Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

きがつけば痛快ウキウキ通り/浄化にも目覚めにも時短コースができている!?

 

「いったいどういうこと!?」

思わず口に出して叫んでしまいました。

 

柳家喬太郎×田島貴男

というイベントのおしらせを

みつけてのことです。

 

 

何をどうしたらこんな企画に

なったのでしょうか。

 

他のなにより

アセンションを感じています(笑)

 

 

告白しておきますと、

わたしは90年代にガチで渋谷系

通過しております。

 

オリジナルラブ

よく観に行っていました。

 

ソウルおじさんみたいになった

今の田島貴男さんの方が

もっと好きかもしれません。

長岡亮介さんとのライブ盤めっちゃ好きです)

 

そしてわたしが

お慕いしてならないといえば

喬太郎師匠。

 

わたしは落語が好きというより、

喬太郎師匠が好きなんだろうと

思い至っているのですが、

(寄席演芸の世界それ自体が

大好きでもありますが)

 

喬太郎師匠とソウルおじさんが

どうやってコラボレートするのでしょうか???

チケットがとれますようにと

願ってなりません。

 

 

 

痛快【つうかい】胸がすくほど気持がいいこと。小気味よく愉快なこと。

 

 

「痛快」は

大好きなことばの

ひとつなのですが、

 

最近痛快さを体験することが

おもしろいほど増えています。

 

小沢健二さんの「痛快ウキウキ通り」って

タイトルがいろんな意味ですごすぎる!と

やはり渋谷系時代を思い出したりしますが、

 

2021年自分が歩いている

この毎日自体がいつのまにか

わたしにとっての痛快ウキウキ通りに

なってきている感じがしてきています。

 

(痛快ウキウキ通りの

歌詞とはまた全然

ちがうのですが)

 

 

今いちばん感じていること、

 

今日はうまくかけるか

わからないのですが、

やってみます。

 

 

ワンネスと表現されるように、

わたしたちは元々ひとつの存在です。

 

誰もが(というか存在するものすべてが)

宇宙そのものとイコールで

そこに優劣も善悪も

本当はなにもなくて、

 

(ポカーンとなってしまいますが

実は「意味」も無いのかとも思う)

 

3次元、5次元、さらに上の次元など

次元の違いもただ密度の違いで、

 

ここを優劣的に捉えると

勘違いが起こるなあとも

思うのですが、

 

(神が3次元を体験している

ってだけですもんね)

 

わたしという現れ、

◯◯さんという現れ、

 

分かれているからこその

体験ができるのが

きっとおもしろいところで、

 

地球は特に分離のパーテーションが

ミッチミチに細分化した

せまいスペース体験ができる場所

だったのだとして、

 

(分離のパーテーションで

向こう側が見えない環境をつくって、

 怖れや不安や疑問などなど、

本来あり得ないことが

それぞれのスペースで

体験できたのだなあと)

 

パーテーションなんて

ここでの借り物だから、

 取り払えばみんな

ひとつの存在なわけだけど、
 

さあ、パーテーション外して

元々の状態に戻っていこうよと

なったときに、

(まさに今のわたしたちですよね)

 

輪廻のトラップにより、

それぞれにハマっていった

ストーリーのようなものが

じゃまをしてくるようで、

(いわゆるエゴですかね)

 

なにか最後の最後に

もううんざりしているはずの

レンタルDVD見続けちゃう現象が

起こること感じています。

 

(観たいわけでもないのに

生きるとはこのDVDを観ること!

みたいに思い込んでしまっているなにか)

 

たとえばわたしで言ったら、

 

1年くらいまえに

ケルマさんのセッションを

はじめて受けられたときに、

 

「魂の仕上げ」みたいなことを

伝えていただいて、

(ケルマさんは魂ということばは

あまり使わないのだけど、と

いっていましたが)

 

でもやはり最後の最後に

ハマっている

形態形成場があったから、

(車が側溝に脱輪して

すすめない状態)

 

ケルマさんの解説では

のぞき穴から映像を見ているとして

どの映像を見るかは

自分がボタンを押しているのだけど、

 

オートマチックに自分が

押してしまうボタンがあるのだ

というようなこと

お話してくれたと思いますが、

 

 

別の再生ボタンはいつでも押せるのに、

そっちが本当はみたいのに、

前のボタン押し続けるこの現象は

 

たくさんの方が体験していること

なのかなって感じています。

 

 

わたしたちはとにかく

観念をギュウギュウにつめた

バックパックみたいのを

背負ってやってきたから、

 

(過去生のも持ち越していたり)

 

パーテーションのない世界を

体験するためには

このバックパックを降ろすのが

マストとなってきたときに、

 

歯を食いしばって運んできた

バックパック

急に「幻想」といわれても

 

自分にとっての価値

になってしまっていたり、

 

または物語の

自分の望む結末に

執着してしまったり、

 

自分を制限してきた

重いお荷物であることは

承知の上でも、

 

手放すことに

納得がいかない場合が

多いと感じているのですが、

 

記憶、観念の

バックパック

軽量化といえば、

 

ホ・オポノポノ、

並木良和さんの統合ワークなど

 

また、

冷えとりなどのからだからの

アプローチなど、

 

コツコツコースとして、

シンプルで優れた

やさしい方法が紹介されていますため、

 

小分けにして

軽量化していくのが

なによりなんだなと

思ってきましたが、

 

(複数の方法を

組み合わせることで

角度が変わるというか

継続的に取りくみやすく

なることも感じてきました)

 

 

 

現在のポイントで

感じていることとして、

 

地球の波動がどんどん

軽くなっていることと、

 

個人の波動もどんどん

軽くなっていくことによる

集合意識の変化から、

 

今まで主流だった

コツコツ浄化コースに加えて、

なにかいきなりごっそり

浄化コースというか、

いきなりバックパック

ドーン!って下ろせるコース

みたいのもできているように

感じていて、

 

(いきなりドーン!はある程度

浄化が進んだ上でとなると思うため

まだコツコツコースは

ベースになってくると思います)

 

そのためには「痛快さ」というのは

頼もしいガイドになってくれるように

感じています。

 

 

まずは理屈抜きに

痛快な周波数を浴びてみる

ようなことは

とてもおすすめというか。

 

服部みれいさんって

とても痛快な存在だと思うのですが、

 

みれいさんの周波数に

触れているだけで

起こる浄化や解放って

はっきりとあると思っていますし、

 

プリミ恥部さんもまた

超絶痛快な存在ですよね。

 

少し前のことですが、

遠隔の宇宙マッサージを

受けることができたとき、

 

申し込んだ時点から、

プリミさんのLOVEの感じが

ふわ〜んと訪れて、

なんともたまらない時間でした。

 

ケルマデックさんの

痛快さというのも

あります。

 

ケルマさんという存在には

この世界で生きる希望が

何度でもこみ上げてきます。

 

知性と包容力とユーモアと

どこまでもどこまでも深いやさしさ。

そしてなにより

時空を本当に超えてしまう、

覚悟というか確信の部分に

本当に感動するのです。

 

 

とにかく自分が

ピンとくる痛快な存在を通して、

自分の周波数を変えていく

というのは、

 

とても時短コースに

なるのかな?と。

 

この並びで語るのも

というところはありますが、

 

わたしもセッションのお仕事を

させていただくのならば、

そういう存在として

進化していきたいと思っています。

 

 

わたしたちは

 

その次元、その環境でしか

体験できないことを

自分の選択で体験している

のだとしたら、

 

いいも悪いもないことで

その人の選択が尊重されることが

宇宙の愛だと思うから、

 

最終的には本人が

決めることだということは

わかりますし、

 

その体験を誰にも奪うことは

できないのだと思っているのですが、

 

くり返し押し続けてしまう

再生ボタンがあることに

きがついている場合、

 

それをもう見たくはない場合、

 

コツコツセルフケアコース+

自分にフィットする方法で

誰かの力を借りると

うまくいくかなと感じています。

 

ライトワーカーとか

スターシードとか

言ったりしますが、

 

みんなそうかなと思う中、

 

ミイラとりがミイラになっちゃうような

けっこうな体験が

わたしたちにはあったから、

 

ミイラの鳥もちみたいの

べったべたでやっかいだし、

取るときに手伝ってもらったら

いいんですよね。

こんなときは

お互いさまですもんね。

 

ここはバトンリレー方式だと思うから

焦らなくてもいいとも思っている。


(バトン受けとった人が次の人に

わたしてくれるから、それが先の

場合も後の場合もどっちにしても

大丈夫というか。

今回はバトンに意識が向かないという

人だっていつかは同じコースを

たどるのだとも思う)

 

自分のタイミング、

自分のペースが大切なんだな

ということも。

 

 

宇宙元旦の春分も越えて、

あたらしい年が本当の本当に

スタートしたように感じられています!

 

浄化にも目覚めにも

「痛快コース」

「時短コース」

ができていると思う!

 

いよいよッス!

もうすぐッス!

 

そんな予感でいっぱいの春です。

 

 

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うどん県からのうれしいお届けもの!

讃岐うどんは他のうどんとはわけが違うって思う……。

自分では

うどんがめちゃくちゃ好きという

わけではないって思っていましたが、

うどん県および近隣に生まれていたら

とんでもなくうどん人になっていたような

きもしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブレイクスルーとグラウンディングの春/セッションのご感想特集!

 

春分後の体験がものすごいです……

大きなブレイクスルーと言って、

差し支えなさそうな……

 

きがつくとボーッとなってしまって、

裏の庭の桃の木の濃いピンク色の花を

ただひたすら眺めていたりします。

 

(正確にはうちの庭ではなくて、

うちの庭に面したよそのおたくの

家庭菜園の木なのですが)

 

花って本当に咲くんだなあ……

とか、

贈り物ってギフトだなあ……

とか、

 

考えていることも

相当頭が悪いです(笑)

 

 

頭がこんなに機能していなくても、

ひたすらハートで行動している自分を

今はただほめてあげたいきもち。

 

もっと整理できたときに

またなにかお伝えできることが

あるかもしれませんが、

 

デフォルトで人並み以上に

ボーッとしてる人が

さらにボーッとなっているため、

 

この前は

駅の男子トイレに入りかけたり、

(入り口ひとつで男子と女子に別れるのかと

思ったらそうじゃなかった)

 

自分の家の最寄り駅行きの電車を

乗り間違えたり、

(自分の家に帰る電車を間違える

ってなかなかないですよね……)

 

人としてどうなのかというレベルまで、

機能していません(笑)

 

(セッション時はむしろ

キレキレに感じられているため、

グラウンディングで調整せよ!

ということです)

 

どうでもいい話ですが、

わたしのパソコンは男子と打ちたくても、

まずは「談志」と変換します(笑)

 

最近あまり落語ネタを

書くこともなくなっていますが

わたしは落語好きなのです。

 

すっかり時代の寵児となっている

講談師の神田伯山さんが、

立川談志の大ファンであることは有名ですが、

爆笑問題の太田さんとの番組で

談志の「らくだ」をコピーしてみせるような

場面がすごかったです。

 

落語家になっていても、

それはそれはモンスター級の

逸材だったことが

短い時間でもわかるというか。

 

「問わず語りの神田伯山」で

古今亭志ん朝のCMの完コピを

披露していましたが、

これもやばかったです。

 

今、無駄に落語の話をして、

グラウンディングを試みています(笑)

 

 


さてさて!

 

本日はセッションのご感想を

ぜひシェアできたらと思います。

 

ノンストップリミックスで

お届けです!!!

 

なんと3人とも関西方面在住、またはご出身。

「大丈夫やで」はわたしのキュン死ワードです……

 


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

Aさんより

 

 

 

 この度は、

たくさんのことを伝えてくれて

ほんとうにほんとうに

ありがとうございました。

 

まだまだ言葉にするのが難しいのですが、

アファメーション

さっそく気づいた時に唱えています。

唱えた時、とても良い感じになります!!

 

 

自分でこのアファメーション

考えることは無かったと思いますし、

最初言う時にも一瞬戸惑いもありました。

でも言っていたら、

なんていうか、胸があったかくなるし、

胸をドンってして、「大丈夫やで」って言ってる

自分が居てるような、そんな心強さが出てきます。

 

本当は、

自分の直感をとっても信じていること

(疑いながらも、笑)

自分は大丈夫!って思えてる瞬間が

たくさんあったこと思い出せました。

 

引き続きゆっくりと

榎本さんの言葉を思い出しながら、

とにかく、

今は安心して、

やりたいこといっぱいやって、

楽しみます!

 

宇宙タイミングで今回のセッションを

受けられてほんとうによかったです!

 

お話しているのがとても楽しかったので、

こうやって感想など書いてると、

また続きおしゃべりしたくなります♪

 

 季節の変わり目、

どうぞおからだご自愛くださいませです。

わたしも自愛します。

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

Mさんより

 

とても楽しいセッションを

ありがとうございました✨

 

昨日一日、

かおりさんとの会話の中で感じたことを、

心の中で噛み砕き整理していました。

 

聴いていただきたかったこと、

自分を愛したい、、という部分は

思っていたこととは違った展開で、

自分の中に染み込んできました。

 

太ることへの恐怖や

そのことで悲しかった記憶は、

今現在も続いているとてもわかりやすい

現実としての苦しさでした。

 

その苦しさを感じるたびに、

自分を愛せていないから

この現実を受け容れられないんだ…

と思っていました。

 

でも、その自分を受け容れられない背景には、

小さなわたしがいろんな場面で泣いていて

その部屋のドアを閉めたまま、

なかったことにしようとしている自分がいたんだ、、

と思いました。

 

小さな頃のさみしかった記憶や

つらかった場面には、

何度も今の私として迎えに行って、

「もう大丈夫やで」と

何度もよしよししていたので、

だいぶ癒されていると思っていました。

 

でも、かおりさんが

「5歳の子にはつら過ぎることなんです!」

と言ってくださって、

 

そんなふうにあの頃のことを

言われたのが初めての体験だったので、

その部分で今でも相当な力が

入っていたことに気づきました。

 

人に頼れなかったり、

迷惑をかけることがとても苦手で、

ずっとそんな生き方をしてきました。

 

お母さんを守る!!

という誓いのような想いは5歳の子どもから、

メルモちゃんのように急に大人になってしまった

出来事だったというか、、

 

もっともっと子どもらしい

子どもでいたかったんだなあ。。

 

そんなことをいっぱい考えて、

いろんな場面のMちゃんを

迎えにいきました。

 

かおりさんがあんなふうに

強く言ってくれなかったら、

〈しょうがない過去〉として

私の心にあった過去でした。

 

かおりさんが言ってくださった、

大人の私にしか癒せない

ちっちゃなMちゃんたち、、

ひとり残らずゆっくりと迎えにいきます。

 

それができる今の環境、空間、時間を

罪悪感を持たずに全力で味わって

自分をもっともっと

癒やしてあげようと思います。

 

かおりさんの愛をたくさん感じられた、

とても贅沢な時間でした。

 

ひとりでなんとかしないと、、

と今まで自分を追い込んでいた

ことにも気がつきました。

 

かおりさんとお話しできた

今が宇宙タイミングでした。

 

自分を癒やして、

あとは宇宙の流れに全部を委ねます。。

 

また何か変化があれば連絡させてくださいッ!

たくさんの愛と感謝をこめて

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

Sさんより

 

こんにちは!

先日はZoomセッション

ホントにありがとうございました。

 

 

とってもお久しぶりなのに、

そもそも、出会ってから

そんなにお会いしてないはずなのに、

距離感を全然感じさせない

かおりさんの醸し出す、

柔らかな雰囲気に

のっけから癒されました!

このエネルギー、ホント天国!!笑

 あれ?昨日も会ってたっけ?

みたいな気持ちになります。

 

 

セッションの後、

初めてかおりさんのセッションを

受けた時の事を振り返ったんですが、

「ずいぶん成長したな」と感じました。

 

3〜4年かけて、

自分の本心と繋がるパイプが

だいぶ太くなってきたと思います。

 

・自分が何を好きで何が嫌か

・思ってる事、感じてる事を伝える

・どうしたいかを自覚する

 

文字にすると、ヘナチョコ感は否めませんが

昔が分かるからこそ、本当に良くやった!と

自分を褒めてあげたい気持ちになります。

 

とはいえ、歌織さんは初対面から

ベタ褒めしてくれてましたね。笑

 

 

この「私」という人間が持っている、

こんな質を褒めてくれていたのか!と、

頭で分かるだけじゃなく、

日常の体験や、意識の変化で

腑に落ちてきています。

 

 

かおりさんのセッションを受ける時は

何かしらの「節目」感を感じていて、

前回や前々回とも違う、

もう一回り大きな節目が来ていました。

 

実は、あの前の数週間、自分の中にある

結構大きな怒りの爆弾と対峙してて、

心の中で「エライコッチャ〜」と

なってたんです。

 

不思議な話なんですが、

セッションで相談しようと思ってたのに、

めちゃくちゃどうでも良くなって、、笑

 

他の話がしたいんだ!!という気持ちに

なったので、そのまま突き進みました。

 

その後、自然に、

自分の中のお掃除のために

現実を使っているんだ、

という位置に戻ってきて

怒りも、自分の内側の反映だと、

しみじみと感じられました。

 

あと、自分が、怒りに苦手意識があった

ことも気づきました。

 

そしたら、怒りにフォーカスしてた

視点がずれて、その出来事のお陰で、

私は今、本音を感じている!と思えたんです。

 

自分の中で感情が燃え上がって、

本心をあぶり出されたような感じです。

 

そしたら、怒りでさえもエネルギーの

ひとつなんだと思えたんです。

 

今後は、良い悪いではなく、

もっと質的なレベルで

感情を捉えて手放せるような気がします。

 

今感じてることは、

一度でも、心地よい周波数を知ったら

元の世界には戻れなくなるんだな、

ということです。

 

心地よいこと/心地よくないことを

感じるレーダーの精度が上がってくるから、

体験する出来事のコントラストが強くなる、

という意味では、むしろ結構キツイことも

ありますが、

 

それでも、前のように

感覚を鈍く(精度を下げる?)

感じないようにして、

今まで通り過ごすことが、

基本的にはできなくなる気がします。

 

今は、とことん自分が

心地良く感じる世界を、

自分の内側や部屋だけじゃなく、

もっとじわじわと広げていきたい

と思っていますし、自分にはそれが

出来るように感じます。

↑これはすごい成長!笑

 

フェラーリKさんの今後の活躍も、

Kさんの愛する世界や、

美しい内面の発露に、

感度の良い方たちが繋がっていって

新しい時代のまつりごとが

広がっていったら最高だな、って思います。

 

みれいさんの

新しい声のメルマガも

愛のエネルギーで溢れかえってますね!

 

しばらくお休みしてましたが、

帰ってきた!というより、

新しく出会った!という感じがします。 

 

もっともっと自分の本質のまま

ありのままでいれる場所を広げていくこと

それを怖がらずにじわじわと実践します。

それこそが、手に入れたい未来を

今から生き始められる

ストーリーの序章になる気がします。

 

そして、先日、

何か発信した方がいいような気がして、

なんとなくブログを始めたんですが、

自分で書いた日記を

自分で読んで感動しています!

 

相変わらずお礼メールを短くできず、、

感謝と報告と感謝で胸がいっぱいです。

最後まで読んで下さって、ありがとうごいました!!

 


∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

 

じ〜〜〜〜〜ん……

 

Aさん、
Mさん、
Sさん、

 

ありがとうございました!!!!

 

Aさん、Mさんは

zoomではじめましてとなりましたが

深いところを共有していただけたこと、

わたしにとっても貴重な時間を

いただきました。

 

Sさんはセッションはもちろん

ワークショップなどでも

節目節目にお会いしていて、

(Sちゃんと呼ばせていただいているため

以下Sちゃんとさせていただきますね)

 

若いSちゃんが

成長されていく過程を

共有していただくこと、

わたしにとってもかけがえのない

貴重な体験となっています。

 

Sちゃんが

声のメルマガのことを

書いてくださっていますが、

 

わたしは

服部みれいさんの

「声のメルマガ」のスタッフとして

ブログやトピックス制作などの

お手伝いをさせていただいています。

 

自分で書いていていうのもなのですが

先日書いたブログが

大変すばらしいです(笑)

 

近い場所からみれいさんを見てきたため、

お願いだから

服部みれいを語らせて!

みたいな気持ちが高まることが

たまにあって、

 

まさにそんな高まりを

うまくまとめられたように

感じています。

 

よかったらぜひ

読んでいたたけたら

うれしいです!

 

<えのブログ>2021年3月第4週|みれいのアイデンティティクライシス!?|「おかえり青春の光」説|声のメルマガ 服部みれいのすきにいわせてッ|note

 

 


オンラインセッション(zoom)については

4月受付中です!


くわしくはこちらをごらんください。

 

 

http://healingroom3.com

 

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自分の神話をつむぐ聖地、「按田餃子」へ!

 

『たすかる料理』で

按田優子さんもつけていた

あのかわいいエプロンは

オーナー鈴木さんのお母さまによる

手作りなのだとか!

いろんな色や柄があるようでした。

 

ラジオの高校野球が流れている

ところもたまらなかった!

(カキーン!ホームラン!という場面も)

 

 


そして、このあとなんと…

FLANGERの展示を初体験!!!

(『まぁまぁマガジン』23号に特集がありました)

 

作品はもちろんなのですが、

 

たったひとりで制作から

このプロジェクトを続けている

アーティストのマキさんのお話に

 

そしてそのお姿やかわいい声

などのすべてに胸を射貫かれる。

 

(マキさんご本人がかわいすぎて

かわいいという棒でずっとボッコボコに

殴られているくらいかわいかったです!!!)

 

この日はもうひとつ別の展示にも行って、

そこではなんと作品を購入。

 

1日を通して波動が高すぎて、

 

ご一緒したナミビエさまと、

(ナミビエさまとは!?

いつかご紹介させていただく

ときが必ずくることと!)

 

茶店でしばし、

放心状態で無言で過ごした時間も

たのしかったです(笑)

 

 

グラウンディングしまーす!

 

 

 

 

 

意図は執着にあらず/自分の本当の可能性を発揮するために

 

「自分が意図してこそ現実化する」

 

スピリチュアルな世界で

よく伝えられることですが、

 

同時に、

 

「欲すると分離する」

「結果に執着すると遠ざかる」

 

ということも、

伝えられています。

 

 

ここは当事者であるほど

整理しづらいところだよなあと、

いつも感じているのですが、

 

(望むものにこそ手を伸ばすな、

みたいなことですもんね)

 

 

引き寄せの法則というのは、

特別ななにかだけに

使っているわけではなく、

 

自分が体験することは

エニタイムエニウェア

すべて自分の引き寄せなのだと

考えるのですが、

 

 

わたしたちが

うまく望みを

現実化できないのは

 

 

この、

「意図する」

ということと、

「執着する」

ということが、

交錯してしてしまう

ということが

大きな原因のひとつに

思えています。

 

 

自分にとって

メインと思える

テーマであるほど、

執着はつよくなりますよね……

 

 

ひとつの結果に

こだわってしまうことで、

他の可能性を

自ら閉ざしてしまう

ということも

起こっているのかなと。

 

(望む場所へのルートは

本当は複数あるかもしれないのに、

このルートじゃなければ!と

こだわってしまうことで、

状況が固着してしまうような)

 

 

 

スティーブ・ジョブズ

最終的にはiPhoneを作るぞ!

と思って、

 

原点となる「Apple Ⅰ」

仲間とつくったわけでは

ないですよね、きっと。

 

強い意図があっても

きっとそこに執着はない。

だからこそ、

かつてない創造が

生まれて、

 

そのときそのときの

無心や夢中の続きとして、

iPhoneも生まれたのかな

とか想像します。

 

 

スティーブ・ジョブズほどとなると、

スケール的に

自分のこととしては

参考にならないようにも

思えるかもしれないですが、

 

構造は同じなのだと

わたしは思っています。

 

 

意図が大切。

 

けれど、

執着は妨げ。

 

エゴを手放し、

本来の自分を信頼し、

今に没頭して、

 

あとは

宇宙に委ねることができたら、

 

ひとりひとりに

その人バージョンでの

ラクルが起こるのだと

思えるし、

 

それは自分が思い描いた結果を

遙かに凌駕していくのだとも思う。

 

 

今までの時代それぞれに

命綱のように握りしめてきたなにかが

あったようにに感じられていますが、

 

あたらしい時代へ移行が

本格的にはじまっている今、

かつての命綱は

自分を古い場所へ

留まらせる

鎖のようになって

きているように

感じられています。

 

 

 

こわいようだけれど、

幻想の命綱を手放した人から

体験できるミラクルが

あるんだなあと、

片鱗だけは感じられるように

なってきました。

 

 

春分の前後、

うれしい体験をされた方の

お話をきく機会が

重なっています。

 

人によっては、

少しきもちが揺れることも

あったようですが、

だからこそのうれしい体験も

セットで起こったりしているようで、

 

なにやら、

自分がかつて蒔いた種が

ときがきて実をつけ、

 

 

それぞれに

うれしい収穫を

されているような

お話が多いです。

 

 

「意図」と「執着」を

整理するということと同時に、

 

もうひとつ

大切に感じている

こととして、

 

種を蒔いたら、

育つ時期というか、

 

味噌を仕込んだら、

1年待つといった

忍耐の時期って

あるよなあ……

ということ。

 

 

この時期に、

いかに結果に執着せずに、

ただ目の前の日々に

没頭できるかどうか、

 

「収穫」というか、

「味噌の完成」のような

体験をされる方からも

ヒントとして感じられています。

 

(仕込んだ味噌を

しょっちゅうのぞいていては

味噌はいつまでたっても

熟成されないですもんね)

 

うーむ。

本日はこんなところで。

 

こちらのブログ、

まったく不定期で

更新しておりますが、

 

のぞきに来てくださっている

みなさんいつもありがとうございます!!!


継続的にあるためにも、

曜日や何日置きというペースを

定めずに続けてみています。

 

セッションのお仕事は

ツールとして自分の

メンテナンスあってこそ

というところが大きいため、

 

まったく更新できない

タイミングもあったり

するのですが、

 

お読みいただくことで、

なにかヒントや

お役に立つことがあれば

とてもうれしいです!

 

 

http://healingroom3.com

 

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スティーブ・ジョブズと一緒に

Macintoshの原型を作った方の記事にあった写真。

 

マザーボードむき出し、

モニターはブラウン管のテレビ、

タイプライターのキーボード(?)


左にある2つのつまみがついた箱はなに???

(見た目的にはどちらかを押したら爆発する的な)

「エモい」を使いこなせない年代ながら、

「エモい」を使いたくなります。

 

ちなみに、

わたしがいちばん最初に買ったPCは

モニター一体型の機種、

Macintosh Performa

 

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なつかしい!!!

レインボーのアップルマーク。フロッピーの時代。

 

ピポパピポパ、ピーーーーーーー、びよーんびよーんびよーん、

というダイヤルアップ式の接続音。

(若い方は知らないかと思いますが……)

 

当時がよみがえります。

 

わたし自身は全然パソコンに

くわしくないのですが、

 

ITバブルのような90年代の一時期

パソコンのメモリーメーカーで働いていて、

 

しかも技術部という、

自作PCを余裕で作ってしまうような

マニアックな方たちに

囲まれていたことと、

 

家のものが

Appleおたくであることで

古いMacはとてもなつかしいです。

 

これもエモかった……

 

 

春分。いくつになっても進路は選べる!

 

先日娘が17に。

 

娘も似たようなこと

いっていたのですが、

 

子どもの誕生日は

親がいちばん

自分を祝ったらいい日

に思える。

 

本日は親バカ投稿と

なりそうなこと

おゆるしください。


(タイトルに春分を入れましたが、

春分の話題は最後の方になりそうです)

 

修学旅行も中止になったり、

部活もリモートでトレーニングのみ

という制限的な学校生活ながら、

 

今しかできない過ごし方を

自分たちなりに存分に

たのしんでいるようす、

 

親にとっては

なによりうれしいことです。

 

 

お年頃となり、

同性の親であるわたしとは

感情的に衝突することも

よくあったりするのですが、

 

娘はおもしろムードというか、

とにかくよく笑うし、

素直なタイプでもあるため、

 

時間を置けば

笑っておさまるところも

たすかっています。


(どちらが未熟かといったら

わたしの方なのだとも思う……)

 

 

中高を通して、

幅広くどんなタイプの子とも

たのしくやれることも

感心している部分です。

 

(バレない程度に引きこもりで

生きてきたわたしとは全然ちがうなと)

 

勉強のことも、

進路のことも、

すっかり本人に

任せているのですが、

 

成績が目立って優秀という

わけではないかもしれませんが、

 

自分なりに方向性を

絞っていっているようす。

 

 

そういえば、

高2になってから、

急に「朝、白湯を飲む」

と言い出した!

 

きっとセブンティーンモデルさんとか

誰かががすすめていたりしたのでしょう。

 

わたしの習慣をすすめても

今まではかたくなに

拒絶していたのに!!! 

 

親以外からの情報だからこそ

取り入れたくきもちも

大いにわかりますが……。

 

 

お年頃となり、

これまでとは気になることが

変わってきているようで、

 

まわりの子の服はいいにおいがすると

柔軟剤を使いたがり、

 

制服のブラウスや

ジャージ類など

自分のものは

本人が別に洗濯するように

なっていたのですが、

 

(わたしが香料のにおいが苦手すぎて)

 

経皮吸収のことを思うと

下着類だけはこっそり

わたしが洗い直したりもしつつ、

静観していましたが、

 

いったん満足したのか、

めんどくさくなったのか、

 

最近は

柔軟剤を使っての洗濯は

していないようです。

 

 

ちなみに、

娘は布ナプキンネイティブです。

 

(とか書いていると

すごくこだわった子育てを

してきたかのようですが、

全然そうじゃないです……)

 

これは本人による選択で

死守されています。

 

ずいぶん前に一度

記事に書いたことが

あったかと思いますが、

 

中1くらいのころでしょうか、

林間学校のような

泊まりがけの行事が

ちょうど生理の期間と

重なってしまい、

 

さすがに布ナプキンでは

対応できなかろうと、

 

使い捨てのナプキンを

用意して持たせたことが

ありました。

 

 

「おなかが痛くて痛くて、

行きのバスの最初のトイレ休憩で捨てた!」

「今後も絶対に使うことはない!」

 

 

よほどの苦痛があったようで、

帰ってきて真っ先に伝えてきたことに

驚きました。

 

あたりまえのこととして、

使い捨てナプキンを使ってきて

大人になってから

布ナプキンにしたわたしには

これほどの体感はわからないのですが、

 

まわりのお友だちは

どうやら使い捨てのナプキンを

使っているということを

知っていても、

 

ここに関しては

自分もそうしたいと

いまだに決して言いません。

 

 

話題は急激に上の年代へ

移りますが、

布ナプキンといえばで

思い出したお話を。

 

最近、

骨盤底筋を意識する

ボディワークを続けていたら、

 

自然に月経血コントロール

うまくいくようになってきています。

 

トイレで済ませられる

ことが多いから

布ナプキンがあまり

汚れないという感じです。

 

骨盤底筋のトレーニングは

才田春光さんが

サンキュー体操として

指導されていたりもしますよね。

 

骨盤底筋や

肛門括約筋がゆるむことと

認知症の関係も

伝えられているようですし、

 

むずかしいことではないから

女性はみんなやったらいいのに!

と感じています。

 

 

本日は春分

 

 

この春から

娘は高3となりますが、

 

今は学生に限らず、

わたしたち全員が

あらたな進路を

意図する時期を迎えている

のかと思います。

 

今までの思い込みを

どこまで外せるか。

 

自分にどこまで

許可できるか。

 

それによって、

可能性も大きく

拡大していくの

だとも思う。

 

 

春分の降り注ぐエネルギーを

ひとりひとりがしっかりと

グラウンディングさせて、

 

自分にしかできない体験を

創造していきたいものですね!

 

 

 

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小学校の入学式のときの帰り道。

 

子どもたちは

あっという間に大きくなります!

 

 

 

損なわれた過去があるのではなく、過去を癒せる「今」がある

 

近所の陸上競技場は

わたしのおきにいりの場所の

ひとつです。

 

娘は中学も高校も

陸上部だったりするのですが、

(高校では練習のハードさについていけず、

選手ではなくマネージャーとして)

 

わたしは走る人を見ることが

とても好きなのだと思う。

 

その陸上競技場では

ときどきなかなかに大きな大会が

行われているのですが、

 

陸上というのは、

野球、サッカー、テニスといった

対戦型、得点式の

勝敗ではないため、

 

本当に自分と向き合うスポーツだなあと

感じられます。

 

トップのレベルで走れる選手

というのはきっと

一握りかと思う中、

 

それでも追い込んだ

レーニングができる

モチベーションって

いったいどこからくるのだろう?

というと、

 

やはり自分への探究心が

あってこそなのだろうなあと

想像したりします。

 

記録はもちろん

大切かと思うけれど、

そこは実はおまけというか、

プリンアラモードのプリンの上の

サクランボみたいな部分というか、

(昭和的なプリンアラモードをご参照くださいね)

 

いちばん「映える」ところだけど、

実はそこが本質ではないというか、

そんなきがしていて、

 

プリンの上に

サクランボが

のったとしても

のらなかったとしても、

 

そこに至るまでの

道のりの景色と

内的体験に

本人にとって

本質的な何かが

きっとあって、

 

だからこそ、

走り続けられるの

だろうなあと

考えたりします。

 

そう!

 

わたしは息が上がるような運動は

苦手なため、

陸上競技場の外周コースを

いつも歩いているのですが、

 

 

同じ時間帯に、

よく見かける

市民ランナーさんというのも

何人かいます。

 

それぞれ、日常の中で

時間を作って

走り続けている姿と

だからこその

訓練された身体性に

いつも感動してしまうのですが、

 

手をほぼ下に

おろしたまま

軽く振るような、

独特なフォームで

走る女性がいて、

 

彼女にとっては

これがベストと

たどり着いたフォーム

なんだろうなあと、

 

颯爽とした走りに

いつもほれぼれ

眺めていたものの、


(わたしは歩いていて

彼女は走っているので、

追い抜いていくすがたを

何度か見ることになるのです)

 

同じ方向に進んでいるため、

対面して顔を合わせたことは

ありませんでした。

 

 

昨日のこと、

 

わたしがコースを歩いていたときに

走り終えたと思われる彼女が

コースのわきをこちら側に

向かって歩いてくる場面があって、

 

 

わたしは動きやすい格好といえばと、

いつもほぼ同じ格好で歩いていたため、

彼女の方もわたしのことを

見覚えてくれていたようで、

 

すれ違うときに、

ぺこりと軽く会釈をしてくれた。

 

もちろんわたしも

会釈を返しましたが、

 

 

ときめきました………。

 

かなりときめきました。

 

 

村上春樹さんの

『走るときについて語るときに僕の語ること』

を読んでもグッときたものですが、

 

わたしは走り続けている人への

敬意がなぜかとても強いです。

 

かといって、

自分も走ろうかとも

今のところはならないのですが、

 

将来的にボチボチ

走りはじめたり

することもあるのかも?

 

ひとり合宿的に、

ケアとトレーニングを兼ねた

ボディワークは続けています。

 

と、

 

いつも見かけていた

ランナーさんとの

小さな交流に

ときめきすぎて

この話が長くなりましたが、

 

本日は別のことで

書きはじめたのでした。

 

季節は春を迎えて、

日々の寒暖の差が激しいためか、

わたしの住んでいる地域では

連日強風の日が続いています。

 

風の時代だけにね、

とか思いつつ、

 

本当に今わたしたちは

大きな移行期だということは

あらゆる角度から

これでもかというほど

教えられている

ように感じます。

 

風の時代、

水瓶座の時代、

 

ケルマデックさんが

シナジーな世界として

伝えられている

これからの時代の

流れに乗っていくために、

 

わたしたちは

身軽である

必要があるように

感じています。

 

 

物質的にというのは

もちろん、

 

無用な思い込みや

ネガティブな観念、

執着といった、

 

こころのお荷物を

一掃しないことには

乗れる流れにも

乗れなくなってしまう

というか。

 

地の時代は

文字通り、

重いものを受け止める

「地」があるからこそ

体験できた世界だったの

だなあと思います。

 

 

これからは

悟空の筋斗雲

みたいなのに乗って、

 

あたらしい風に

乗っていく時代

だとしたら、

 

観念のお荷物を持ったままだと

筋斗雲の底が抜けてしまう

というか……。

 

今は移行期で

それぞれが自分の旅の

手荷物を見直せる時期だから

 

焦ったり、

不安になったりする

ことはないと思うのですが、

 

お荷物の整理は

マストになるのだと

思っています。

 

 

 

筋斗雲の底が抜けても、

このお荷物だけは

手放したくない!

 

という場合も

宇宙はなんでもOK

なのだとも思う。

 

行き先は本人の自由意志に

委ねられている。

 

「よき方向に」

と思うなら、

 

自分にとって

何が「よき」に該当するのか

本人がしっかり意図しないことには、

 

叶えたくても

宇宙は叶えてあげられない

のだとも思う。

 

また、 

あたらしい時代に向けて、

 

重い荷物は

手放すと同時に、


みんなが必ず

手にすることとなる

持ち物もあるように

感じています。

 

それは

「自分への信頼」。

  

最近、肋骨がずっと痛くて、

 

少し前にぶつけたことがあったため、

それが原因かな?と

思って様子をみていたものの、

 

何週間も続いて、

なんなら痛みが強くなって

きていたため、

 

リズ・ブルボーさんの

『自分を愛して』を開きました。

(一家に一冊と思います。本当に重宝します。)

 

今手元にないまま

続けて書きますが、

肋骨の項目と、

骨の項目を見たのだったかな、

 

そこでひもとかれたのは

「もっと自分を信頼する」

 

ということでした。

 

自分を信頼する

自分を愛する

ということは、

 

特に自分のテーマとして

向き合ってきたことで、

 

(誰にとっても究極のテーマとも思います)

 

このことをどう自分に落とし込むか

ということがすべてのセッションの

本質とも感じていますが、

 

わたしだってまだまだ

ぜんぜん足りていないというか、

「心の底から自分を信頼する」

ということ、

 

からだの痛みを通して

メッセージが送られていたの

だと思います。

 

(からだからのメッセージを

わたしがちゃんと

読み取れたからかどうなのか、

現在、肋骨の痛みは

なくなっています)

 

 

もうひとつ、

 

フォーカスするなら

「今」「ここ」「自分」

 しかないのだな

ということも

あらためて感じています。

 

 

自分のお荷物を

整理していくときに

自分の過去というのは

かならず扱うことになるかと

思いますが、

 

その過去の体験による「傷」が

「今」に持ち越されている

ということで、

 

その過去の出来事は

「今」ではありません。

 

「今」は

過去を癒やすことができる

(過去を書き換えられる)

唯一の場所だけれど、

 

過去の体験に

のみ込まれて

フォーカスが過去に

移ってしまう場合、

 

せっかくの「今」が

過去を再体験する場所に

なってしまう。

 

(自分がくり返し体験する

パターンが起こるからくりですね)

 

 

「今」「ここ」「自分」

だけが力を持つの

だと思います。

 

自分が過去に

持って行かれないために

できることも、

 

いくつかコツがあるように

感じますが、

 

自分が納得するためには

「自分への共感」

「今はもう大丈夫なんだという安心」

というステップを踏んでからの

「浄化、手放し」が

効果的かなと感じています。

 

 

この部分はセッションでよく

くわしくお伝えすることになっていますが、

 

また

ブログでお伝えする

機会があるかもしれません。

 

というわけで

本日はこれにて!

 

 

 

筋斗雲に乗って

陸上競技場にいってまいりまーす!

 

 

オンラインセッションのおしらせはこちらです。

 

 

 

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The Millennium  "BEGIN"

大好きなジャケをアナログでゲット。


そして、

誰も興味ないと思いますが、

前髪ちょっと伸びました(笑)


*ここからはお読みいただかなくて大丈夫な、

わたしがたのしいだけのおまけコーナーです。

 

ソフトロックの名盤といわれるようですが、

わたしはあまり系統立てて音楽を聴いてきておらず、

自分が好きなジャンルがなんなのかよくわかっていません。

 

よくわかっていないながらに、

自分の好きな音楽はたしかにあって、

それは自分を深く満足させてくれる

ものだということはよくわかっています。

 

 

1曲目、大好きです!

 

その名もPrelude。

風の時代のPreludeのようなこの時期に。

 

(うまいこといったな自分と

今、悦に入っています(笑))

 

 

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ココナツディスク池袋店でゲットです。

 

久々に電車に乗って出かけてみれば、

本とレコードだけ買って帰ることに。

10代と特に変わっていない

自分にびっくりします。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分のちからを自分のために/対立ではない問題解決法

 

ノーマンと再会したところで

やっと一息つけました……。

 

なんのお話かといいますと、

 

約束のネバーランド」。

 

やばすぎます!

ケルマさんのいう

虚数世界というか、

 

隠されている構造が

こんな風に描かれているとは……、

カズオイシグロの『わたしを離さないで』

を彷彿とさせます)

 

今日はなんのブログか

わからないくらい、

約束のネバーランドのことばかり

書いてしまいそうです。

 

漫画は未読のまま、

アニメを見はじめたのですが、

(あんまりよく知らなかったのに

この作品をみるべし!という

衝動が急につきあげた)


設定が衝撃的すぎて、

日常生活が手につかないほどで、

 

(ジャンプで連載されていたということは

あのお話を子どもたちが読んでいたのですよね!?

おどろきです)

 

アニメのシーズン1は

もう耐えられなくて、

ほぼスキップで最後まで

流れだけ把握したのですが、

シーズン2からがなにやら

すごいです。

 

物語はずいぶん

違うかもしれませんが、

約束のネバーランドにも

鬼滅の刃同様

鬼が登場します。

 

そして、

鬼滅の刃同様、

鬼にも事情があること、

鬼の手先となり

非情に思える人も

主人公たちと同じ立場から

そうなるしかなくなっていったことが

描かれてもいて、

 

であるならば、

本当はみんな同じ立場とも

いえるはずなのに、

 

憎しみの連鎖と

まちがった認識から、

不幸な対立構造が固着

してしまっていること、

 

また、

幻想の欠乏感による操作などで

ピラミッド型の支配構造を

つくりだすからくりなども


鬼の社会を通して

描かれていて、

うなりました。

 

エマたちが解放された姿を

見られるまでは

ソワソワしてならないため、

(眠っていていいのか!

みたいな思いになる)

 

漫画の方を全巻入手して、

約束のネバーランド』のワークを

おこなう予定です。

 

映画「マトリックス」のシリーズや

この『約束のネバーランド

あとは、

観ていないのですが

ジム・キャリー主演の

トゥルーマンショー』など、

 

多少の不自由がありながらも、

そこそこ安心して生きていた世界は

実は大きく柵でかこまれたような、

人為的な世界だった!

という設定の映画などに

思いをめぐらせます。

 

そこで暮らしていると、

真実がわからない構造になっていたり、

自分のほんとうのちからを奪われてしまう。

 

これはフィクションのようでいて、

メタフィクションというか、

(ほとんどフィクションを

現実と思って生きていると

考えると)

 

わたしたちにも

目にみえない幻想の檻は

どうやら確かにありそうで、

 

なんだかわからないように

複雑になってしまっているようで、

実はすべてのちからは自分がもっていた

ということだから、

そのことを思い出させてくれるような

たくさんのメッセージが

あるなあと感じますし、

 

約束のネバーランド

本の中の物語のかたちで

たくさんの真実の情報が

届けられていて、

そのおかげでエマたちが

脱出することができたように!)

 

 『約束のネバーランド

まだ途中なのですが、

とっても大切だなと思った

ポイントがあって、

 

ノーマンと再会して、

(ノーマンって誰!? かもしれないのですが、

わたしにはもはやノーマンは実在するため

思い入れおゆるしください)

 

離ればなれだった間、

ノーマンと行動をともにしていた、

仲間たちは、

 

同じ人間であるけれど、 

鬼を敵視してしまっていることで

完全に鬼化してしまっていて、

立場を変えて

同じような存在に

なってしまっているようすが

描かれていたシーンでした。

 

対立の構造の中で

どう進んだとしても、

どちらにとっても不幸な

連鎖から抜けられない。

 

鬼もまたわたしたちと

まったく同じく、

目覚めた存在は滅ぼされ、

愚かに、対立的に生きるしかないように

されているのです。

 

(数日約束のネバーランド

世界で生きているので、

だんだん一人称で

語りはじめました(笑))

 

わるいのは鬼じゃない。

構造だから、

 

相手を変えようとしなくても

構造が変わればいい。

 

そして、

今までの構造をつくってきた

存在を敵視することも

トラップと感じます。

 

敵視することは

その相手にフォーカスすることで

その相手にエネルギーを注ぐことだからです。

 

わたしたちがフォーカスすること、

エネルギーを注ぐことは、

 

本来の自分のちからをとりもどして、

それを自分たちのよろこびのために

使うことだけなのだと思います。

 

はっきりいって、

仕組みを変えるまでは

それは大仕事になると思われるため、

「今までよくも〜!」みたいな

意味のないことに

エネルギーを注いでいる

場合ではないと感じます。

 

わたしたちがエネルギーを自ら

差し出す構造がありましたが、

そのことにきがついた人から

やめたらいいだけで、

 

「今までよくも〜!」

みたいのは本当にいらないと思います。

 

先日観た

『すばらしき世界』という映画でも、

 

刑務所を出たけれど、

外でも塀のない刑務所のような世界が

広がっている現実が描かれていました。

 

様々な立場の方が

描かれてもいましたが、

 

誰がいいでもわるいでもなく、

現代の構造がひどすぎるのだ

ということを感じます。

 

誰がわるい、

誰が変われば、

という発想で考えると

たちまちトラップに

はまるのだと思います。

 

 

ママもシスターも

エマたちと同じ立場の子どもでした。

誰が責められるのでしょう。


(たびたびすいません。

今完全に約束のネバーランドの中に

住んでいます……)

 

わるいのは構造なのだということ、

鬼も救うような世界の変えかたがあること、

エマたちが今わたしに教えてくれています!

 

本日は泣きながら終了です!

 

 

なんの人かますますよくわかりませんが、

セラピストのお仕事をしています!

(忘れないで!(笑))

 

ついにたどりついた感のある

「おしゃべりセラピー」で

ご縁をいただいていますこと、

本当にしあわせに感じています!

 

オンラインセッションのご案内はこちらです。

 

 

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全巻大人買い予定。

 

 

 

 

 

 

「歯についた青のり」と「切りすぎた前髪」/すべては自分の鏡なら

 

 前髪、衝動に任せて自分で切ったら切りすぎた……。

  

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(完全に寝起き写真にて失礼を)

 


いかなることにも

偶然はないという立場から、

前髪切りすぎについて

思いをめぐらせて

みたりもします……。

(ひまか!)

 

スピリチュアルな観点からは

自分の体験することは

自分の鏡であるということが

たくさんのかたちで

伝えられています。

 

もちろん、

カルマティックな背景や、

自分の学びとして

自分が設定したイベントなど考えると、


「鏡」というひとことでは

やや足りないのかもとは感じますが、

 

自分の選択、

自分の周波数以外のことは

体験できないという意味で

「鏡」ととらえると、

 

手放しのための体験として、

 

「歯についた青のり」的体験

 

と、

 

「切りすぎた前髪」的体験

 

 が、

 

あるように感じています。

 

 

鏡に映った自分を見るとき、

 

歯についた青のりは

その場ですぐに

きれいにすることができる。

 

でも、

 

切りすぎた前髪は

ときがくるのを待つしかありません。

 

髪を伸ばすことができる

自分の生命力と、

時間に完全に委ねるしかない。

 

要は青のりとは違って、

時間がかかるということ……。

 

 

何年がかりでとりくんでる

テーマってあったりしませんか???

 

ホ・オポノポノでクリーニングもしている!

並木良和さんの統合ワークで

ガンガン手放してもいる!

 

なのになぜ!?

 

みたいな。

 

これは「切りすぎた前髪」案件

なのかなと感じるのです。

 

自分にとってきっと

根深いなにかなのですよね。

 

他でもない自分が

向き合う時間が欲しいのです。

(青のり程度で済ませられないというか)

 

自分を信じることと、

コントロールを手放して

流れに委ねること。

 

前髪案件はこのことを

たたき込んでくれるとも

思っています。

 

何年も、人によっては

子どものころから、

自分が悩み続けていること、

 

前髪案件ととらえてみてください。

 

 

前髪が伸びる自分を信じること、

 

すべては必要で起こっていることと

流れに委ねること、

 

それができるようになったら、

もう前髪は切りすぎないのかなって。

 

 

自分が前髪切りすぎたからって

大分無理矢理でしたでしょうか???(笑)

 

 

髪型も服装も、

暮らしかたも、

働きかたも、

 

もっともっと自分らしく、

心地よくしていきたいものですよね。

 

どうぞ自分が体験することを

自分がどう感じるか、

本当はどうしたいか、

 

自分だけはつぶさに

注目しておいてあげてくださいね!

 

ではでは、今日はこれにて!

 



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茎が紫の菜の花。

外来種になるかもしれないのですが、

地元野菜コーナーなどでみつけると

絶対に買ってしまう。

(生でコリコリ食べたりも)

 

ハイボールが有名な銀座のバーのおつまみの本に、

焼いた菜の花にグレープフルーツを添える

というものがあったのですが、

 

今の季節なら文旦を添えたらおいしそうです。

 

 

グレープフルーツのようなさわやかさと苦みと

八朔のようなサクサクとした食感の

文旦を知ったときは衝撃でした。

 

グレープフルーツの味が好きで

八朔の食感がすきだったからです。

 

自宅からいちばん近いスーパーは

箱売りしてたり、お徳用!みたいな大袋もあったり

なぜか昨年くらいから超文旦推し。

 

この季節に1年分味わいたい!と、

 

わたしは今

文旦のことしか考えていません。