Healing room 3

日記、および公開ラブレター!

サレンダー指南/望むが、手放す

願望って、

 

ともすると、

執着に姿を

変えてしまって、

 

結果、

自らそれを

遠ざけてしまう。

 

ということって、

すごくよくある

ことだと思うのですね。

 

また、

ビジョンがあるのに、

「叶うわけない」という

思い込みが

拭えなかったり。

 

 

これも、

 

創造の担当ではない

思考というか

エゴというかが、

 

水戸黄門の位置に

ついてしまうことで、

 

起こってしまうように

と思うのですが、

 

 

望みを持つのなら、

結果に期待する

のが人情、

 

というのも、

自分のこととしても

よくわかる。

 

人情とは

名を変えただけの

エゴだったりするのが

くせものですね。

 

目覚め、

悟り、

のような状態

というのは、

 

この巧妙な

エゴのすり替えを

華麗にかわし、

 

本来のポテンシャルで

自分の旅を楽しめるように

なることなのかな。

 

よく言われる、

「サレンダー」

というのも、

 

手放すほどに、

明け渡すほどに、

 

本当の力だったり、

本当の自由だったりを

取り戻せる、

 

ということに

なるのだと

思いますが、

 

これこそが自分、

 

と思っている自分を

手放すことは、

ものすごい抵抗を

感じるから、

 

それぞれに

内的一悶着が

あったりもする。

 

現在

ネドじゅんさんの

『左脳さん、右脳さん。』を

読んでいるところなのですが、

 

すごくシンプルに

この道筋を整理して

くれていて、

 

高尾山の登山の

いちばん簡単なコースのような、

 

もはや登山の装備ではなくても

らくらく登れてしまうような

感じがするほどの

軽やかさです。

 

この本で

 

右脳さん、

左脳さん、

本体さん、

生命さん、

 

として

整理されているものは、

 

たとえば、

ホ・オポノポノで言うと、

 

ウニヒピリ、

ウハネ、

アウマクア、

 

と、

あてはめられそう。

 

ホ・オポノポノも

とてもとても

シンプルな方法で、

 

続けているうちに

サレンダーなり、

エゴの解体なりが、

自然に起こってくる

方法だなあと思うのですが、

 

本当の自分の

ポテンシャルを

とりもどすときに

 

大切そうなのは、

 

思考なり

エゴなりを、

 

金輪際、

決して、

 

水戸黄門

ポジションに

付かせない!

 

という自分の

固い決意と、

 

ホ・オポノポノだったら、

ホ・オポノポノなど、

 

これ!という

惹かれるワークが

あったら、

それをひたすら

続けてみること

なのかな。

 

いくら、

すばらしい登山コースが

オープンしていても、

 

実際に山に登るのは

自分自身しかいない

ですもんね。

 

 

ネドじゅんさんの

お話で、

 

思考が消えた

体験を通して、

「わたしが帰ってきた」

とひたすら涙が流れて

しかたなかった

 

というお話が、

わたしは大好き

なのですが、

 

もう、

 

これがあるから

しあわせとか、

 

これが無いから

悲しいとか、

 

外側のことに

ふりまわされて

遊ぶゲームは

おしまいにして、

 

自分の中に

すべてがあった、

元の自分に

わたしも

帰りたいです。

 

そうはいっても、

このからだでの

人生は続きますから、

 

自由度が

爆上がりした

中で、

 

ここで

ご一緒できている

みなさんと

新しい遊びを

楽しんでいきたい

きもちです。

 

 

大学生の娘が

北海道の奥地に2週間アルバイトで

出かけていった。

 

観光的には閑散期となるが、

ホテルのお仕事を中心に

イベントのお手伝いなどをするらしい、

 

交通費が市から補助されるとかで、

冬の北海道を楽しみにしていたけど、

娘が知っているわたしの実家は

札幌圏だから相当環境は違いそう。

 

(寒さも、買いもの事情なども)

 

まかない付きかと思いきや、

キッチンはあるから自力で

ということらしく、

 

車もないのに

真冬の北海道の奥地で

どうなることやら、

 

まあ、

間違いなく

楽しんでくるのでしょう。

 

*写真はこどものころの娘@羽田空港

 

実家に帰省するとき、

自宅から羽田も遠いし、

千歳から実家も遠いから、

 

道中全部遊びと

思ってもらおうと

必死でした。

 

この写真のときは

カーペットの色が薄いところを

ジャンプして進んだら?

と提案したら、

 

どんどん進んでくれて、

わたしは

しめしめというか、

ホッとしているところ、

だったと思う。