Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

回路の変更、そしてサレンダー/毎日はおたのしみ抽選会

「問題をなくしたい」

 

「願望を実現したい」

 

セラピーを受けたり、

スピリチュアルな

探求をしたりする理由として、

 

大きくはこのどちらかに

あてはまると思うのですが、

 

どちらにしても

鍵となるのは、

 

自分の制限的な

設定からの解放

 

ということに

なるのではないでしょうか。

 

本来のポテンシャルで、

より自由に、

この肉体での

人生をたのしんでいくために、

 

制限をつくり出している

自分の思考から

自分を解放する方法は

ますます伝えられる

ようになっていて、

 

痛みを掘り返さず、

よりスピーディーに、

問題を超越していける

やさしい方法が

増えているように

感じています。

 

最近知った中では、

 

ネドじゅんさんという方の

メソッドが印象的でした。

 

思考から、

感覚へ、

 

ということ、

本当にわかりやすく

伝えてくれていて、

 

意識的にだと思うのですが、

スピリチュアル用語を

あえてさけて

表現していることで、

 

受け入れやすい方が

たくさんいそうです。

 

(ナオキマンショーに

登場されていた動画では

ワンネスの体験をおもしろく

お話されていて、

実際は神秘体験もいろいろ

されているかと想像します)

 

思考と呼ぶのか、

エゴと呼ぶのか、

 

栄養となるお食事を

せっせと運び続けてきた

対象こそが、

 

実は自分を

苦しめたり

閉じ込めたりする

原因だった。

 

わたしたちは

思考なり、エゴなりが

投影したドラマを

ずっと画面にべったり

張り付いて見てきたから、

 

それこそが自分って

信じて疑わなかったけれど、

 

瞑想だったり、

ボディワークだったり、

 

「今ここ」

そして

「本当の自分」

 

の方に

チューニングを

合わせていくほどに、

 

画面はどんどん

遠のいて、

 

「ん?おかしくね!?」

 

と、自力でどんどん

気がついていく。

 

問題は

自分のエネルギーの

回路にある。

 

思考なり、

エゴなりに、

供給していた、

 

エネルギーの回路を

神経なり、

感覚なりに

向かうように

するだけで、

 

驚くほどに、

楽になり、

すべてが

スムーズに

流れはじめる。

 

思考に渡っていた

主導権が移って、

本来のポテンシャルが

発揮されるのですな。

 

瞑想、

呼吸法などなど

の方法は、

 

こうした

カニズムに

なるのでしょうか。

 

ネドじゅんさんの

動画をいくつか観たのですが

(本はこれから読んでみます!)

 

サレンダー(手放し、明け渡し)

についてのお話も

おもしろかった。

 

サレンダーって

要するに、

 

小我を捨てて

大我を生きる

 

ということ

なのかなって

思うのですが、

 

コントロール

執着を手放した先に

起こってくることって、

 

大我による大いなる

マネジメントだとしても、

 

プレイヤーの目線的には、

おたのしみ抽選会みたいに

なにが出てくるか

わからなかったりもする。

 

でも、

なにかに強く

こだわっているよりも、

 

はるかにたくさんの

おもしろ体験が

やってきたりするから、

 

わたしたちは

これからますます

軽やかに、

 

手放して、手放して、手放して、

生きていくことに

なるのかな。

 

てなところで、

本日はここまでに!

 

また、いらしてくださいねー✨️

 

 

大好きな妖精の本。

 

先日、わたしたちの住むまちにも

雪が降りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

圧倒的大丈夫感。圧倒的おもしろ感。

反転

 

そして、

 

浮上

 

同じものを見ていても、

 

自分の視点がぐるんと

変わってきたように

感じています。

 

「ありふれた毎日が

輝いて見える」

みたいな感じ

というよりも、

 

圧倒的

大丈夫感。

 

圧倒的

おもしろ感。

 

それは、

日々つつがなく、

万事順調という

ことではなく、

 

なにがあったとしても、

大丈夫でしかない

自分になってきている、

みたいな感じ。

 

一見、

意に沿わないことも、

実は自分による

アッパーマネジメント、

または

演出だったりする。

 

そこに

疑いがなくなれば、

 

全部を楽しめる

ようになれるのかな。

 

毎日見るもの、

出合う人、

すべてに感謝と祝福を✨️

 

 

年始にBTSのLAでのコンサートを見ていたのですが、

(わたしはジミンペン)

 

おもしろいなーと思ったのが

↑Save meという曲名を反転すると……

 

I'm Fineとなった。

 

おそれや依存を手放し、

反転させると、

 

I'm fine

でしかなくなる。

 

まあ、この場では

そんなメッセージでは

ないとしても、

 

外側に探さず、

内側を信じられるほどに、

 

わたしたちは

圧倒的に大丈夫に

なっていくのだと

思っています✨️

「読めてよかった!」のこの1冊

信じられますか?

もう9日です……。

 

今年もまた、

時間はより軽く、

より加速して

いくのでしょうか。

 

 

本日は、

こちらの本のお話を。

 

 

服部福太郎さんのInstagram

紹介されていて

とても気になっていたのですが、

 

昨日、

上下巻をイッキ読み。

 

すばらしい作品でした!!!

 

純粋に漫画として

たのしめるのは

もちろん、

 

「思い出す」

きっかけと

なってくれる、

 

装置のようにも

機能してくれる

感じがしました。

 

何を思い出す???

 

自分がどうして

今地球にいるのか、

 

どうして、

なにもかも

忘れているのか、

 

なぜ自分には

力がないと

思っているのか、

 

などなど。

 

どの部分が

鍵となるかは

それぞれ

かもしれませんが、

 

わたしたちが今、

「現実」と思っている

世界って実は……、

ということ、

 

ここに来る前は、

自分って

どんなふうだったか

ということ、

 

だとしたら、

 

今、どうしたら

いいのか

 

なんてところまで、

自然に思い至って、

 

わたしは

相当自由な

心地になれました。

 

 

ネタバレに

ならないように

書こうとは思いますが、

 

(でも、まっさらで読みたい!

という方はここからは

パスしてくださいね)

 

地球に行っても

絶対わたしたちは

思い出せるよ!

 

と、

地球にやってきて、

 

でも、

自分が書いた

地球でのプログラムを

体験していくうちに、

 

ミイラとりがミイラ的

展開にはまっていってしまう

感じがすごくわかりやすく

描かれていて、

 

自分のこととしても、

 

ミイラ目線から、

元々の自分目線へ、

ハッと反転が起こる

感じがおもしろく、

 

さらに

自分のこととして、

 

いくら分離を極めた

倒錯的な世界であっても、

同じ宇宙であるならば

構成要素は同じだから、

 

それも全部

光でしょう?

愛でしょう?

余裕余裕!

 

って思って

やってきたのに、

もうボキボキに

折れまくってたなあ、

と振りかえる思いに。

 

これまでの地球は、

輪廻のトラップが

本当に強烈だったの

だなあ、と……。

 

この本のように、

 

わたしたちが

自分で思い出すための

きっかけとなってくれるような

作品や情報は

ますます増えていくのかな。

 

流れに乗って

チームプレイのように。

 

お互いが協力しあって

進む道であるとしても、

同時に思うのは、

 

そのきっかけを通して、

ひとりひとりが

それぞれに

自分の内側に

真実を見つけるしか

ないのだということ。

 

だれかが、

ほらここにあるでしょ?

といっても、

 

本人が疑うのならば

それはないことに

なってしまいますもんね。

 

自分の内側にある

その光が

遮るものなく

現れるのなら、

 

元々の

わたしたちが

そう感じたで

あろうように、

 

なにもかもは

大丈夫でしかないし、

 

どんな風にたのしむかのみに、

集中していけるのかなと

思っています✨️

 

 

 

 

 



 

自分の持ち場を光で満たす

明けて2024年です。

 

お住まいの地域で、

地震の影響は

あったでしょうか。

 

寒い季節です。

心よりご無事を

お祈りして。

 

さてさて、

 

昨年から

強く感じている

こととして、

 

異なるエネルギーの

統合の流れがあります。

 

たとえば、

 

スピリチュアルな

領域で発信されている

ことと、

 

政治や経済、

アカデミックな領域の

専門家の方が、

お話されていることが、

おもしろいほど

重なっていたり、

 

先日少しだけ見た

たけしさんと

ホリエモンの対談動画では、

 

あらゆることに

数学的要素が含まれているから、

文系理系をわける必要は無い

といったお話があって、

 

いままでは真逆ほど

違っていると

思っていた分野が、

 

どんどんひとつの方向へ

統合されていくような

流れを感じています。

 

2024年、2025年と、

 

変化はますます

日常となっていき

そうですから、

 

わたしたちは

身軽なほど

波乗りがしやすく

なりそうです。

 

こだわりや

思い込みを

手放して、

 

自分自身の

自己統合も

進めていくことで、

 

わたしたち

ひとりひとりも、

 

世の中全体も、

グンとシフトして

いくことに

なるのかな。

 

それぞれに

自分の持ち場を

光で満たすこと、

 

つづけてまいりましょ〜!

 

 

2ねん3くみ 

えのもとかおり。

 

以前実家の整理をしたときに

出てきた。

 

さっぽろ雪祭り

岡本太郎の作品の雪像だったのを

よく憶えている。

 

夜の大通公園

行き交う人たちが

やや蛭子さんテイスト。

「意図=結果」をいちばんおもしろく体験するために

満ち足りた自分で

あるために、

 

「自分の意図をはっきりと」

 

ということ、

よく言われたりします。

 

同時に、

 

「結果に期待しない」

 

なんてことも、

よく言われたりします。

 

これって、

むずかしいよなあ、

 

なんて思うのですが、

 

みなさんいかがでしょうか。

 

 

でも、

 

これは要するに、

 

「小我を捨てて、

大我に生きる」

 

レッスンなんじゃないか

なんてことも思います。

 

 

◎意図-葛藤=結果

 

とあるスクールで、

学んだこの式。

 

わたしたちは

ひとりひとりが

創造主ですが、

 

自分の望みを

思い描いたときに、

 

「そんなことできるわけがない」

とか、

「自分にはその実力がない」

とか、

「回りに反対されるに決まっている」

とか、

 

葛藤を感じることが

少なからずありますよね。

 

それが、

創造主としての力を

マイナスしてしまっている。

 

その制限や思い込み

というのは、

 

幼少期の体験、

また、

社会通念による刷り込み

などとして、

 

自分に書き込まれて

しまっているため、

 

それぞれに

自分のパターン

のようなものも

あると思います。

 

では、

その制限や思い込みを

どんどん解放して、

 

葛藤が少なくなるほど、

意図=結果が

体験できるように

なるのでしょうか。

 

そう簡単でも

なさそうなのは、

 

その意図したことが、

エゴによるもの

だとしたら、

 

残念ながら

うまくは運ばない

のだと思います。

 

本当の自分、

創造主の自分は

エゴではなく、

ハイアーセルフなので、

 

本当の自分の意図に

そぐわない望み

(エゴったあれこれ)

というのは、

うまく運ばないのかなと。

 

望みを実現したい!

意図を結果にしたい!

 

もちろんわたしも

そう思いますが、

 

わたしたちは

もともとそれが

できていた存在だったし、

 

みんなひとつの存在でした。

 

でもずーっと

そのままでは

つまんなかったので、

 

他者がいるという、

分離を体験しているのだし、

 

意図を結果にする、

というプロセスを

たのしんでいる。

 

言ってみたら、

 

このプロセスそのものに

価値がありそうというか、

 

すぐにピーチ姫に会える

マリオはつまらない。

 

仲間に出合って

冒険しない

ドラクエもつまらない。

 

試行錯誤したり、

失敗もしてみたりする、

時期も含めて、

たのしめるか

ということと、

 

これは共同創造の

ゲームでもあるから、

 

個であり、

全である、

自分として、

 

流れを信じて

委ねられるか、

ということが、

 

自分の体験を

豊かに

おもしろく

してくれるように

感じています。

 

 

そんなふうに

生きていられたら、

 

葛藤とは

無縁でいられそうだから、

 

結局、

意図=結果は

クリアに

起こってくるのかな。

 

わたしたちは

エゴにあらず、

ハイアーセルフなり!

 

 

結構前の写真ですが、

娘と新大久保に行ったとき。

 

わたしは完全にジミンペンです。

 

まさか自分がアイドルのファンに

なる日が来るとは

思っていませんでしたが、

 

2年くらい前のこと。

なぜそんなに人気なの?と

娘にたずね、

一緒に見てみた

ダンスプラクティスの動画。

 

(娘はとくにファンではないのですが、

世代的に有名曲は知っている模様)

 

この方のダンスは

いったいどうなっているのか!?

とジミン氏が気になりはじめ、

 

(バレエやモダンダンスがルーツだったそうで、

とにかく手先足先まで表現が美しく、同時に

びっくり人間レベルにに軸がたくましい)

 

メンバーとのやりとりでは、

そのコミュ力、共感力がすばらしく、

 

臆することなく、

愛嬌を炸裂させる

キャラにも射貫かれ、

 

これぞ沼という

はまり具合に。

 

あまり話す機会は

ないのですが、

隠しているわけでも

ないので(笑)

 

 

 

 

「問題」って本当はないんだなって思うわけ

「問題」

と思えることは、

 

自分がなにかに気づき

手放すために

起こっているか、

 

または

 

自分を成長させるための

トライとして

起こっているかの、

 

どちらかに

あたるもの

なんじゃないかな

と思っています。

 

そこでの登場人物は

自分のために

その役を

やってくれている方

なんだなあと。

 

もちろん、

 

自分が傷ついたり

消耗したりすることなどには、

 

ちゃんとNoを表現したり、

適切な距離に離れたりなど、

対応することが必要だけれど、

 

その状況であれ、

相手であれ、

 

問題の原因が

自分の外にあり、

 

自分はそれを

被っている、

 

と思いつづける限り、

 

その問題を越えていく力を

外に渡し続けて

しまっていることに

なってしまうのだと思う。

 

自分が体験することは、

自分に必要なこととして

起こっていて、

 

(浄化のためなのか、

はたまた成長のためなのか)

 

主導権は自分にある

という姿勢は、

 

いつも忘れては

いけないのかな

と思っています。

 

人に相談するときや、

セラピーやカウンセリング

などを受けるときにも、

 

やはりたいせつに

感じていることとして、

 

その方法を通して、

または、

その方を通して、

 

気づきがあったり、

癒しが起こったり、

解放を感じたり、

 

ということを

体験したとしても、

 

自分がその方法を選び、

その方法に納得したから、

 

それが起こる、

という構造がある

と思うので、

 

感謝ならいくらでも

なのだと思うけれど、

 

依存は無用なのだと

思っています。

 

「問題」と

いうのならば、

 

自分の玉座

自分以外の人

(及び社会通念など)

を座らせてしまうこと

以外には、

 

本当は

ないんじゃないだろうか

ということに

思い至るような。

 

 

わたしたちは

「自分」という

のぞき穴から

世界をのぞいて、

 

ゲームを

楽しんでいる

みたいな存在で、

 

自分という

のぞき穴を「主観」と

呼ぶのかもしれませんが、

 

どんなに近しい人であっても

別々ののぞき穴から

世界をのぞいているから、

 

自分が見る世界

感じる世界を

変えるためには、

 

とにかく、

自分ののぞき穴のレンズを

クリアに変えていく

しかない、

 

ということに

尽きそうですね。

 

 

豆花(とうふぁ)という台湾のスイーツが大好きです。

普段甘いものはほとんど食べませんが、

これはダントツに好き!

 

先日温かい豆花をはじめて食べました。

(写真撮らなかったので、画像はネットより拝借!)

 

冷たい豆花も大好きですが、

温かいのは超あっさりしたおしるこ

みたいな感じもあって、

めちゃおいしかった。

 

豆花といえば、

トッピングが魅力的なわけですが、

その日食べた温かい豆花には

小豆、タピオカ、

ピーナツ(煮てあるやつ)が

のっていて、

しみじみおいしかった。

 

おいしい豆花が

食べられるお店が

増えたらうれしいな。

 

 

 

 

 

 

朝こそボーッと/裸の自分ファイナル

自分にとっての

しあわせの条件って、

どんなことがありますか?

 

人によって

様々かと思いますし、

複数あるものかとも

思うのですが、

 

わたしの場合は、

 

「余裕のある朝」

というのに、

 

とてもしあわせを

感じます。

 

朝はどうしても

慌ただしくなりがちですが、

 

フレッシュな

エネルギーに満ちた、

1日の中でも特に

すてきな時間。

 

自分がいちばん

クリアな状態なので、

 

重要なインスピレーションを

受けとれる

チャンスタイムでも

あると思っています。

 

時間に追われず、

 

ゆっくり自分のペースで

起きられるだけで、

しあわせだったりしますが、

 

その日の天気や気分に

合わせて洗濯やお掃除を

すませて、

 

そのあと、

好きな飲みものを入れて、

 

ボーッとできるような

ゆとりのある朝が、

本当に大好き。

 

最近は

さらにピアノの練習を

してみたりするのですが、

 

今年の初めころから

レッスンに通っているものの、

 

(すてきなご縁あって!)

 

やっと練習できる自分に。

 

どういうこと!?

という感じかもしれませんが、

 

月一度通ってきた

レッスンの時間は

当初なんらかの

セラピーか

解放のワークか

という感じで、

 

そこで感じた

謎の抵抗や

謎の気の重さ、

 

それを払拭していく

プロセスのような

期間がありました。

 

ピアノの音を

ならすというのは、

 

裸の自分をさらす

みたいな感じにも

思えて、

(まったくの初心者で

なにも弾けないのに)

 

すごくこわかったの

だと思う。

 

脱ぐのを

おそれいていたのは

制限の布で、

 

その布を

脱ぎ捨ててこそ、

 

現れてくる自分がある。

 

まるで自分の皮膚の

ようになってしまっていた

最後の布を、

 

ピアノの練習を通して

脱ぎ去っていっているように

感じています。

 

 

次回更新は26日(火)以降の予定です✨️