Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

「問題」って本当はないんだなって思うわけ

「問題」

と思えることは、

 

自分がなにかに気づき

手放すために

起こっているか、

 

または

 

自分を成長させるための

トライとして

起こっているかの、

 

どちらかに

あたるもの

なんじゃないかな

と思っています。

 

そこでの登場人物は

自分のために

その役を

やってくれている方

なんだなあと。

 

もちろん、

 

自分が傷ついたり

消耗したりすることなどには、

 

ちゃんとNoを表現したり、

適切な距離に離れたりなど、

対応することが必要だけれど、

 

その状況であれ、

相手であれ、

 

問題の原因が

自分の外にあり、

 

自分はそれを

被っている、

 

と思いつづける限り、

 

その問題を越えていく力を

外に渡し続けて

しまっていることに

なってしまうのだと思う。

 

自分が体験することは、

自分に必要なこととして

起こっていて、

 

(浄化のためなのか、

はたまた成長のためなのか)

 

主導権は自分にある

という姿勢は、

 

いつも忘れては

いけないのかな

と思っています。

 

人に相談するときや、

セラピーやカウンセリング

などを受けるときにも、

 

やはりたいせつに

感じていることとして、

 

その方法を通して、

または、

その方を通して、

 

気づきがあったり、

癒しが起こったり、

解放を感じたり、

 

ということを

体験したとしても、

 

自分がその方法を選び、

その方法に納得したから、

 

それが起こる、

という構造がある

と思うので、

 

感謝ならいくらでも

なのだと思うけれど、

 

依存は無用なのだと

思っています。

 

「問題」と

いうのならば、

 

自分の玉座

自分以外の人

(及び社会通念など)

を座らせてしまうこと

以外には、

 

本当は

ないんじゃないだろうか

ということに

思い至るような。

 

 

わたしたちは

「自分」という

のぞき穴から

世界をのぞいて、

 

ゲームを

楽しんでいる

みたいな存在で、

 

自分という

のぞき穴を「主観」と

呼ぶのかもしれませんが、

 

どんなに近しい人であっても

別々ののぞき穴から

世界をのぞいているから、

 

自分が見る世界

感じる世界を

変えるためには、

 

とにかく、

自分ののぞき穴のレンズを

クリアに変えていく

しかない、

 

ということに

尽きそうですね。

 

 

豆花(とうふぁ)という台湾のスイーツが大好きです。

普段甘いものはほとんど食べませんが、

これはダントツに好き!

 

先日温かい豆花をはじめて食べました。

(写真撮らなかったので、画像はネットより拝借!)

 

冷たい豆花も大好きですが、

温かいのは超あっさりしたおしるこ

みたいな感じもあって、

めちゃおいしかった。

 

豆花といえば、

トッピングが魅力的なわけですが、

その日食べた温かい豆花には

小豆、タピオカ、

ピーナツ(煮てあるやつ)が

のっていて、

しみじみおいしかった。

 

おいしい豆花が

食べられるお店が

増えたらうれしいな。