名前をつけなければ苦しみは生まれない/「きょとーん」の極意
服部みれいさんが
声のメルマガやnoteで
マドモアゼル・愛さんの
動画のすばらしさについて
熱く語られていて、
(それはもうほとばしるほどに熱く!)
今マーマーガールの間に
マドモアゼラーが
続出中かと思われますが、
わたしも
「マドモアゼル・愛」
というお名前と、
そのお姿のギャップと、
声と語りのすばらしさ、
そしてなんとも
みずみずしい感性に
魅了されて、
少し前から動画を
チェックしていました。
(占星術の超有名な方とも知らず……)
きっとそれぞれに
「マイフェイバリット マドモアゼル・愛」
があることかと
思うのですが、
わたしはこの動画に
グッときました。
◎苦しみや悲しみという
感情は本当はない
◎感情に名前をつけなければ
体験が通り過ぎるだけ
◎パニックになるほどの
感情におそわれても
風に吹かれるように
ただ受け入れると
激しい感情は
20秒ともたずに過ぎ去っていく
◎その体験は人生の宝物となっていく
といったお話なのですが、
最高なのは、
この激しい感情を受け入れて
過ぎ去ったあとの境地を、
マドモアゼル・愛先生は
「きょとーん」と表現されていて
この「きょとーん」が
今わたしの大ブームです!
(文字だとニュアンスが伝わらないので
ぜひ動画で!何度か出てきます「きょとーん」)
ここでマドモアゼル・愛先生が
お話されていることは
ケルマデックさんの
「鬼を認めて」
「鬼を出す」
ということと
同じことなのだとも
思います。
ケルマさんは
「わたしたちは意味を求める」
という説明をしてくれていますが、
公開が延長されていて
まだみられますよ!)
マドモアゼル・愛先生が
お話されている
「感情に名前をつけるから続く」
というお話は
まさに形態形成場のことと
思いますし、
とにかくわたしたちは
自分の体験したことに
べったりと
こってりと
意味や名前をつけて、
場をつくって
くり返してきて
そのこってり加減に
胸焼けしまくってもきて、
でもその
べったりと
こってりと
塗りたくってきた
なにかが
まるで価値のように
なってしまって、
胸焼けしつつも
さらに上塗りしてきた……
場をより強固に
してきたんだなあと。
ケルマデックさんの
コイン占いを受けたとき
わたしは
場にはまりまくった
位置から
相談をしていました。
もはや説明できない
涙もいっぱい流れてきた。
(今生のことでもないということなのに
ケルマさんは秒で理解されていました)
今考えると
わたしが思っていた
解決や解放というのも
所詮、場の中でのこと
だったのだと思う。
謎の涙が止まらなかったのも
場から出ることに
自分が抵抗を感じた
からなのかと。
話の流れは
しっかり
憶えていないのですが、
もうわたしは
おしまいにしたい
一心だったことが
まだ続くような
話の流れに
フリーズしてしまって、
大泣きしながら
「それでいったい
どうなるのでしょう……」
ってつぶやいたら、
「どうなるなんて
考えなくていいんです!」
ってケルマさんは言いました。
わたしはまた
名前をつけようと
していたんですね。
ケルマさんの
コイン占いの
個人セッションを受けたのは
2月のことです。
コイン占いの
易を読んで
教えていただいた
場を変えるための
アイテムを肌身離さず
持って過ごしてきましたが、
きがつけば
「きょと〜ん」
の境地に近づいている
ような……(笑)
あとひといき!
というところは
ありますが。
どんな体験であっても、
魂にとって
失敗というものは
存在しない。
ということは
よく言われることです。
たとえば
受験に失敗した
としても
それを
体験してみたかった
魂にとっては
「受験に失敗する」
ということに
成功している。
大失恋などもしかりで。
(こっちは大泣きしてるけど
本体である魂的にはひゃっほー!
みたいなことがいっぱいだったのかと……)
地球は
このバリエーションが
すごいので、
ディズニーランドの
アトラクション全部乗る!
みたいなきもちで
魂的には
モリモリに
ミチミチに
体験を設定してきた
かと思うけど、
輪廻という
トラップとも
あいまって
特定のアトラクションに
はまり込んでしまって、
外に出て
パレード見てもいいのに
無限ホーンテッドマンションとか
無限スペースマウンテン
みたいなことになってたり
したんだなあ〜って。
これはどんどん
かつてのお話に
なっていくこととは
思いますが。
ちなみに
わたしは
「きょとーん」の境地に
なれてきたからか、
以前は思ってもみなかった
ビジョンを受け入れることが
できました。
プラスにもマイナスにも
ビジョンが拡大して
そのどれでも
受け入れられるような
きもちになった。
(マイナスの方はできれば
体験したくないけど
マイナスも受け入れられる
キャパが広がったから
プラスも拡大したと
感じています)
そういうパラレルが
あるんだなあって。
(自分が拡大したからそのパラレルが
生まれたってことなのでしょうね)
体験にも感情にも
名前や意味をつけず、
ただ受け入れて
流していくという、
「きょとーん」の極意は、
これからも
ぜひ身につけて
いきたいって
思っています!
さっきもらったスナップえんどう。
うちの庭は
裏の家のかなり大きな家庭菜園に面していて、
ちょうどいい目隠しに
桃の木と柿の木もあったりして
借景としてもありがたいのですが、
(この地域にずっとお住まいの方たちなのですが、新入りのわたしたちへのウエルカム感も最初からいっぱいで、娘が小中学生の頃からとてもお世話になってきました)
さっき庭に出ると
裏の家の方が畑仕事をしていて、
「スナップえんどういる?」と聞かれて
「いいんですか……」
といいつつ、
もらう氣満々でザルを用意して
向かいましたら、
山盛りの収穫を
モリモリにわけてくださって、
わしずかみで
威勢よくスナップエンドウを
盛っていくようすが、
ストップって言われるまで
盛り続けるという
こぼれいくら丼の
パフォーマンスのようで(笑)
「よいしょ〜!」とか
かけ声をかけたい雰囲気で、
爆笑してしまいました。
ありがたいです。
畑のこといろいろ
教えてください
って言えたし。
なんか
とってもたのしかった!
いい曲。
ラップのところがすきです。
演奏者も観客も円になるのよいですね。
ゴールデンウィークのギフトは
おふたりの天才のライブ動画でした