Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

子ばなれ小噺

 

 15と なりし娘が タピりし夏

犬を抱きて 夕日を眺む

 

 

またしても一句詠んでしまいますのも、

(「タピる」は、タピオカドリンクを飲むことの動詞らしいです)

 

 

先日高1の娘が浴衣を着て

夏祭りにでかけていきました。

 

 

「下に何着るの?!」

 

「体操着???」

 

とか大騒ぎしながら。

 

(中学の頃からどんなときにもアンダー的に体操着着てなきゃって思ってる)

 

 

 

「子ばなれ」というのは

段階があるのだなと

思っているのですが、

 

いちばんはじめに

そう感じたのは

娘が小学校に

上がったときでした。

 

 

3月生まれで

小さかった娘が

 

やけに巨大に見える

ランドセルを背負って、

 

自分の足で

学校に出かけていくのを

見送ったとき、

 

生んでから何年も

経っていたけれど、

 

そのときはじめて

からだが離れたような、

不思議な感じがした。

 

 

出産のとき、

からだは別々になったようで、

 

エネルギー的にはずっと

一心同体だったんだなって。

 

 

幼稚園にも行っていたから

もちろんその前から

別々に過ごす時間は

あったのだけど、

 

送り迎えや

送迎バスという

庇護の中のことだったし、

 

 

小学校に上がって、

 

近所の子どもたちだけの

登校班というグループで

外の世界に出かけていくのを

はじめて見たときに、

  

「ああ、今離れたんだー」

って感覚的にわかった。

 

 

もうひとつ、

 

わたしはぐっすり寝ていても

娘が声をかけると

「秒で」

起きるらしく、

 

「マー子は本当に寝ているの?」

って何度も聞かれるのですが、

 

(娘はなぜか小さい頃からわたしを「マー子」と呼びます)

 

たぶん、

娘が赤ちゃんだったとき、

わからないことだらけの

子育てに突入して、

 

ホギャ!と泣いたら

おっぱいあげて、

とか夢中でやってる内に、

 

娘の声の周波数に

完全に反応するセンサーが

わたしにセットされたのかなと。

 

 

小6までは

一緒の部屋に

寝ていたので、

 

「おなかいたい」とか、

 

「鼻血出た」とか、

 

娘の声が

なにか聞こえたら、

 

ぐっすり寝てても

起きてた人みたいに

即返事して

対応してたみたいです。

 

(わたしに自覚はまったくない)

 

 

でも、今思うのは、

 

このセンサーは

もう解除して

いいんだなってこと。

 

高1ともなった娘に

このロックオン!状態は

もう不要なのだろうし、

 

これからどんどん

自立していく娘には

わたしの設定も変わるのが

自然なのかなと思う。

 

 

なんてことを

書いていていたら、

 

うちの母の不思議な

話を思い出した!!!

 

わたしが高校を卒業したかしないか

くらいの頃のことです。

 

ひとりで札幌に映画を見に行って、

デヴィッド・リンチだった。名画座的小っちゃい劇場)

 

上映中、となりに座っていた男の人の腕が

なんかこちらに寄ってきたきがしたので、

 

いやだから、グッ!て

押し戻すようにしたら、

 

その人は逃げるように

出て行って、

 

わたしは超絶ぼんやり少女だったので

(口から魂の3分の2くらいはみ出させて生きてた)

 

最初はよくわからなかったのだけど、

 

これは、「ちかん」を

しようとしたのかも

って段々わかって、

 

そしたらどんどんこわくなってきて、

(映画、デヴィッド・リンチだし!)

 

もう映画館からの帰り道も

すごくこわくて、

 

札幌の中心部から

ちょっと距離のある家まで

不安なきもちのまま

バスで帰って、

 

当時は携帯などもないから

家に何時に帰るなんて

連絡せずに帰ったのだけど、

 

最寄りのバス停を降りると

なぜか弟が自転車を停めて待っていて、

 

聞くと、母がわたしを

迎えに行くように

言ったらしい。

 

そのバス停から家までは

歩いて5分もかからない距離だし、

道中もすごく安全な道だから、

 

迎えに来てもらったことなんて

後にも先にも一度もなかったけど、

(もう18とかだし!)

 

でもこの日ばかりは、

弟が待っていてくれて

心底ホッとして、

 

今でも憶えてるくらい

うれしかった。

 

 

帰ってから、

「今日こんなことあってこわかったんだ」

って話は母にしなかったと思う。

 

母もなんで弟を迎えに行かせたか

本人もわかってなかったふしもある。

 

弟もそれなりの年齢なので

そんな頼みよく聞いたなって思う。

 

なにより

いちばん不思議なのは、

 

なぜ母はわたしが

その時間のバスで

帰ってくるって

わかったのか。

 

 

わたしの母は

大らかを絵に描いたような人で、

(ザ・道産子!って感じ)

 

日頃サイキックな所見は

皆無だったけど、

 

母というものは

必要とあらば

サイキックとなるのかも。

 

 

母はもう亡くなって

5年近く経ちますが、

 

いつもそのままのわたしを

尊重してもらったこと、

 

超常的にサポートを

してもらったこと、

 

(それは今もかもしれなくて)

 

見習えたらと思っています。

 

 

 

先日、

高校生の娘が浴衣を着て

夏祭りにでかけていきました。

 

 

わたしにとってまたひとつの

子ばなれイベントだった

きがしています。

 

 

http://healingroom3.com 

 

 

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今日は親バカおゆるしください。幼稚園の盆踊りのとき。

 

このときはかき氷を抱えていた娘が、

今はタピオカドリンクを抱えています。

 

(どこかで買った冷凍のタピオカで、家で自前のドリンクも作っている…、わたしはキッチンに時々落ちている黒いぷるぷるしたなにかに、一瞬タピオカとわからずビクッ!となったり…)

 

 

 

夏祭りといえば。

 

日本語と夏がなくならない限り、聴き継がれると思う名曲を最後に。

https://www.youtube.com/watch?v=_dcpKrUk_Jo