

「千早ふる」を受けて

なんと小三治師匠が

同じ噺をどこかでやったらしく、

 

小三治師匠の得意な

「青菜」をあえてやることは

一之輔師匠のアンサーなのです。

 

小三治師匠の「青菜」

独演会で見たことあるけど、

最高にチャーミングなんです。

小三治師匠のキラースマイルに

胸も射貫かれます)

 

 

しびれました。

 

落語家はこういうことを

よくやります。

 

 

小三治師匠は

人間国宝となって

もう久しいのかもしれませんが、

 

落語家たちには

称号のようなものは

どうでもよいのでは

ないでしょうか。

 

もちろん上下というか

師匠と弟子、先輩後輩は

徹底された世界ではありますが、

 

高座の上では

師匠や先輩をしのぐほどの

芸をしてみせることが

恩返しとなるのです。

 

 

小三治師匠は

年齢もあるので

最盛期というのは

過ぎてはいるかと思います。

 

けれども、

 

若い一之輔の「千早ふる」に

(サゲも「ググる」だったり

現代風になっています)

奮い立つものがあったのかと

思いますし、

 

小三治師匠を真っ向から

受け止めるかのような

一之輔の4月の「青菜」。

 

個の違いを損なわずに

お互いを引き上げることで

落語という全体を引き上げて、

 

時代に合わせて更新してきた

落語家の現場そのものという感じ。

 

視聴者から

「お金を払わせてほしい」という

コメントがたくさんあって、

投げ銭ができるようにも

なっていたのも最高。

 

そう!

喬太郎師匠の独演会も

ウェビナー形式で

開催されるとのこと。

 

 

今小さな船である

芸人さんや

個人経営のお店などは

とても苦しい状況が

続いています。

 

でも、

この大きな時代の移行期に

逆に機動力のある

個人や小さな組織の方が

対応しやすいことも

たくさんあるのかと感じます。

 

 

物理学者の保江邦夫さんが

新型ウイルスによる状況のことを

話していた中で、

 

大きな船とすれ違うとき

小さな船は

どうしたらその大きな波の

影響を受けずに進むことができるか

というお話をされていて、

 

大波がくるから

じっと耐えるのではなく、

 

むしろ小舟は動力を上げて

進むといいそうなんです。

 

船が進むと

舳先に波が生まれますよね?

あの波を物理学では

エバネッセント波」と

呼ぶそうなのですが、

 

要はこのエバネッセント波は

バリアのようになって

くれるのだそうです。

 

ウイルスから身を守るのだ!

とこの時期を過ごすことよりも、

 

この状況でもできることを

個々に考えて

それぞれの小舟を進めること。

 

これはどうやら

シールドともなる。

 

エバネッセント波と愛についても

話は続いていましたが……。

出典YouTubeです)

 

 

落語だけじゃなく、

 

どんなお仕事でも

 

本氣の本氣の

本物の本物は

 

絶対になくならない

って思います。

 

エネルギーを受け取ったら

見合うものを交換するのは

あたりまえだから、

 

お金というかたちでも

別のかたちでも、

 

受け取った方が

お願いしてでも

投げ銭的な交換は

これからも

自然発生するのだと思う。

 

 

それにしても

困りましたのは……

 

後日くわしく

お伝えしますが、

 

急遽コスプレの準備を

する必要ができまして……

 

家にあるもので

どんなコスプレができるのか

これから頭をひねります。

 

 

 

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ある日の散歩道

 

 

 

 

 

 

業(ごう)から自由になって、自分を表現する

 

新月のあとに

夜通し雨が降って、

朝にはカラリと晴れました。

 

他の地域では

どうなのかわかりませんが、

 

うちのあたりでは、

 

強い雨が短く降って、

さっとやむ。

 

強い風がビュービュー吹いて

さっとおさまる。

 

ということが

最近多いです。

 

「洗濯」と

「乾燥」みたいで、

 

世界がせっせと

洗われているようです。

 

洗っても洗っても

追いつかないくらい

わたしたちが汚してもきたことを

あらためて感じてもいます。

 

環境ということ

ばかりではなく、

ネガティブな想念でも……

 

 

なんてことを思いながら

 

伸びてきた襟足がじゃまで

もう結んでしまえばいいのか!

と後ろにちょんと結んでみたら、

 

(先日セルフカットに失敗して

これ以上手を出せなくなっている)

 

これって……、

 

超短いバージョンの

きみまろさんスタイルじゃない?

 

って、

娘に見せたら

ウケてました。

 

 

【おしらせ】

本日ここからほぼ落語の話題になりそうです……

わたしとしてはスピった話でもあるのですが。

どうぞおつきあいただけましたら!

 

 

一之輔チャンネル

10日連続生配信の

第4夜が過ぎて、

 

第3夜にはじめて

ライブで見たのですが、

(半身浴しながらお風呂場で)

 

落語を生で見ていて

いちばん注目するのは

どのネタを選ぶのか

というところです。

 

落語家の方たちは

そのとき

その土地

その観客

すべてをリーディングして

演目を舞台上で決めます。

 

そうじゃない

場合もありますが、

 

今回一之輔師匠は

鈴本の夜の部のトリとして

本来なら出演している

時間帯に生配信してくれているので、

 

いつも鈴本でそうしているように

高座に上がってから

演目を選んでいる。

 

地元の千葉県野田の恩師や

ヨーロッパ公演のときの関係者や

普段の寄席ではありえない

幅広い層の人が世界中で

見ているという状況で、

 

どの演目を選ぶのか……

というのは本当に

見ていておもしろくて、

 

まくらから

「百川(ももかわ)」が

はじまったときには、

 

思わず風呂場で

「百川!!!」

と叫んでいて、

 

なにごとかと娘が

のぞきにきていました。

 

 

こんなときだし、

 

10夜連続生配信ということで

特別に注目されているし、

 

「芝浜」みたいな

人情話の大ネタのようなものを

期待されたりするようですが、

 

一之輔師匠は芝浜なんて

いい話でもなんでもないと、

 

一之輔が演じる

「1分で芝浜」みたいなのが

まくらの中で聴けたのもお宝でした。

 

 

スピリチュアルな領域でも

かつての分離の時代向けの表現から

大きな更新の必要があるように、

(かつてのままだと逆に波動を重くしてしまうというか)

 

落語の世界でもまた

同じような更新が

きっと起こっているのかなと

感じます。

 

 

今も根強いファンが多い

立川談志

 

「落語とは人間の業(ごう)の肯定である」

いいました。

 

談志が演じた「芝浜」には

伝説の芝浜といわれているものもあります。

 

業ってようするに

カルマってことになると

思いますが、

 

今カルマティックなことは

大浄化のために

噴出している時期

なのかと思います。

 

その先でも完全に無くなる

わけでもないのかとも

思います。

 

でも

 

わたしたちは

限りなく業が希薄になっていく

世界に進むんだと思うんです。

 

 

これまでは、

創作や表現は

業とセットだったかも

しれないのですが、

 

これからは

ただ存在の肯定があって、

 

そのときそのときの

おかしみを味わったり、

 

新たな組み合わせを

たのしんだり、

 

落語に限らず

最先端の表現者たちは

もうこういう境地で

やっているのかなって。

 

超みじかいバージョンの

きみまろスタイルで

考えました。

 

 

一之輔師匠の10夜連続生配信

本日第5夜かな。

 

 

一之輔師匠が手探りで

配信での落語の届けかたをつかんでいく

ドキュメンタリー性にもグッときます。

 

これからが見どころかと!

 

 

 http://healingroom3.com

 

 

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きたーーーーーっ!!!!

(服部みれいさんの日めくりカレンダーです)

 

もう今はこれにつきると思っています。

 

 

たまたま見つけた、マトリョーシカ屋で買った、

マトリョーシカじゃない人形もいっしょに。

 

目も肌も透き通るようだったロシア系のアルバイトの女の子が、

「こんな見た目なんですけど、日本語しかしゃべれないんです……」

と言っていたのがおかしかった。

 

 

 

 玄関先の小手毬が満開。

 

ちなみにこの棚D.I.Y 

 

 

 

 

 

鏡に映っている人を笑わせるには?/世界が変わる順番

 

自分の体験する世界は

自分の鏡だということは

いろんなかたちで

伝えられています。

 

集合意識の鏡でもあるから、

 

ことはもう少々

複雑なのかとは

思いますが、

 

鏡に向き合って

「鏡の中の人が笑わないんです!」

と不満を訴えるのは、

 

ナンセンスということは

わかります。

 

先に自分が笑うから、

 

鏡の中の人も笑う。

 

はじまりは

つねに自分というのは

鉄板の法則なのかなと。

  

そして、

 

社会や他者という

鏡がなくても

自分はあるのだけど、

 

鏡を見て

はじめてわかることもある。

 

「はっ!わたし鼻毛が出ていた!」

 

とか。

 

(本来の自分ではない

記憶、観念、周波数を

本日は鼻毛とさせてください)

 

鼻毛が出ていることは

自分にとって好ましくないから、

 

自分を映し出す

他者が現れたりするんだけど、

 

ここでわたしたちは

その相手が自分の鼻毛を

教えてくれる存在と

すっかり忘れて、

 

「むき〜っ!」

となってみたり、

 

「どうして?」

となってみたり、

 

「ひどい!」

となっみたり、

 

外側のこととして

反応してしまったりする。

 

 

これ今、

完全に自分のこととして

書いていますよ。

 

数年前から

 

「これっていったいなんなんだろう!?」

って思ってきた出来事があって、

 

「なぜ?」「どうして!?」と

ずっと外側のことして

なんとかしようと

してきたかと

思うのですが、

 

すべてはわたしの

鼻毛のおしらせ

だったというか(笑)

 

 

わたしは鏡の中に

笑った顔が見たい

ということに

囚われすぎていて、

 

思い詰めてしまって

いたのだけど、

 

いやいや、鏡なんで。

 

わたしが思い詰めていては

思い詰めた顔が映るだけです。

 

 

思いますのは、

自分が特に反応する出来事、

特に反応する相手というのは

完全に自分の鏡で

 

鼻毛のおしらせ

なのだということ。

 

鏡の中を直接

コントロールして

鼻毛をなんとかしようと

パニックになったりもして、

 

本当の鏡なら

鏡の中に手を下すことが

出来ないことはわかるけど、

 

他者として現れていると

コントロールできそうに

思えちゃうんですよね。

 

 

完全に鏡ってわかると

どうしたらいいかがわかる。

 

自分が鼻毛を

きれいにすればいい。

 

 

鏡の中に

こころから満足して

笑っている顔を見たいなら、

 

自分が

こころから満足して

笑えるようにするしかない。

 

 

今は本当に

自分が自分の手を引いて

トンネルを抜けていくような

時期だと感じています。

 

鼻毛が出たままだと

光の下に出られないから、

(その周波数を持ったままだと

その先には出られない)

 

それぞれに

鼻毛のおしらせイベントを

自分が自分に

用意しているような

時期なのかなとも

想像します。

 

わたしも

「これはいったいなんなんだ!」

と思ってきたイベントの中で

 

数年かけて

自分の中を掘り起こすことができたこと

今思えば本当によかった。 

 

自分がクリアリングされたからこそ

これから見える鏡の中の世界を

たのしみにもしています。 

 

(クリーニング、統合はずっと続くことですが!)

 

わたしの個人的なこととして

書きましたが、

 

今世界規模で起こっていることも

やはり同じことなのかなとも思います。

 

わたしたちは

鏡に映る世界を

もう変えたい。

 

だとしたら

わたしたち自身が

変わるしかない。

 

集合意識を変えるためには

やはりこれほどの出来事が

必要なのかと感じますし、

 

これからわたしたちが

どこまでクリアリングできたかが

そのまま世界という鏡に

映っていくだけなのだと思う。

 

規模が大きくても小さくても、

 

自分にできることは

自分の鼻毛をきれいにすることと

自分をこころからの笑顔にすること

だけなんだと思っています。

 

 

 http://healingroom3.com

 

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わたし史上最高セクシーショット。

 

これ確かニットだったから

母が編んだのかも。

  

変色すごいのは昭和だからよ。

 

 

 

 

 

「小確幸」にたちもどる/満足の自給自足

 

村上春樹さんの

初期のエッセイに

 

小確幸」というものが

登場していましたよね。

「小さいけれど確かな幸せ」

略して「小確幸」。

 

(読み方「しょうかくこう」でしたよね?)

 

現在、

暮らしが制限的に

なったかのようで、

 

実は、

消費的ではない、

そして

外側に振り回されない、

 

それぞれの小確幸

たちもどるために

 

この上ない

毒抜き期間を

与えらているのかと

感じています。

 

家族がみんな家に居て

毎日3食つくるのがしんどい……

というお母さんも

多いのかと思うのですが、

 

「ごはんをつくるのはお母さん」

とか

「食事は3食」

とか

 

そうじゃなくてもよくない?

という習慣が

あぶり出されてきたり。

 

(うちは娘は3食だったり2食だったり、

父さんは朝は食べない、わたしは夜はつまむ程度と

食事の回数が各自ちがう) 

 

ちなみに、

うちは3人家族なのですが、

 

全員違う部屋に寝ています。

 

それぞれ

自分のタイミングで寝て

自分のタイミングで起きて、

 

 

とにかく自分のすきなことを

自分のタイミングですることを

お互いがじゃましないように

自然になっていっている。

 

必要なときには

すぐに集まって協力できるけど、

基本は一人暮らしの集団の

ようなかたちでいると

 

わたしの場合

ストレスはごく少ないです。

 

 

 

朝はわたしが一番はやく

起きるのですが、

 

掃除とか

洗濯とか

ゴミをまとめて出したりとか

必要な家事を

バーッとやってしまってから、

 

小さい庭を眺めながら

ひとりでゆっくり

朝ご飯を食べる時間が

今はとてもすきです。

(これぞ小確幸……)

 

 

  

昨日は娘がネットで調べて

スコーンを焼いていて、

 

「お菓子作り向いてるかも♪」

と本人ご満悦でした。

 

(造形的には

「失敗」に属するのでは……

とこちらは内心思いつつ)

 

また、

夫は卓上でコーヒーを

生豆から焙煎しはじめて、

 

たぶんその行為自体よりも

道具一式にご満悦なんだろうなと、

やや冷ややかにながめつつ、

 

今日の朝食では

ありがたく、

スコーンとコーヒーを

いただきました。

 

 

ちなみに、

鬼滅の刃』を家族にも

すすめてみたところ

まったく食いつきませんでした。


(もろもろ、わたしがいちばんくせが強いです)

 

家庭内でも

満足は自給自足で、

 

自分を偽らず表現して

 

ちがいに感謝を。

 

そんな風に

いられたらと

思っています。

 

 

 

 http://healingroom3.com

 

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ある日の散歩道

 

 

書き忘れた!

先日、noteにはじめて記事を書いてみました!

服部みれいさんのお話を聞いて

あまりに溢れてきた思いを!

 

透き通る世界を生きる|榎本かおり|note