Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

ついにわたしが手放したもの/新しい作法のレッスン

やっと、

おもしろく

なってきたような……。

 

なんの話かって、

 

ここ数年、

ずっと

「自分に人見知り」

 

みないな

気分だったのです。

 

なんというか、

 

いろんなことが

浄化され、

浄化され、

 

こちらへ、

こちらへ、

と、

 

確かな導きを

感じて、

進んできた場所が、

 

「わあ!おもろ!!!」

 

みたいな感じ、

というよりも、

 

「ん?

どないやろ???」

 

みたいな、

感じで、

 

いったいここで、

自分がこれから

どうするのか、

 

うまく描くことが

できずにいました。

 

そうはいっても、

 

毎日に楽しみは

あるし、

 

大好きな人たちも

います。

 

しばらくは

社会的には

大きく揺れ動く

時期が続いていく

ことを思うと、

 

これで十分なのかも、

 

感謝して日々を

生きるのがいいのかも、

 

という、

ご隠居みたいな

心境になって

いたのですが、

 

ポテンシャルと

そのスタンスが

そぐわないような

感じがあって、

 

謎の違和感が

ずっとありました。

 

ここにきて

やっとわかってきたのは、

 

たとえるなら、

 

わたしは大きな川を

渡って、

 

(数年がかりだったですダ!)

 

お花畑のような景色の

向こう岸に

上陸してはいるのだけれど、

 

マインドが

もとの岸のまま

すぎたし、

 

(自分への制限、

受けとるキャパの小ささ

などなど)

 

あたらしい岸では、

自分の判断や

コントロール

超えて、

 

より大きな流れの

一部として、

いろんな体験が

起こってくるから、

 

むしろ、

その小手先の

判断やコントロール

手放すことが、

課題だったのかな。

 

自分に人見知り

みたいになっていたのは、

 

新しい岸では

かつての自分的な

やり方はあまりうまく作用せず、

 

前の自分は自分で

気に入ってもいたから、

(制限的であったとしても)

 

なんか、

寂しいような

変な感情に

なっていたのだと思う。

 

でも、

こちら岸での

作法は圧倒的に違う。

 

サレンダー、

 

という言葉を

多用しておりますが、

 

とにかく、

大いなる流れ、

 

それを宇宙と

呼んでも、

 

神と呼んでもいい、

 

本当の自分に、

 

自分を完全に

引き継ぐこと。

 

あれこれ計画するよりも、

意図し、委ね、

直感に従って、

必要な行動をすることで、

 

すべての必要が

満たされ、

さらなる

流れへと

運ばれていく。

 

その流れを

完全に信じられる

ようになるために、

 

小手先の判断や

コントロール

手放して、

 

その大いなる自分に

ハンドルを渡すために、

 

わたしには

さらに

手放すことが

あったのだなあ、

 

ということも

今はわかる。

 

わたしが手放したのは、

 

「記憶」

だと思っています。

 

それは、

 

地球でくり返した

いのちの体験の中で、

 

わたしがハマってしまった、

物語のようなもの。

 

とてもとても、

苦しんだと同時に、

たまらない甘美さも

あったのだと思う。

 

後生大事に

風呂敷に包んで

持ち運んで

まいりました。

 

でも、

幻想なんス。

 

どんどん軽やかに

なっていく世界には

持って行けない、

重さのお荷物。

 

それが、気球が

飛び立てない

重りみたいに

なっていたのだなあと。

 

今、トーシャ・シルバーさん

という方の本を読んでいるのですが、

 

こんな序文で

はじまります。

 

ーーーー

 

皮肉にも

神に手綱を渡すとき

かつての願望が殻を破りはじめ

どんなかたちであれ

それは果たされる

(愛そのもののギフトとして)

そのときばかりは

あなたは願望の奴隷ではない

 

ーーーー

 

う〜ん、

 

願望の奴隷。

 

手綱を握りしめ、

執着しているうちは、

むしろ願望は

喪失や欠損のように

わたしたちを

苦しめるかもしれない、

 

けれど、

 

本当に大いなる自分を信じて

手綱を引き渡すとき、

 

思ってもいないかたちで

満たされたりする。

 

この境地になっていると、

もう願望自体に

執着はなにもくて、

 

叶っても、

叶わなくても、

どちらでもいいと

思えている。

 

そのことよりも、

すべてが完全だという

安心感。

 

絶対的

大丈夫感。

 

圧倒的

おもしろ感。

 

その感覚こそが

ギフトだったのだなあ

ということが、

わかるのだな。

 

うむ。

 

まだまだ、

新しい作法の

レッスン中ですが、

 

レッスンそのものが

おもしろくて

たまらなく

なってきてもいる。

 

今、ここに

集中して、

 

起こることを

ただ

たのしみに

していたいです。

 

 

 

子育てロスみたいなことも、

ここ数年あったかな。

 

すごく楽しくて

わたしを夢中にしてくれる

ことだったから。

 

 

バイトで北海道に行っている娘。

 

今日は

真冬の屈斜路湖

カヌーをしているらしい。